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第十九話 変わらない物はないのです。

 何が起こって、何が変わって、何がどうなるのか。

 告白されて、キスをされて。ここまできてその全てを冗談で片付けられない事くらいは分かる。

 でもだからといって正しい行動も分からず、逃げるしか出来ないくらいには子供だった。


 掴まれていた腕は、痛みなどなく痣も残っていない。

 逃れられない拘束でなかった。どんな時でも、動きを封じられていたあの瞬間さえ、ラファエルは優しいままだった。


「……私だった」


 変わったのは、私の方だった。ラファエルが急だった訳でも、突然男になった訳でもない。

 私が、おかしい。ずっとずっと近くにいたラファエルが分からなくなったのは、彼が変わったのではなく私のせい。

 変わらないでと望んでいたくせに。ラファエルを見る目が、変わったのはいつだ。


「っ……」


 男の人だった、恋を知っている人だった。

 私への惜しみ無い優しさは、紛れもない愛だった。私の髪に触れる手も、名を呼ぶ声も、いつだって優しかった。

 心臓が痛い。息がしづらい。指先が震えて、悲しくないのに涙が出そう。

 

「ぅ……」


 戻れないのは、来た道ではなく行く末。知らなかった頃に戻って笑える程、私は大人ではなくラファエルは子供じゃない。

 友達が崩れていくのを感じて、きっとこの結末は必然だった。

 私達の関係は、ラファエルの優しさで成り立っていたのだから。それこそ私が気付くずっと前から。

 私達が抱いていた友と愛では、求める物も与える物も同じ様で違いすぎる。間違いなく情であるはずなのに、擦れ違ったままでは交われない。

 

 終わってしまう可能性は、ずっと傍らにあった。

 ただラファエルが、私に見えない様隠してくれていただけ。

 彼がいなければ、私の友情はあっという間にゴミになっていた。

 気付かなかったというのは言い訳だ。対等だなんて図々しいにも程がある。

 私達を繋いでいたのは、私の知らないラファエルの愛だったのに。

 

「最低……」


 座り込みそうになる足に力を入れて、壁に背を預ける。溢れそうになる涙が嫌で顔を上に向けた。

 真っ白な天井はラファエルの髪と同じ色なのに、ラファエルの方がずっと綺麗だって知っている。

 連想される。それだけ長く、近くにいたのだから。


 どれくらい、そうしていたのか分からない。

 眠っていた訳でもないのに飛んでいた思考が戻ったのは、私の名を呼ぶ声が聞こえたから。

 よく知る、声だったから。


「ニーア……?」


 同じ名前なのに、どうしてこんなにもラファエルと違って聞こえるんだろう。呼び方が違うから、なんて訳はない。

 感情が揺さぶられないのは、彼じゃないから。


「ティアベル、さま」


 自分でも分かるくらい力のない酷い声。

 きっと顔も同じくらい歪んでいたのだろう。近付いてきたティアベル様は、私の手を取るとゆっくりと歩き出す。人気のない方向に進む足は私にも覚えのある道筋で、引かれるままに後ろをついて行く最中、私はずっと考えていた。

 同じ男の人なのに、手を握られているのに。


 ラファエルと、こんなにも違うのは何故なんだろう。



× × × ×



「落ち着いた?」


「……申し訳ありません」


 着いたのは、予想通りの裏庭だった。私がティアベル様に紅茶をもらったあの場所。

 ラファエルが、ラーナ様のサポートの入った日。

 思えばあの日から、私はずっとおかしかった。


「……何があったって、聞いてもいい?」


「…………」


「言いたくないならいいけど」


 優しい声はどこかラファエルに似てる。大人として生きてきた年月の違い、穏やかに包み込む力が宿っている様な。

 弱い所を見せても、大丈夫な気がしてしまう声。


「……大切、だったんです。ずっとずっと、大事だったんです」


 大切に、大事にしてきた感情だった。これから先も変わらないと思っていた、事実変わらず大切なのに。


「でも、変わってしまった。戻れなくなってしまった」


 壊れた訳ではない、失った訳でもない。

 でももう、元にも戻れない。


「ずっと一緒にいたくて、変わりたくなくて、このままの関係が続けばいいって思ってた。続くと思ってた。でも……それは彼が見せてくれてた幻だった」


「…………」


「変わりたくないって、私の願いを叶えてくれてた」


 彼が私に見せていてくれた、夢だった。自分の気持ちを圧し殺してでも、私の現実逃避に付き合ってくれていた。

  

