楽園の蛇
こんばんは、明日からしばらく週6勤務となる遊月奈喩多です! 休みが、終わる……。
それはともかくとして、最果ての景色5話「楽園の蛇」投稿です!
エーデ卿を刺殺した青年、ガルゲン。しかし、彼もまた突如、何者かに銃弾で撃たれてしまいます。崩れた壁の向こう、遺跡の外から現れたのは……!? そして「エデンの蛇プロジェクト」の正体とは!?
では、本編スタートです!
突如崩れた壁から放たれた銃弾は、唖然とした顔でそちらを振り返ったガルゲンの心臓を当然のごとく貫いた。訳が分からない、と言いたげな顔のまま崩れ落ちる青年に駆け寄り、泣き叫びながら名前を呼ぶファーネの声で、カイルの意識はようやく現実に戻った。
カイルが周りを見ると、崩れた壁からは見下ろすものを全て焼き尽くすかのように眩しい日差しと砂を巻き上げる風が入り込み、遺跡の中の埃も天井に舞っていく。外界の光に照らされながらガルゲンは倒れており、ファーネは緋色の瞳を外に向けている。そして、自分の前に立っているルキウスは、ファーネと同じ先に視線を向けて固まっている。
恐らく、その視線の先にはガルゲンを撃った者がいる。
しかし誰が、何のために?
そしてルキウスの剣呑な雰囲気はいったい……? 唐突に起こった事態に、カイルは全く対応できずにいた。
「ルキウス、どうしたの……?」
「今はまだ下がってろ」
とりあえず、外にいるあいつらは俺が片付ける。
吐き捨てるように言われたその言葉に、カイルは焦りを感じた。エデンを抜け出した日に、商業区で倒れた姿を思い出したからだ。それは、カイルを連れて逃げる為に何度も連続して能力を使ったとき。
そして、今もまた。
自分を背にして、ルキウスはまた能力を使おうとしている。ガルゲンと対峙したときに使ったというのに。
ほんの一瞬、ルキウスの後ろ姿に安心してしまった自分をカイルは恥じた。
エデンから自分たちを追って来た黒衣の少年に追い詰められた後、病室で見せた怯えた姿を思い出す。
『戻りたく、ない……!』
そうだ。
ルキウスだって、エデンの恐怖に怯える、1人の少年なんだ。
だったら、今度は僕が。
「今は逃げよう、ルキウス」
カイルは、ルキウスの耳元で小さく呟く。ルキウスはその言葉に、目を瞠る。
「何言ってんだよ、カイル! 俺が何とかするって……、」
「駄目だ。きっと外にいるのはエデンからの追っ手だよ。それに、君は今、能力を使い続けてちゃいけない。さっき、ガルゲンさんのときに使ったんだから」
それは、ルキウス自身わかっていたのだろう。カイルの言葉を聞いたルキウスの表情が少し悔しげに歪む。「それでも、お前くらいは……」と小さく呟く口を遮るように、カイルは首を振る。そして同時に、作戦を練る。
どうにかして、自分たちだけでない状況を作る。
まずいのは、追っ手だと思われる存在と、自分たちだけで相対しているこの状況だ。たとえば、助けを呼ぶことができれば。たとえば、外に感じる複数の気配を少しでも散らせることができたら。その為に、自分が持っているものを使って、この部屋にあるものを使って、何ができる……?
崩れた壁から注ぎ込む日光。
数歩先の所で息も絶え絶えに倒れているガルゲン。
ガルゲンに縋り付いて泣き叫ぶファーネ。
目の前に立って何も言えずにいるルキウス。
嘲笑の混じった外からの低いざわめき。
日光を浴びて輝きながら舞う砂埃。
辛うじて数歩先までは利いている視界。
色々な状況を自分なりに考えて、ある作戦を思いついた。
……しかし、果たして自分にできるのか? とぐろを巻くように不安がカイルの心を締め付ける。ルキウスの言うように、彼が守ってくれる方が確実なのではないか? この状況では、より確実な方を採るのがおそらく最善だ。
汚い自己弁護だ……そう思っても、カイルはその「汚い」考えを心の中から打ち消すことができない。
ルキウスは自分を守ると言ってくれているのだから、自分くらいなら逃がせると言ってくれているのだから、ならばその間にとにかく急いでエスタを呼びに行けば、彼が何とかしてくれるかも知れない。危ない橋を渡らなくてもいい方法はいくらでもあるのだから……!
