新しい生命
マナがミーナ達に私室に連れていかれてから、何時間経っただろうか?
俺は真子さんの言いつけ通り、リビングから動いていない。
本音を言えばすぐにでもマナの部屋に駆けつけたいんだが、そんな事したら後でなにされるか分かったもんじゃないし、俺がいても邪魔でしかないってキッパリと言い切られてしまっている。
実際その通りだし、今でさえ何をしていいか分からないから、マナのとこにいたらオロオロするだけで何も出来ないどころか余計な事を仕出かしかねない。
「大和、落ち着けよ」
「いや、そうは言ってもだな……」
だけどだからといって、落ち着けってのは無理な話だ。
マナだけじゃなく俺にとっても初めての子になるんだし、予定日はまだ数日先だったんだからな。
「ヒーラーは全員行ってますし、プリムさん達もお手伝いしてるんですから、待つ事しか出来ないですよ?」
「先程フラムお姉様が産婆も連れてきていますし、ここは落ち着いて構えておくべきではありませんか?
「それは分かってるんだが……」
クララの言う通り、プリムを始めとした俺の嫁さん達は、マナを安心させるために、妊娠中のリカさん以外全員がマナの部屋に行っている。
プリム達も出来る事はあんまり無いんだが、同妻の出産だとままある事らしいし、自分達もいずれ出産するから、そのための経験を得るためっていう理由もあるそうだ。
さらにフラムがフィールのヒーラーズギルドから、ベテランの産婆さんを呼んできている。
ウイング・クレストにヒーラーは4人いるが、出産経験があるのはアプリコットさんだけだし、そのアプリコットさんもプリムの出産しか経験が無いから、産婆さんは早いうちに手配は済ませていた。
「仕方ねえな。大和、工芸殿行くぞ」
「は?何で工芸殿に?」
「何かしてた方が、気も紛れるだろ。例の分娩台はまだ1台しか出来てねえから、あと何台か作っとく必要もあるしな」
突然エドに工芸殿での作業に誘われたが、確かに分娩台はあと2,3台はあった方がいいかもしれない。
さすがに出産が重なる事はないだろうが、直近でリカさんとフィーナの出産は1ヶ月も空かないだろうって予想されてるから、念のために備える必要がある。
既に1台作ってあるから図面はあるし、俺は瑠璃色銀のバーを作るぐらいだから、言う程大変でもない。
「そうだな、このままここにいても落ち着かないし、みんなのためにもなるんだから、分娩台を作った方がいいかもしれない」
いずれみんなも使うんだから、今から用意しておくに越したことはない。
俺の嫁さん達だけじゃなくエドの嫁さん達にルーカスの嫁さん達、学園を卒業するまで結婚は出来ないがラウスの婚約者達だって使うだろうから、しっかりと作り込まないと。
ところがそう考えて工芸殿に移動しようとしたところで、リビングの扉が乱暴に開かれた。
「大和さん、生まれました!元気な女の子です!」
現れたのはリディアだったが、そんなことはどうでもいい。
生まれたってマジか!?
「マジで?」
「はい!マナ様も少しお疲れですけど、母子ともに健康だそうです!」
マナも生まれた子も無事って聞いて、心から安心した。
早く顔を見たいけど、行ってもいいんだよな?
