仰ぐ空
こんにちは、ようやく更新することができました。遊月奈喩多です!
『最果ての景色』第6話、「仰ぐ空」です。
カイルを追って現れた遺跡に看守長ロドリーゴ。彼に睨まれて動けなくなってしまったカイルを助けようとしたルキウスでしたが、ガルゲンとの戦いに続いて2度目の能力使用に体が耐え切れず倒れ、逆に捕らわれそうになります。
その姿を見て、カイルはある決意をして……!?
ということで、本編スタートです!
ルキウスが意識を取り戻したとき、最初に目に入ったのは自分を覗き込むエスタの顔だった。徐々に視界が明確になってきて、エスタが安堵した表情を浮かべていることがわかった。
「大丈夫か、ルキウス? まだ無理に起きるな。お前は能力の負担に耐えられずに倒れたんだからな」
もう少し寝ておけ、そう言ってエスタはルキウスから離れる。
能力の負担……?
はっきりとしない頭に、疑問符が浮かび上がる。
わけがわからないままに、ルキウスは辺りを見回す。
薄暗い室内に舞う砂煙が日光を浴びて、あたかも光の粒のように輝いて見える。その様子を眺めているうちに、ルキウスの脳裏に、ある影が浮かぶ。
自分が意識を失った後、目を覚ましたときにいつも目が合う、あの人間。
倒れていたのは自分なのに、まるで自分が倒れてでもいたかのように動揺して、安堵するから、いつの間にか自分自身の不安が消えたように錯覚してしまう。そんな人間の少年。
「…………カイル」
呟いた名前を持つ少年の、頼りなくて弱々しいくせに何故か安心させられてしまう笑顔が浮かぶ。
そして、意識を失う前に聞こえた声。
『早く逃げてっっ!!』
自分を捕まえようとした大柄な男から守るかのようにいきなり地面から立った砂の壁の向こうから、必死に叫んでいたカイル。
そして…………。
「おっさん、カイルは!?」
動きにくい体を何とか起こし、エスタに詰め寄るルキウス。そんな彼にエスタは「すまない」とだけ答える。
「何だよ、すまないって。あんた、カイルの知り合いなんだよな? あいつを、見捨てたりなんかしないよな? なぁ!? カイルは、どこにいるんだよ……!?」
ルキウスにもわかっている。
カイルはもう遺跡にはいない。自分たちの傍にはいないのだということは、もうわかっている。
遺跡の外から現れたエデンの追っ手から自分を守って、砂の壁の向こうで追っ手に捕えられた。
カイルを助けようと能力を使って力尽きた自分を、守るために。
それはわかっている。
わかっていても、ルキウスは自身から溢れ出す感情を止める方法を見つけられなかった。
「何で、止めたんだよ…………」
「ルキウス、」
「何で! あのとき止めたんだよ……! もう少しでカイルに届きそうだったのに! もしかしたら何とかできたかも知れないのに、助けられたかも知れないのに! おっさんが止めたりしなければ、カイルのことを……!」
そうできた可能性がないに等しいことも、わかっていた。
それでも。
どうして、可能性すら持たせてくれなかったんだ……!
