第9話 甘い香り
翌日。
昨日は丸一日中寝たはずなのに、熱はおさまらなかった。
むしろ、悪化したみたい。
両親は心配して真里に来てくれた。
「大丈夫か?真里」
「…お母さん、仕事休もうか?」
私は風邪をひいても大抵1日寝てれば治る。
しかし、今回は非常に質の悪い風邪をひいてしまったようだ。
頭がぼぉーっとするし、体はだるいし、手足が冷たい。
「大丈夫、茜もいるし」
部屋の隅で立っている茜はこくりとうなづく。
…それに、今日はちょびっと用事がある。
正直行きたくないし体調的に行けるかも分からないけど、茜のことはなるべく早くなんとかしてあげたい。
心配顔の両親を説得して、早く仕事に行ってもらう。
「お母さんたちの作る薬を楽しみに待ってる人がいっぱいいるんだから、行ってあげて」
「…じゃあいくわあね」
「…茜くん、真里のこと、よろしくな」
両親は仕事に行った。
さて、じゃあこっちも準備するかね。
「真里、ほんとに平気?」
「うーん、ちょっとしんどいけど、行ける」
ベットから起き上がる。
実はもう着替えもばっちりなんだよね。
ちょっと想定外なのは体調だ。
うーんこんなにキツいのは初めてかも。
「じゃ、いこっか茜」
実家までは電車で30分だ。
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「はは…なんか、ほんとに具合悪いのに仮病してるみたい」
「…そうだな」
平日の午前中だからだろうか、電車の中にはほとんど人がいなかった。
私と茜は並んで座った。
私の体調はどんどん悪化していた。たまに視界がぶれる。
「真里の実家って、どんなとこ?」
珍しく茜はしゃべった。多分気を紛らわそうとしてくれているのだろう。
「んー…結構おっきな家と、森があって…それは本家の人が管理してるんだけど…まあ田舎じゃ珍しくないよ」
「…本家?」
「そ。…なんか昔はもっとすごい大地主らしかったんだって」
まあ大叔父ちゃんがそう言ってるだけだから、本当かどうかは分からないけどね。
そう言って少し笑ってみせると、茜も少し笑った。
初めて見た茜の笑顔に思わず顔が赤くなる。
「茜ーー肩かして」
返事を待たずに私は茜の肩に頭をのっけた。
茜の顔を見るのが恥ずかしいのもあるけど、体調っていうのが主な理由だ。
「ちょっと、寝るね。着いたら起こして」
「…わかった」
夢を見る気がした。
けれど、今はそれでもよかった。
なんとなく、見なければならなかったような気がしたのだ。
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毒を飲んだ真里は、体が燃えていると思った。
全身が痛かったし、心臓がありえないスピード動いてるのがわかる。
けれど真里は立ち上がった。
行かなければならないところがあるから。
真里は歩いた。
もう走れはしなかった。
足は鉛のように重く、視力もかすれてきた。
なんども転んだ。その度に意識が遠のいた。
だが真里は進んだ。悲しみから逃げたかったのだ。
真里がたどり着いたのは、古びた社だった。
御堂の中に入り、”ソイツ”と対峙した。
真里は笑顔がこぼれた。”ソイツ”言った。
”ーーーやはり来たか、茜”
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誰かに肩を揺らされていた。
気づくと、茜が心配そうにこちらを見ていた。
「真里、真里、起きて」
「あ、…ああ茜」
「真里、泣いてる」
「え?」
自分の頬を触ってみる。
そこには確かに涙が伝っていた。
私は、この夢の正体に薄々気付き始めていた。
これはあの人が私にあてたメッセージなのだろう。
しばらく呆然としていると、茜に手をとられた。
手をぎゅっと握られ、手の甲にキスされる。
茜の滑らかで違和感のない挙動に、真里は反応できなかった。
「泣かないで真里」
茜は真里の手を自分のおでこにつけ、懇願するように真里を見つめた。
真里そこでようやく夢心地から目覚めた。
「ーーーどこでそんなこと覚えてきたの?」
「真里の、本棚にあった」
「まったく、もう」
どうして体調の悪い時にそーいうことをやるのかな。
私の熱の原因は茜じゃないだろうな、と思ったりしたが、茜のことだから、きっと私が喜ぶと思ってやっているのだろう。
そう考えると、急に茜が愛おしく思えた。
相変わらず表情は無表情だけど。
「あ、着いたみたいだね」
車内アナウンスが目的地の名をつげた。
私は立ち上がって茜に手を差し出した。
やられっぱなしは性に合わない。
「行こう、茜」
茜は真里の手をとり、二人は電車から降りた。
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実家は電車を降りてすぐのところにある。
二人は門の前に着いた。
門は建物全体を囲っており、荘厳で排他的な雰囲気を醸し出している。
「…?真里、入らないのか?」
「うん、用があるのは森だからね」
それに、家の人に会う気はさらさらなかった。
そのため真里は裏をまわって森に行こうと提案した。
茜はそんな真里から何か感じたのか、それを受け入れた。
森を歩く二人。
ざくざくざく、二人の足跡だけが森に響いていた。
森を進むにつれ、真里の足取りが重くなっていることに茜は気づいていたが、そのことに触れなかった。
真里も、そのことは分かっていたが、あえて何も言おうとしなかった。
足が重い。
いつの間にか、茜は真里を支えるようにして歩いていた。
「真里、大丈夫?」
「全然、平気」
目がかすんできた。
茜は真里が障害物に当たらないよう誘導するように歩いた。
「真里、危ない」
「おっと。うっかり、してた」
鬱蒼とした森の先、二人は社に着いた。
社は非常に古い物だったが、手入れが行き届いていた。
「…真里、ここ?」
「うん、開けてくれる?」
真里の目はほとんど見えていなかった。
茜も苦しそうだった。
もうすぐ、それも終わる。