第五話 記憶のトリガー
「どうやらレオ様はシルヴィニア様が自分に対してよそよそしかった事が気に入らなかったみたいだねぇ」
「お前の見当違いに振り回された腹立たしさはあるが、今回は結果に免じて許してやろう」
「俺の顔面殴っといて……」
今日も今日とて、いつもと変わらぬ執事室。二人でソファに並んで紅茶を飲むのは最早日課に近い物がある。
専属執事は基本的に主から離れないためシルヴィア様とレオノーラ様が疎遠になった時点で私達の関わりもなくなって当然なのだが、執事とは少々特殊な人脈があるもので。
主同士の交流と執事同士の交流はイコールされやすいが、実は結構別ものだったりする。
「レオ様にとってもシルヴィニア様は大切な人だったみたいよー。食堂での事はむしろ俺に対しての苛立ちが多かったんじゃない?」
「幼馴染みとはそれほど特別なものなのか」
「……そっちに取るのね、予想通りだわ」
「は……?」
「何でもない。でも良かったね、幼馴染みって友達よりも距離近いし」
「そうなのか?」
まぁ過ごした時間の長さは親密な関係に繋がる物だとは思うが……私幼馴染みいないし。強いて言うならシルヴィア様だが、関係性が特殊すぎて比較にならない。
「あぁ……でも確かにラファエルはそうだな」
「へ?」
「私にとって、ラファエルは特別だからな」
シルヴィア様を抜けば私と一番長く深く関わっているのはラファエルだ。執事の同僚は他にも沢山いるがラファエルほど心を開けているかと問われと答えは否。
話が合うというのもあるが、私の出生を知りながら対等に話してくれる人は少ない。
貴族に仕える者は大抵が代々続く執事の家系。私の様に幼い頃拾われた人間もなくはないが、専属執事となると話は変わってくる。
孤児である私を見下す者も少なくない中、同じ目線で話してくれるラファエルの存在は貴重だ。
初対面が口説き文句でなければもっと尊敬していたけれど、おかげで今の心地いい関係性が出来たのだから縁とは不思議なものである。
「あー……ほんと、ニアってそういう所あるよね」
「……?」
「何でもありません」
人の顔見て思いっきりため息吐いといて、何でもないなら尚悪いわ。
「それより、調べ物に行くんじゃなかった?」
「あ……そうだった。図書館の方に用があってな」
「手伝う?」
「いや、大丈夫だ」
本当は職員室に行って聞ければ早いのだが、出来れば誰にも知られずに行動を終えたい。
空になったカップを洗って元の場所に戻して、図書室へ向かうべく執事室を出た。
× × × ×
学園の図書館、図書室ではなく館とついている理由は、言葉通り学園の敷地内に図書の為のだけの建物があるからだ。
世界中のあらゆる文献が保存された、国の図書館と比べても大差ない。国民が使う図書館と学生教員が使うだけの図書室を同規模にするとは、金があり余っているという事だ。素晴らしいね一部くれ。
そしてその図書館の一角には、歴代の生徒や在校生の名簿が保管されている。過去の卒業アルバムに加え、出席簿らしき物とか。
「……シルヴィア様と同級生なら、今年入学か」
背表紙をなぞりながら、一つ一つ確かめていく。歴史ある学園だけあって卒業アルバムだけでも無駄に大量だ。
とはいえ、私の記憶ではヒロインはシルヴィア様と同級生だったはず。今年入学だとすれば一番最近の名簿に載っているはず。
「……あった、これ」
ずーっと続く卒業アルバムの背表紙に飽きてきたこ頃、ようやく薄っぺらい名簿の文字が出てきた。一つだけルーズリーフの様に中身の増減が可能になっている所を見ると、卒業と同時にアルバム分が減り入学と同時に新入生分が増える仕組みか。