すぐ近くに感じたカイルの声が、耳にこだまする。囚われていた暗い部屋で幾度も聞いた断末魔を思い出させる叫び声。何度も響くそれは、助けられなかったルキウスを責めるように止まない。その声を掻き消すように、ルキウスは声を張り上げる。
「カイルが捕まったからか!? 捕まったら、もう見捨てるのかよ!? あんた、カイルのことを本当に大事にしてるように見えてたけど、そんなことなかったんだな!」
無力感が自分に刺さらないうちに、とでもいうように、普段にない饒舌さでエスタを罵るルキウス。エスタは、その言葉に反論しない。否定の言葉も、感情のままに口走るルキウスに怒りを見せるようなこともなかった。
その態度はまるで、本当にカイルのことなどどうとも思っていなかったかのように見えて。
「くそ……っ!」
力の入らない手で殴りつけたところで、エスタの表情1つ変えることはない。
その様子は、まさに無力としか言い様がない。
「……………………!}
無力な魔族の少年は、静寂に満ちた遺跡の1室で、見えもしない空を仰ぐように倒れる。弱々しく伸ばした手にはもちろん何も掴めはしなくて。
「カイル……!!」
その名を呼んでも、答える者は――答えるべき者は――どこにもいなかった。
……また、ここに戻って来た。
エデンの施設・中央収容所の看守長ロドリーゴの手下と思しき男が操縦するエデン公用機は、遺跡を発ってから1時間と少しくらいの時間でエデンに到着した。移籍を離れる際、体にかかる重圧が奪った意識は、やはりエデンに到着した時にかかった重圧によって強引に引き戻された。
エデン。
かつて世界中で続いた人間と魔族の抗争を終わらせるきっかけになった都市。
人間の持つ技術と魔族の持つ能力を融合した生活様式を真っ先に取り入れた、世界の中心。
空港から見回した街の景色は、今のような生活になる前と変わらない、平和な景色が広がっていた。
人間であろうと魔族であろうと関係なく談笑し、敵意を向け合うでもなく、当たり前に日常を謳歌している。
空港に程近いところにある小さなレストランでは、能力によって複数人に分裂する店主が厨房では料理を作り、ホールでは注文を取り、外では客引きをして、そして店から離れた場所で好みの若い娘に声をかけている……という光景がいつもと変わらず続いているようだ。
入った空港内の免税店では世界中様々な地域の品が売られていて、価値の鑑定を見ただけで行えるらしい魔族の客と、値切られることを阻止することを生き甲斐にしているらしい店主の「能力を使用した場合、使用料として以下の金額を頂戴いたします」という立札が静かかつ平和な戦いを繰り広げている。
カイルはその光景を見て、我知らず噴き出していた。
そして、その表情はすぐに曇る。
彼が目にした光景は、まさにエデンの――――この世の理想郷と謳われた都市の日常だった。
姉が生きていた頃、中央収容所に囚われる前、自分も存在できていたはずの景色。
『カイル=エヴァーリヴだな。お前はエデンを乱す思想の持ち主と認められた』
姉が戻らなかった夜、自分を見下ろした声に、その平穏を奪った。
そして、それからの忘れることすらできない陰惨な日々。
ロドリーゴが仕組んだ、地獄のような日々。
その中でカイルの精神はすり減らされ、やがて外のことを――平穏な日常を送ることができていた頃の自分を思い出すことをやめていた。思い出してしまったら、その日々がもう戻らないのだという事実に打ちのめされて、耐えられなくなりそうだったから。
しかし。
今は、違う。
「さぁ、カイル。戻るぞ」
あの日、平穏な日々を奪ったのと同じ声がカイルを促す。カイルは、心の中に暗く重い靄が広がっていくのを感じた。
それでも、毅然とした表情で前を向く。
遠巻きに自分とロドリーゴを見るエデンの住民たちの怪訝そうな表情がわかる。きっとかつて、収容所へと運ばれていく者を見るときに自分も向けていたはずの視線。エデンが世界で1番安全で、1番平等で、1番優しいと信じていた当時の自分も向けていたはずの視線。
それを感じていても、今のカイルは前を向ける。
何故なら、カイルはもう1度外を知ることができたから。
