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新たな地へ

こんばんは、早めに投稿すると言っておきながら結局前回と同じペースでの更新となってしまった遊月奈喩多です。すみませぬ。どうも先月から仕事が忙しくなってきてしまって……。

と言っていても仕方がないですね。

ということで、今回の紹介です。

「レジスタンス」との戦いに決着がつきます! アンネたちに捕らえられた形になってしまったルキウス、そしてファーネの因縁「炎使いの男」と対峙したエスタ、フランツ、ファーネは果たしてどうなるのでしょう!?

そして、カイルにも新たな出会いが……!?


展開が動き出す、第8話です。

 トルッペン砂漠の端に位置する小さな集落――ヴァイデ集落。今、「レジスタンス」による破壊と殺戮に曝され、森林地帯が近いがゆえにわずかに咲く花々が一部の間で穴場的に名をあげている平素の面影は完全に消え去っている。

 灰塵の舞う集落。中央部に位置するビルの屋上で、エスタ、フランツ、ファーネの3人は、1人の男と対峙していた。

 煤けたような焦げ茶色の乱れた髪を風に揺らし、十字傷のついた頬を歪めて笑う男は、「残念だったなぁ」とエスタたちを嘲るように口を開く。

「あんた、テラニグラに会社持ってるエスタ=グラディウスだろ? あんたの薬なら、たぶん俺ら全員を麻痺させるなり眠らせるなり、まぁ色々できるだろうな。……させるかよ。俺はこの集まりの中で、やらなきゃいけないことがあるんだ」

 ここでしかできないことがな――――と明確な怒りを、その行為を妨げる者は何者であっても燃やし尽くすという決意を秘めた怒りを込めた視線を向けながら続ける。

「…………!!」

 その視線に感じたのは怒りか恐怖か、ファーネはすかさずスリングショットを構えて射出した。男はその様を「ほぉ、速ぇなぁ」と楽しげに呟く。そして射ち出された弾――相手に着弾したと同時に小規模の爆発を起こして相手を行動不能にする程度の負傷を負わせる火薬――は、男に届く前に炎の壁に阻まれて爆発した。

「――――そんな!?」

「おいおい嬢ちゃん、そんなんで俺をどうにかしようって腹だったのかぁ? バッカみてぇ。んなもん、俺には届かねぇよ」

 仮に一般的な爆弾に使われる量の火薬であれば、炎の壁に触れた爆発でも目の前に立つ男に深手を負わせることができただろう。しかし所持している火薬に限りがあり、また手早く弾を作る必要があったことから、弾数を優先して、威力については対象を行動不能にできる最小限にまで落とされていた。

 その判断によってこの場所へ至るまでの障害はあらかた排除してこられたが、それゆえにこのような防がれ方をされることになってしまった。恐らくはこの場所にいる中で最も危険な能力を持った魔族に。

「そうそう、残りの薬も効かねぇよ? 燃やしちまえば何ともならねぇし」

 嘲るような言葉と同時に、まるで威嚇でもするかのように男の周囲を囲む炎が強くなる。同じ空間にいるだけで肌が焦げ付くような熱風に、エスタたちは後退る。そして、足元がわずかに溶け始めていることに気付く。

 炎の向こうから再び笑い声が聞こえたとき、エスタはあることを思いついた。

 ――やつの火力を、利用してみせる!



 ヴァイデ集落の地下。ルキウスは偶然にも「レジスタンス」の拠点の1つにいた。

 そこで聞かされる、ヴァイデ集落を滅ぼす計画。ルキウスは理不尽にも思えるその計画に激昂して、自分をこの場所に連れてきたアンネに詰め寄る。

「考え直せよ! こんなことして、――――っ!」

 しかし、アンネに思い切り突き飛ばされたルキウスは、地面に倒れてしまった。

 見上げた視界では天井からぶら下げられた白熱灯が、熱を放ちながら揺れている。

 壁に付けられた簡易な棚にはガラス瓶に入った何らかの薬品らしき液体がいくつか見えた。

 アンネの奥では巨躯の男――ゲオルグが無関心に2人のやりとりを見つめており、更に奥では名前も知らない数人の男たちが愉快な見世物でも見ているかのように騒がしい笑い声を上げている。

