退屈からの脱却
高校三年生の春に進路選択を迫られた。
就職か、進学か。選択肢はあったものの、厳密には選択肢は一つしかなかったのは鮮明に覚えている。あの教師のせいだろう。大学を卒業した場合のメリットしか説明しない教師。あの時の俺には奴が狂っているようにしか見えなかった。
大卒と高卒の給料の違い、企業は今何を求めているのか、四年間で学ばなければならない学問、大学に進学したら卒業までに取得しなければいけない資格……
自分の人生にこれと言った意味も感じていなかった俺は教師に言われるがままとなる。反論することさえ面倒に感じてしまい、進路希望調査に大学進学とだけ書き提出した
好きでもない、やる気も起きない、そんな感情しか抱けない勉学に前向きになれるはずもなく。それなりに勉学に勤しむふりをして真面目に取り組むことはなかった。可も不可もない偏差値を維持し続けた結果。俺は、世間一般からして褒められるのか、無関心になられるのかも判断が付かない平凡な大学へ進学することとなる。
大学に入学してからの人生は楽しい? と問われれば、そんなことはないと瞬時に返答できる自信があるほどにはつまらなかった。
環境が変わったからと言って何もしなければ、今まで通り時間は悪戯に過ぎていく。感情の起伏が激しくなる出来事も特にない。虚無とはこのことを言うのだろう。この時に、胸に刻み込まれた。
着席し、無言で板書を写すだけの大学。鹿威しよりも機械仕掛けである行動しかしないバイト。そして変わらずに、気持ちよさを保ったベッドに夜になれば飛び込む毎日。高校生の時と何一つ変わらない、退屈な日常。
日常に飽きていた。
ああ、このまま虚無を維持し続け卒業し、就職し、寿命が来るか、病気にでもなれば死ぬのだろうと感じているくらいには。
この時の俺に必要だったものは何かわからない。刺激が欲しかったのか、退屈な日常を壊したかったのか、はたまた友と呼べる存在が欲しかったのかさえもわからない。
しかし、一つだけ言えることがあった。時間の経過を考える暇もない、時計の針が絶えず聞こえてくる不可解な人生に終止符を打つため、熱中できる何かが欲しいと感じていた。
叶いもしないような戯言を常に脳内で巡らせ続けていると、これまでの人生を否定するような転機が起きてしまった。
祈りは届いてしまうのか。偶然か、必然か、わからない。モノクロがカラーになるように光が照らされるような感覚に陥る。
そう、この時にある出来事を引き金に止まっていた時間が動き出したのだ。
出会ってしまったのである。羽籠梢こと、花城こずみというアイドルに。
「お願いします! デビューライブです! 観覧ドリンク代のみです!」
学校帰りの夕方、帰路を辿りいつものことながら街を歩いていた。今日の秋葉原は珍しい。自分と年齢が大差なさそうな、それどころか年下とも判断できる年端もない少女と、自分と同い年に見える奇抜な髪色の女性二人が黄色い声を張り上げながら用紙を配布している。
演説内容から察するにステージの呼び込みか何かだろう。過去に経験したことがある単発バイトのティッシュ配りを連想し、胸が痛み始める。その結果、無言で通過することに罪の意識が芽生えてしまう。
「ドリンク代のみです! もしよかったら、ビラだけでも!」
気づけば、用紙を配布している少女と目が合ってしまう。受け取ってくださいと目の前で発する少女に戸惑ってしまったのだ。
少女は頭を深々と下げていて、小学生が整列時に行う『前に倣え』のように腕はしっかりと伸びている。その結果、金縛りにあったように足を止めてしまっていた。
少女は俺のことを受け取るか悩んでる通行客と判断したのか体制を戻し、目を輝かせる。すると、下から覗き込むように凝視し始めた。
輝き続ける目。十秒間は少女の目を見ていた気がする。いや、魅せられていた。
男女が五秒間も目を合わせると恋に落ちると言う。もしかしたら、魅せられていたのではなく、恋してしまったのか。早まる心臓の鼓動に困惑していた。だって、異性に恋なんてしたことがないのだから。もしかしたら、これが恋なのかもしれないと一人で悩みこんでしまう。
「いや、えっと……その、これ……」
今のが無意識に出た言葉である。なんだよこれ……
年齢の近い異性と長時間、目を合わせるなんてことはしなかった。挙動不審な対応してしまった俺は、「手に握っている紙を一枚ください」と言えなかったようだ。
「ビラ受け取ってくれるんですか……? どうぞ!」
気づけば、俺は用紙――通称ビラを手に握らされていた。
「ありがとうございます! この後、七時からライブなので遊びに来てくださいね!」
「……七時ってこれからですか?」
「そうです。今日の七時ですよ!」
驚いた。今の時刻は六時五十八分。話が本当なら開演時刻まで二分を切っている。一度も詰まることなく返答ができるくらいには衝撃を受けた。
……あれ? もしかして、俺は異性と普通に喋れるのでは。
「もしかして、おにいさん……。 来てくれるんですか?」
先ほどと同じ訴えかけるような瞳で少女はこちらを見つめる。
これが上目遣いってやつなのか……? 現実世界で観測できるものだとは思わなかった。是非とも、後世に伝えていきたい代物ではある。俺のせいで一族が繁栄するとは思えないけど。
それに、ここまで長居して拒否するほど勇気はない。開演直前まで宣伝をする彼女たちに興味が芽生えたこともある。俺は少女の言うライブというものに向かうことを決め、自分の中の人見知りを精一杯殺しながら少女に話しかける。
「この後、予定もないので……。会場はどこなんですか?」
「ここから近いんですよ。えーと…………うん。ぼくが、案内しますね!」
俺が話していた少女は共にビラ配りをしていた奇抜な髪色をしている女性と目を合わせる。ビラ配りをするか、客を案内するかで渋っていたようでアイコンタクトを交わしたようだ。この数秒間で、アイコンタクトが成立するのかと俺は思わず感心してしまう。
小柄な少女の後姿を追うこと数秒。ライブハウスだと思われる場所に到着すると、入り口の前で少女が一言、
「ここから入ってくださいね」
とだけ言い、お辞儀をすると彼女は裏口に消えていった。
「ここなのか……」
来たこともなければ知りもしない建物だった。だが、バンドマンなどが集いそうな治安の悪そうな建物だとは汲み取れた。コンクリートでできた壁にはスプレーで書かれた文字や、卑猥な言葉が書かれているシールが一面に貼られた入り口……
絶対に来てはいけない場所に連れてこられてしまった。
確かに思い当たる節はいくつかある。まず、あの少女は可愛かった。俺に優しかった。絶対に裏がある。次に一緒にいた女性。髪色が怖い。怖い人だ。
どうしよう、帰ろうかなと思いながら入り口前で震えていると後ろから声がした。
「おお、あんた入らないのか?」
いきなりかけられた言葉に寒気が走り、動きが鈍い扇風機のように少しずつ振り返る。
後ろに立っていた人間は他でもない。さっき、可愛らしい健気な少女と共にビラ配りをしていた奇抜な髪色の女性……
もしかして、声に出ていたのか……?
お金と命、どっちが無くなるのだろうか。
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