ガラッ
崩れた壁の石を踏みつける足音が、カイルを動かした。
「ルキウス、ごめん」
「……!?」
戸惑いの表情を見せるルキウスにそう言って、カイルは走り出した。
ルキウスよりも前へ。
そして、ガルゲンのもとへ駆け寄り、周囲に散らばっている「それ」を拾い上げた後、3人を庇うようにその場で立ち止まった。そして、思ったより近くに来ていた壁外の気配に向けて、思い切り息を吸い込んで大声を張り上げる!
「僕たちに近付くな……!」
遺跡の中に1歩入ったところで止まる気配。後ろでルキウスが何かを叫んでいるのがわかったが、能力を使って自分を助けようとしたりしないように、手で制して、言葉を続ける。
「僕は今、お前たちを簡単に殺すことができる! 僕の力なら、それができるんだ! わかったら、黙って外に出て行け!!」
砂煙の向こうで、複数の気配がどよめく。
――どういうことだ? 標的の1人は人間じゃなかったのか?
――まさか、標的を殺したのか?
――そんなはずはない! 標的とは違う反応を示していた!
――どうせはったりだ! 気にすることはない!
言い争う気配。声から察するに、3人くらいだろうか。カイルは、自分の作戦が失敗したのではないかという不安に汗を流す。
――でも、もし『あれ』を使ってたら? だったら人間でも……
一言、そんな声が聞こえた途端に黙り込む気配たち。
カイルは、その反応にようやく自分の作戦が効果を上げたことを確信することができた。これで気配たちはしばらく躊躇してこちらに近づいてこない!
そして、エスタから預かった携帯端末。
叫び声を上げる前に、カイルはこれを通話できる状態にしていた。恐らく壁が崩れた音には気づいているはずだから、エスタもすぐに来てくれるだろう。そうすれば何かしらの活路を見いだせるはずだ! カイルの心に明るい光が差した。
しかし。
「俺のところに来たときから、そういうところは変わってないようだな。え? カイル」
どよめく気配たちの後ろからゆっくりと入って来てカイルを嘲笑ったその声は、カイルが姉を失った日以来、カイルが最もよく聞いていた声だった。
エデン、中央収容所地下3階。
上層階にあたる収容所部分よりも広大な面積を誇る研究棟の1室で、2人は向かい合っていた。
「テラニグラではなく、トルッペン砂漠か! なるほど、見事なまでに予想通りの行動ですね」
そのうちの1人、デゼールロジエでカイルたちと対峙した黒衣の少年は、さも愉快そうに笑う。それに対して、椅子に腰かけて彼と向かい合う女――ニュイ=サンブルは不機嫌な表情を崩さない。
「笑い事じゃないでしょ、ノックス。早く確保しなければ、どこで何があるかわからない」
気を揉んでいる様子のニュイを見て、ノックスと呼ばれた少年はまた笑う。
「ノックス」
「いや、失礼。貴女のそんな様子を見るのが珍しかったので」
ノックスは振り返る。背後のモニターには、全室の様子が映し出されている。実験場では現在も多数の魔族が能力核を取り除かれ、その結果死に至った者は処分される。その繰り返しが、延々と続く。その光景をつまらなげに一瞥してから、再びニュイに向き直る。
「プロジェクトの完成は、まだまだ遠そうですね、ニュイ=サンブル主席研究員」
その言葉に微かに嘲りの気配を感じたニュイは椅子を回してノックスに背を向け、「そうね」と、関心なさそうに呟いた。
「黒崎戀が始めた、魔族と人間を同化させる研究は、まだ終わっていない」
「正確には、魔族の能力核を人間の体に移植しても問題のないレベルに調整し、移植を受けた一部の人間たちによる支配体制を築くための遠大な計画……でしたね。まったく、実につまらない企てですよね」
エデンの蛇プロジェクト。
まだ人間と魔族の抗争が激しかった時代、人間の科学者であった黒崎戀が「争いを生んでいるのは相互の不理解である」と説いて、試験的に人間と魔族を共栄させる都市を作ったことから始まった、いわゆる「共存計画」の真実の名前。
それは、エデンの中でも最高機密とされ、知っているのは研究棟の職員を含めた、中央収容所でも一部の人員だけである。
そしてニュイ=サンブルは、その遠大な研究の、言うならば正当な後継者であった。