「あのアンネ相手にあんな真似をするなんてな~」

「勇気ある小僧なんじゃないか?」

 そんな笑い声によって広がったある種場違いな空気は、しかしアンネの背を境にすっかり霧散し、ルキウスに届いていたのは彼女の放つ冷たい静寂のみだった。

 その静寂は、アンネの唇によって破られる。

「こんなことをして何になる、とでも言いたいのか? さぁ。私にもわからない。しかし、幼い私も理不尽に全てを奪われた。我々『レジスタンス』が起こすような組織立った略奪などではない、単なる村同士で行われた資源の奪い合いで滅ぼされた。目の前で家族は殺され、私自身も嬲られ、誰の助けも得られないままで生きてきた」

 地面に尻餅をつく形になったルキウスを無表情で見下ろしながらアンネは語る。

 暗い地下の空間に、更に闇が下りたように感じたルキウスは、その闇を振り払うように、目の前に立つアンネを睨みつける。ぎりっ、と噛み締めた歯が鳴る。

 アンネはその視線を冷笑とともに受け止め、「装置を起動しろ」と背後に控えている者たちに命じる。そのままルキウスに背を向け、集団の中に戻っていく。

「んなこと、させるわけねぇだろ!」

 ルキウスは叫び、立ち上がる。

 レジスタンス。

 その名を持つ集団が引き起こした騒乱の火が燃やしたものを、ルキウスは目の当たりにしている。

 トルッペン砂漠にあった遺跡の中でルキウスたちを迎えた面々――――その中には現在行動を共にしているファーネやフランツもいた――――の絆。直接それを終わらせたのは魔族の青年ガルゲンとファーネだったが、それも「レジスタンス」に関わった過去、そして憎しみの感情に端を発するものだった。

 彼らの痛ましい終わりを思い出し、ルキウスは怒りに震える。

「お前らがこんなことをし続けるってんなら、絶対に止めてやるからな!」

 そう言ってルキウスは壁に掛けられた棚に向かって飛び上がり、ガラス瓶を1つ取って着地する。アンネの表情が少し強張り、背後で笑い声を上げていた一団からもどよめきが上がる。その反応を見て、ルキウスは不敵な笑みを浮かべる。

「これなら、お前らを止められるっぽいな……!」

 直後、ルキウスは手に持ったガラス瓶を地面に叩きつけた!



「ん~? っかしいなぁ、そろそろこれが作動するはずなんだが……」

 炎をまといながら、十字傷の男は訝しげに背後の装置らしき物体を振り返る。自分の圧倒的な優位を確信しているのだろう、「生物兵器なんだとよ」と、せせら笑うようにエスタたちに説明してみせた。

 男の体に遮られて確認できていなかったが、そこにあるのは、一般的な成人男性の腰くらいの高さをした細い筒状の機械だった。

 先端には何かを噴射するような装置が付いている。

 エスタはその装置に向けて能力を使用する。そして、中に入っているモノに気付き、唖然とする。中には、撒布されたが最後、恐らく数秒でこの集落にいる者全てを死に至らしめかねないウィルスだった。

「こんなものを……!?」

「あぁ、言っておくが分隊の上のやつらが勝手に決めたことだからな? 俺だったらこんなの許可しない。俺はただ燃やしくてこの組織にいるってのに」

 不満げに呟く男の姿にファーネが激昂したことがわかったが、エスタは「待て」と止める。

 睨むファーネの視線に、「すぐにコイツは止める」と小声で答える。

「まぁ? あいつらはきっと、俺らみたいな略奪を楽しむ輩も一掃したかったんじゃねぇの? 綺麗事を抜かすような甘ちゃんが上にいるからな、この分隊は。でもそうはいかねぇ! 俺はなぁ、まだまだ燃やし足りねぇんだ、もっともっと燃やして燃やして、まだまだ燃やしてぇんだよ!!」

 笑いながら自らの嗜好を語る男は、一見すると隙だらけだ。

 しかし、まとった炎は恐らく近付いてくるものを無条件に焼き払うレーダーのような役割も果たしているのだろう。先程ファーネが放った火薬弾に対しても、本人は不意を突かれたような表情を浮かべていたが、炎が阻んだ。そういった自動性を持つ能力があるからこそ、男はここまでの余裕を持っていられるのだろう。周囲を焼き尽くせる程の炎。更には自動的に張り巡らされる防護壁。

