プロローグ
「久しいな、シルヴィア」
「レオノーラ、様」
人が恋に落ちる瞬間を目の当たりにしてしまった。
頬を染め、唇を震わせ、本当は今すぐ逃げ出してしまいたいが彼と離れたくはない。嫌われたくなくて、カッコ悪いところを見せたくなくて、気丈に振る舞う姿は少し偉そうだが。
今、私のお仕えするシルヴィニア・ロゼット・コルネリウス様は昔からよく知る幼馴染みであり、我が国の王子であるレオノーラ・クリストフ様に恋をされた。
本来ならば、自分の主人が恋をし、その相手が王子ならば応援するか身分の差を理由にやんわりと止めにはいるか。
シルヴィア様は公爵家のご令嬢なので身分は充分、幼い頃から知り合っているのだから王子の相手には特に問題はないだろう。となれば、私の取るべき道は前者一択のはずなのだが。
「……マジ、ですか」
少々、問題がございまして。
恋するシルヴィア様の表情を、私は以前にも見た事がありました。いえ、シルヴィア様は今しがた初恋をなされたばかりであり今日よりも過去に恋をしたことはございません。
ならば、私が見たシルヴィア様の恋がいつなのか。
それはずっとずっと昔、十八になった私の歳よりもはるか昔の事。
私の前世で、とある乙女ゲームの中で、見た事があったのです。
× × × ×
私、ニーア・ハニーナがこの世に生を受け十八年。親に捨てられたりコルネリウス家に拾われたりお嬢様専属の執事になったり、結構波瀾万丈だと思っていたが最後の最後にえげつない爆弾をくらった。
まさか自分の生きる世界が乙女ゲームでした、なんて、事実は小説よりも摩訶不思議なんですね心から迷惑。
もはやタイトルすら思い出せない作品だが、朧気な中にもわずかに知識を引っ張り出すと少々厄介な事が判明した。
ヒロインは男爵家の姪で養女、ラーナ・エヴァ。
攻略対象は四人で、その内の一人がレオノーラ・クリストフ。
そしてそのレオノーラの婚約者で悪役の名前が、シルヴィニア・ロゼット・コルネリウス。
はい、我がお嬢様のお名前ですね。同姓同名とかいう現実逃避は得策ではなかったのでしませんでしたが、記憶違いを疑いたくはなった。
正直所々穴のある記憶だが、悪役の末路がどうなるかなんて想像に容易い。特にお嬢様の性格なら幼い頃から嫌というほど知っている。
ナルシストで、高飛車。生まれながらに美貌と権力を手に人の上に立ってきた正真正銘のご令嬢。
悪役のテンプレですね。私の知るシルヴィア様はもっと色々な要素があるが、悪役としての彼女は正しくお手本のようだ。
そしてそんな悪役は、いとも簡単に国を巻き込んで大騒動の挙げ句罪に問われ。お嬢様だけてなく家ごと沈むのは恐らく外れではない。
はい、そしてここで重要なのは私のお仕事でして。
私の仕事は、悪役令嬢シルヴィニア様の専属執事。常に行動を共に、お嬢様が最も信頼を寄せているのは私であると断言できる。
つまり、コルネリウス家がなくなれば私はそれこそ急転直下で無職になる。
いや、無職ならばまだまし。下手をすればお嬢様の悪事に荷担したとして私までも捕まりかねないのだ。
無職か逮捕か、究極の二択過ぎませんか。再就職しようにも私は学歴以前にも戸籍もコルネリウス家が用意してくれた物なんですよ。勿論ちゃんと法律に則ってます。
その、コルネリウス家が潰えたら。私の存在ごと消滅しかねませんよね。あ、無職か逮捕か消滅かの三択になった。希望ゼロ過ぎる。
「……ようは、潰れなければ良いのでしょう?」
シルヴィア様が悪役として捕まらなければいいのだ。恋に目を奪われ傲慢にも自分が正しく愛されるなどと考えなければ、愛されるのではなく愛しているという事に重点を置けるように。
そして出来ることなら、正しい方法でシルヴィア様の恋が実を結ぶように。
「……やるしか、ないか」
決意した思いを胸に、お嬢様の部屋へ向かう。レオノーラ様に会ってそのまま部屋に籠っているはずだ。晩御飯はいらないと聞いてそのまま放っておいたが、思い立ったが吉日、行動は早い方がいい。
「シルヴィア様、ニーアです。入ります」
「ニア……?」
返事を待たずに扉を開けて、普通ならばあまり誉められた行為ではない。執事として仕える身であれば主人が絶対であり気を損ねるのは厳禁。
しかし私達の間は少々違う。仕えた年月と同じように、幼い頃から共にいたせいか気安さが出てしまう。
その良し悪しはどうでもいいとして、室内に入ってきた私にシルヴィア様が怒ることはなかった。
むしろ不思議そうな顔で首を傾げている。
「なぁに、突然。私今日は一人になりたいと……」
「レオノーラ様の事がお好きですか」
「な……っ、急に、何を……!」
「お好きですね」
「話を聞きなさい!」
聞きません、シルヴィア様はツンデレ……いや、只の天の邪鬼ですから。
「ですがお嬢様、このままではレオノーラ様はお嬢様ではない方を好きになってしまいます」
「へ……?」
いや詳しくは覚えてないですけど……とりあえずシルヴィア様が嫌われるのは確実なんで。それをいうと傷付いて心が折れちゃいそうだから言わない。意外と打たれ弱いからねー、性格悪いくせに。
「な、何で……っ」
「好きになって頂きたいのならば、アピールが大切です」
「あ、あぴーる……?」
「はい……正しい、アピールが」
彼が好きになりそうな相手を遠ざけるのではなく、誰よりも自分を好きになってもらえるようにする。シルヴィア様はナルシストだし高飛車だし傲慢だし、まぁまぁ性格悪いけど良いところが無いわけではないのだから。
大切なお嬢様、あなたの恋の手助けをさせてください。
私の職と、生活のために。