100年以上前の、「前史」最後の大戦の最中。
人間側の研究者であった黒崎戀は、魔族の弱点を探るという目的で捕虜となった魔族の体を徹底的に調査するという役目を負っていた。
身体能力――膂力、瞬発力、視力、聴力など――は個体差こそあれ、総じて人間以上。
痛みに対する耐性は人間並み。強い痛みを与えれば涙を流し、また痛みが続くと感覚が麻痺していくところも人間並みと言えた。
切り傷からの治癒は、薄皮を切る程度ならば数分と待たずに回復し、肉まで届く傷なら1時間程度。
四肢の切断後の経過観察の結果、傷口からの出血によって死亡する者、傷口のみ治癒する者、はたまた自身の能力によって切断した四肢を生やす・引き寄せるなどの手段で回復する者など、その反応は様々であった。
食事を与えれば消化活動が行われ、排泄行為も行われる点は人間と同じ。与えなければ栄養失調で体に不調が見られ、能力も徐々に弱まり、最終的に死に至った。
また、薬物による心身への汚染も可能。この耐性も人間と同程度であった。
生殖機能も人間とほぼ同様であり、受精から出産までの期間も約280日と、人間とほぼ同じ結果が得られた。また、人間との混血も可能であることが、一部の研究者たちの「勇気ある実験」で明らかになっている。もっともその「実験」の結果、当時の情勢を背景に多くの幼い命が消えることになったが、このこともプロジェクト参加者しか知りえない事実であった。
病原体を体内に注入した場合、抗体が作られる速度は人間よりも速かったが、病状はやはり人間と大差ないという結果が残っている。
そういった結果が次々に導かれるにつれて、黒崎戀はある仮説に辿り着いた。
魔族の体は、人間と変わらない構造をしているのではないか。
「能力」という、人間にはない要素が魔族を強大な存在に見せていたが、体の構造が人間と同じだというのならば、単に弱点を探す以上の研究も可能なのではないか。
そして彼女の仮説は、いとも簡単に立証されることになる。
死亡した魔族の体を解剖し、精査した結果、機能に多少の差が見られたものの、魔族の体を構成している臓器や神経、細胞の構造が人間とほぼ一致することが明らかになったのである。そしてその解剖が明らかにしたのは人間と魔族の身体構造が似通っていることだけではない。魔族の使う能力が、特異的に発達した神経細胞の認められる部位――後に「能力核」と呼ばれることになる――によるものであることも、この中で明らかになったのである。
黒崎戀は魔族の弱点を探るといった研究ではなく、新しい研究に心血を注ぐことになる。そしてそれには、より多くの検体が必要となった。人間側の軍が運良く生きたまま捕まえることのできた捕虜だけでは到底、数量だけでなく頻度も不足していた。
その圧倒的な不足を解決する方法を思いついたのは、魔族が形成している都市の様子を聞き出した時だった。
魔族は元々、自らが持つ能力によって暮らしていることもあって、新しい物の発明を必要としていないことが多かった。無論彼らはそれでも何ら不自由なく暮らしていたが、戀はそこに新しい刺激を与える「実験」を提案した。
そもそも人間と魔族の間において、当時争う理由は希薄なものだった。数百年前に始まった戦いが惰性で続いている……そしてその中で双方疲弊している状態についても理解していたからこそ、その「実験」が成功することも彼女にはわかっていたのだ。
捕虜として潜入させた科学者に命じて、物珍しさに遠目に見ようとしてくる魔族民衆の前で、人間の作り出した技術のデモンストレーションを行わせる。この計画は危険が伴うとして反対意見も出たが、反対意見を唱えた少数の者たちは不慮の死を遂げたと記録されている。
結果としてこの「実験」は黒崎戀の期待した通りの結果に終わった。
これまで能力に頼ってきた日常生活を、自らの力を使うことなく営むことができる。
不便とまでは言わないまでも、能力を使った分肉体にかかる負担に悩む者がいないわけではなかったらしく、科学者がもたらした「刺激」は見事なまでに目撃した魔族の心を揺さぶり、最終的に楽園都市エデンの建設の後押しを取り付けるにまで至った。人間側にも魔族との宥和を考える個人は多かったこともまた、技術力に依存させることで魔族を科学者たちの支配下に置くという真の目的を隠す上で好都合であった。
