明風の哀しみと怒り
明風と明運は検非違使に警護され、賀茂川沿いの道を
大工、左官、鍛冶屋、檜皮葺、刀砥、鍋売り、油売り、饅頭売り、米売り、塩売り、シキミ売り、菜売り、農民その他明風が見たこともないような物を背負い歩いている。
様々な荷車が通り抜ける。
米俵を満載した車、味噌や酒の桶を積んだ車、野菜を積んだ車等、本当に様々で、車の数も多い。今までの大原道とは、全く比較にならない。
きれいな牛車も通る。これも様々な種類があるようだ。
明運がこれは解説する。
「唐車と言う車がある」
「屋根が唐破風で屋根は檳椰樹の葉で葺く。廂と腰にも檳椰樹の葉を用いる。上皇・皇后・東宮・親王、または摂関などが用いる大型の牛車だ」
「糸毛車と言うのは、絹の縒糸で屋形全体を覆い、その上から金銀の文を飾った車。内親王、三位以上の内命婦などの身分の高い女性が用いる。東宮が使用することもある」
「半蔀車は、屋形の横にある物見窓が、引き戸ではなく、上に押し上げる半蔀戸になっている。屋形そのものは檜の薄い板を編み、上皇・親王・摂関、大臣のほか、高僧や女房が用いることもある」。
「八葉車は、網代車の屋形や袖に八つの葉の装飾文様をつけたもの。文様の大小により、大八葉車とか小八曜車などがある。大八葉車は親王や公卿、高位の僧が用い、小八葉車は少納言・外記や、女房などが用いる」
明運が懸命に解説するが、明風は、そもそも言葉自体がわからない。
長い壁を持ち、豪華な門を構えた屋敷があり、その門に明運が「解説した」車の一つが入っていくが、明風はまるで見ていない。
豪華な寺があり、中には着飾った僧侶も見えた。
明運の寺では、あれほど派手な僧服はない。
明運自身が豪奢を嫌う。
「そもそも、仏道と財産は別の世界だ」
「仏道に必要な分だけあればいい」
「布施を強要する等、沙門の恥だ」
「富は心の中に積むべきである」
これが明運の一貫した考えである。
従って同じ仏門とはいえ、今眼前に見えている「着飾った僧侶」の寺には関心が無い。
道を進むと朽ち果てた家がある。
道の脇の細い路地を見ると、そのような家が多い。
「皆、戦乱で主や家族を失った家だ、戦乱でなくても夜盗に襲われ財産も命も奪われた家も多い」
「命まで奪われなくても、家族が奴隷として売られるとか、一家が離散した家も多い」
明運の表情は哀しみと、怒りが交錯した複雑さを見せる。
川沿いの道の端から異臭がしてきた。人が何人か倒れているようだ。
「おい!」
明運は止めることができなかった。
既に明風は走り出してしまった。
「これは・・・」
明風は真っ青な顔になっている。
倒れている人たちの顔色が黒い。
蠅がブンブンとたかり、強い異臭がしている。
「理由はわからぬが、ここで行き倒れだ」
明運が明風の脇に立った。
「着ている服からして・・・」
明運が冷静に言いかけると、明風は手で制した。
明風は、明運をキッと見つめた。
明風の眼には、怒りと哀しみが交錯している。
「着ている服がどうしたっていうんですか!」
師匠明運に対して初めての反発をした。
「明運様、どうしてそんな、普通のお顔なさっているんですか!」
「ここで命を落とされた方の職業や、身分を推し量って何になるんですか!」
「このお方たち、全て御仏の子でしょう、様々いろんな思いで生きてこられた」
「でも、こんな風に、倒れられて、そのままにされ・・・」
「みんな、どうしてちゃんと、弔ってあげないのですか!」
「ちゃんと仏様のもとにお返ししてあげたいよ・・・」
明風は泣き出してしまった。
涙が溢れて止まらない。
明風は泣きながら亡骸に合掌し、南無阿弥陀仏を繰り返す。
明風の号泣と南無阿弥陀仏に引かれ、再び群衆が明風の周りに集まってきた。
群衆も明風と同じように亡骸に合掌し、念仏を唱和する。
明風と同じように泣き出している者が多い。
ついに警護の検非違使たちも馬を降り、泣きながら合掌し南無阿弥陀仏を唱えている。
しばらくして明風は検非違使たちに、行き倒れの人々の丁寧な埋葬を頼んだ。
検非違使たちは、明風に手を合わせた後、遺体の処理を始めた。
群衆からまた、声があがった。
「やはり、生き仏様だ」「大切なことを教えてくださる」
「心が何か救われたような気がする」「ありがたいことだ」
確かに戦乱、争乱の世は、一応の決着はついた。
しかし、未だ様々な形で傷痕は残っている。
暮らしに窮乏する、夜盗に襲われる。
そして哀しいかな、道端で行き倒れになる。
野犬に食べられている赤子も見る。誰も見て見ぬふり、何もしない。
仏の道を説く僧侶すら、何もしない。
これ程多くの仏道を説く寺があり、「高僧」がキラ星のごとくおられるというのに・・・
明運自身、大原の寺に籠り、修行に励むだけであった。
自らは安全な地にいて、本当に苦労している人を救うために何の努力をしてきたのか。
少なくとも明風は、即座に対応した。しかし、自分は何をしたのか・・・。
不幸にも行き倒れで放置された人たちの、「着ている服からして」などとしたり顔で分析しようとするなど、まず僧侶としてなすべきことを忘れている。
明風の怒りも当たり前だ、自分を見つめるあの強い目の光は、まさに神仏の怒りだ。
明運は、またしても自らの非力と明風の底知れない力を感じていた。




