真実への言及
今回は長いです。
五限の授業が終了し、咲子との約束の時刻が迫っていた。
教授の機嫌が良かったのかいつもより多少早く終わっている。そのため、なぜ呼び出されたのか考える時間が生まれてしまった。
……もちろん思い当たる節は谷山の陰謀を阻止しようとしたゼミでの一件。
咲子が激怒しているのか、無関心なのかさえもわからない。何を言われるのか見当がつかないのだ。
得体の知れない彼女に呼び出されてしまうと、何か悪いことをしてしまったのではないのかと考え込んでしまう。
居酒屋に行きたがらなかったから? だが、最終的に咲子が中止を決定したのだ。
尚更わからない。考えれば、考えるほど不安が募り、胃がキリキリと悲鳴を上げてしまう。言われた通りに正門に向かおうとするがどうも向かう気になれない。
それに、よくよく考えてみれば、咲子とまともに会話したことなどなかった。
いつでも一方通行な台詞を聞き流し、会話と呼べるものをしていない。したとしていてもいつも隣には谷山や、木洩日さんがいた。
おそらく、二人きりで何処かに出かけるために「暇でしょ?」と予定の有無を確認し、「正門前に集合」などと言ったのだろう。異性と二人でこんな時間から出かけるなど非行少年にでもなった気分に駆り立たれる。
この時間から出かけることは正直珍しい。あったとしても、それは現場という名の行かなければならない場所で、義務であった。個人的に、人と出かけるなんて経験はない。
そんなことを考えながら、俺はゆっくりと正門に近づいていく。
足を進めていれば当たり前のことで、ついには到着してしまう。
正門の前。この大学にある一番目立つ、出入りの最も多い門。
いつ見ても、貫禄だけはあるなと正門を見ながら近づいていく。
どこに向かっているのかと問われれば正門前にいるあの女性の元にと答えるだろう。
携帯を片手に片足を曲げて壁に触れている小柄な少女。彼女が、俺の待ち合わせ相手であり、俺が現状最も恐れている女……菖蒲咲子。
咲子はまだこちらに気づいている様子はない。この距離から話しかけるわけにいくまい。まだ、距離を詰めていく。
近づけば近づくほど、夕日に照らされた少女は絵になると痛感させられる。
そんな、不機嫌そうな彼女を凝視していると、紫髪のツインテールを始めとする、彼女の圧倒的オーラに魅了されてしまっていた。
異彩を放つ、髪色にお洒落どころではない。自分がどのようなキャラでどのような服装が似合うのか把握しきっている。他方からどう見られて、どう見せるのが正解だとわかっているような……そんな堂々とした雰囲気。
考えても、実際に見ても咲子のことはわからない。どうして、俺を誘うのか。どうして、ゼミ室で雰囲気を悪くしたのか。そんな疑問は消えていた。
考えても、答えは出ない。どうせ、話すんだ。後、数時間もすれば自ずと答えは出るだろう。
「おっ、灯夜ちゃんじゃん」
咲子が俺に気づき、話しかけてくる。足音か何かで気づいたみたいだ。
見つけてくるなり、咲子は口元を上げながら歯をちらつかせ、微量ながら笑いを見せ近づいてくる。
「案外、早かったじゃない! さあ、行こっか」
今日の彼女を、どうしてだか同世代の級友だということを失念していた。先導する彼女は妙に大人びて見えたのだ。
「あー、はいはい! 注文いいですかっ!」
連れていかれた場所は、意外にも居酒屋だった。
居酒屋に一度も入店したことがない。そのため、ここが居酒屋だとは判断できなかった。
入店前に咲子から居酒屋だと伝えられるまでは、異彩を放つ雰囲気のお好み焼き屋か何かと思っていたくらいだ。
過去に、話題に出していた場所なのかはわからないが、駅前に位置する居酒屋のようで、入店した際に年齢を問われることはなった。
「えっと。あたしは日本酒の……じゃあ冷で! 灯夜ちゃんはー?」
「えっと……じゃあウーロン茶で」
「はーい、日本酒とウーロン茶ですね~」
店員さんは、気だるげに注文された飲み物を繰り返し読み上げる。
すると、読み終えた店員さんは咲子に顔を近づけた。
「いつもありがとね」
とだけ小声で伝えると、笑顔で小さく周りのお客さんに見えないように手を振る。咲子もそれに対し、笑顔で手を振る。
咲子の知り合いなんだろうか? 随分と顔の整った女性と面識があるのだなと人脈に感心してしまう。
三角巾を巻いているのにも関わらず、把握できる整った顔つき。
飲食店では髪の毛が食べ物に混入するのを予防するために、三角巾を頭に巻く。そのため飾られていない素の状態の顔を見ることになるのだ。
薄めのメイクに、どこか親しみを覚える鋭い目つき……
べっぴんという単語が彼女ほど似合う人間はいないだろう。
「灯夜ちゃんさ。この前、なんかあった?」
店員さんに注意が寄ってしまっていると、咲子が視界を遮るように現れる。
凝視しすぎたか。咲子の目は、ケダモノを見るような目つきをしている。
男は、素敵な女性を目で追うことが多々あるが、決してこれは下心などではないのだ。
ここは自然に会話を成立させて、たまたま店員さんがいる方向を見ていたように振舞うしかない。威圧を少しでも和らげるためにも。
「この前って、なに?」