そして築かれたエデンの中心に秩序維持機関を据え、その地下に設けられた研究棟を本体とする「理想郷」が生まれたのである。
「エデンの誕生からも連綿と続いている、貴女の曾祖母が打ち立てた計画。元々必要なものではなかったにも関わらず便利そうなものを与えることによって牙を抜いた故事から名付けられた『エデンの蛇プロジェクト』ですか。実に下らない」
ノックスは滑稽な見世物を嗤うように笑みを浮かべる。
「それでも、貴女はあのプロジェクトを完成させなくてはならない」
「えぇ。そんなことは、わかってる」
答えるニュイの声に迷いはない。
その姿を見届けた後、ノックスはニュイの私室を後にする。
「今度こそルキウスを連れて来なさい。エデンの蛇にはあの能力が絶対に必要なのだから」
「えぇ、仰せのままに」
仰々しく――嘲るかのような大仰さで――頭を下げて、黒衣の少年は再び、ルキウスの捕縛に向かった。その口元には、全てを嘲笑うような笑みを湛えている。
無人の廊下に、乾いた足音が響く。
周囲からは無機質な機械音と、防音ガラスをも通り抜けて、実験体にされた魔族や人間の悲鳴や泣き声が聞こえてくる。怨嗟の声を上げたい者もいるだろうが、能力核を取り除かれたあとなのだろう、もはや声の体を成していない、ただの音しか出せない者も多いようだった。
その声を聴く彼の頬は釣り上がり、口元からは抑えきれない笑い声が漏れる。
「ここまで何の歪みもない。全てが予定通りだ」
ノックスは、嗤う。
どこまで行っても籠の中であることに気付くことなく逃げようともがく鳥を、そして鳥を籠の外から見ているつもりになっている人形を。
彼は、独り嗤う。
……さぁ、迎えようじゃないか。エデンの蛇を。
トルッペン砂漠の遺跡。
ルキウスを背にして、砂煙の向こう側にいる複数の気配と対峙した格好のまま、カイルは動けずにいる。
「それにしても、ここはなかなか面白い場所だな。ついさっきまで何をしても入ることができなかったのに、いきなりこの壁に触れるようになった。どういう仕組みなのかは、まぁお前に会えた今となってはどうでもいいがな」
崩れた壁の向こうから、カイルのよく知る男が歩み寄ってくる。口元に下卑た笑いを浮かべ、脂ぎった肢体を、その見かけによらず軽やかに動かしながら、カイルに近づいてくる。
そして、目を見開いたまま動くこともできないカイルの数歩前で立ち止まる。
数歩前……と言っても、その男――ロドリーゴならば瞬きをする間もなく詰めることができるだろう。ルキウスの能力よりも速く、ロドリーゴはカイルに迫ることが可能な距離である。その距離に立ち、ロドリーゴはカイルに笑みを向ける。
「久しぶりだな、カイル。……といっても、まだ1週間と経ってないか。お前がここまで俺たちをてこずらせるなんて、捕まえたときと魔族囚人を庇ったときくらいのもんじゃないか?」
笑いながら、ロドリーゴは1歩、距離を詰める。
周囲の気配たちが慌ててその歩みを止めようとするも、「心配するな。こいつは昔からこういうやつだから」と嘲笑混じりの声で黙らせる。
カイルの脳裏に、数日前まで続いていたエデンでの陰鬱な日々がまざまざと蘇る。
いや、収容所の中だけではない。
姉を捜しに外へ出たカイルを物陰に引きずり込み、有無を言わさずに車に押し込んだ丸太のような腕。
その後、自分を庇った姉の無残な結末を笑い話のように告げた声。
魔族囚人を物か何かのように扱ってみせることで、人間に対する敵愾心を、またそれによって人間側の魔族に対する恐怖と拒絶感情を生み出して楽しむ下劣さ。
脱走を試みた者を容赦なく、徹底的に追い詰めてみせることで周囲の意思を奪っていく恐ろしさ。
そして、逆らえないほどの絶対性を振りかざしながらカイルの中に侵入してきた痛み。熱。穢れ。
『気に入った。お前のことは一生かわいがってやるぞ、カイル』
満足げな、まるで完全にカイルを所有してしまったかのような、囁き。
「……っ!」
閉じ込めようとしていた記憶がこじ開けられ、体が震える。
意識を恐怖に支配され、何も考えられなくなっていく。
