噴水での待ち人
「いやぁ……えっと、その。ここで本当に合ってるのかと……」
震えながらも本心を伝えてしまう。この場で下手な嘘をつく方が危険な気はする。とはいっても、気づいたら声に出てただけだけど……
「あぁ? ここがライブ会場じゃないって疑ってんのか?」
奇抜な髪色をした女性は一度、俺を睨みつけたように台詞を吐く。いちゃもんをつけられて逆上してるようにしか見えない女性は怖い。容姿も相まって慄いてしまう。返せる言葉もなく、ただ震えることしかできなかった。
「……まぁ、気持ちはわかる」
「ひっ……許してくださ……え? 今なんて」
「こんな薄汚れた場所でアイドルがライブをやるなんて、馬鹿げてるよな。いくら金がないって言ったって、これじゃ来る客も来ねえよ……」
女性から返ってきた言葉は意外にも、俺と同じ意見を持っていたようだ。とても女性が歌を披露するような施設には見えない。もっと、奇抜な髪色や、服に身を纏ったバンドマンが深夜にライブをしそうな、もしくはクラブなんてことが行われる建物にしか見えないのだから。
「入りたくなくなる気持ちもわかるが、ここまで来たなら入ってくれると……。まあ、あたしは嬉しいかな……。じゃあな!」
女性は風のように去ろうとする。俺を通過して建物に入るのだろう。軽やかな足取りで入り口付近まで向かうと、去り際に女性は言った。
「……コホン。心を貫くムーンフラワー! つっきーこと月花でーす!」
なにやら、不思議なポーズを逐一取りながら決め台詞を言い放った。日曜の朝にやろうものなら、背後が爆発しそうなそんな構えをしていた。
「えぇっと……」
「これ、あたしの口上! こずみん以外で聞いたのは多分……あんたが初!」
口上……。日本語としての意味は理解できるが、ここでやる意味を理解できない。なんだ、この子は「遠からんものは音に聞け 近くば寄って目には見よ」なんて言わないと気が済まないのか? 開戦前? それとももう、俺は首を引きちげられたのか……?
そっと右手を首に添える。よかった、デュラハンにはならずに済んだようだ。
「ここまでしたんだから、来てよね~。もう始まるから!」
「始まる……?」
ムーンフラワーと名乗った女性が時間に迫られていたようだったので、左腕につけている腕時計に目を向ける。すると、時刻は七時三分。
……七時過ぎてないか?
ムーンフラワーさんの立ち回り方からして彼女もステージに立つのだろう。もう、建物が歪だの、恐ろしいだの言っている場合ではなく、気づけば本能で建物の中へと入っていっていた。
建物の中に入れば、ライブハウスを借りたであろう空間が広がっていた。俺を含めて五人しかいない不明瞭な空間。薄暗く微量の光源……照明と呼ばれるスポットライトを与えている。それが、動員数の少なさをひと際目立たせていた……
もう、ここまで来たら乗りかかった船でしかない。観覧することを決意した。それに、よくよく考えたら、俺にビラという用紙を渡した少女が喜んでいた理由がやっとわかった。
大袈裟に演技なのか疑いたくなるほど嬉々とした表情を浮かべながら、会場までの案内を試みた小柄な少女。彼女が見せた心の底から穢れもなく喜ぶ表情には、微塵の違和感がまとわりついていたのだ。
動員数の少なさがその答えであった。おそらく、全くビラを受け取ってもらえずその結果、俺に優しくしてしまったに違いない。謎は全て解けた。
だからといって、騙された気は微塵もない。もうすでにこの頃から俺は彼女達に対して好意どころか尊敬の感情まで持っていたのかもしれない。
夢中になれる何か。時計の針が秒数を刻む音が遠のいていくような刺激をそこで見つけてしまったのだから……
人間は、コンサートやライブに行き、感情が最高潮まで達すると記憶を失うらしい。冗談でもなく、楽しめたという意味でもなく、純粋に脳が記憶を焼き付けることを放棄するそうだ。
ステージで踊る小柄な少女と、平均身長ほどある奇抜な女性二人の、パフォーマンスを観覧していたはずだが、途中からは記憶が綺麗に抜け落ちていた。
曲は、もう一度流されれば……きっと思い出せる。踊りも、もう一度踊られれば見たことがあると確固たる自信で言える……はず。それなのに、明確に思い出すことが不可能だった。