 確かに、攻守ともに優秀な能力と言えるだろう。

 しかし逆に言えば、彼は何かを防ぐとき対象に意識を向けなくてよい状態に慣れている。

 ならば……。

「ファーネ、これを撃て」

 エスタはスリングショットを持って男を睨みつけているファーネに、その弾を手渡した。

 そして、フランツにガスマスクを用意するように言う。その姿を見て、炎の向こうの男はまた笑う。毒性のある物質すらも焼失させてしまうほどの能力。だからこそ彼はこの屋上の「装置」の存在を知っても平然としているのだ。

 しかしエスタが取り出したのは、そのような火力にこそ有効なものだった。

「あーあ。無駄なことして……。もうめんどくせぇから、お前ら全員焼き殺す!」

 そう笑った男の炎が火力を上げたとき。

 廃ビルの屋上を包み、周囲の大気を焦がすかに思われた炎は、白煙の中で立ち所に消えた。

「今だ!」

 その声に反応して、ファーネが男を地面に押し倒し、その衝撃で脳震盪を起こしたのか、男は驚愕の表情のまま気絶した。

 しかし、その驚愕は男だけのものではない。

「おいおいおいおい、どうやったんだよエスタの旦那!? あんなの消すなんて! 水かけたってあんなんじゃすぐに蒸発しちまうし……」

 フランツの問いに、エスタは「貴重な商品を使ったんだ」と袋から白い石を取り出す。

「ん? それは……万年雪か?」

 頷いたエスタの手に握られたそれは、雪のような白さを誇る鉱石――通称「万年雪」。

 その白さから雪とは全く関係ないながら「雪」という名前がつけられ、この石を細工して作られるアクセサリーは世界各地で人気を集めている。

 そして、その白い身の中には大量の二酸化炭素を含んでいる。

 水に溶けた二酸化炭素と岩石との化学反応によって形成されるこの鉱石は、形成される過程で高い圧力を受けてできるために、少しの高温では――少なくとも生物が生存可能な地域の気温などでは決して溶けない。

 しかし、粉々に砕ける、超高温で熱されるなどの要因で状態変化が始まると瞬時に昇華し、大量・高濃度の二酸化炭素を発生させる。その場で火などついていれば瞬時に消えるであろうし、一般的な人間が吸えば意識障害を起こすほどのものである。

 大気を焦がし、建材すら溶かしてしまうほどの炎ならばこの万年雪も溶かすことができるだろうというエスタの予想は当たり、男の炎は万年雪を溶かしてみせて……溶かしてしまい、その結果として今地面に倒れ伏している男が誇る能力である炎は封じられた。

「さて、後はこの『装置』とやらを止めるだけだ。……ファーネ?」

「………………」

 気絶した男の胴体に跨った姿勢のまま、ファーネは動かない。

 男の無防備な顔を見つめたまま、その頬の十字傷を爪を立てた指でなぞっている。

 ただ1つ覚えている、自分の家族を奪った者の手がかり。これを探して、ずっと生きてきた。

 ただ1人、孤独の中で。

 同じ苦しみを抱える青年――ガルゲンと出会ってからは2人で。

「…………」

 ガルゲンの最期を、思い出す。

 止まる気はないと言っていた彼は、泣いていた。他にはきっとわからなかっただろう、彼は笑顔を作っていたから。それでも、生者の中では恐らく誰よりも近くにいたファーネには彼の嘆きが伝わってきていた。

 2人とも、変質した「レジスタンス」の暴挙と本来の創始者であるエーデ卿との間には関係が薄いことなどわかっていた。だから、ファーネは躊躇した。エーデ卿は家族を失ったファーネを迎え入れて「家族」にしてくれたのだから。それはきっと、ガルゲンにとっても同じだった。

 しかし、止めどない憎しみに焼かれるように、ガルゲンはエーデ卿を殺害した。

 その場に居合わせたルキウスたちに穏やかな笑顔のまま「レジスタンス」への憎しみと彼自身の理想を語っていたガルゲンは、それでも後悔して泣いていた。

 理想への1歩目を踏み出した彼は、泣いていた。

「………………」

 ファーネは、小さく「ごめんね」と呟き、立ち上がる。

 誰に対して謝ったのか。足下で倒れる男に殺された家族なのか、同じものを目指して自分を導いてくれていたガルゲンなのか、それとも憎しみを糧に生きていた過去の自分なのか。

