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第十話 君の気持ちが知りたくて

「ニア見て!レオ様が選んでくださったのよ!!」


「…………」


「……ニア?」


「ぁ……はい、すみません」


「どうしたの、帰ってきてから変よ?」


 シルヴィア様の声を聞き逃すなんて、普段の私ならあり得ない事だ。執事として致命的、怒られても文句が言えない所業だがシルヴィア様は怒る素振りもなく心配そうに私の顔を覗き込んで来た。


「体調でも悪いのかしら……今日はずっと外で待たせたものね」


「いえ……大丈夫ですよ。シルヴィア様が楽しそうで、私も嬉しゅうございました」


 不安を解消させたくて若干わざとらしくなった笑顔に、納得はしていない様子だったが追求される事はなくてホッとした。


 自分でもボーッとしている自覚はある。帰ってきてから……むしろお出掛けの最中から私は可笑しい。そしてその原因は分かっている。



『俺とっていうのは……考えない?』


 美しい青は初めて見る色合いで、ずっとそばにいたはずなのにあんなラファエルを見た事がなかった。殴った事も蹴った事も、一緒に笑って喜んで、喜怒哀楽の全てを知っていると思っていたのに。

 次に会う時どんな顔をすればいいんだろうって、休日の終わりをあれほど来ないでくれと望んだ事はない。


 ラファエルの考えている事が分からないなんて、今まで一度もなかったのに。



× × × ×



 訳の分からない緊張から来る逃避欲を押さえ付けて、平静を装いながらいつもの様に執事室へ……行ったのに。


「……あれ?」



 いつもなら、真っ先に聞えてくるはずの声が無い。室内を見渡すとラファエルの姿はなくて、ホッとする様な残念な様な……残念といっても顔が見たかったとかいう甘酸っぱい物ではなく、問題を先送りにした感じがして嫌なだけ。私は誰に言い訳してるんだろ。



「珍しいな……」



 学年は違えど同じ学園に通う主を持っているのだから通学時間がそこまで変わる訳ではない、それでもラファエルが私よりも遅かった事は今までほとんどなかった。どれくらい早く着いているのか、ソファで紅茶を飲みながらおはようと笑顔で迎えてくれる。



「……その内、来るか」



 どうせレオノーラ様と一緒に登校するのだから、焦らずともその内に現れる。いっそいつもはラファエルの定位置であるソファに座って紅茶を飲んでやろうか。遅かったな、なんて言いながら。そうすれば、いつもと変わらずに喋れるんじゃないかって。



 けれど結局、どれだけ待ってもラファエルが現れる事は無かった。



 もしかして、今日は休みなのだろうか。レオノーラ様は王子として学園を公欠する事があり、ラファエルもそれに同行する。だとすれば今日は二人ともいないのか……シルヴィア様が残念がると、そう思ったのに。



「え……レオノーラ様?」



 食堂で昼食の用意をしていると、見慣れない執事がシルヴィア様の前にセッティングを始めて。いつもならレオノーラ様が座っている席なのに気にしないという事は、やっぱり今日は二人とも休みかと納得して何も言わなかった。


 シルヴィア様を共に現れたレオノーラ様を見るまでは。


 どうやらセッティングをしていた人は王族に仕える執事さんだった様で、普段は王宮の中の仕事をしているらしい。どうりで見慣れない顔だと思ったが……なぜ、ラファエルではないのだろう。


 先日会った時には特に異変は……あったけど、それが休みに繋がるのはむしろ私の方。体調が悪そうには見えなかったし、生半可な理由でラファエルがレオノーラ様の世話を他に任せるとは思えない。例え同じ王宮内で働く仲間だとしても、だ。