とぼけたように俺は答える。この前と言えば、ゼミ室で揉めた一件以外にないだろう。俺は決して自分の口から告げたくはない。誘導尋問である可能性があるからだ。
「ゼミ室で色々あったじゃない」
咲子は、困ったような眉の形をしながら、優しく問いかけてくる。その目は、泣いている小学生を宥める教師のような頼りがいのある目をしていた。
「ゼミ室って……飲み会に行くとかの話?」
誰もが禁忌としていた居酒屋と咲子への対応。それに踏み込んできたのは本人だった。
ゼミ室と言えば、咲子が激怒したあの出来事。
隠すつもりもなく俺にゼミでのことで何か聞きたいのか。そのために、こうして食事に誘ったのだろうか。
何を考えているのかはわからないが、とりあえずは彼女の思惑に乗っかってやろうと決める。
「そうそう。自分の中じゃ隠せたつもりだろうけど周りからはさ……お~! ありがと~。菊ちゃん!」
会話の最中、先ほどの店員さん――咲子に菊ちゃんと呼ばれた女性が日本酒とウーロン茶を運んできた。咲子はそれに対し、会話を止めながらもお礼を述べる。
「ごゆっくり~」
「ありがとね~菊ちゃん」
「いいえ~。咲子ちゃんにはお世話になってたし。一緒にいるのは…………友達?」
咲子は店員さんと何度か会話を交わす。店員さんに一度見られた気がするが、知り合いと他人が話している空間に佇むことは非常に気まずい。
「そうそう。同じ大学で」
「……ふ~ん。へぇ~そうなんだ」
「それだけだから! ほら、いったいった!」
咲子は口から「しっ、しっ!」と効果音を出しながら蚊を追い払うような手の素振りをする。それに対して、店員さんも反省したのか苦笑いをしつつ職場に戻ってしまう。
やたら見られてしまったのが気になる。もしかして、さっき凝視したせいで気味悪がられているのだろうか……
だとしたら、申し訳ないことをしたな。と思う。
「ねえねえ、灯夜ちゃんやい。居酒屋で飲み物が来たら何をするか知ってるかい?」
ふふーんと効果音が漏れ出しそうな声のトーンを発しながら、日本酒を同時に運ばれて来た小さなコップに注ぐ。
咲子は先ほどの会話を忘れようとしたいのか、会話を流してしまう。
「来たことないから……わかんないや」
「乾杯だよ! か・ん・ぱ・い! コップとコップをこう、ぶつけて乾杯! っていうの! これがビールだったら泡がちょっと宙に舞ってな! それでもそんなん無視して一気にぐびって飲むんだよっ!」
目を輝かせながら、日本酒の入ったコップを片手に咲子は熱弁を披露する。
「……ほら、もういいでしょ! 乾杯!」
「か……乾杯……」
グラスと小さなコップをぶつけ、鈍い音が響き渡る。手元に小さなコップを戻すと一気に咲子は日本酒を飲み干した。
一気に飲んでしまっていい飲み物なのかはわからない。だが、今この瞬間から、男子と女子のサシ飲みと言われるイベントが始まったのだ――
「灯夜ちゃんさ。梢とどういう関係なんだい」
さっきまで上機嫌に「はっはっ!」なんて笑い声を漏らしていた酔っ払いにしか見えなかった少女が急に鋭い目で睨みつけてくる。
突拍子もない台詞に驚いてしまい、飲んでいたウーロン茶を噴き出してしまう。羽籠さんが実はアイドルで、よく会いに行ってるなど言えるわけがない。
咲子に「大丈夫?」と聞かれるが、無言で頷きつつおしぼりで口周りと机を拭きながら俺は答える。
「……どうって。同じ大学でゼミが同じ人」
「はんっ! 白々しいね。どう考えてもそんなのだけで、一人の女の子が居酒屋に行きたくないのを自らが汚れ役を買って出ないでしょ!」
咲子は、お酌(さっき教えてもらったが日本酒を注ぐ小さなコップのことを指すらしい)を左手に、右手は人差し指だけを立ててこちらに向けてくる。
「汚れ役って何? 俺は純粋に居酒屋に行きたくなくて」
「じゃあ、なんで今来たの? 別にあたしが店に入る前に断れたでしょ」
……返す言葉がなかった。
論破されたというべきか、はめられたというべきか。何も言い返せずに、下を向くことしかできなかった。
「おーい灯夜ちゃん? ごめんね~。責めるようなこと言って……今日は灯夜ちゃんに文句を言いに来たわけじゃないのよね」
それだけ、彼女は伝えると、店員さんを呼び日本酒を追加で頼む。なんでも、刺身と日本酒の組み合わせを止めるのはジャンルイジ・ブッフォンでも不可能だそうだ。
「結局、咲子は何がしたいの? 羽籠さんを探りたいのか、誘導尋問をしたいのか」
彼女は、きょとんとした表情を浮かべた後にしばらくして、一笑し終えてから会話を始める。
「誘導尋問もなにも、全部知ってるのよね。こずみんを守りたいのはわかるけど、このままじゃバレバレすぎて見てられなかったのよね~。ほんと、それだけ」
――――この世には止められないものが二つある。ジャンルイジ・ブッフォンでも止めることができないもの。それは、日本酒とお刺身のコラボレーション。そして、もう一つは時間だ。
世界が誇るゴールキーパーでも止めることのできない時間を、一人の少女は目の前で止めて見せた。特定の人物にしか効かない、言わば催眠術と表現しても差し支えない時間の停止は俺の時間を奪い去ってしまう。
「こずみんって……? 羽籠さんは何も関係ないよ」
理解が追いついていない。こずみん? 咲子の口からこずみんって単語が出たのか?
