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明風 第一部  作者: 舞夢
34/81

天台座主慈円と山法師

慈円は叡山にいて、明運と明風の京歩きを、冷や冷やしながら見守っていた。

京の都に置いてある天台の僧侶たちから逐一報告が来る。

慈円は、叡山の座主として、二回目の登壇である。

父は摂政関白をつとめた藤原忠通、また兄の九条兼実も摂政関白をつとめるなど、貴族の筆頭の家柄である。

慈円本人は、歌詠みに才があり「千載和歌集」などに入選を果たした。

また当時異端視されていた専修念仏の法然の教義には批判的であったけれど、弾圧は嫌った。

何しろ法然にしろ、明運にしろ、叡山にいた時は天台の碩学であり、慈円にとっては雲の上の存在である。

そのうえ、何故か二人から、あらゆる「厳しい指導」を受けた。

それでも、両方とも人間的に魅力があるので、厳しい指導にも耐えることができた。

厳しい指導の後は、必ず温かみのある励ましをもらった。

その厳しさと温かさがあったから、自分が成長したのだと思っている。

そうでなければ、二度目の座主などは無理だと思う。

確かに他の僧侶から見れば出自は高いけれど、出自が高くても僧侶としての力がないと、座主は無理である。

自分を鍛えてくれた二人には、感謝してもしきれない。

そして、法然の弟子となった親鸞は、もとはと言えば、自分が得度を行った。

弟子を大切にしない師匠になってはいけない。

自ら受けた経験から、それは守らなければならないと心に誓っていた。


「しかし、危なくて仕方がない」

「大原道といい、出町柳といい・・・おまけに東山大谷とは・・・」

「法然殿も、明運殿も、親鸞も・・・守らなければならない」

「それ以上に・・・とんでもない・・・」

明運からの書状に書かれていた「御紋」が慈円の心配を更に深くする。


「是非もない・・・」

慈円は、自坊の中に置いた伝教大師最澄の像をじっと見た。


「ここへ・・・」

山法師の体をした男が房の外で額づく。

叡山は京都鎮護の霊山として君臨しつつ、山法師と称された数千人の僧兵を擁している。

仏法の権威を後ろ盾に、武力の鍛錬を重ね、しばしば朝廷や院を屈服させることもある。

また自らの有利を追求し、横暴な振る舞いを行い、時の権力者の悩みの種である。


「大谷を警護せよ」

低い声で言った。


「えっ・・・」

山法師は顔色を変える。

敵を護れとは、どういうことなのか、理解に苦しんでいる。


「是非もない、とにかく、当分は護れ・・・」

慈円は厳命を発した。


山法師のおそらく長である男は、それでもためらいを見せ、動こうとはしない。

座主の命といえども、気に入らないことはしない、

それが、山法師の山法師たる所以と決めている。


慈円はしびれを切らした。

山法師の長を房に入れ、もう一言だけ付け加えた。

「明運殿が大谷にいる、清水も近い」


途端に、山法師の長の顔が一変した。

慈円に一度頭を下げ、房を飛び出していった。

慈円は、その様子をじっと見ていた。


「明運殿の名前を出すだけで、叡山の僧侶はもちろん、あのような粗暴な連中も動く」

「それほど、慕われているのだ、何故、座主を受け入れようとはしないのか」

「明運殿が座主になれば、世もこれほどには乱れなかった」

「こんな慈円では・・・・」

慈円の呟きには自嘲も含まれている。

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