外に出て、いや外へと助け出されて、彼に出会うことができたから。
――――大丈夫だよ、ルキウス。
カイルは、心の中で呟く。
僕には、君がくれたものがあるから。それさえあれば、これから何が待っていたって立ち向かえる。
熱が籠り、服越しでも怖気を覚えるような肉厚の手が、カイルの背中を押す。
カイルは決意の光を瞳に宿し、自分たちを前で待ち受ける、ぽっかりと空いた大穴のように黒い護送車へと、歩みを進めた。
仰ぎ見た空は、どこまでも届きそうなほどに澄んだ青空だった。
静寂に包まれた遺跡の片隅で、ルキウスは礼拝堂じみた部屋の中を見つめていた。
部屋の中央では、エーデ卿の亡骸――ガルゲンによって掻き乱されたその塊を亡骸と呼んでよいなら――と並んで、ガルゲンの亡骸が横たえられている。
ガルゲンは、ロドリーゴ率いる追っ手から放たれた銃弾で心臓を撃ち抜かれて即死だった。あるいは自己治癒能力のある魔族ならばその状況からでも復活のしようがあったのであろうが、ガルゲンはその類ではなかったのである。
その亡骸に泣きついて離れなかったファーネは、今はエスタに睡眠薬を投与されて、別室に移されている。フランツもまた、エスタについていくようにして部屋を出て行った。
出て行くときに漏れ聞こえた、『おい、どうすんだよこいつ! あの爺さん殺ったのこいつらってことだろ!?』というエスタに対する怒鳴り声が、やけに印象に残った。
物言わぬ屍となった2人の魔族を見下ろしながら、ルキウスは黙っている。
しかし、何事かを考えているわけではない。
思考というにはあまりに不定形な思案が脳内を廻り、ルキウスは動かずにいた。いや、動かないというよりは、むしろ動けずにいた。
――――俺はまた、守れなかった。
守るべき……守りたいと思っていたはずのやつに守られて、みすみす連れ戻させてしまった。
手を伸ばすことさえできずに、俺は……。
初めて会ったとき、カイルは泣いていた。助けてくれる人なんていなかったと言いながら、初めて会った自分にみっともないくらいボロボロ涙を流して、泣いていた。
その姿を見てから、きっとルキウスの中で何かが狂った。
あの薄気味悪い溶液の中で外を待っていた時には、自分以外のやつになんか構う気なかったのに。
溶液からケージへ搬送されるときの一瞬の隙を突いて逃げ出した時だって、すぐ外に出るつもりだった。そうせずに収容所部分まで逃げてきたのは、より近い距離の方が移動の精度が上がるらしいことを研究員たちから聞かされていたからであって、少しでも外に近づいてから逃げようと思っていただけだった。
それなのに、何で一緒に逃げたりする話になったのか、考えるにつれてわからなくなりそうだ。
俺は、あいつと一緒にいてよかったのか?
俺が弱かったから。
俺があいつらの前で倒れたりしなければ、もしかしたら自分なりのタイミングであの能力――――きっとガルゲンの言っていた「擬似能力」というやつなのだろう――――を使って何とかあの場を切り抜けていたのではないだろうか。
ルキウスの中で、思考とも呼べない靄が渦巻いて止まらない。
カイルが砂の壁を立たせて、追っ手から自分を遠ざけた時の声が、離れない。
――――早く逃げて!
その声と共に、初めて出会った姿を思い出す。
カイルは、涙をボロボロ流して、中央収容所から出たがっていた。無事に抜け出してからも、追っ手の影に怯え、たぶん本人は気付いていなかっただろうが、夜眠っている時にはほぼ毎回と言っていい頻度でうなされていた。
カイルにとって、エデンの中央収容所というのはそういう場所だったのだ。
もちろんルキウスにとっても、あの建物・テラは恐怖の対象である。中央収容所の更に下層――深部というべきだろうか――に設置された研究棟に物心ついた頃から幽閉され、「あの女」に能力核を取り出されるまでの猶予としての生を余儀なくされていた。
それでも、自分には能力がある。たとえ何度は使えないとしても、いざとなれば自力で何かしらの抵抗をできる……はずだ。
しかしカイルには、自分のような能力はない。人間であるし、それ以前にカイル自身があまりに非力だ。そして更に、あの場所がカイルにとって心の傷になって、記憶に焼きついて離れないようなそんな恐怖の対象であるというのなら……。