「変わらないものなんて、この世にはない」


 冷たくも温かくもない、ただただ当たり前に紡がれた言葉は私が今日初めて知った事実。

 きっと、私以外は知っていた当たり前の事。


「変わらないものは、失われるものだ。順応しなければどんなものでも廃れていく……人の気持ちも」


「っ……!」


「変わりたくないと願うのは当然の事だよ。変わる事は怖くて、間違ったら振り出しに戻るかも知れない」


 変わりたくない。このままがいい。

 笑って、怒って、遊んで、執事室でお茶をしてシルヴィア様達を見守って、たまに喧嘩したりでもずぐ仲直りしたりして。

 ずっとずっと、このままの関係が続けばいいと思う。

 

「それでも、失うよりはずっといいはずだ」


 でも、それでラファエルを失うなら。

 変わっても、戻れなくても、彼がいなくなってしまうくらいなら。

 今までが、消えてしまっても構わないと思う。


「……でも」


 でも、どうすればいい。どう変わればいい。

 ラファエルの気持ちを知った上で、私はどうしたらいい。彼の恋を知った上で、友達を望むのは残酷だ。変わる覚悟は、きっとラファエルだってしていたはずなのに。

 私達の感情は、交わらないのに。


「──本当に?」


「え……?」


「本当に、彼とニーアの感情は違う?」


 この日人は、どこまで知っているのだろう。そして知っているのなら何故なのか。もしくは全て当てずっぽうなのか。

 まるでラファエルの事を、その気持ちを知っているみたいな言葉。


「だって、私達は……」


 昔から知ってる同僚、大切で特別な友達、ずっとそう思ってきた。でもラファエルにとっての私は、同僚で友達であると同時に、好きな女の子だった。

 同じくらいに大切だけど、一番大切な部分が食い違っている。

 友情と恋慕が重ならない事くらい私にだって分かる。今日までラファエルの気持ちに欠片も気付かなかった自分が言っても説得力に欠けるけど。


「ニーアの気持ちは、本当に友達?」


「……当たり前じゃないですか」


「……言い方を変えよっか。ニーアにとって……俺とラファエルは同じ?」


「え……」


 ラファエルと、ティアベル様。過ごしてきた年月も密度も全く違うけど、二人とも私の数少ない知人で友人。でもきっと、ティアベル様が言いたいのはそういう事ではないだろう。


 もし、ティアベル様にラファエルと同じ事をされたら。

 髪に触れて、手を繋いで、引き寄せられて唇を奪われる。

 好きだと、告げられる。


 バラバラになっていたパズルが完成していく。完成させればこの感情の意味が明らかになるはずなのに、今すぐ壊してしまいたくなるのは怖いから。

 気付いてしまったら、壊れてしまう。今まで大切にしていたものが無くなる、氷が水へと溶けるように。

 でもきっと、ここで逃げたら私はもう二度とラファエルのそばにいられない。


「二人とも、友達……です」


「うん、俺もニーアは友達だと思うよ」


「比重は違いますけど、二人とも大切です」


「うん」


「でも……二人は、全然違います」


「……うん」


 違う、全然。真逆とかの次元ではなく、込められた感情の種類が違う。

 大切な、特別な人。そばにいたくて失いたくなくて、変わる事が無くす事だと思っていたから、この関係にすがっていた。恋人は終わるけど、友達は終わらないって信じていたから。

 明確な始まりのない友情なら、明確な終わりもないはずだと。


「ティアベル様の事も大切だと思います、数少ない友人ですから。でもきっと……私は貴方を切り捨てられる」


 失礼な事を言っている自覚はある、でもこれが私の正直な気持ち。

 もし、ティアベル様に同じ事をされたら……恋を告げかれたとしたら。私は、変わる事も失う事も恐れず、それを断るのだろう。

 向けられる気持ちは有り難いけれど、私はそれに対しての良い解答を持たないから。

 例えそれで友としての関係性まで失ったとしても、そうなったらそこまでだと、多少残念に思うくらいで終わる。


 ならば、何故。

 何故、ラファエルにはそれが出来ないのか。

 友情と両立しないなら仕方がないと、諦められないのは。あの時、ラファエルから逃げたくなったのは。

 近付いてくる彼に、恥ずかしくて動けなくなったのは。


「ラファエルは、特別……」


 昔から、何度も繰り返してきた。自分にも本人にも、まるで言い聞かせる様に。

 でもただの一度だって、その特別の『意味』を考えた事なんて無かったから。ずっと近くにあったのに……近すぎたからこそ見えていなかった事。見ない様に、してきた事。


「特別なんです、ずっと……これからも」


 ラファエルの感情がいつ変わったのか、この感情がいつから『特別』になったのか、もう思い出せない。

 今もまだ認めるのは怖いけど、ラファエルを失う恐怖に比べたら大した事はない。


「私は……ラファエルが、好きです」


 生まれて初めて口にした、今この瞬間に自覚した想いは、まるで美しい宝物の様だった。


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