法然の一喝
「あそこです」
親鸞は指さした。
しばらく歩き東山の大谷にのぼった。
坂道もあり、既に山も深い。確かに小さな禅房が見える。
「あそこか・・・」
明運は、明運は次第に緊張を感じている。
何しろ旧知とはいえ、あの知恵第一の法然である。
下手な問答をしかけようなら、簡単にひっくり返される。
しかし、そんな明運の不安などお構いなしに、親鸞と明風は嬉々として歩いていく。
明運の眼に集まる人々が見えてきた。
「やはり、人が多いな」
老若男女、様々な人が集い念仏を唱えている。
「大したものだ」
明運は感心するが、それだけですむ話ではない。
法然と対面をしなければならない。
これだけ集まった人々を「押しのける」または「かき分けて」か。
いずれにしても、困難な作業だと思ったが、今は親鸞に任せる他はない。
ついに群衆の後ろにたどり着いた。
親鸞は一度明運と明風を振り返り微笑んだ。
そして、鈴を鳴らし、大声で叫んだ。
「法然様、大原の明運様と明風様をお連れいたしました」
「お集まりの皆様、どうか、道を」
野太く、強い声である。
群衆から「おおっ」という声があがり、道が開かれた。
念仏は止まっている。
「いや、申し訳ない」
明運にとって予想外の動きである。
しかし、親鸞の取った方法はわかりやすい。
真正直で気持ちがいい。
親鸞と明運、明風は開かれた道を進んだ。
禅房の前にがっしりとした僧侶が座っている。
明運と明風をじっと見ている。
再び、明運に緊張が高まった。
「法然様だ」
小声で明風に告げる。
明風も、法然をじっと見ている。
明運は明風の様子をちらっと見た。
笑顔で法然を見ている。
そして、また輝き始めている。
少し不安を感じるが、今は自分自身に全く余裕がない。
「お連れいたしました」
親鸞の案内で、とうとう法然の前に立った。
法然は相変わらず、じっと明運と明風を見ている。
明運は、いささか緊張しながら
「法然様、お久しぶりです、明運にございます」
合掌し、丁寧に頭を下げた。
明風も、少し遅れて頭を下げた。
しかし、法然は何も言わない。
ただ、明運と明風の顔を見ているだけである。
念仏の大唱和は沈黙、静寂の時となった。
明運だけではなく、親鸞や集まった全員に緊張の時間が流れる。
ただ、明風だけは笑顔のまま。
少しずつ法然の顔が赤らんできた。
少し丸めていた姿勢をただし、大きく息を吸った。
そして叫んだ。
「この!」
「たわけもの!」
大音声である。
親鸞は驚いて法然の顔を見た。
未だかつて、師匠法然のこれ程怒った顔は見たことがない。
明運も驚いた。
あれ程何度も宗論を戦わせた仲である。
心は通じ合っていると思っていた。
やはり、天台も含め弾圧を受けた。
その天台に残っている明運が憎いのか・・・
直接関係はしていないが、法然に謝らなければならないと思った。
明運の顔に動揺が走った。
しかし、明風は何故か、明運の脇でクスッと笑った。
途端に法然から、予想外の言葉が飛んできた。
「明運殿、何故、山をおりたのだ!」
「何故、座主を目指さぬのだ!」
「明運殿以外に適任者はいない」
「天台の正しい法統を何故、守ろうとしない」
「この法然は、何よりそれが残念でならない」
「大原の問答にしても!」
「何故、お前が出てこない!」
「あんな勉強不足の顕真が出るなんて!」
「顕真だってお前が出ると思っていたそうだ」
「あれが座主になったところで、お前を慕う者のほうが多い」
「全く大たわけだ!」
法然の言葉は、浄土宗への弾圧に対する抗議ではなかった。
なんと、明運が叡山から降りたことを責めているのである。
明運にとって、全くの予想外の言葉である。
親鸞でさえ、口をポカンと開けてしまっている。
「法然様、それは・・・」
明運は法然の意図を理解した。
法然は叡山の時代を懐かしんでいる。
叡山がしっかりと、法統を守るべきだと。
そしてそれ程に、自分を評価してくれている法然をうれしく思った。
「それとだ・・・」
法然は続けた。
「この法然の命の先の短さがわかる頃に・・・」
法然は明風を見た。
「こんな・・・」
法然は明風に笑いかける。
明風も笑顔で応える。
「致し方ないが、もう少し早く・・・この子にはお逢いしたかった」
「お教えしようにも、わが命が少なすぎる」
法然はそう言って残念そうに首を振る。
「いや、まだまだ」
明運は法然に応えるが、確かに法然の顔色はあまりよくない。