「 」
呼びそうになったその名前を、力ずくで打ち消す。
その名前を、自分が呼ぶ資格なんてきっとない。
決して戻りたくなかっただろう場所へ戻る選択を、カイルに強いてしまった。カイルがエデンに戻る、エデンからの追っ手の手に落ちる選択をしなくてはならない状況を、自分の迂闊さと弱さから作ってしまった自分には。
考えても仕方ないことは、わかっている。
それでも、あの収容所に戻されただろうカイルのことを考えることしかできない。
そして考えれば考えるほど、あの日見た涙が頭に浮かび上がり、その分だけ自分の無力さを感じてしまう。苛立ち紛れに蹴りつけた地面の小石は、緩やかな奇跡を描いて、部屋の中央に横たわる亡骸にぶつかって床を転がった。
何の言葉も発することなく、地面に横たわっている青年だったもの。
理想に燃えた過去も、大切なものを奪われた痛みに歪められ、やがてはかつて自分が憎んだものと同じような存在に変わり果ててしまった――――少なくともガルゲンの話を聞いていたルキウスには、彼自身がその憎しみの対象と同質のものであるように思えた――――魔族の青年。
『あの爺さん殺ったのこいつらってことなんだろ!?』
遺跡に住む唯一の人間で、主に鉄製品の修繕などをしているらしいフランツ。砂漠を越えるのに使っていた機械馬のメンテナンスを終えてエスタと談笑していたところに騒ぎを聞きつけ、その惨状をルキウスたちの後ろから見ていたらしい。
初めて顔を合わせたとき、ガルゲンにはいつも世話になっていると語っていた時の穏やかさは、もう残っていないように思えた。そこにあるのは、恐怖と、ガルゲンと共に「砂漠の統合」を掲げて蜂起しようとしていた少女ファーネへの不信。その姿に、ガルゲンたちの言った「砂漠の統合」などは微塵も感じることができなかった。
むしろ、目にしたとき一種の羨ましさすら感じた遺跡の面々の「絆」と呼べるものが、彼らの行動によってまさに壊されたのを、ルキウスは感じ取っていた。
心臓から流れる血も止まり、完全に生きていた名残の消え失せた青年の亡骸。そして彼が殺した老魔族の、挽き肉のように掻き回されて原型を失った亡骸。2つ並んだ亡骸を見つめているうちに、どうしても問わずにはいられなくなった。
「お前が目指してたのって、こういうことだったのかよ」
遺跡の同居人たちを語るときの表情が、来訪者である自分たちに向ける優しげな顔が、自らの理想を語るときに見せた怒りと悲しみに満ちたものに塗り替えられていくような気がした。
苦しげな表情を、頭の中で反芻する。
彼のあの顔の先に、平和があるようにはどうしても思えなかったし、そして実際、こうして確かにあったはずの小さな輪は断ち切られてしまった。
「………………」
返答などあるはずがない。
空虚な沈黙がルキウスのいる空間を蝕み、心にも影を落とす。彼らの掲げた理想だけではない、守りたいものも守れない自分の存在にも、果たして価値があるのか。答えの出ない問いが、頭の中でぐるぐると掻き混ぜられるように回っていく。回っていく問いがルキウス自身を包んで、どうしようもないくらいに、辺りの物が疎ましくなる。その瞬間に、部屋の扉が開いた。
振り返った先に見えたエスタの顔を直視する前に、思わずルキウスは目を背ける。そのルキウスの行動について何か言及するでもなく、エスタは「そろそろここを発とう」と告げた。
「エデンの手がここまで伸びるということがわかった今、これ以上ここにいるのは危険だ。早く離れた方がいいだろう。それに、あの2人をテラニグラに送り届けなくてはならん」
後半の言葉はルキウスにとって突拍子もないもので、「は?」と訊き返していた。
「この遺跡はもう駄目だ。ガルゲンがどうやって物資を手に入れていたかは知らないが、何の能力も持たず、それに体が満足に動かない人間と、いくら魔族とはいえ幼い少女だけではこの砂漠で生きてはいけないだろう。どこかで保護を求めなくてはいけない。幸い、テラニグラは難民の保護をできるだけの余裕はある都市だ。そうそう問題も起こるまい」
言いながら、礼拝部屋の祭壇近くに2人の名前を刻みつけた瓦礫を置くエスタ。