「リディア、俺が行ってもいいんだよな?」
「はい。私は大和さんを呼びに来たんで……ああっ!」
リディアが言い切る前に、俺はリビングを飛び出し、マナの部屋へ急いだ。
「早えな」
「気持ちも分からんでもないが、俺達もああなるのかねぇ」
「参考になるような、ならないような」
なんか後ろでエドにルーカス、ラウスが何か言ってるが、そんなものは耳に入らない。
今は何より、マナと子供に会いたいんだよ。
「大和さん!早過ぎです!」
「わ、悪い。もう気が気でなくて……」
マナの部屋の前で追い付いてきたリディアに怒られたが、本当に心配だったんだよ。
「気持ちは分かりますけどね。それじゃあ入りましょう。リディアです、大和さんを連れてきました」
「はーい。待ってたよ、大和。さ、入って入って」
リディアがマナの部屋のドアをノックすると、ルディアが出迎えてくれた。
「あ、ああ、それじゃあ失礼するよ」
ここにきてすげえ緊張してきたが、意を決して俺はマナの部屋に入室した。
部屋に入ると、分娩台は既に取り外され、マナはベッドに横になっていて、その隣には白い布に包まれた小さな、本当に小さな赤ちゃんの姿が見えた。
ああ……俺、本当に親父になったんだな。
「いらっしゃい、大和。エルフの女の子だって」
「エルフなのか。いや、無事に生まれてくれて良かった。マナも大丈夫か?」
「ええ、少し疲れたけど大丈夫よ」
俺の初めての子はエルフだったのか。
いや、無事に生まれてくれたんだし、エルフだろうとヒューマンだろうと、そんなのはどっちでもいいな。
「ただこの子なんだけど、刻印は無いみたいなのよ」
「え?そうなんですか?」
俺は真子さんのセリフに驚いて、スヤスヤと眠っている女の子に視線を送った。
刻印術師の子は刻印術師になるっていうのは常識なんだが、この子は俺の子なのに刻印が無い?
そんな事あるのか?
「多分だけど、世界が違うからでしょうね。私達は普通に刻印術を使ってるけど、元々は地球の魔法みたいな技術だし、刻印を持っていないと使えなかったわ。今でこそ刻印具があるけどヘリオスオーブにはそんなものは無いし、魔法で同じことが出来ないワケじゃないからね」
ああ、つまり刻印は必要ないって、ヘリオスオーブっていう世界に判断されたって事なのか。
世界って事は神々がって事だろうから、もしかしたらアリアに神託が下るかもしれないな。
というか俺も驚いたから、その辺は是非とも説明してもらいたい。
「まあ刻印はあっても無くても、どっちでもいいですよ」
「これから生まれてくる子ばかりか、ヘリオスオーブにも刻印術師が増える事になるしね。私もその方が良いと思ってるわ」
ヘリオスオーブに刻印術師が増えたとしても、刻印術は魔法と大差無いから、戦力差はそこまで大きくはならない。
だけど、刻印法具を生成する事が出来てしまった場合は話が別だ。
地球でも、法具生成を特別視したテロリストなんかもいたからな。
刻印法具も問題だが、さらにその上の刻印神器なんか生成されたらたまったもんじゃない。
地球の伝説や神話とかの武器が多いから、それもあって刻印が無いって事もあるんだろうな。
「刻印術師も大変みたいね。私もこの子が刻印術師だろうとそうでなかろうと、別に構わないわ。それより大和、この子の名前、考えてくれてるのよね?」
「ああ、もちろんだ」
マナの言う通り、この子が刻印術師だろうとそうでなかろうと、そんなことはどうでもいい事だ。
それより重要なのは、この子の一生を彩る名前だ。
マナの跡を継いでラピスラズライト天爵となる子だから家名はそっちになるんだが、それでも俺の大切な娘だから、名前はしっかりと考えてあるぞ。
「この子の名前は桜姫。サキ・ミカミ・ラピスラズライトだ」
ヘリオスオーブには漢字なんてないが、漢字は1文字でも意味があるから、そこからしっかりと説明しないといけないのが辛い。
「天樹は日本の桜とほとんど同じだし、マナはその天樹を仰ぐ天帝の妹で、それに連なる貴族でもある。あと桜っていう字は、俺の母さんも使ってるからな。どうしても入れたかったんだ」
ちなみに男の子だった場合の名前には、父さんにちなんだ名前を用意していたりする。
「なるほどね。だから桜のお姫様って事でサキちゃんか」
「お義母様の名前も使ってるのね。それに天樹も。素敵な名前だわ」
良い名前だと思ってたけど、みんなも受け入れてくれたようで何よりだ。
漢字で名前を書く機会はないと思うが、自分の名前だし、由来はサキにも教えておきたいと思ってる。
「サキ、生まれて来てくれてありがとう」
「お父様もお母様達も、あなたを歓迎しているわ。元気に育ってね」
生まれたばかりのサキは、マナの枕元で眠っている。
生まれたばかりだからなのか、顔とかは赤い。
だから赤ちゃんなのかと思ったぐらいだ。
ヒーラーの診察で、マナにもサキにも異常はなく、それどころか健康そのものだって話だから、俺も一安心だ。
「さあ、嬉しいのは分かるけど、マナ様は疲れてるし、サキちゃんは生まれたばかりなんだから、外に出てくれる?」
「へ?」
人生初の幸せを感じてたら、突然真子さんにそんな事を言われてしまった。
いや、確かにマナは出産したばかりだし、サキは眠ってるんだから、言わんとする事は分かるよ。
だけど俺、マナの夫でサキの父親なんだけど、それでも追い出すの?
