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明風 第一部  作者: 舞夢
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雪混じりの寒夜

雪混じりの強い風が木々を揺らし、庵の戸を叩く。


「今夜は、こと更に冷える」

明運は、山深いこの京大原に住み着き、既に十年を超えた。

この地の寒さは、既に体に馴染んではいるが、今夜の寒さは格別に感じている。


「しかし、これこそが本当の修行だ」

十年前、僧兵を繰り出しての乱暴狼藉や、内部の足の引っ張り合いに終始する叡山を去る決心をしたのは、「本当の修行」を求めたため。

叡山の座主からは、決心を告げた時より、しつこいほどの慰留を受けた。


「明運、お前はこの私の跡を継ぐべき資質がある」

「なぜ、この叡山に留まらぬ・・・」

「確かに無駄な、本来の修行とは、かけ離れた所業を行うこともある」

「しかし、それは叡山を護るため、叡山の権威を護るために、致し方ない場合がある」

「それにどのような状態でも、悟りを開いてこそ、本当の修行ではないのか」

「お前を慕う僧は、この座主よりも多い」

「見捨てられた者が可哀そうだとは思わないのか・・・」

しかし、座主の「慰留」は効をなさず、明運は決心を変えなかった。


別れ際に座主は明運の肩を抱いた。

「これも仏縁かもしれぬ」

「この座主に、もう少しの力があれば・・・この世のことも、もう少し穏やかにできたものを・・・」

座主は涙をぬぐおうともしない。

数年来続いた源平の争乱は、既に決着がついた。

不幸にも、かけがえのない命を落としたもの、心身に障害を負ったもの、家族や親しい人、大事な人を失ったもの、様々な労苦を負ったものは数えきれない。

ましてや、帝のお命まで海の底に沈んだ。


明運は座主の人柄を信頼し、想いも理解していた。

この争乱の世の中、歴代の座主に比して苦労が多く、確かに同情すべきものはある。

しかし、明運としては、それ以上に、より静かな環境で自分にとっての「本当の修行」を求めたのである。


「叡山を降りた日も、こんな寒い日だった」

今夜のような寒い日は、どうしても叡山を降りた日のことを思い出してしまう。


「蝋燭が・・・」

蝋燭が、そろそろ終わりそうになっている。

明運は座禅を解き立ち上がった。


「ん・・・」


立ち上がった途端、馬の足音が聞こえてきた。


「近い・・・いったい、どこへ・・・まさか・・・」


明運には気になることがあった。

行き先によっては、「対応」をしなければならない。

素早く綿入れを着込み、庵を出た。用心のため槍を抱えた。

明運自身も叡山で槍の訓練は十分に積んでいる。

庵を出ると、馬の足音がかなり大きい。


「考えている暇はない!」

明運は数十歩先の門まで全速力で走り、急いで門を開けた。


「何!これは・・・」


普段は沈着冷静な明運の顔に動揺が走った。

なんと、寺の門前に、産着を着せられた赤子が置かれている。

そして、おそらく赤子を運んできた馬は、一瞬立ち止まったが、都の方に戻っていく。

乗り主は暗くて判別ができない。


「さて・・・どうしたものか・・・」

明運は赤子を抱き庵に戻った。

「何故、この明運に・・・それもこんな寒い日に・・・」

わざわざ都から馬を飛ばし、明運の寺の門前に赤子を置き去りにする。

「置き去りと言うよりは、この明運を知る者が、明運に委ねたと思うべきか・・・」

「しかし、委ねるとしても何故なのか・・・」

明運は赤子の顔をじっと見つめた。


赤子は目を閉じ、スヤスヤと眠っている。

「ん・・・この御紋は・・・もしや・・・まさか・・・」

その赤子を包んでいる産着の御紋を見た瞬間、明運の表情が変わった。

 「これは・・・たいへんなことになった」

明運の顔に再び動揺が走った。


明運は赤子の顔を再び見つめた。

しかし赤子の顔を見続けるうちに、次第に心は落ち着いてきた。

どんな事情があるにせよ、この寺の門前に置かれた「幼い命」である。

明運は懸命に心を静め、為すべきことを考えた。


「大切な命だ・・・この大人でさえ寒い夜に・・・さぞ、寒かっただろう」

明運は未だ冷たい産着に包まれた赤子を不憫に思った。

「この赤子が誰であろうと、風邪をひかせるわけにはいかない」

明運は、赤子をていねいに火桶のそばに置き、体を冷えさせないようにした。

「さて・・・次に・・・」

明運は目を閉じる。

「乳を与えねば・・・」明運は、赤子への乳を与えねばならないと思った。

しかし、明運の寺にそもそも女はいない、時折説法に回る大原の里にも乳が出る女がいるかどうかわからない。

いたにしても、ここは慎重を期さなければならない。

産着の「御紋」が明運にそう仕向けるのである。


明運が鈴を鳴らすと、素早く庵の戸が開けられ、小男が入って来る。

明運は小男を火桶のそばに招き寄せた。


「明信、事情は感づいているだろう」明運

「はい、明運様」

小男は、明信という僧らしい。赤子をマジマジと見ている。


「この御紋・・・何やらですなあ・・・」明信

「その通りだ」

明運の表情は厳しい。

「それで、これから・・・」明信

「この赤子は、この寺で育てる」明運


「え・・・まさか・・・」

明信の表情が変わった。

赤子がいる、また育てている寺など聞いたことがない。


「いや、そのまさか・・・をやり遂げなければならない」

明運は既に決意を固めたようだ。

「ふぅ・・・面倒な・・・」

明信はため息をついた。

明運は、決めたことは絶対に曲げない。

その頑固さは、叡山時代から骨身にしみてわかっている。

それに明運が師匠である以上、弟子の明信が逆らうことはできない。


「ため息をつくな、赤子一人育てられずして、何が仏道だ」

明運は、笑みさえ浮かべている。

「それは・・・そうですが・・・」

明信はどうしていいのかわからない。


「とりあえず、乳の出る女が必要だ」明運

「はい・・・」明信

「八瀬に出向いてくれ・・・書状は書く」

明運は、既に筆を持ち書状を書き始めている。


「八瀬・・・ですか・・・」

明信の表情が変わった、少し震えている。


 「何、大丈夫だ。二、三回脅されるだけだ」

明運はこともなげに笑う。

「そう言われましても・・・」

明信は肩を少し落とした。


「ほら、赤子が腹を空かせている、今すぐにだ」

明運が書状を渡すと、明信は観念し、庵を飛び出していく。

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