何事かを小さく呟いた後、エスタはルキウスの近くまで歩み寄り、「行くぞ」と一声かけて、部屋を出た。
ルキウスはその後ろ姿を追いかける以外の選択肢を持ち合わせてはいなかった。
エスタが所有する機械馬は、相も変わらず高速で砂漠を走り続ける。
フランツが「こうしときゃお前さんの旅も楽になるんじゃないか?」とエスタに自慢しながら取り付けた冷蔵庫のおかげで、遺跡にあった食糧もそのまま食べることができるようになったのは、確かにありがたかった……それまでは、エスタが機械馬の中に常備している味気ない保存食だけで食いつないでおり、文句タラタラなルキウスを宥めるカイル……というのが、砂漠の花街デゼールロジエを旅立ってからの日常風景になっていた。
「…………」
何度繰り返したかわからない後悔がまた心に押し寄せてくるのが疎ましくて、ルキウスは馬車内の様子を見る。
エスタは、軽い仕切りの向こう側にある「御者台」(というスペースなのだとフランツから聞いた)で、外の様子を見ながら機械馬を操縦している。少し前に発った遺跡に着く以前にも数日にわたって見ていた姿である。遺跡に着くまでは軽口なども叩いていたその後ろ姿は今、少し近寄りがたい空気さえ漂わせて沈黙を守っている。
フランツは、エスタに程近い場所で陣取って、対角線上に位置する少女へ不審げな視線を向けている。そしてその視線を受けているファーネは、エスタの飲ませた睡眠剤が相当な効き目だったのだろう、微かな寝息こそ聞こえるものの、それがなければ生きているのかすらも疑わしくなるほど静かに眠っている。
「なぁルキウス、そいつが目覚めそうになったら言えよ? エスタの旦那に何とかしてもらわねぇと」
軽口でもなく本心からそう言っている様子の彼に対して何を言ったらいいかわからないルキウス。エスタがその言葉に対して、「オレの能力じゃどうにもできやしないぞ」と少しだけ苛立った口調で返している。ルキウスの感じている苛立ちと同じものを、エスタも感じていたようだった。
「わかってるけどよ……」
尚も不安げな視線をファーネに向けるフランツ。
そのやりとりを見ているのがまた不愉快になってきて、ルキウスは再び外の見える小窓に目を向ける。
安定して振動の少ない機械馬の中にいると、外を流れる砂漠の景色を見なければ移動の速さを感じることもない。しかし、ルキウスが目にしたトルッペン砂漠の景色は、砂と空の境目しかはっきりとはせず、地上の全てが曖昧に見えるものだったため、外を眺めていてもやはり自分の乗っている機械馬がどれほどの速度でテラニグラへ向かっているのか、よくわからなかった。
ただ、砂漠を見ていると、視界に時折風化しかかったものがいくつか入ってくるのはルキウスにもわかった。それはもはや瓦礫の山でしかなくなった遺跡であったり、何かの死骸であったり、様々である。
流れていく景色が単調で退屈なものだったからか、それとも短くもない時間が経過して徐々に――本人の意に反して――心の余裕ができてきたからか、ルキウスは少しだけエスタとの距離を詰める。そして、外界に目を向けたまま振り返らない背中に声をかける。
「なぁ、おっさん」
「どうした、ルキウス?」
エスタの返答は、ルキウスの恐れていた剣呑なものではなく、平素通りの穏やかなものだった。それに安心したように、ルキウスは言葉を続ける。
「何であの時、あんたは俺を止めたんだ?」
「それを聞いてどうする?」
エスタは、あくまで静かな声で尋ねる。ルキウスは、その問いに対してどう答えたらいいのかがわからなかったが、思っているそのままを伝えることにした。
「理由が知りたい。で、理由によってはあんたを許さない」
「……そうか」
その答えを予期していたと言わんばかりの苦笑を交えてエスタは返す。
そして、答えを続けた。
「みすみすお前まで捕まえさせるわけにはいかなかったからだ」
エスタの答えの意味を、ルキウスはすぐには理解できなかった。それをエスタも察したのだろう、ルキウスに向き直って、言葉を続ける。
「前に話したかも知れないが、オレの目的はあくまでエデンの……エデンを牛耳っている組織を崩壊させることだ。そして、妹の敵を取る。あいつが……そしてカイルのように罪もないのにあそこに囚われている者たちが味わっている理不尽を、未来に残すわけにはいかない」