「追い出すのよ。異常が無いとはいえ、出産って大和君が思ってる以上に体力を使うのよ?出産後にミーナにリフレッシングを使ってもらってるけど、それでも失った体力は補いきれないの」
マジで?
騎士魔法リフレッシングって、さすがに体力を全開させるのは無理だが、それでも半分は回復出来たはずだぞ。
そのリフレッシングでも、失った体力は3割ぐらいしか回復出来ないって、マジで出産てとんでもない体力使うんだな。
「エンシェントクラスでもそんなに体力使うなら、ノーマルクラスだともっと大変なんじゃないの?」
「大変よ。実際、出産後に気絶する人は珍しくないし」
マジかよ。
出産は命懸けだってよく聞くけど、それって話以上に大変だって事じゃないか。
そうだと知ってたら、リジェネレイティングを付与させた魔導具ぐらい用意してたのに。
「魔導具のリジェネレイティングだと、気休めにしかならないそうよ。無いよりマシだけど、妊婦は魔導具を使う余裕が無いし、産婆さんとかが使うにしても疲労の度合いやタイミングは個人差があるから、判断が難しくて使い所を逃しちゃうの」
そういう事か。
魔導具を使うには魔力を流さないといけないが、他人に効果を及ぼすようにするのはタイミングとかもあってかなり分かり辛い。
隷属の魔導具みたいに問答無用で構わないんならいけるんだが、出産介助の魔導具となると真子さんの言う通りの理由で使うタイミングの判断が難しい。
ヒーラーズギルドには常備されているそうだが、使うのは本当に緊急時ぐらいなんだそうだ。
真子さんも念のためって事でリジェネレイティングを付与させた魔導具を用意してくれたみたいだが、そんな理由もあって効果的に使えたとは言えないらしい。
だから出産したばかりのマナを休ませるために、ヒーラー以外は外に出ろって事か。
「仕方ないか。エド達にも報告しなきゃだし、あたし達はリビングに戻りましょう」
「そうですね。時間も時間ですから、天樹城への報告はお昼頃が無難でしょうか」
舞い上がってすっかり忘れてたが、天樹城への報告は必須だったんだった。
俺が直接報告に行くのは当然だが、時間は既に3時を回ってるから、朝一でっていうのは俺達も辛いし、これからひと眠りさせてもらうつもりもあるから、ミーナの言う通り昼頃が無難だな。
あ、ということはサキの誕生日は、1月1日って事になるのか。
誕生日が新年っていうのは、なんというか縁起も良いな。
「分かった。それじゃ真子さん、ユーリ、キャロル、アプリコットさん。マナとサキの事、よろしくお願いします」
「ええ、任せておいて」
「あ、すいません。忘れてた訳じゃないんですが、産婆の皆さんは客殿で休んでください。あと湯殿もあるので、ご自由に使って下さい。レラ、案内を頼む」
やべ、産婆さんの事、マジで忘れてた。
マナの部屋を出る直前で気が付いたから、とってつけたかのようにレラに案内を任せた。
「マナ、ゆっくり休んでくれよ」
「ありがとう」
最後にマナに声を掛けてから、俺達は部屋を出た。
マナやサキを見て父親になったんだなとは思ったが、実感はちょっと薄い。
だけどこれからイヤでも自覚する事になるだろうし、父親になったのも事実だから、これからは自分の事だけじゃなく、家族の事もしっかりと考えていこう。
年明け早々の慶事だが、今年の抱負を決めるにはもってこいだ。
今年は去年や一昨年以上の激動の年になるだろうが、しっかり頑張っていこうと思う。