「怖いか?」
ロドリーゴの囁き。それは、カイルを私室に呼びつけたときにいつも使われる声色だった。薄暗い遺跡。薄暗い照明ばかり目に入ったロドリーゴの私室。所々痛む体。痛みと振動に耐えるだけだった、穢らわしい時間。
今、自分のいる所がわからなくなる。
ゆっくりと近づいてくるロドリーゴを見ているのに、何も行動できない。体が動かない。蛇に睨まれた蛙のように、自分の全てが硬直していくのがカイルにはわかった。
巻きついて来る、醜悪な蛇。
とぐろを巻く記憶と、恐怖。
そして、自分に歩み寄る男。
ロドリーゴの言葉で幾分か安堵したのだろう、砂煙が晴れて姿を現した周囲の気配――中央収容所の職員であろう者たちも一様に、カイルに嘲笑う視線を向ける。そしてその代わり、倒れ伏すガルゲンと彼に縋り付くファーネに向けられる。
「…………!」
ルキウスが、怒りのあまり声を失う。
しかし、いくら魔族と人間の身体能力差を考慮しても――ましてや能力核の移植を目的に幼少の頃から調整され続けてきたルキウスでは尚更――小銃を構える者たちを行動不能にするよりも、彼らが銃の引き金を引く方が速いだろう。
それこそ、光速を超える速度での移動を可能にする「能力」を使わなければ。
しかし、能力を使ってしまえば、ルキウスの体がその負荷に耐えられる保証はない。
状況全てを理解しているのだろう、ロドリーゴはまた嗤う。
「どうする、カイル? もちろんお前も知ってるだろうが、一応の目的はあの魔族のガキの捕縛だ……が、正直俺にとってはあんなやつどうでもよくてなぁ。それに後ろのやつらだって気が立っている。あいつが動きでもしたら、事故の1つや2つ、起こってもおかしくないぞ?」
声が、近くなる。
「どうする? お前の態度次第で、その辺も変わってくるかも知れないぞ? お前だってあのガキには無傷でいてほしいんだろうよ、わざわざ前に出て庇ったりするくらいなんだからな」
ロドリーゴの熱く、湿った手が肩に置かれる。
「お前はいつもそうだよな。そんな場合でもないのに……いや、そんなことをしていられる立場じゃないのに誰かを庇い立てして、結果としてより相手を傷つける。そして、自分も」
「――――――っ!!」
カイルの脳裏には、看守に明らかに過剰な暴行を受けていた老魔族を庇ったときの反応が蘇っていた。
『こんなちっぽけな人間の小僧に、どうして庇われなくてはいけないんだ! この汚らしい小僧が、私に屈辱を与えるなど……!』
看守に歯向かったとして危険視されるようになっただけなら、カイルはまだ耐えられたかもしれない。
そのときカイルの心を折ったのは、助けたはずの老魔族からも憎悪の視線を向けられたことだった。
老魔族は、自身の傷だらけの手足でカイルを殴りつけるだけでは足りなかったようで――といってもその時点でカイルの膝は通常ならばありえない方向に曲がってしまっていたが――、手近な所にあった角材を使ってカイルを更に殴り続けた。カイルを殴った者と同じ魔族囚人は、看守による執拗な暴力によって人間への敵愾心を育てられていたし、人間の囚人も自分に累が及ばないように静観するか、もしくはその老魔族と一緒になってカイルを痛めつけることで日頃の鬱憤を晴らすかのどちらかだった。
その時に、思い知ったのだ。
「お前みたいに、力が伴わないやつが誰かを守るなんてな、考えるだけ無駄なんだよ。いい加減わかれ」
髪を掴まれ、そのまま床に顔から叩きつけられる。
ロドリーゴの声が、頭上から聞こえた。
「それを認めようとせずに外へなんか出ようとするから、そうやって傷を負うんだ。そうやって誰かを庇おうなんて、無駄なことを考えるんだ。そうやって、今にも泣きそうになりながら、自分が果たして必要なのか、そんな恐怖を感じて、それを振り払おうなんてことを考えてしまうんだ。そんなところだろ? なぁ、カイル?」
「ち、ち……が、う…………」
その返答は、ほぼ反射的なものだった。
むしろカイルの中には、その疑問が今まさに渦巻き始めていた。
それを見透かしているのだろう、「ほぉ?」と嘲笑うような声とともに、ロドリーゴがカイルの腕を掴んで体を起こす。
……僕がルキウスを守るなんて、できない?