「レオ様……今日はラファエルではありませんの?」


「あぁ……あいつには別の仕事を任せていてな。しばらく俺の専属を離れる事になった」


 私の内心を読んだのか、シルヴィア様はいつもなら気にもしないラファエルの事を話題に出した。

 それに対する返答は予想通りであり、レオノーラ様の困惑気な表情からして少なくとも良くはない方向に当たったらしい。

 別の仕事、という気になる言い方だが、私にもシルヴィア様にも追求する権利はない。ただでさえ王族に関わる事は色々入り乱れていて理解し難いのだから。

 

「…………」


「……、レオノーラ様?」


 ふと、視線を感じた。いつもならシルヴィア様にのみ注がれているレオノーラ様の目線の先、何故か私を見詰めたまま動かない。


「あの……どうか、なさいましたか?」


 何か不手際があったのか、もしくは欲しい物があるのか。

 どちらにしても向かうべきは私ではなくあなたの後ろに控える人にお願いしたいのだけど。


「……今回の事は、あいつの意思ではない」


「はい……?」


「誤解だけは、してやるな」


「……あの、レオノーラ様何を」


 意味の分からない、むしろ理解させる意図すら感じない。独白の様な言葉の真意は、レオノーラ様の背後から現れた。

 白銀の髪に群衆に紛れる事なない長身、私のよく知る彼の姿で。


「あ……っ」


「っと……大丈夫ですか?」


「はい、ありがとうございます……」


 その腕に護られ笑う、プラチナブロンドの少女も、私はよく知っている。

 華奢で、小さくて、庇護欲のそそられるお人形の様な。シルヴィア様の豪華な雰囲気とも……私の様な、男装を決め付けられる女とも違う、ヒロインの素質。


 このゲームのヒロインであるラーナ・エヴァが、ラファエルと腕を組んで現れた。


 これは、一体どういう事なのか。


「ラファ、エル……?」


 一瞬私の心の声が漏れたのかと思ったが、声の主は私の前に座るシルヴィア様だった。私が見えているという事はシルヴィア様の視界にも当然入る。

 信じられないとでも言いたげな、困惑し切った声はまるで私の心をリンクしたみたい。

 シルヴィア様の反応でようやくレオノーラ様も気が付いたらしい。背後へ振り返り、そこで起こっている事態に眉間を寄せる。

 ラファエルの腕に絡み付き、一見すると恋仲の様な二人。ここが学園である事を考えると当然の反応なのだろう。

 

「……ラファエル」


「レオ様……、ぁ」


 レオノーラ様の呼び掛けに反応する速度は、正しく執事のそれだ。

 しかし、それ以上は何もない。食事中で立ち上がる素振りの見せないレオノーラ様に駆け寄る事も、それについてレオノーラ様が苦言を呈する事も。ただ、やんわりとラーナ様の絡み付く腕を外しただけ。

 完成された一連の流れが途切れたのは、私と目が合った一瞬。隠しきれない動揺に動きが止まり、再開されるまで一秒にも満たなかっただろう。

 本当に、小さな動揺。むしろそれを見て私の方が固まってしまったくらい。


 私は今、何を見せられているのか。


「っ……ラファエル!」


 バンッという音と共に、シルヴィア様が立ち上がる。勢いよく下がってきた椅子に反応が遅れてしまったが、シルヴィア様は食堂中の視線を集めても気しない。私から見えるのは後ろ姿だけだが、肩が少し震えているのは分かった。

 以前ここでレオノーラ様の発言に泣きそうになっていた時と似ているが、今回の感情は真逆だろう。

 これは、怒りだ。


「あなた、何をしてますの!?その子は何!?ここを何処だと思っているの!」


 興奮のまま机に突っ込んでしまいそうなほど前のめりになって、声まで震えて聞こえたのは気のせいではない。握りしめられた手は力が入りすぎて白くなっている、後で怪我の確認をしなければ。

