明風の質問と阿弥陀仏の本願
法然の浄土三部経の講義が終わった。
明風と明運、親鸞は額ずいて礼を行う。
「かなり、要約を行ったが、主なことは、お伝えした」
法然は明風を見る。
明風は再び額づき、礼をする。
「それでは、多少質問をお受けしよう」
法然の顔が少し柔らかくなった。
「それでは・・・」
明風がにっこりと笑う。
法然も質問を心待ちにしている様子である。
「どんな人でも浄土に行けるのですか?」
明風は基本的なことを聞く。
「その通り、阿弥陀様は仏法に対する知識の有無を問わない。いわゆる善人も悪人も問わない。戒を守る僧侶も守らない僧侶も、身分の高い、卑しいもない、男女も隔てはしない、そもそも阿弥陀仏の前にけがれなどはない」
「ただ、南無阿弥陀仏と自らを呼ぶ人を無条件に浄土に導かれる」
法然は笑顔で応えた。
その笑顔は確信に満ちている。
奈良時代にはじまり、仏寺を建立したのは、身分も高く裕福な氏族であった。
そして自分たちの一族が安楽に死ぬことができるように、立派な寺を建てた。
その寺の境内に入れるのは、その氏族と限られた人々のみである。
自らの氏族だけの救済を考え、その他の一般庶民の救済は考えていない。
一般庶民が法話を聞く、あるいは経典を見る等は、ほとんどありえなかった。
そのような場所に行くことができるのは、貴族や僧侶などの限られた人々であった。
明運とても時折大原の里に読経や説法に訪れるのは、このような状態を考慮したこともあるが、本当の目的は「世情を探る」ことにあった。
すなわち、朝廷の状態や鎌倉方の動き、都を中心とした庶民の声を中心に探りをいれた。
もちろん、最大の目的は、「建礼門院様を鎌倉方から守る」ためである。
法然に比べれば、一般庶民を導くための布教意識は積極的ではない。
阿弥陀仏は、その名前を呼ぶものに対して、善人も悪人も、戒を守る僧侶も破戒の僧侶も隔てせず、無条件に浄土に導くと法然は述べた。
これが法然の説く浄土宗の根本原理である。
旧来の仏法の教えは、善行を積んだ者が、極楽浄土へ導かれるというものであった。
逆の言い方をすれば、善行を積まない者、悪事に染まった者は報いを受け地獄に落ちるというものである。
しかし、この戦乱、干ばつや洪水、飢饉が続く世において、「心ならずも命を落とす」「悲惨な死を迎える」人は限りなく多い。
その限りなく多い人が全て報いを受けるべき悪人なのか。
それでは仏の道を説き、安全に死ぬ僧侶は、本当に罪が無く善行を積んだ者なのか。
叡山に長く暮らせば、厳密に戒を保つ者など、ほとんどいなかったと記憶している。
皆、隠れて妻帯し、酒を飲んだ。
明運が知る限り一番厳格に戒を守ったのは、眼の前にいる法然だけである。
またいわゆる「男女の違いやけがれ」の問題をあっさりと否定した。
すなわち「男女の違いやけがれ」など、阿弥陀仏の本願とは無関係との考えである。
明運は京の都の「いわゆる高僧」のきらびやかな僧衣と言動を思い出した。
彼らは、特に「死のけがれ」を嫌った。
それを理由に、歩む道を変えてみたり、修行を休んでみたりする。
御仏の前に「けがれ」は無いとする法然の立場とは真逆である。
それ故、道端で行き倒れがあっても、何もしない。弔いをするなど、考えもしない。
望むのは自らの安寧と貴族や荘園からの富の増加だけである。
その安寧や自らの富の増加を欲し、あちこちで乱闘まで起こす。
出自の叡山とて例外ではない。明運は、しばし自らを恥じることになった。
「念仏をお唱えしながら、眠くなってしまうとかしたら、どうしましょう」
明風は次に意外なことを聞いた。
後ろに控える親鸞と明運は、口をポカンと開けてしまう。
少なくとも浄土宗の祖にして、あの智慧第一の法然に、とんでもないことを聞いている。
念仏を唱えながら眠気を催すとは、言っていいことと悪いことがある。
しかし、法然はくすりと笑う。
「たいしたことはないな、眠くなるのは人として普通のことだ」
「はい」
明風も笑顔である。
「そうしたら眠ってしまえ。起きたら、また阿弥陀仏を唱えればいい」
法然は笑う。
これには親鸞も明運も笑ってしまう。
まさか、堅物の法然からこんな言葉を聞くとは思っていなかった。
確かに阿弥陀仏の名前を呼べば、必ず迎えに来る、善も悪もない、無条件とすれば、当然の答えである。
ただ、明運は、その言葉で心が軽くなるのを感じた。
「本当に信じていなくても疑っていても、お唱えすれば浄土に行けるのですか」
次に明風は、また後ろに控える明運が困るようなことを質問する。
「ああ、それも全く問題はない、疑いながらも念仏をすれば、浄土に迎えられる」
「この世の人は、欲に動かされ、心が揺れ動くものさ」
「それは人として生まれ、目や鼻があるようなもの、当たり前のことで、その乱れ揺れ動く心を捨てて往生しようということは、とても無理」
「心が揺れ動きながらも、そのまま阿弥陀如来を唱えれば、必ず浄土に迎えられる」
「それ程、阿弥陀仏の力は広大無辺とお考えになられてください」
笑顔ながら法然の顔は確信に満ちている。
「お肉とか、食べてもいいのですか?」
次の明風の質問もまた、意外なものである。
親鸞も明運も注目して法然の答えを待つ。
「全く問題ない、阿弥陀仏には何も問題がない」
「そもそも、仏法に忌もけがれもない。世間はそう思っているらしいけれど」
法然はここでも泰然としている。
「お酒を飲むことも?」明風
「お酒はまあ、この世の習いだよ、お肉も同じこと」
「ただ、この世で生きていく上では、世の習いは守ったほうがいいけれど、阿弥陀様には、何も関係がないよ、名前を唱えれば必ずお救いに来られる」
法然はにこやかである。
しかし、法然の答えは、明風の最初の質問に対する答えに集約されているのである。
阿弥陀仏は仏法に対する知識の有無を問わない。いわゆる善人も悪人も問わない。戒を守る僧侶も守らない僧侶も、身分の高い、卑しい、男女も隔てはしない」
「ただ、南無阿弥陀仏と、自分を呼ぶ人を無条件に浄土に導かれる」
親鸞と明運は、その答えを思い出し、法然に額づく明風を見守っていた。