 それは彼女自身にもはっきりとはわからなかった。

 きっぱりと訣別するように、男を一瞥すらせずに立ち上がったファーネは心配そうな顔で自分を見つめるエスタとフランツに向き直る。

 そして、自分の『視た』ものを説明する。

「たぶんルキウスがスイッチの近くにいるみたい」



 ガラス瓶から発生した白煙に、「レジスタンス」の地下拠点はどよめきに包まれた。

 慌てふためく構成員たち。そんな彼らを怒鳴りつけるゲオルグの声にも、動揺が滲んでいる。ルキウスが奪った薬瓶の中身は、比較的効きの早い劇薬であり、その効き目のみを知るがゆえに「レジスタンス」の面々は動揺し、それはルキウスの狙い通りの結果であった。

 しかし、ただ1人。

 ヴァイデ集落を襲撃している分隊の幹部であり、集落に撒布されようとしている毒性物質の開発者でもあるアンネは違った。

「惑わされるな、この煙はただの目くらましだ! 吸っても死なない! それよりも装置はどうした!? 持ち場を離れずにしっかり守れと言っていただろう!」

 彼女は一瞬驚きはしたものの、すぐにルキウスが地面に叩きつけたのがドライアイスを入れただけのガラス瓶であり、立ち上っているのはただの煙であることを看破した。温度を感知するスコープを身に着けてルキウスの姿を追う。

「ユーリ! 子どもはお前のすぐ左後ろにいる、捕まえろ!」

 煙の中でその声が聞こえたと同時に、装置に近付いていたルキウスの体が押さえ付けられる。恐らくは、ユーリと呼ばれた人物なのだろう。

「本当だ、やっぱりアンネの言うことはよく当たるなぁ! こら小僧、大人しくしろ」

 ルキウスは必死に抵抗するが、彼を押さえるユーリの力は常人とはかけ離れて強いようで、逃れることができない。ようやくユーリの腕を抜け出した時にはドライアイスの煙は晴れ、周囲はアンネの指示によって配置された「レジスタンス」の男たちで固められていた。見ると、アンネたちが作動させようとしていた装置は、すぐ目の前。

 あと一歩のところで、届かなかった。

「ここまで邪魔をされた以上、ここから逃がすわけにはいかない」

 アンネの冷たい声音が、しかしルキウスには遠く聞こえた。


 すぐそばまで来ていたのに。

 あともう少しだけ前に進んでいたら、辿り着いたのに。

 もう少し、俺に力があれば。

 お前のことだって、助けられたのに。


『早くっ! 1回消えたらしばらく使えなくなるからっ、だからっ、早く逃げてっっ!!!』


 何度も脳裏に蘇る声。

 あのときに感じた無力感。

 あと少しだけ進むことができていれば。

 守りたいものを守ることができるのに。


 ――――――もう、あんな思いはしたくない!

 その気持ちが、ルキウスの背中を押した。


 瞬間、ルキウスの周囲にいた「レジスタンス」の面々がそのまま後方に吹き飛んだ!

 突然のことに訳がわからないといった顔のまま壁に頭を打ち付けて気絶する者、立てかけてあった武器にぶつかり負傷する者、ルキウスの近くにいたために特に深手を負った者、吹き飛んだ物に当たった者など、その効果は様々だったが、すぐには動き出せないほどの負傷があったのは全員に共通だった。

 そして、動けるようになった者たちの大半は。

「な、何だよ今の……!?」

「痛ぇ、体が痛ぇ!」

「くそっ、こんなの相手にしてたら死んじまう」

「ふざけんな、こっちはこんな危険な目に遭うなんて聞いてないぞ!?」

 口々に叫びながら、半ばパニック状態となって地下空洞に作られた拠点から逃げ出していった。残った少数も、ルキウスの周囲から発せられたものを警戒――いや、恐怖している者ばかりで、もはや戦意のようなものは感じられなかった。