震え声とはこのことを言うのだろう。ウーロン茶のグラスを持つ右手も微かにだが、震えていた。
「なによそれ。あははっ! 今、梢の名前を出すのって自ら、こずみっくぱわーと梢が同一人物だと、あたしに教えてくれているようなものじゃない!」
いつもの咲子だった。今までのシリアスな表情とは違った、笑いすぎて涙を零すくらい愉快な壊れた猿のおもちゃみたいな少女。
咲子には、羽籠さんの正体とそれを隠し通す俺の行動が、全てお見通しだったのかもしれない。なぜ、知られているのか、把握されているのかなんて見当もつかない。
この女は、他人である俺の予定を把握してしまうところからして、ストーカー気質であるのは間違いないだろう。俺のことを普段からストークしていると、芋づる式に全て知られてしまうのだろうか……
今度から背後に気を付けて歩こうと心に決めた。
この際、弱みを握られたことはどうでもいい。この場合どう立ち回るの正解なのかだけを考える。
後頭部を何度も叩き記憶を消す、もしくは未成年飲酒を警察に通報する……
まだ、未成年である俺には希望がある選択肢と、咲子だけが損する選択肢。後者を行った場合、逆恨みで羽籠さんのことを広められるかもしれないため瞬時に却下する。前者を行った場合も俺の人権が剥奪されてしまうかもしれない。親には、女子には手を出すなと教えられている。
ならば、これまでにないくらい謝って口止めしておいてもらうことしかないのでは……
どれにしてもハードルが高すぎる。くぐれそうにもない高いハードルはもはや壁でしかない。
「……咲子は、何者なんだ? 何をどこまで知っている?」
「知ってることかぁ……。花城こずみの大学生活くらいかなあ」
咲子は薄ら笑いを浮かべながら、お酌の飲み口を持ちながら円を描くように回す。彼女は全てを知っていて誤魔化すことは不可能に思えた。
もう、平和的解決は不可能だろう。どうせ弱みを握られた今なら、言いなりにさせられるはずだ。
なら、いっそ気になってることだけはきちんと聞いてから言いなりになってやろうではないか。
「一つだけ答えてくれ」
「ん? なあに、灯夜ちゃん」
「咲子は敵なのか、味方なのか。それだけ教えてくれ」
俺が一言、本質に迫る発言をすると、咲子は涙が零れるほど笑い転げた。
彼女は実に愉快そうで、アルコールは人をここまで変えてしまうのかと感じたが、元からこんな人間だった気もする。
敵か味方か。二択しかない、シンプルな質問だ。濁すことはしないだろう。
「敵か、味方かってなんなのよ。これを理由にあたしが何かするとでも思ったの? 侵害ね」
「人の弱みを握ろうとしている時点で、良からぬことを考えているだろ」
その時、右手をパーにした平手で机を叩く音が向かい側から聞こえた。
衝撃音。
ビンタをした時のような破裂音が机から響く。
「弱みって何? あんた、アイドル馬鹿にしてんの?」
迫りくる獲物を威嚇している犬の如く、睨みつけられる。
どうして機嫌を損ねてしまったのか俺には理解できていなかった。思考は止まってしまっている。
「なんでそうなるんだよ。何かおかしいよ、今日の咲子」
「そう……ね。全然冷静で居られない。すぐ感情的になっちゃうのね、あたし」
咲子は過去に同じ表情をした。それは、飲み会を無かったことにした時に不機嫌さが滲み出ていた時と同じ顔だ。
そして、酷く冷め切った目をしながら咲子は続ける。
「梢に初めて会ったのはいつ?」
咲子は、静かに囁くように問う。
俺は戸惑いながらもその問いに答える。
「急になんだよ。俺は……去年の今頃かな」
「そう、そうよね……。知っているわ。あたしはね――」
静寂を創り出す咲子の言葉は、周囲が凍り付くように冷たい。ただ、用件だけを伝えた氷結界の魔女と表現することが正しい。それくらい、彼女は冷淡に言葉を綴る。
「――三年前よ」
日本酒を飲み干す、女性って素敵に見えますよね……
思ったよりも時間が取れず、執筆速度が停滞しています。
あまり早い更新はできないと思いますが、引き続き読んでいただけると嬉しいです。
感想、意見などお待ちしております。