……僕には「力」がないから?
……これから先も、ただ守られるだけ。
……ただの、足手まとい。
……いずれ、彼を危険に晒してしまう?
……それなら、
「それなら、そんな風になるなら、俺の所に戻った方がいいとは思わないのか? お前だけじゃない、このガキどもにとっても。お前が黙って俺の玩具に戻るってんだったら、他のやつらには何もしないぞ?」
「………………」
それは、明らかに蛇の誘惑だった。
聞き入れれば、確実に破滅が待っている。
それでも。
「おい、カイル?」
ここで倒れる2人を。自分たちを助けて、ここまで自由な時間を与えてくれたエスタを。
そしてあの日、自分を看守の魔手から救い出して……それどころか絶対に出られないと諦めていた地獄から連れ出して、世界の広さを、そして自分では持てるはずもないと思っていた強さを、自分よりも小さなその姿で教えてくれたルキウスを。
彼らを守ることができるなら……。
「カイル!」
ルキウスが、自分を呼ぶ声が聞こえる。
その声を聞いて、改めて意思が固まった。
外の世界を知らずに、それこそ戻れば死ぬしかないような扱いを受けてきたこの少年には、もっと自由に、もっと明るく、そしてもっと長く、生きていて欲しい。
守れるような力のない自分に、そんな彼を守る方法があるとするなら。
カイルは、ロドリーゴの方に向き直る。
「本当に、ルキウスたちに手を出さないでくれるんですか?」
ロドリーゴは、音が出るような醜い笑みを浮かべて応じる。
「あぁ、約束しよう」
引き上げろ――――戸惑いを見せる部下たちに有無を言わさず、といった様子で命令する。
そして、銃口は相変わらず3人に向けたままで引き上げようとする気配たちの中に、1人。
「何を言っているのだ、スミス看守長! 我々の目的は、あの被験体の回収であろうが!! そんな人間の子どもなど放って、」
「お前が黙っていれば、問題のないようにしておいてやるよ」
パンッ!
ただの人間であった白衣の男には、ロドリーゴの動きは最期まで見えなかっただろう。
脳髄を撒き散らして物言わぬ屍に変わり果てた白衣の男を顧みることなく、ロドリーゴは遺跡の外へ向かう。カイルの体を抱えるように、背中を押しながら。
その姿を見て。
出会ったときのように泣き出しそうな顔のカイルを見て。
「カイル!!」
今度こそ、ルキウスは躊躇しなかった。
光速での移動状態を自分の中に再現する。たちまち光速を超えた彼の体は、銃を構える捕縛部隊よりも先、ロドリーゴとカイルの前に飛ぶ。
ロドリーゴは、突如目前に現れたルキウスに一瞬怯む。しかし、すぐににやりと笑う。
「お前はついでのつもりだったんだがな、ルキウス。俺の前に現れるなら、一応はあの女の命令だ、お前も連れて帰ってやるよ」
その笑みは、ルキウスの琴線に触れた。
こんなやつに、カイルを渡すわけにはいかない! ルキウスはロドリーゴを睨みつける。
「んなことさせっかよ、こいつだって返してもらう! カイルは俺たちと、―――――っ!?」
急に、目の前に立つ2人が歪む。
明滅する視界。体の力が抜けるのが、ルキウス自身にもわかった。
「ルキウス!」
悲痛に叫ぶ、カイルの声がやけに遠く感じる。
行かないと。早く動かないと、カイルが連れて行かれる。……そう思っても、体が動かない。指一本すら、動かすことができない。その代わり、上から嘲笑が聞こえる。
「心配すんな。少なくともエデンに着くまでは一緒にいられるんだからな」
視界に影が濃くなる。何かが自分に向かって伸ばされている? 手? それすらも、もはやよくわからないくらいにルキウスの意識は混濁していた。
「逃げて、ルキウス!」
不意に、やはり上から、はっきりとカイルの声が聞こえた。
突然、ルキウスとロドリーゴの間を分かつように砂の壁がそそり立つ!