次の日、目を覚ますと昨日の出来事をほとんど覚えていなかった。正確に覚えていたことと言えばビラを渡してきた女性の名前が、花城こずみで、終演後の握手会と呼称された長時間、団欒ができるプログラムで少女と様々な会話をしたことくらいだ。もう一人のアイドルであるムーンフラワーさんと話すには、CDを購入しないと話せないらしく持ち合わせもなかったため、一人としか話さなかった。にしても、よくわからない仕組みではある。
そもそも、女性と会話をすることになっても普段は機会がないため、まともな受け答えができる自信がなかった。一言「良かったです」と伝えそれに対するレスポンスを受け取り終了だと考えていた。だが、流石アイドルと言うべきか。マシンガントークと比喩される人間がいたことに驚きを隠せなかった。
まとめると、第一に、花城こずみは「こずみん」と呼んで貰いたいそうで、客席からステージに向かってメガホンよりも大音量で「こずみん」と叫ばれたいそうだ。
なんなら、花城こずみの決め台詞は「こずみっくぱわー注入!」とかだった気がする。ちなみにこずみっくぱわーとは、誰もが笑顔になる素敵な魔法らしいそうだ。
アイドルという職業には必殺技でもあるのだろうか。その割には、何も変化はなかったけど。もしかすると、鍛錬を積むことによって何かしら出るようになるのかもしれない。新人アイドルって言ってたし。
第二に、アイドルをしている理由を安直ながら聞いてしまったが、「アイドルの姿を見てもらいたい人がいる」だそうで、それが友達なのか親族なのかは濁されてしまった。
おそらく、聞いてはいけない話題だったのだろう。これだから、普段人間と話していない俺はコミュニケーション能力が欠如してしまっている。
第三に、俺と花城こずえは同い年の大学生だそうだ。どこまで真実なのかはわからないが、露出してもいい情報と、してはいけない情報の境界線くらいはあると信じ「同じ大学だったら面白いですね」なんて冗談めいて何も考えずに発言したりもした。
これ以上、話したことは今の一瞬で忘れてしまった。とはいっても十分から十五分くらいの他愛もない会話で一般的な世間話だった。それさえも忘れてしまう出来事。
心臓の鼓動がイヤホン越しに聞こえるように、ドクンドクンと正確に聞こえる。
まるで自分自身が避雷針となり雷が直撃したような、記憶が辺りに飛び散っていくような衝撃に包まれた。
――――欠伸をしながら、ショルダーバッグを肩にかけ、目元が隠れるほどのサイズが合っていない大きな帽子……
面白いで済まされていいはずがない。どうやら彼女なりに変装しているみたいだったが、電流が走るかの如く彼女だと認識できた。
たまたま、偶然、それとも必然なのか、神の気まぐれなのか、昨日の出来事は全て仕組まれてた罠で、ドッキリ大成功の看板を持った友人たちが物陰から現れるのか(そもそもそんなことを企て、実行する友人はいないが)客観的に冷静に物事を把握できていて、俯瞰で普段からつまらなそうな顔をしていた冴えない大学生の俺に刺激を提供する人間が現れたのだ。
どうやら俺は花城こずみと同じ大学に通学していた……ようだ。
今思い出していたのが、ちょうど一年前の記憶。そして、ここは大学内でも有数の待ち合わせスポットの一つである噴水広場。さっきまで、羽籠梢さんと話していた場所。会話が途切れ彼女が嵐のように消え去ってから二歩ほどしかあまり動いていない。
二歩後進し、ベンチに腰を掛け今度は考える人ではなく、テスト終了十分前となり、暇を潰す方法が思いつかず、とりあえず考えたふりをしておこうという建前で両肘を机に置き、頭上で手を組んで睡眠に更けている高校生の如く、石化していた。
この一年間で俺の感情起伏が良くも悪くも大幅に変化してしまったことは自覚している。そして、彼女を学内で発見してしまった時よりも動揺している。
……一刻も早くこの状況を打破したい。何が起きたのかを頭の中で整理したい。
「ぼくは、アイドルなんだからプライベートで話しかけないでくれっ!」
「……それはそうですよね。すみません、羽籠さん。でもこれがないと困ると思って……。お節介でしたよ……ね」
この時の心境はただ一つ。アイドルのプライベートに踏み込むという人として非ざる行動をとってしまった後悔と、次のステージに影響が出たらどうやって責任を負うべきかと必死に悩んでいた。