エスタの瞳に宿るものに似た光を遺跡でも見たことを思い出し、ルキウスの心はざわめく。
「おっさん?」
「安心しろ、何も力ずくで復讐するつもりなんてないさ。もしかしたら最終的には多少実力を使うことになる可能性だってあるが、言っただろう、オレの目的はあの組織だけを崩壊させることだ。その手段として実力行使は不可欠なものでは決してないはずだ。いや、必要性を少しでもなくす為に、今この瞬間にもエデンの……テラについて調べている」
そう、力強く笑うエスタ。ガルゲンを思い出してルキウスが一瞬抱いた不安は、その笑みで幾分か和らいだ。しかし、エスタの笑みはすぐに真剣な表情に変わる。
「ルキウス。確かにあの遺跡に現れた追っ手個人の目的はカイルで、お前はあくまでついでくらいの扱いだったかも知れない。しかし、お前たちがデゼールロジエで出食わしたやつがそうだったように、エデン中枢に位置する者たちの目的はお前だ。恐らくお前の空間を繋ぐ能力はやつらにとって何らかの『鍵』になっているのかも知れないな。そのお前をエデンに渡すわけにはいかなかった」
カイルを助けようとしたルキウスを制止した理由はこうして、後悔を滲ませた声音で語られた。
言葉を切るとき、エスタは1度外の様子を窺うように小窓を見やった。その瞬間のエスタの瞳が辛そうに細められたのを、ルキウスは見逃さなかった。
エスタの手が、ルキウスの両肩に置かれる。
「だからルキウス、お前は自分の身を最優先に考えろ。もし捕まるようなことがあれば、その時にはやつらの目的は何らかの展開を迎え、お前は死ぬ事になる」
忠告というよりは懇願に近いエスタの言葉に、ルキウスは「わかった」と一声だけ答える。
と、なにか大きな物を踏んだのだろう、馬車の車輪が1度大きく跳ねた。といっても実際の移動速度からすれば考えられないほどの微かな振動だったが、その揺れでファーネは目を覚ましたようだった。眠たげに目を擦った後、自分のいる場所が遺跡ではないことに気付いたのだろう、慌てた様子で辺りを見回す。そしてフランツに駆け寄ろうとして一瞬切なげな表情を浮かべ、エスタに声をかける。
フランツがどんな顔をしてファーネを見ていたか、それくらいはファーネの態度でわかった。
「エスタさん、ガルゲンは!? ガルゲンは!!??」
鬼気迫る様子でエスタに詰め寄る少女に対する答えは、「ガルゲンは、死んだよ」という一言だけだった。それ以外に返しようがない……どう言ったとしてもガルゲンが死んだという事実は変わらないし、そしてそれを目の前で見ていたファーネにはそれを理解できているはずなのだから。
その答えを聞いてから、ファーネの様子はみるみるうちに変わっていった。
体だけを残して中身を抜き取られてしまったように呆然とした表情になったかと思えばすぐにその表情は水に濡れた紙細工のように崩れ、そして声を上げて泣き崩れた。ファーネに恐怖し、嫌悪感すら抱いていたフランツが思わず気遣わしげな視線を向けてしまうほどに。
涙を流しながら、小さな声で呟く。
「許さない……ガルゲンを殺したやつ、絶対許さない……!」
その瞳にまた黒い炎が燃え上がる。「レジスタンス」に家族を皆殺しにされたことを話し出したときと同じように。
エスタは、ファーネの肩を掴んで「復讐などやめろ!」と叫ぶ。
「それをしようとしてお前とガルゲンは失敗した! それならまだしも、お前たちは……いや、やったのはガルゲンだったが、長年一緒に暮らしてきたエーデ卿まで殺めた! それが本当にお前たちの理想だったのか!?」
ファーネは、エスタの怒声に対して殺意を滲ませた視線を返す。
「ガルゲンは……、何度も止めてくれた」
「止めた?」
「この砂漠をまた1つにするって話をガルゲンから聞いたとき、一緒に戦いたいって言ったら『危ないからやめろ』って、何回も、何回も言われた。だけど、わたしは一緒に砂漠を1つにしたかった。もう、わたしみたいに家族を殺される人がいなくなるように……!」
それから小さな、呪うような声で「わたしたちは正しいことをしたんだ」と繰り返し呟くファーネ。恐らく彼女には、誰の言葉も届かないのだろう。
