寺に戻った明風と明運
明風は明運の寺に戻り、全員に心の底から詫びた。
明運はただ、明風を見て合掌をしただけで、何も言わなかった。
明風は、明運の心を「何も言わず、仏道に励め」その心と理解した。
そして、大原の里に出かける前と同じように読経を行い、仏典を読み座禅を組む生活を再開した。
お妙は明風が戻るなり、明風を抱きかかえた。
明風をとがめる言葉は何もなく、抱きかかえ泣いているだけ。
茜は、その横に立ち、顔を覆い泣いていた。
誰も、明風をとがめない。
明風は、自らの行動の拙さを恥じた。
これ程までに自分を思ってくれる人たちに、とんでもないことをしてしまった。
明風は「とがめられないこと」が、本当に辛かった。
「どこか大人になった」
明運は明風の変化を感じた。
「大丈夫でしょうか」
明信は明風の変化を不安に思うようだ。
明信は寂光院で何かあったとと考えている。
おそらく女色ではと思っている。
「たわけもの」
明運の静かではあるが厳しい言葉。
「・・・はい」
明信はその厳しさに、たじろいだ。
「女を知ったからと言って、仏道が汚れることはない」
明運は言い切った。
「そうでしょうか・・・」
明信は戒律を気にしている。
「ますますたわけものだ」
明運の言葉が厳しさを増した。
「え?」
明信はその厳しさが理解できない。
「そもそも釈尊には子供がいた、ということは、女を知っていたということだ」
「釈尊は戒律を破ったのか、そして釈尊は汚れた仏道を説いたのか?」
「男と女が睦みあうことは汚れることなのか?それなら睦みあって生まれた子供はどうなる?女犯とは別次元のことだ、それがわからぬのか」
明運の語調は厳しく、明信は何も返すことが出来ない。
「つまりな、自らのために邪な心を持ち、相手を裏切ること、嘘を言うこと、傷つけることが不品行となるのだ」
「自分だけが良ければいいとか、相手のことを考えないことが、仏道に背くと考えよ」
「全てのものに仏性がある。その全てのものに、慈しみを持って接することが仏道だ」
「どんな人の、どんな状態でも、できる限りでいい、誠心誠意、慈しみ、救いの道を伝え導くことが大事なのだ」
「戒律を保つために、慈しみが失われ、救いが失われては意味があるまい」
「あの明風の座る姿を見よ」
「お前はあの姿を見て、明風の心の中に、邪なものが見えるのか?」
「この明運にはそんなものは見えない」
「明風の心の中は、緑の野原に清々しい風が吹いているだけだ」
明信はずっとうなだれていた。
明風が、明運の寺に戻って一月ほど経った。
既に桜が咲き始め、身体の傷はすっかり癒えた。
寂光院には、週に一度通う。
それ以上間隔を開けると建礼門院が嘆きの手紙をよこすからである。
明運も建礼門院の願いには逆らえない。
万が一を考え、明風に八瀬の邑の男を警備につけ、通わせている。
「明風」
明運は、寂光院から戻った明風を呼び留めた。
「はい」
明風は明運の表情が、いつもとは異なることに気が付いた。
明運は厳しい表情をしている。
「建礼門院様のご様子はどうだ」明運
「はい、特に変わりはありません」
明風は感じたままに答える。
「そうか・・・」
明運は、やや表情を崩した。
しかし、すぐに厳しい表情に戻った。
「さて、明風」
明運の目が大きく開かれた。
「はい」
明風は威儀を正した。
「お前は、この寺と大原の里、建礼門院様の寺しか知らぬ」
明運は何か思惑があるようだ。
「はい」
明風は聞くしかない。
「明日は都に行く、そしてそこで読経をする」
明運はいきなり切り出した。
「え?」
明風は全く予想していなかった。
確かに明運の寺で育ち、他には大原の里と建礼門院様の寺しか知っている地はない。
それにしても、都は全くわからない。
「大丈夫だ、この明運も一緒だ」
明運は笑っている。
「ありがとうございます」
明風は少し安堵する。
「それと、お前の顔を見たいというお方がいる、そのお方にお逢いする」明運
「そうですか・・・」
明風は、相手が誰なのか全くわからない。
しかし、明運の寺と大原の里、建礼門院の寺しか知らない明風を、都の誰が知っているのだろうか。
師匠明運は時折都に出向くが、その時に明風の話をしているのだろうか。
大原の里は田舎であり、都人などほとんど見ない。
建礼門院様のお寺にも都から出向く人はほとんどいない。
いたにしても、建礼門院様がその人に、明風の話を持ち出すとは考えられない。
仮に八瀬の嵐盛様が・・・とも思うが、口の軽い人ではない。
こうなると、師匠明運に任せる他はない。
「ふん、誰か心配なのか」
明運は明風の心を読んでいる。
「はい、多少」
明風は素直に答える。
「気にするな、この明運の修行仲間だ」
「ただの坊さんだ、要点のみの修行をお願いしてある」
「長くなると建礼門院様に叱られるのでなあ」
明運はそう言って笑った。
「そうですか・・・」
明風は、そう答えるしかなかった。
しかし、その「修行仲間」は、明風にとって驚くべき人であった。