 ただ1人、アンネを除いては。

 恐らくルキウスの周辺にあった武器が吹き飛んだのに当たったのだろう、いくつもの細かなガラス片が防護服を突き破って彼女の脚に刺さっているのが最初に見えた。次に見えたのは、ガラス片同様その脇腹に深々と刺さった槍状の武器。

「…………!」

 その姿に、思わずルキウスは息を呑む。

 しかしそんな彼を意に介さず、頭からも血を流したままでアンネはルキウスと装置の間に立つ。

「これを、破壊させたりは……しない」

 ルキウスを睨みつける眼光は鋭い。

 そのまま後ろに下がろうと動くたび、彼女の足下には赤い血液が流れていく。

 制止しようとするルキウスを遮るように、アンネは血の色に染まった唇を開く。

「私は……、全てを奪われた……。家族も、友人も、故郷も、自由すらも……! 人として、生きることなど、できなかった……。ようやくそれを許された、のは……、ここに入ってから……。

 それなのに、砂漠を見てみれば、見えるのは満たされたような顔で、……中にはその平穏を倦むような顔すら浮かべる者ばかり……! 虫唾が走ったよ……。

 そんなやつらの幸福を奪って何が悪い? 過度な幸福を享受する者など、そんな者の存在など、ただの不均衡だ……! 私は、そんなもの許しはしない……!!」

 文字通り血を吐くような叫び。

 死んでもこの装置を起動させる――そう付け足して、不安定な足取りで装置へとにじり寄るアンネ。止めようと思えば止められたはずなのに、ルキウスは一瞬それを躊躇した。

 その一瞬が、命運を分けた。


 アンネの背後に現れた、「レジスタンス」の防護服を着た男。

 彼は何の躊躇もなくアンネの頚動脈に注射器を突き立てた。


「ガイスト……! 貴様、何を……!?」

 アンネがガイストと呼んだ禿頭の男は、薬を注入される苦しみでもがきながら伸ばされる彼女の腕を小柄な体で避けて、冷たい声で告げる。

「元帥は、貴女方を見限ったのだ」

「…………!?」

「気付かなかったようですね。私は元帥……あぁ、もちろん今の(、、)元帥に遣わされたのですよ。貴女方ならばエデンへの蜂起も現実味を帯びることだろうと期待していたのですが、どうやらそれは買い被りだったようだ。たった1人の少年が能力を使っただけでこの有様とは」

 ルキウスは、ガイストが「今の」という単語を強調して言ったことよりも、そのことに対するアンネの驚きぶり、そして体の震えが異常であることに注意を向けていた。

「ですから、貴女に最後の役目を与えましょう。アンネ、貴女にはこの薬の検体になっていただきます」

 ガイストの言葉が終わる直前から、アンネの体には異常が起こっていた。

 まずは発汗。

 砂漠地帯とはいえ、地下は決して暑くはない。そもそも防護服を着て汗一つかいていなかったはずのアンネが、額から、そして手の甲からも、噴き出すような汗をかいている。恐らく露出していない箇所も汗まみれになっているのだろう。

 呼吸も乱れ、一瞬だけ見えた目は赤く充血している。開きっぱなしになった口からは血の混じった唾液が垂れ流され、その姿には先程ルキウスを怯ませた意志など欠片ほども残されていなかった。

 ただ苦しみに悶えるアンネを、ガイストは興味深げに見つめる。

「どうやら人間に投与しても効果は同じだったようですね。やはり魔族と人間は……、まぁいい。もう少し経過を見ましょうか」

「魔族への投与結果は、『程なくして発狂。やむなく殺処分』だったそうだな」

 静かな怒りを込めた声が、背後から聞こえた。

 振り向いたルキウスの視界には、集落の入口で別れてしまったエスタ、フランツ、ファーネの姿。エスタの目は、冷ややかにアンネを見つめるガイストへと向けられている。

 そして、フランツの手から小銃を奪ったかと思うと、躊躇いなくアンネの口内を撃ち抜いた。

「――――――」

 声も上げずにアンネは仰向けに倒れた。

 あまりの苦しみに耐えるためだろう、握り締めた服の一部が破れている。中から白い肌と赤黒いケロイドが見えて、ファーネが息を呑む声が聞こえた。

 ルキウスが「おっさん、何を……!」と声を上げると同時に、「こうするしかなかった」と呟くエスタ。その目は相変わらずガイストに向けられたままだ。視線には、ルキウスが行動を共にした数週間の旅路では1度も見ることがなかった激しい怒りが感じられた。