 冷静にそう判断したけれど、通常の私とはほど遠い。普段の私ならばシルヴィア様を宥めていただろうから。

 そこまで頭が回らないあたり、充分混乱していると言いえるが……ラファエルとラーナに対してといわれれば少し違う気がした。


「あなたが女性に優しいのは知っています。でもここは学舎ですのよ?不純な行動は慎みなさい!」


「ち、違います……!!」


 ラファエルとシルヴィア様に間に入り込んだラーナ様は、その小さな体をさらに小さくさせて、両手を握りしめる姿なんかはか弱い女の子そのもの。

 勇気を振り絞っている姿は悪に立ち向かう聖女の様だ。


「違うんです……っ!ラファエルさんは私が怪我をしているから気を遣ってくれて、優しくて……不純なんかじゃないんです!何も知らないのに勝手な事言わないで下さい!!」


「何ですって……!」


「ぁ……っ」


 ギロリと音がしそうな鋭い眼光は元々の目付きの悪さと合わさってさらに迫力を強め、身に纏う高貴な雰囲気がラーナ様を圧倒しているのだと見えなくても手に取る様に分かった。

 シルヴィア様の言い分は正しい。本人達にどんな理由があろうと、ここは学園でラーナ様はご令嬢。周りの目というものをもっと意識する義務がある。そしてもし下衆の勘繰りをされたら切り捨てられるのはラファエルなのだ、だからこそ慎重さを持てと言いたいのだろうけど……言葉が圧倒的に足りない。

 私と、恐らくラファエルにも伝わっているだろうけれど、端から見ればシルヴィア様が一方的にラファエルに言いがかりをつけてラーナ様が庇った様な絵面に見えるだろう。


「シルヴィア様、落ち着いて下さい」


「落ち着いているわ!」


 そう見えないから言ってるんです。声のボリュームに気を遣えていない時点で全く落ち着いていない。


「シルヴィア」


「っ……レオ、様」


「落ち着け、彼女を助ける様に頼んだのは俺だ」


「な……っ、でも……!」


「シルヴィアの主張は正しい、だから声を抑えろ」


 そこで初めて、レオノーラ様が二人へと顔を向けた。いつの間にか食べ終わっていたらしい。立ち上がったレオノーラ様は冷めた視線でラファエルを見た。


「シルヴィアの言う通りだ。俺が命じたのは彼女の補助、忘れていないな」


「えぇ、勿論です」


「ち、違います……っ、ラファエルさんは」


「君の意見は聞いていない」


 一刀両断したレオノーラ様にもビックリだが、レオノーラ様の言葉に逆らおうとしたラーナ様にも驚きだ。

 レオノーラ様は彼女に全く興味がないみたいなので問題無さそうだが、下手をすれば学生と言えど何らかの罰を受ける可能性だってあるのに。何より貴族の令嬢であればレオノーラ様の言い分が正しい事くらい把握出来そうなものだけれど。


「シルヴィア、俺は先に失礼する。食べ終わったらいつもの場所においで」


「は、はい……」


 ラーナ様に対しての対処が嘘の様に、シルヴィア様に対しては何処までも穏やか。立場が逆転している気がするのは私だけだろうか。ヒロインはラーナのはずなんだが……。

 変なものを見た気持ちになりながらレオノーラ様を見送ったものの、シルヴィア様は多分これ以上食べないだろう。


「シルヴィア様、もう下げましょうか?レオノーラ様の方に行かれるのでしたらもう片付けますが」


「……えぇ、お願い。いつもの場所は分かっているわね」


「はい。何かお飲み物でもお持ちしますか?」


「いらないわ」


「かしこまりました、いってらっしゃいませ」


 レオノーラ様を追って食堂を出たシルヴィア様が見えなくなるまで礼をしてから片付けに入る。

 話の中心から蚊帳の外になったラーナ様は呆気に取られていたけれど、ラファエルが促すと簡単に気持ちを切り替えたらしい。

 手早くお皿を集めて、テーブルを拭く。お皿洗いは担当に任せて私もシルヴィア様達のいる『いつもの場所』へ急いだ。

 視界の端で揺れる白銀には、最後まで見ないふりをして。

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