「え? もしかしてぼくのために……これを渡すためだけに?」
彼女はきょとんとしていた。それに間抜けな声で不意をつかれたような。今度は目元がはっきりと見えた。
「そうですよ。昨日出席していなかったから……。色々と授業が被ってるのは知ってたし」
この瞬間、異様な空気が辺りに淀み始めた。禁忌に触れる単語を発したような。無言が続くこの空間に気まずさを感じ始めていると、意外にも彼女から均衡を破った。
「…………一つだけ聞いてもいいかい?」
しばらくの沈黙の後に、彼女にしては声のトーンが低く、ゆっくりと発された言葉はまるで突如降り出す前に前兆として何粒か地上に降りてくる雫のように、シリアスな事実を告げそうであった。
「君は、ぼくのことを花城こずえだと、プロフィール画像を見て判断したのではないのかい? 月花ちゃんに、プロフィール画像を同じにしようと言われて、ぼくと月花ちゃんが写っている写真をプロフィール画像に変更したぼくの正体に……いや。違うな。ぼくが慌ててプロフィール画像を変更する前に戻したからだろう……? 見えない、ぼくには君が見えないよ。あぁ、もうめんどくさい! 要約すると、月花ちゃんと写った画像を見てしまい、そして昨日は四限の授業にぼくが現れずその時間帯に行われていたのはVivid Smilingの平日ライブ! 時間は四時から! 君にとってはこれが確信となり、握手会や接近では飽き足らず学校でも仲良くしようね! と踏み込んでくる同じ大学なだけでマウントを取りに来る嬉しいけどどう対応すればわからないタイプのオタクじゃなかったのか……い……?」
言い終えることには息が途切れていて、膝に手を置き立つことが困難なほど疲労していたように思われる。
「羽籠さんが、こずみんってことなんて去年から気づいてましたけど……」
せっかく、苦労しながらも心中を曝してくれたアイドルに対して、俺の仕打ちはあまりにもひどかった。照れ隠しで、人に暴力を振るうことや、心にない言葉を発言してしまうことが多少なりとも、理解できた気がする。
「気づいていた? そんなはずないだろ、君は去年一度も話しかけてこなかったじゃないか!」
「それは……話しかけるのはどうかと思うし、このことは胸の奥にしまっておこうと決めたら、今年からはほとんどの講義が被っているし毎回熱心に板書写ししてるし、欠席した分、授業に支障をきたしたら可哀そうだし、ノートを渡したら少しでも励みに……」
考えていたことをそのまま溢れる湯水の如く、垂れ流していた。それも、一度も区切ることなく、だ。話に纏まりがない。どうしてここで緊張して分かり辛い発言をしてしまったのか……
途中まで言い終えて後悔してしまい、素直に謝って立ち去る予定がただの図々しい人間の構図となってしまっている。恩着せがましいのは自分でも自覚してしまう。時を戻したい。戻して送ったメッセージには、ノートを渡したいと記すだろう。過去にメールを送れる電子レンジが存在するならば今こそつかいたい。
「あの、灯夜くん。君がいい人なのは普段の言動からしてわからなくもない。取り乱してごめんね。だけど」
彼女は手を口に当てわざとらしくコホンと可愛らしい咳のような何かを挟み、言葉を続ける。
「ぼくのことが去年からわかっていたとはどういうことだい……。ぼくの正体に気づいたのは今年からだろう? なんたって、変装は完璧なはずに決まっているからね」
怪しむような視線で、両頬を膨らましている。風船を膨らますような効果音が聞こえるような仕草。
その仕草に……いや、彼女の言動一つに一つに夢中になっていた。気づけば、思考能力が低下し失礼すぎる言葉を口走っていた。
「それ、変装なんですか? てっきりただのお洒落かと」
その言葉を引き金とし、両者は沈黙に包まれる。時が停止したように……これより先は言うまでもない。
彼女はその場で赤面して「私服はもっとオシャレだもん!」と言い残しその場を立ち去った。立ち去る間際に薄っすらと、視界に焼き付いた少しだけ頬の筋肉が緩み微笑んだようにも見えたがきっと幻だろう。彼女は憤怒に満ちている違いない。
今日の講義は三限のみ。六月の風はまだ肌寒い。
なんとか、投稿できました……。完結まで走り抜けたいです。
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