 しかし、まずは装置のスイッチへと向かう。そして慣れた手つきで機械を操り、中で精製されていた生物兵器を無害なレベルに分解するように設定を変更していた。

「さすがはエスタ=グラディウス。その能力の前ではどのような仕組みであってもまさに赤子の手をひねるようなものなのでしょうな」

「いや、能力を使う必要すらない」

「左様ですか」

 そして今度こそ、エスタはガイストと対峙する。

「お前の言う『元帥』とは、何者だ?」

「元帥は元帥、我ら『レジスタンス』を統率している者ですが」

 エスタの問いの意味を、ルキウスは俄かには理解できなかった。と、横からフランツが話しかける。

「エスタの旦那はな、どうもこいつらの後ろには何か外のものが絡んでるって睨んでるらしいんだ。まぁ、こいつらが使ってる武器は、辺境の一団体が使えるようなものじゃないしな。そう言われたって何の不思議もない。しっかし、いやにこだわるんだよな……」

 一方、エスタと対峙しているガイストはあくまで涼しげな表情をしている。エスタの疑う「後ろ盾」の力を確信しているのか、その態度には余裕が見える。

 しかし。

「現在の元帥とされているフン=クアンはエデンで死んでいる。2年も前に」

「…………!」

 エスタの言葉に、ガイストの顔が強張る。

「オレの薬を買う看守から聞き出したから、その辺りは間違いあるまい。しかし、さっき地上で戦ったやつは元帥は今もクアンだと言った。何者かがクアンに成り代わって『レジスタンス』を動かしている。お前なら、それを知っているんじゃないか、ガイスト?」

 エスタの問い……というよりは詰問といった方が相応しい口調に、ガイストは先程までとは違い、自嘲と諦めの混じった笑みを浮かべる。

「もう私の名前まで知られているのですか。ならば……」

 そう言って、ガイストは錠剤を飲み込んだ。

「まさか、あれは……!?」

「擬似能力?」

 擬似能力。

 それは、「レジスタンス」への憎悪を燃やして凶行に走った青年ガルゲンが商業都市テラニグラにいる者から仕入れていたという薬剤。エデンで行われている魔族の能力核移植実験の副産物であり、これを服用してから一定時間内は本来能力を使えない人間であってもその薬剤に応じた能力を使うことができる。

 また、魔族が服用した場合は生来持っている能力ではなくこの薬剤の能力を使うことになる。実際、本来の能力は千里眼であったファーネはこの擬似能力を使って、ガルゲンを攻撃しようとしたルキウスの動きを止めた。

 ガイストが服用したそれが、どのような能力をもたらす擬似能力であるかはわからない。しかし、ガイストの笑みから、何か厄介な能力であることをガイスト自身が知って服用しているようであった。

 自信に満ちた表情で「彼から預かったこの能力ならば、あなた方など容易く……」と言いかけた口から血が流れる。それに驚いたのは、他でもないガイスト自身であった。

「馬鹿な……っ、まさか、この私を……っ!? ………………っ」

 口のみならず見開いた両目からも血を流し、ガイストは絶命した。

 それからの展開は、実に呆気ないものだった。

 分隊の指揮をしていたアンネの死亡、ゲオルグや炎の能力を持った男――後にクレマシオンという名前が投降した構成員の供述によって明らかになった――といった実力者たちが無力化されたことによって、ヴァイデ集落を襲っていた分隊はたちまち混乱し、大半の者はそれまでの凶行が嘘であったかのように投降し、抵抗した少数の者は勢いを取り戻した集落の民によって捕らえられ、その際に死亡するものがほとんどだった。

 ルキウスには、そのときに聞こえた集落の民の会話が印象に残っていた。


「我々が略奪したなどと、戯言を!」

「フン、所詮は奪われるような弱い奴らが集まっただけだったってことだろ?」

「必要なものがより必要としている者に寄っていくだけのことを大袈裟に」

「被害者意識の塊なんだ。放っておいてさっさと殺すぞ」

「やつらこそ、略奪者の癖をして……!」

 ……………………

 …………

 ……


 口々に罵る声。

 渦巻く怨嗟の声。


 今、無抵抗な状態にある者たちが奪ったものは数知れない。

 個人の財産、街の資源、住民の平穏、生活、未来。

 しかし、アンネの血を吐くような叫び、そして今聞こえた彼らの会話。ルキウスには、今回で――そして仮にこの先トルッペン砂漠を荒らす「レジスタンス」が崩壊することがあったとしても――この砂漠を取り巻く問題は解決しそうにない……と直感的に思った。

