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明風 第一部  作者: 舞夢
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八瀬の鬼

風が強く、雲がない。満天の星空である。

明信は寒さに身体を震わせながら八瀬への道を急いだ。

灯りは、松明と星明りのみ。山深い道を歩く明信に寒さと不安が募る。


「八瀬といえば、鬼の住む邑・・・乳の出る女どころか、無事に戻ることさえも危ういのではないか・・・」

明信の心は師匠明運の指示を訝る気持ちで満ちている。

叡山で明運について修行していた時に、八瀬の人々は鬼の子孫であると教わった。

御伽草子に書かれている通り、源頼光に滅ぼされた酒呑童子の子孫で、獣を常食とし、気が向けば人まで食らう。

特に、八瀬に縁の無いものが、八瀬の地に足を踏み入れたなら、本当に目立たぬよう用心して、一刻も早く立ち去らなければ、命は危ういとのこと。

明信の心に植え付けられた八瀬の地や民に対する恐怖は、八瀬に近づくにつれ、その強さを増すのである。


「ふぅ・・・着いてしまった」

道端に八瀬の入り口の道標が立っている。

「どうなることやら」

明信は足が震えだした。出来ることなら逃げ出して寺に戻りたい。

しかし、そんなことをしたら師匠明運からどんな叱責を受けるか、それに・・・あの赤子・・・気になる産着の御紋が、足を前に向ける。


明信の足が道標を超え、八瀬の結界の中に入った。しかし、特に何もおこらない。

深い森の中で星明りは届かず、松明の灯りだけを頼りに暗い道をそのまま進む。

目指す屋敷は、師匠明運に指示された「とにかくまっすぐ進み、邑の中心の一番大きな」という極めて曖昧な場所ではあるが、ここは師匠を信じてまっすぐ進む他はない。

「これなら大丈夫かもしれない。今のところ何もない」

心細いながらも、足を進めた。

「とにかくまっすぐ進むだけだ」


明信にようやく落ち着きが戻った途端、耳に風を切る音が聞こえてきた。


「ヒュン!」

「うわっ!」

明信は飛び上がった。そして数歩後ろに着地した。

「矢か!」

さっきまで明信が立っていた場所に矢が突き刺さっている。

「誰だ!」

明信は、大声で叫び周りを見た。

すると、同時に夥しい矢が明信めがけて飛んで来る。


「うゎっ・・・これでおしまいか!」

明信は身体をかがめ、座り込んだ。

「ヒュン!」「ヒュン!」「ヒュン!」「ヒュン!」「ヒュン!」「ヒュン!」・・・・・・・・

明信は不思議な感覚である。

矢の音は凄まじい・・・しかし、一本としてわが身に刺さる矢はない。

薄目を開けて見た。


「何?」

明信は驚くべき状況を目にした。

「これは・・・」

明信を襲った矢は、明信を中心に円を描き地面に突き刺さっている。

つまり、明信の周囲に矢でもって結界が張られているのである。


「誰だ!ではないよ!」

明信の耳に突然若い娘の声が飛び込んできた。

「何?」

明信が声の方向に目を向けると、若い娘が木の上に乗り、明信に向けて弓を構えている。そして、その若い娘の周囲に、数十人の男たちが明信に向けて弓を構えている。


「この八瀬に、こんな夜のこのこやってきて、誰だはないだろう!」

「ちゃんと名乗らなければ、今度は・・・」

若い娘が弓を引き絞ると、一斉に男たちも明信を的に弓を引き絞った。


明信は再び自らの周囲をゆっくりと見た。

明信自身は、叡山で十分に武芸の訓練は積んでいる。

師匠明運の制止もあり、「僧兵の蛮行」には参加していないが、叡山の中でも、相当の槍の使い手であるし、戦闘における技術も教え込まれている。


「それならば仕方がない」

いきり立つ「敵」を鎮めるため、ゆっくりと声を出した。

今は明信自身が武器は何も携えていない、そのため、戦闘行為は無理である。

それならば、違う方法で対処するしかない。


「仕方がないとは何だ!」「そんな態度では、このまま、ナマスにしてしまおうか!」

「それが怖かったらさっさと来た道を帰れ!」

「敵」は鎮まるどころではない、ますます、いきり立っている。


「事情を話そう」

明信はいきり立つ「敵」の感情は無視した。

ただ、師匠明運から指示されたことだけを伝えようと考えた。

八瀬の邑は、もともと人口は少ない、これほどの人数が集まって来るには、邑全体の意思がまとまっていると考えねばならない。

そして、男たちを束ねているこの若い娘には、それなりの地位がこの邑で与えられていると考えた。

その娘に師匠明運から指示されたことを伝え、それでも弓で射られるのなら、それも運命である。

どの道、闘って生き延びることができる状況ではない。


明信は、覚悟を決め、ゆっくりと言葉を出した。

「八瀬には、師匠明運の使いで来た、この邑の長の屋敷に、どうしても行きたい」

「師匠明運のたっての・・・」

明信の言葉はそこで途切れた。


明運という名前を出した途端、若い娘ほか、全員の表情が変わったのである。

敵意にあふれていた表情はなく、全員が笑っている。

「何?」

明信はその変化の理由がわからない。

何故、師匠明運の名前を出しただけで、これほど態度が変わるのか・・・


「何だ、明運おじさんの使いか!」

「だったら早く言ってよ!」

若い娘が小走りに近づき、明信の腕を取った。

周りの男たちも笑っている。男たちも緊張が解け、安堵しているらしい。

「さあ!急ぐだろうから馬だよ!私の馬も!」

若い娘が男たちに指示をすると早速二頭の馬が準備された。


「あんたも叡山だろう!馬ぐらい大丈夫だね!ついてきて!」

若い娘はひらりと馬に飛び乗り駆け出した。

明信もあわてて馬に乗り、若い娘を追いかける。

周りの男たちも一斉に走り出す。周囲を固めているので、護られているようだ。

先ほどまでとは、まるで大違いである。


若い娘の後を追い、まっすぐ馬を走らせると、広壮な屋敷が見えてきた。

あの屋敷が八瀬の邑の長の屋敷らしい。

若い娘はそのまま大きな門を抜け明信も続く。

そして広大な庭を過ぎると屋敷の門が見えてきた。

若い娘はここで馬を降り、明信も続いて降りる。

「うん、なかなかね、さすが明運おじの弟子、なかなかついてこられる男はいないよ」

若い娘は、にっこり笑い、広壮な屋敷の中に招き入れた。

そして、若い娘は、そのまま広壮な屋敷の中を進んでいく。

しかし、明信は黙ってついていくより他はない。

娘の素性がよくわからないが、ここは、これ以外に方法はないのである。


「それにしても、豪華な屋敷だ」師匠明運について、時折京の都の公家屋敷に行くことがあるが、全く引けをとらない、いや、それ以上であると思う。

やがて大広間のようなところに案内された。人が百人は楽に座れるほど広い。


「あれっ・・・」

これもまた京の殿上人の屋敷にあるような見事な屏風が奥に見えた。

そして、その屏風の前に総髪の男が座っている。

「さあ、連れてきたよ!明運おじのお弟子さんだとさ!」


若い娘が声をかけると、総髪の男が顔をあげた。

「何?明運の弟子?」

男は明信の顔を見る。


「え?」

明信は、総髪の男の顔を見た途端、再び信じられない状況に陥ってしまう。

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