「っ!?」
その驚愕が自分のものかロドリーゴのものか、ルキウスにはもうわからなかった。
『こいつ、まさか本当に能力を!?』
『早くっ! 1回消えたらしばらく使えなくなるからっ、だからっ、早く逃げてっっ!!!』
カイルの叫び声。
『ちっ、余計な真似を!』
壁の向こうから、言い争う声が聞こえる。
「カイル。かい、る……」
自由に動かない体に喝を入れ、這って進もうとするルキウス。しかし、それを後ろから止める者がいた。
「よせ、ルキウス」
「離せよ、おっさん……!」
「よせ」
「このまま、じゃ……、カイルが…………!」
しかし、エスタは有無を言わせずにルキウスを砂の壁から引き離す。倒れたまま動かないガルゲンと、呆然としているファーネをそのままに、崩れた壁の穴が見えなくなる場所まで、ルキウスを引きずるのをやめない。
「はな、せ……」
「すまない」
その返答とほぼ同時に、遺跡の近くから何かが飛び立つ音が聞こえた。
「カイル……」
その音を聞きながら、ルキウスの意識は闇に沈んだ。
こんばんは、前書きでネガティブオーラ全開になってしまった遊月奈喩多です! すみませぬ。
第5話、「楽園の蛇」。お楽しみいただけたでしょうか?
前々から予告していたように、少し用語説明などをはじめてみようと思います。
ということで、第1弾として、概要的な部分について。
【前史】
本編中よりも100年以上前の時代。この頃はまだ、人間と魔族の抗争が続いていた。人間側における教会の権威が最大となった時代から始まった抗争は、当時に生きていた者たちにとって「連綿と続いていたから続けているものの。実際どうして続けているのかはよくわからないもの」であり、両種族にとって苦しみでしかなかった。
【後史】
エデンの誕生をきっかけとして、世界中で続けられていた人間と魔族の抗争が終わったときに、両種族の代表が打ち立てた新しい時代。本編中での現代。始まって既に100年以上の歴史があるため本編では「後史時代」と呼ばれるが、正式には「共歴」。本編中の現在は「共歴135年」に当たります。
【人間】
世界中に広く生息している種族。個々の力は決して強くないものの、その技術力によって生み出されたものは他のものに大きな影響を与えうるものであり、ある意味ではかなり強力な種族とも言われている……どんな物が作られてきたかということは、きっと既に皆様体感済みだと思います(笑)
【魔族】
人間同様、世界中に広く生息している種族。肉体構造は人間と大差なく、違いは1人につき1つ持っていいる能力と、体のどこかに存在するリンゴ型の痣。能力・寿命にはそれぞれの個体差があり、決して一様とは言えない。しかし、能力の源となる体の部位「能力核」(これも個人によって場所は様々)は傷つけられると致命的な弱点となる。もし仮に見かけることがあったら、気をつけてあげましょう。
【楽園都市エデン】
人間と魔族の抗争が続いた前史時代、人間の科学者であった黒崎戀が「抗争の原因は互いへの理解不足である」と説いて提唱した「人間の技術力と魔族の持つ能力を合わせた共存」というコンセプトを実現させるべく、既に人間によって制圧されていた魔族都市を改装して作られた実験的な都市。ここで行われた「共存生活実験」がうまくいったことによって、世界中にこの波が広がり、やがて世界中で行われていた抗争がほぼ根絶されたことから、「この世の楽園」と呼ばれるに至った都市。
中央にある建物「テラ」が都市における意思決定・秩序維持(都市にとっての危険なものを排除する)といった機能を果たしており、この建物の存在・そして後史教育があるために、エデンは「世界で1番安全な理想郷」と謳われることが多い。
と、非常にいい加減ながら、概要的な設定を書きました。
次回は、どのあたりの設定を書けばいいでしょうか……(考えておきますね!)
それでは、次回もお楽しみに!
ではではっ!