と、馬車の中に大きなブザー音が鳴って、機械馬の足が急に止まる。
「どうした!?」
小窓へ駆け寄るエスタ。そして、絶句する。
エスタの横から小窓を覗き込んだルキウスの目には、今にも地面に倒れ伏そうという様子の全身傷だらけの人間の女が映った。
慌てて彼女に駆け寄るルキウス。
「おい、どうしたんだよ! なんか言えって!!」
彼女の体を揺らしながら叫ぶルキウスの声に、微かな呻き声で「レジスタンスが……娘が……」と答えて事切れた女。
「レジスタンス……?」
馬車の中から響く低い声。
泣き崩れて、蹲っていたファーネはその言葉とともに立ち上がり、数秒ほど呆然と立ち尽くしたあと「御者台」に向かった。そして設置されたパネルを操作し、何事か設定をしてから大声で叫ぶ。
「ヴァイデ集落へ向かって!」
その声に従うように、機械馬は向きを変える。ルキウスは慌てて場車に乗り込み、エスタに「どういうことだよ!?」と尋ねる。
「千里眼の能力だ。それでレジスタンスが荒らしている場所を特定して、機械馬をそこに向かわせたんだ。それにしてもまさか、機械馬の操作方法まで会得していたとは……。それほどにまで本気でこの娘は砂漠の統合を目指していたのか」
それは決意の強さというよりは、ファーネが自分の家族を奪ったものに対して抱く憎悪と執念の強さと言い換えたほうが正しいだろう。
そして少しの時間が経って、馬車はファーネの設定した目的地に到着して止まる。
「…………っ!」
「おい、ファーネ!?」
すぐに馬車を降りたファーネの後を追うように外へ出たルキウスが見たのは、それまで経験したことのないものだった。
「何だよ、これ……」
燃える街を見つめるルキウスの震えた声は、辺りを包む轟音と悲鳴の中にいとも容易くかき消された。
こんにちは、すっかり日が落ちるのが早くなりましたね。遊月奈喩多です!
第6話、「仰ぐ空」はお楽しみいただけたでしょうか? うーん、微妙に鬱気味の回だったので、楽しむとかいうのはちょっと違うかも知れませんが(笑) 砂漠の旅はもう少しだけ続きます。
ということで、『最果ての景色』語り第2弾です!
今回は、キャラクター編その1ということで、カイルとルキウスの紹介をさせていただきます!
カイル=エヴァーリヴ
エデンで生まれた人間の少年。少女と間違われることもある可憐な容姿を持つ14歳の少年。幼い頃に両親を亡くし、それからは10歳上の姉と一緒に暮らしていましたが、病院で医師と研究棟職員(当時は知らなかった)との会話を聞いて感じた「エデンの秩序は本当に人間と魔族を平等に扱っているのか?」という疑問を口に出してしまったせいで、中央収容所に入れられてしまいます。
中央収容所に入れられてからは、持ち前の正義感が災いして人間からも魔族からも遠ざけられ、結果として看守長ロドリーゴに目をつけられて欲望の捌け口にされる毎日を送っていました。その日々の中ですっかり気力を削がれてしまいましたが、本来は優しく、正義感にあふれる性格。普段は気弱で頼りない性格ですが、大事な人を守りたいという気持ちはあり、ルキウスとの出会いで更に強まったのでした。
ルキウス
カイルが中央収容所の中で出会った魔族の少年。年齢は13歳。物心ついたときには既に中央収容所地下の研究棟で能力核の調整を施されており、研究棟の外については何も知りません。いつ死ぬとも知れない日々を送る中で「外」への憧れを募らせていた彼は収容所を抜け出したあと、未知の世界に戸惑いながらも好奇心旺盛に色々なことを吸収していこうとしています。
勝気な言動で、カイルに宥められたりすることもありますが、実際は「未知の世界」にも調整され続けた自分の体に対しても恐怖を抱いており、孤独感に苛まれています。その中で、カイルと過ごす時間は少しずつ彼にとって温かなものに変わっていく……かも知れませんね。
能力は「光速を超える速度での移動による空間の切断・結合」。能力核は目。彼の目は、ニュイに狙われています。
さて、これからどうなっていくのでしょうか!?
次回以降をお楽しみに! ……早めに更新しますので。
ではではっ!