ハーモニカ
いつか少しでもその人の音色を理解したら書くつもりだったのに、結局整理の付かないまま書くことにしてしまいました。
数年前に、海外の都市で見かけたのだった。
多くの人が行き交う大通りの歩道の隅、街路樹の陰にその男はしゃがみ込んでいた。
黒ずんだ服、それはおそらく埃と垢の蓄積で元の色も模様も分からなくなった服を厚く着込み、同じような色の顔は下を向いたままだった。その表情を乱れた髪が覆う。
かすかに見えたその眼差しは鋭く、地面を睨みつけていた。
彼の左手と左足は、その先を服の袖口や裾から出していた。だが、右手と右足は見えない。上着の右肩から先はだらりと垂れている。ズボンの右側は、太腿の半分ほどまでには体の丸みがあったが、それから先はよく分からない。
何か事情が合って手足を失くした、或いは持たずに生まれてきたのだろう…誰もが思うであろうことを、私も考えた。そのために仕事に就くことができないのだろうか、それで汚れた服をまとい、雨風をしのげる屋内ではなく路上などにしゃがみ込んでいるのだろうか…と。
道をゆく人々の中に、彼の方を見るものはなかった。私のように、一舜見たが長く目に留めることがないのかもしれない。正直に言えば長く見ていたいような姿ではなかったし、彼自身も望んでいないと思った。
私は他の人々と同じように、まるで彼に気付いていないかのようにその前を通り過ぎた。
彼の方も、こちらを全く見ていなかった。目の前の人の波には全く興味がないようであった。
でもその姿は、しばらく私の脳裏を離れなかった。
否、私が忘れられなかったのは、その不自由そうな(と、私が思っている)身体ではなく、わずかに見た彼の鋭い眼差しであった。
私が知る限りの感情の表現は、そこにはなかった。悲しみも怒りも諦めも、拒絶も無常も、当てはまらないような気がした。つまり、彼の心の中を、私は理解できない。私などには到底分かりはしない胸の内を抱く彼を、単純に「大変そう」とか「かわいそう」と思ってはならないような気が、今でもしている。
その一件で、思い出した人がいる。
私が幼い頃、それは1970年代後半から80年代前半にかけて、何度か姿を見た人だった。
地方都市の郊外で育った私は、年に何度か、母に連れられて、バスに乗って駅周辺に買い物に出掛けることがあった。当時は景気が上り調子で地方にも活気があった。今は一店しかない駅近くの百貨店も、当時は幾つもあり、市内のメインストリートは休日ともなれば歩道は人でいっぱいだし、車道はよく渋滞していた。
母が気に入っていて毎回訪れていた百貨店は、入口と通りの間にちょっとしたスペースがあり、花壇が飾られていて、ベンチが置かれていた。バスを待つ人々や隣のファーストフード店で買ったものを広げる人々で、いつも混雑していた。
そんな中に、その人はいた。
いつも同じ柱の下にいて、じっと座っている。
元の色も模様も分からなくなった服と帽子を身につけ、髪は乱れ、顔は通りを向いていたものの、何も見てはいないように思えた。
でも、その服と帽子の形は、幼い私でも知っていた。
それは旧日本軍の服と帽子だった。
その人にも、右腕がなかった。右足がなかった。
おそらく傷痍軍人だったのだ。つまり、つまり、戦争で体に障碍を負った元兵士だ。
「同情を引こうと、あえて軍服なんか着ているのだろう」
ある時、通りすがりの誰かが言ったのが聞こえた。
その人はいつも、その体と通りの間にブリキの缶を置いていた。粉ミルクの缶くらいの大きさだったろうか。通りをゆく大人たちが、たまにコインや小さく折った紙幣をそこへ投げ入れていた。
夕方、買い物を終えた私たちは、百貨店を出ようとする。出入口は人が多いからか、常に開け放たれていた。そこへ近づくと、聞こえてきた。
その人が吹くハーモニカの音が。
左手で持ったハーモニカを、その人はいつも一心に吹いていた。
その音色はとても力強かった。百貨店の入口から、乗ったバスの中までもよく聞こえた。
「同情を引こうとする音」には聞こえなかった。むしろ、通りをゆく誰よりも強い魂で、憐憫などはねつける意思で、奏でているように思えた。
幼い私には、その音は少し怖かったのを覚えている。
1980年前後というと、終戦からすでに30年以上が経っている。その街も、かつては空襲により、焼け野原が広がっていたと聞く。しかし私の記憶にあるのは、ビルが連なり、看板はカラフルで、賑やかに人々が行き交う街の姿だ。その中であの人だけが、陰鬱で物悲しい時代を背負ったままだった。
それも、過去の遺物然として存在するのではなく、強く、時に生々しいハーモニカの音に内在していたのだ。
いつの間にか、その人を見なくなっていた。
私は成長し、親と百貨店へ行くこともなくなり、時代の流れとともにその百貨店もなくなった。今は別の商業施設が建つその周辺は、人通りはあまりなく、寂れる一方だという話だ。かくいう私も、その故郷の街を離れて久しい。
海外で見かけた彼の眼差しで思い出したハーモニカの音色。そのふたつは同じもののように思う。
そしてどちらも、私がいくら思い至ろうにも決して理解はできない深淵にある心持ちなのではないか。
分からないのは私が幸福であるためか。
怖さを感じるのは私が深淵を知らぬからか。
大人になった今でも怖さを思い出します。