「なぁ、本当にそれでいいのかよ?」

 まるで今回の問題しかこの砂漠には存在せず、問題に関する全ての責任が「レジスタンス」にだけあるかのような語り口に思わず声に出ていた。偶然にも集落の住民に聞き咎められたが、「いいんですよ、これで。だって我々はこれでもうしばらく平穏に暮らせるんだから!」という、喜びに満ち溢れた返答だけで押し切られてしまった。

 それを近くで聞いていたらしいファーネも複雑な顔をしており、エスタはそんなルキウスとファーネの様子を見て、何事かを察したような顔をした。

 礼をしたいという住民に引き止められる形で1時間ほど集落に留まっていたルキウスたちは、その後トルッペン砂漠での旅を続けることにした。

 テラニグラに到着したら、トルッペン砂漠で保護した難民としてファーネとフランツを保護センターに連れて行くという目的もあったし、エスタとしては少しでもエデンの影響力が及ばない場所へルキウスを連れて行きたかった。

 しかし、集落から少し離れた所で機械馬に乗り込もうとしたとき。

「――――――――っ!?」

 突然ファーネが空を見上げ、驚愕した表情で「何か来る!」と叫んでまだ近い集落の方へ戻っていった。ガルゲンから訓練を受けたからだろう、砂に足を取られながらも集落へと辿り着き、「はやく逃げて!!」と声を張り上げる。

 そのただならぬ様子を見ていたエスタは、更に数秒後その理由に気付き、「戻れ、ファーネ!」と叫ぶ。

 

 叫んだ瞬間。

 瞳を焼かんばかりの熱と激しい風がルキウスたちを襲った。

 

 数秒ほど意識を失っていたのだろうか。気がついたときには、ルキウスは機械馬からもフランツ、エスタからも少し離れた場所で倒れていた。まず気付いたのは、大きな何かが焼け焦げる臭い。そして「レジスタンス」に襲われていたヴァイデ集落の中よりも量の多い灰塵。

 目を開けて体を起こすと、周囲にはエスタとフランツが気絶している姿、そして機械馬が倒れているのが目に入り。

 そして、1つの大きなクレーターがあった。

 見るとそこには、コンクリートで作られた高層建築物の名残を思わせる瓦礫が1つ見える。

 「信じがたいかもしれないけど……。キミが想像している通り、あれがヴァイデ集落だよ、ルキウス」

 そして、背後からの冷たく愉しげな声。

「てめぇは……!」

 ルキウスは、一瞬芽生えた恐怖を怒りで覆い隠しながら振り返る。

 背後に立っていたのは、砂漠の繁華街デゼールロジエでルキウスとカイルを襲った黒衣の少年だった。以前出会った時と変わらぬ酷薄さを湛えた金色の瞳を笑みの形に歪め、「久しぶりだね、ルキウス」と親しげに声をかける。

「そうそう、ボクのことはノックスと呼んでくれていいよ。まぁ、機会はないだろうけどね」

「てめぇ、何をした……!?」

 有機物の焼け焦げる臭いと灰塵に包まれた空間で、ルキウスは視線で突き刺そうとするように睨みつけながら尋ねる。ノックスはその視線を真正面から受け止め、おかしげに両肩をすくめながら「脱走者の証拠隠滅かな」と答える。

「キミは知らないだろうが、エデンはこの世界の中心的存在だ。それは経済力とか技術力とかいった面じゃなく、人間と魔族の共存・秩序といった面での話だよ? 共歴――あぁ、エデンができて両者の争いがなくなってから始まった時代のことだ――に入って100年以上経って尚、この世界はその最たるテーマに関してモデルを必要としているんだよ」

