出町柳での読経
明運と明風は糺の森を抜け、出町柳に立った。
出町柳は高野川と賀茂川の二つの川が合流し、ここから鴨川と名前を変える場所である。
合流点の奥が下鴨神社の糺の森に続いている。
高野川に架かる橋を河合橋と言い、賀茂川に架かる橋を出町橋と言う。
出町橋からは遠く比叡の山が見える。
明運は出町橋で、しばし山を眺めた後、橋の西詰に立った。
「ここが鯖街道の起点で、鯖街道口と言われている」
「京の七口の一つで、八瀬、大原を経て、滋賀の朽木、若狭小浜につながっている」
「まあ、正しくは大原口だ」
再び明運の講釈が始まるが、明風は橋を行きかう多くの人を眺めている。
様々な荷物を背負った人、多くの荷物を積んだ車や、その車を操る人々、旅行者、僧侶もいる。年齢も老若男女様々である。
基本的には、今まで歩いてきた道で見た人々と同じであるが、何しろ圧倒的に数が多い。
そして、様々な人が様々な表情をして動いている。
笑顔の人、顔を下に向けている人。考え事をしている人、口をポカンと開けている人。
焦っているのか顔に余裕がない人、無表情な人。疲れが顔に出ている人、身体のどこか悪いのか苦しそうな人。機嫌が悪いのか怒っている人・・・まさに様々である。
明風は明運を振り向いた。
「すぐそこに小さな空地があります。そこで読経をしたいのですが」
確かに明風の言う通り、ほんの小さな空地がある。
「読経と言って何を読む」
明運が尋ねる。
明風の考えを読むことが出来ない。下鴨神社の一件から、明風に押され気味なのである。
「いろんな人が歩いています」
「そういった場合は、誰でもわかるお願いです」
明風の顔が輝いている。
「お願いとは・・・」
明運がもう一度聞くが、既に明風は、「ほんの小さな空地」に向かって歩き出している。明運は慌てて後を追った。
明風は「小さな空地」に立ち、合掌し目を閉じた。
明運も同じ所作をする。行きかう多くの人は、誰も二人を見とめる人はない。
明風が口を開き静かに唱え始めた。
「南無阿弥陀仏」
明運も明風に声を合わせた。
叡山は、朝は法華経を読み、夕は念仏を唱える。
明運は経の種類は多いが、仏法そのものを別の言い方で表しただけと考えている。
禅も同じである。分け隔ては全くないと考えている。
明風の声が少しずつ大きくなり、明運もそれに合わせる。
読経の声が大きくなるにつれ、行きかう人々に明風と明運を見る人が増えてきた。
声を合わせる人も増え、二人の周囲に集まる人が増えてきた。
それでも二人は小さな空地で南無阿弥陀仏を唱え続ける。
既にかなりの多くの人が二人に手を合わせ、南無阿弥陀仏を唱和している。
ついに、誰もが足を止め、眼を閉じ唱和するようになった。
明運は薄目を開けて、時折様子を見る。
人がかなり多くなり危険を感じるが、明風は構わず唱え続けている。
「光が・・・」
明運は明風の身体が再び強い光を発していることを見とめた。
明風の声が大きくなり、その大きさに比例して光も強くなる。
明風の姿を見て涙を流す人が出てきた。
人は夥しいほど集まり、唱和の声全体が、かなり大きくなる。
涙を流す人もかなり増えている。中には号泣している人もいる。
泣きながら崩れ落ち、明風を拝む人さえいる。何を感じて泣いているのだろうか。
「あの若いお坊様は・・・生き仏様か・・・生き神様か・・・」
「こんな素晴らしいお経を聞いたのは初めてだ」
「ここは浄土だ、あのお坊様、光輝いているではないか、有難いことだ」
明運は集まった既に群衆とも言える人々の声を聞き取っている。
そして明風と明運の足元には、既に夥しい「お布施」が置かれている。
「これ程までとは・・・」
以前、明風と大原の里で読経した時も、同じようなことがあった。
しかし大原の里は、そもそも明運の布教地であり、明運自身の力が大きいと考えていた。
明風は未だ修行の身、その若さと愛らしさで人を集めるだけであり、明運の飾りに過ぎないと思っていた。
しかし、明風の全く初めての地で、南無阿弥陀仏を唱えただけで、これ程の人を集める。
今回は少なくとも明運の力ではない。
明運は、ただ、明風の力を発揮する「場所」を提供したに過ぎない。
「これ以上、明風に何を教えたらいいのか、明運に何ができるのか・・・」
明運は明風に手を合わせ涙する群衆の姿を見て、自分自身の限界と寂しさを感じた。
しかし、明運が寂しさを感じている時間は、ほとんど無かった。
「むぅ・・・」
明運の顔が厳しくなった。
群衆の後ろの方から悲鳴が聞こえてきた。逃げ惑う人も出ている。
明運の目には、数騎の馬とそれに乗る侍が映っている。




