第十三話 不変と変動
紅茶のお礼にと私が提示したお茶会が終わってから、ティアベル様は前よりも頻繁に声をかけてくる様になった。
初めこそ攻略対象だからシルヴィア様に関わらせまいと警戒していたが、ティアベル様が話しかけてくるのは何時も彼の空いている授業時間。
一週間経ってもシルヴィア様の話題すら出さない彼に警戒している方が馬鹿らしくなってきた。
「ニーア、おはよう」
「もうおはようの時間ではないと思いますが」
こんな風に執事室の前でばったり会うとそのまま立ち話なんていうのも珍しくない。
今の時間は三限目が終わってさっき四限目が始まった所。つまり、お昼まで一時間もない。
挨拶の時間帯は人それぞれだけどさすがにもうおはようではなくこんにちはの時間だと思う。何時に会っても同じ挨拶の人もいるがティアベル様は使い分けるタイプ。
「今日初めて会ったから、おはようなの」
「基準が分かりません」
「時間じゃなくて会った回数が重要なんだよ?」
余計にわからん。
この一週間でティアベル様がとても独特な雰囲気と感性の持ち主である事は見に染みているが、やっぱりよく分からない。
「ニア、おはよう……ティアベル様も、おはようございます」
「……おはよう、ラファエル」
聞きなれているはずなのに、何故かその声に緊張した。肩が跳ねるのも、体が固くなるのも、今までだったらあり得ない。
たった一週間程度顔を会わさなかっただけで赤の他人みたいに緊張するほど、私とラファエルの関係は容易いものではないと思っていたのに。
「珍しいな、ラーナ様はいいのか?」
「……今は体育の着替え中でね。さすがに俺が行く訳にはいかないじゃん?」
「そう……」
少しの沈黙が、何故こんなにも重く感じるのか。前は静かに、風の音だけでも心地よく感じていたはずだったのに。
ラファエルの傍が息苦しいなんて、思った事なかったのに。
「じゃあ……俺行くね?」
「ぁ……」
私達の間に流れる空気の質を感じ取ったのか、きを遣ってくれたんだと分かるタイミング。私達に必要な会話に自分がいると不都合だと思ったのだろう。
変な人だが、そういう気遣いの出来る人だとこの一週間で知った。
でも、私はそれをありがとうと受け取れない。
ラファエルと二人になる事が漠然と不安で、気が付くと背を向けたはずのティアベル様が振り返って目を丸くしていた。
「……ニーア?」
「……っ、あ、違……っ!」
困惑気味に名前を呼ばれて、初めて自分がティアベル様を引き留めていると気付いた。私の手がティアベル様の服を掴んでいて、完全に無意識の行動。
すぐに放してはみたけど思いの外くっきりと私の掴んだシワがついていて誤魔化すには無理がある。
「す、すみません!あの、アイロン……っ」
「大丈夫だよ……ニーアも、一緒に来てくれる?」
「は、はい……じゃあ、私は行くから」
さっきまで私が掴んでいたはずなのに、気が付くとティアベル様に捕まれていた。前にラファエルと繋いだ時の様な心臓に悪い感じではなく、包み込む様な……シルヴィア様をエスコートする時によく似てる。
特の用なんてなくてなかったけど、この時の私はラファエルから離れられるなら何でもよくて。
引かれるままに、ティアベル様の背に着いていった。
私を見るラファエルが、どんなに辛そうな表情をしてたかなんて気付きもしないで。
× × × ×
あの場を離れたかったといっても、行く場所があった訳ではない。ティアベル様は自らの仕事に戻るのかと思ったが、どうやらしばらく授業はないらしい。
私の所に来るのは時間がある時だから当然だけど。
「……大丈夫?」
「すみません、私……」
「さっきの人と……なんかあった?」
「……何も」
何もない、文字通り最近は話すらしていない。さっきが本当に久しぶりの会話で、前なら嬉しいと思ったはずなのに。
どうして逃げてしまったのか。話たいはずなのに、前みたいに一緒に笑いたいはずなのに、ラファエルは何も、喧嘩をした訳でもないのだから。
どうしても、感情だけが上手くいかない。
「私も、よく分からなくて……」
どうしてこんなに噛み合わないのか。
ずっと一緒にいたラファエルの事が分からなくなって、そしたら自分の事もよく分からなくなって。ラファエルを前にすると、前みたいに上手く話せない。
心臓が、よく分からない動きをする。
「私、どうしたんだろ……」
ただ特別で大切な友人だったのに。今もそれは変わらないはずなのに。
私もラファエルも、何も変わってはいないのに。
説明のつかない感情は、いつまでも答えの出ないままだった。