 それで共存ができているなんて、笑い話にもならないよ――――言いながらノックスはまた笑う。

 ルキウスはその姿に苛立ちを覚え、「何が言いたい!」と声を荒らげる。ノックスは「ははっ」と嘲笑の声を上げ、再び冷たい表情に戻る。

「つまりね、エデンは秩序のモデルであるために、秩序を乱した者が脱走したなんてスキャンダルは避けなくてはいけないということなのさ。もちろん、いちいち街を消していくわけにもいかないから、ただ立ち寄ったくらいならボクらだって容赦はしたけど、集落を救うとかそういうマネをされてしまったのでは困るのさ。だから、とりあえず指示をしてあの集落を爆撃させた。それこそ痕跡が残らない程度に……これがキミの『てめぇ、何をした』への答えだけど、構わないかな?」

「構わないわけねぇだろ!」

 ルキウスは怒りのままに拳を突き出す。ノックスの意表を突いた一撃だったはずのそれは、すぐ傍にいるはずの彼の腹部には当たらなかった。突き出した拳は、空を切るのみだった。

「…………!」

「無駄だよ、ルキウス。キミの攻撃はボクには当たらない」

 そう言って嗤うノックスの姿は、一瞬のうちに数メートル後方へ移動していた。その姿に、ルキウスは自身の持つ空間転移を思い起こし、困惑した。

 やつは、俺の能力ちからも使えるのか!?

 それもあの様子では、自分よりも制限なく使うことができるようである。それに気付いたルキウスの額を、砂漠の暑い空気によるだけではない汗が伝う。

「違うぞ、ルキウス。やつの能力は風だ!」

 背後から聞こえた声に反応したのは、ルキウスよりも苦々しげに「エスタ=グラディウス……」と呟いたノックスであった。しかし、その表情はすぐに余裕を含んだ微笑に変わる。

「だけどねエスタ=グラディウス。アナタが彼と一緒にいることなんてわかっていた。その対策をボクがしないと思うかい? アナタでも、隠してある能力ちからまでは見えないだろう?」

 その言葉に、エスタは「擬似能力か……」と悔しげに呟く。

 ノックスに風の能力が宿っているのは、彼の固有の能力ではない。擬似能力によって一時的に風の能力を手に入れているに過ぎない。

 複数の能力を持っていると思われた少年の正体を特定するチャンスだと思ったエスタにとっては、不都合なことであった。

「流れる風を止める手立てはない。今度こそエデンに来てもらおう、ルキウス」

 カイル=エヴァーリヴと同じようにね、そう言ってノックスは邪悪さの感じられる笑みを深くした。



 エデン中央収容所、地下1階。長い廊下の突きあたりに医務室がある。

 カイルは、10代半ばの少年にしては細身の体を所在なさげに揺らしながら、医務員の来室を待っていた。偶然にも交代のタイミングで部屋を訪ねてしまったらしく、少し待たされていたのである。

 室内に漂う薬品の匂いは決してカイルの好むところではなかったが、この場所では心も体も痛めつけられずに済む。下卑た笑みを受け入れずに済む。それが、カイルをこの場所に通わせていた。いつもカイルを診ている医務員は、カイルが相手であっても分け隔てなく接してくれている。

 熊のように大柄で優しげな雰囲気をした中年男性で、どことなく安心できる人物。

 しかし、これから来るのは彼ではないようだった。

 傷だらけの体、こびりついているロドリーゴの体臭に顔をしかめられるくらいなら、まだいいだろう。それが嘲笑や侮蔑になって、普段ほかの囚人たちから受けているような扱いを受けようものなら……。

 少しの不安からか、カイルの目にはいつも通っているはずの医務室が妙に広く感じられた。

 そして数分後、奥の扉が開いて医務員がやって来た。

「すみません、遅くなって――――あれ、カイル?」

「……カルロ?」

 白衣を着て現れたのは、カイルが中央収容所に入れられる前の友人、カルロ=コンキーリャだった。

こんばんは、第8話「新たな地へ」をお読み下さり、ありがとうございます!

最近になって、「これまだ1話の分量多いんじゃ?」と思い始めている遊月です(1話を投稿したときは、1話につき2万字くらい使う予定だったのでそれに比べれば短くなっていますけどね)。

再びノックスが現れましたね。そしてカイル側にも動きが……?

なかなか更新できておりませんが、次回をお楽しみに!


またお会いしましょう!

ではではっ!

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