ペラペラとめくっていけば、シルヴィニアの名を発見した。同じクラスではなかったはずなので違うクラスを確認するとお嬢様の二つ隣のクラスに『ラーナ・エヴァ』の文字、そして同じクラスに『カロン・フェーテ』の名も。
「確か、攻略対象……」
ヒロインに加え記憶に引っ掛かる名があった事で触発されたのか、ポンポンと新たに思い出す情報を忘れない様に脳内へ焼き付ける。
カロン・フェーテはヒロインの幼馴染み。茶色い目と髪をした少年で、活発という言葉の似合うイケメンだったはず。男爵家の三男で、シルヴィア様の出番はそう多くない相手。
警戒する必要性は薄そうだが、放置するにはヒロインとの距離が近い。
「……一度、確認しておくか」
専属の仕事もあるからそう簡単ではないが、教室外の授業中ならば問題無いだろう。
「っと……そろそろ戻らないと」
時計を見るとお昼の時間が迫っていた。レオノーラ様と共に取られるだろうから、遅れたら二重の意味で不味い。
名簿を元の位置に戻し、見苦しくない程度の速度で食堂への道を急ぐ。この学園は無駄に広いのだ、その上ここは食堂のある本館とは別の図書館。
余裕を持って用意するならもう少し急がないと……。
「っ……!」
「あ……っ」
腕時計を確認した一瞬の余所見がいけなかったのか、曲がり角付近だった事も原因の一つだろう。
曲がった先に、人がいた。
お互いにそれなりの衝撃を受けたが、小走りだった私の方が相手に与えたダメージは大きかったはず。少し揺らめきながらもすぐに姿勢を正して謝罪すべく、ぶつかった相手を見た。
「申し訳、ありま……」
「……大丈夫?」
思わず固まったのは、突然飛び込んできた情報を呼び起こされる記憶についていけなかったからだ。
薄い、白金色の髪。エメラルドを連想させる鮮やかな瞳。長身の自覚がある私よりも高い身長に長い手足。何より漂う空気感の儚さと作り物めいた美しい顔立ち。
ティアベル・ローリンス、学園の教員であり……攻略対象の一人がそこにいた。
正直、私は攻略対象との関わりをあまり持ちたくないと思っている。 私が関わるという事はシルヴィア様が関わる可能性も上がるという事だ。
それは困る。下手に他の攻略対象と関わってヒロインとの架け橋ができるとか、面倒すぎる展開しか思い浮かばない。
「申し訳ございません、私の前方不注意です」
「………」
「……あの?」
だからさっさと謝って、この場を去ってしまいたいのだが……さっきから目の前の先生は私を見詰めたまま固まって動かない。
私の顔に何かついてますか?紅茶しか飲んでないから食べ物の残骸ではないはずなんですけど。
「名前……」
「え?」
「名前は……?」
「え……っと、ニーア・ハニーナと申します」
会話の流れが意味不明すぎて戸惑うんですけど。
え、もしかしてぶつかった事怒ってます?執事の分際でー、とか?チクられたりしますか止めてほしいんですけど。
「ティアベル・ローリンス」
「……はい、存じておりますが」
「うん……覚えてて」
それだけ言うと、ティアベル様は何事もなかったかの様にふらふらと歩いていった。食堂とは反対の方向だが、いちいち聞くのも面倒なので放っておこう。
というか……何だったの、今の。
「あ、遅れる……!!」
フリーズしている場合ではない、私は急いでいたのだ。何だかよく分からないが怒っている様子ではなかったし、深く考えるのはよそう。それより今はシルヴィア様のお昼が大事。
「……くそっ、走るか」
少々作法には反するが待たせるよりマシだ。
それでもある程度は人の目を気にしつつ、私は食堂までの道を駆けた。
結果、微妙に間に合いませんでしたが、ラファエルが手伝ってくれたのでシルヴィア様には問題なくお料理を提供出来た。
お礼に今度は私も手伝いたいと言ってみたが……そういやラファエルが遅れる所なんて今まで見た事無いし、他で考えた方が良いかもしれない。