Another Place, Equal Nebula.
「ふーん……つまり、その四人をひっ捕まえさえすればいい。そういうことね?」
ホテル最上階フロアにあるスイートルームの一室。矢鱈と幅が広く、見るからに格調高い誂えのソファに背中を預ける香華の言葉に、戒斗は「ああ、現状手掛かりになり得るのは、奴ら以外に存在しない」と言って、縦に頷き肯定する。
「あ、それじゃあその人らに関しては、私の方で出来る限り情報を集めてみますね」
「頼んだぜ、キエラちゃん」
奴らが再び姿を眩ました以上、何か別の手段で尻尾を掴む他に方法は無い。そんな状況下の今、キエラの申し出は戒斗にとって、かなり有難い提案だった。何せ、四人に関してこちらが把握していることといえば、精々大雑把なプロフィール程度なもの。そこいらの三流探偵にだって集められるようなレベルの情報だけなのだ。これでは、あまりに手札が少なすぎる。
情報とは戦に於ける最大の武器であり、どんな些細な情報であれ、知っているかいないかだけで敵に対するアドバンテージは大きく変化する。まして今の戒斗が置かれている状況は特に最悪なもので、最低限の情報すら満足に与えられていないのだ。これでは捜せというにも無理がある。
相手の詳しい経歴、性格、犯行直前の行動……。たったこれだけの情報があるだけでも、行動傾向や思考、その他諸々が推測可能になる。この数十時間は受け身の戦いだったが、ここからは違う。此方から攻める番だ。
「後はキエラの結果待ちってとこね。現状、貴方にも私達にも、出来ることはなさそうだわ」
「また無遠慮に、すまんな香華……。毎度毎度、世話をかけてばっかりだ」
「これぐらいのこと、気にすることないわよ戒斗」
「だが、こうも世話になりっぱなしじゃあな……」
大変有難い話ではあったが、こうも自分に協力を惜しまぬ香華に対し、戒斗が少なからず負い目を感じているのも事実だった。幾ら半年と少し前の客船での件があるといっても、借りに利子を付けて返すなんて次元はとうに越している。寧ろ、利子の方が元の貸しより大きくなっているぐらいだ。
彼女としては何の気無しの、単純な善意に基づいた行動なのであろうが、だからといってこちらに引け目が無くなるわけでも無い。特に凶悪犯の濡れ衣を着せられていた際の逃亡支援やその他諸々、あの辺りから戒斗は借り分を如何にして香華に報いるか。それが気がかりで、機会を窺っていたのだ。
そんな戒斗の内心を察してか、香華は「んー……じゃあ」と唇の下に細い人差し指を立てながら言うと、
「そこまで言うんなら、ちょっと手伝って貰おうかしら」
「手伝い……? 構いやしねえが、一応内容だけ聞かせておいて貰えると助かる。勿論、今回ばかりはロハでやるぜ」
「簡単よ。明日の夜にちょっと商談があるんだけどね。その時に私の身辺警護をして貰いたいのよ」
「謹んで請けるぜ――だが、お前さんとこにゃ、俺よかよっぽど優秀な兵隊が居るだろうに」
「ま、そうなんだけどね。ちょっと相手が特殊なのよ」
「特殊だって」
「端的に言えば、取引相手――いえ、交渉相手とでも言いましょうかね。要は武器商人なのよ。相手はK.W.T.S.」
K.W.T.S.の名は聞いたことがある。確か、正式には『クズネツォフ・ワールドワイド・トランスポート・サービス』。世界規模で展開する海運企業のはずだ。表向きこそ海運業ではあるが、水面下で兵器ディーラーを営んでいるという噂も、まことしやかに囁かれてはいたが――まさか、事実だったとは。
そんな相手と、香華達の西園寺グループが関係を持つとは考えにくい。いや、表の海運業ならば話は別なのだが。
だが、考えてみれば確かに西園寺は中規模ながらPMSCs――民間軍事警備企業の方にも手を伸ばしてはいる。その部門の兵器調達の都合だろうか。
「K.M.T.S.に関しては、そう心配しなくてもいいわ。向こうもこっちも、お互い得意先同士だしね。私達も先方も、折角の関係を簡単には崩したくないもの。
でも、今回に限っては一つだけ問題があるわけ。私達の関係を、快く思わない連中も当然、居るわけね」
「……成程。大体読めてきたぜ」
「お察しの通り、武器商人よ。K.M.T.S.とはまた別のね。
相手は英国に本社を置くATトレーダーズ。前にウチと取引してたんだけども、兵器納入でちょっとポカをやらかしてね。以降ウチは彼らとの取引を止めてるんだけど」
「向こうはK.M.T.S.に横取りされたと、そう思ってる訳だな?」
言葉に割って入って戒斗が言うと、「そうね、正にその通りってわけ。逆恨みにも程があるっての。全く勘弁してほしいわ」と香華は溜息交じりに肯定した。戒斗は言葉を続けていく。
「で? その逆恨みATトレーダーズがK.M.T.S.を襲うかも分からない上、巻き添えを喰らうかもしれない。だから俺に身辺警護って訳か」
「相変わらず、理解が早くて助かるわ」
「だが、それこそお前さんとこの抱える兵隊を使えば済む話だろうに」
「あんまり大勢で押しかけても、却って刺激しかねないわ。ATトレーダーズも、そしてK.M.T.S.もね――。
どのみち、会合自体は港で密会みたいにやっちゃうのよ。先方も一応、武器商人の方はあくまで裏の顔って訳だし。
護衛の兵達は連れて来るらしいけど、少数だわ。なのにこっちが大所帯で押しかけるのも、ちょっと変でしょう? それに戒斗も何か気にしてたみたいだし、丁度良い機会だと思ってね」
「……成程。状況は大体分かった。異存は無い。請けるぜ、その依頼」
「ふふっ、そう言ってくれると思ったわ。ところで戒斗も、もう限界って頃合いでしょう。顔色見てれば分かるわ。
その様子じゃホテルまで戻るのなんて無理そうだし、今日はこっちに泊まっていきなさいな。勿論、遥ちゃんも一緒にね」
戒斗達の在る東京から、遠く200km近く離れた戒斗の自宅と事務所を兼ねたマンションの一室。そこでは、穏やかな夕暮れの刻がゆっくりと流れていた。
「あーあ。今頃何してんのかなー、アイツ」
だらしなくソファに寝っ転がりながらテレビを眺める琴音が、ふとした時にそう呟いた。
「さぁな。私らにゃ関係のないことさ」
その対面で、比較的華奢な両手をガンオイルに塗れさせているリサが言葉を返す。彼女のすぐ前、テーブルの上に敷かれたクロスの上には、殆どアンティーク品同然のドイツ製大型自動拳銃のモーゼル・C96が、ピン一本に至るまで完全に分解された状態で置かれている。
「うー、やっぱり私も一緒に行きたかったなぁ」
「そう言うなって。今回ばかりはちぃとヤバめな仕事らしいぜ? カイトのその辺の気持ちも、少しは汲んでやってくれよ」
タンジェント式の照門以外の全てを取り外した銃身パーツへ、ソルベントを染み込ませた布切れを先端に引っ掛けたクリーニング・ロッドを通し丹念に銃身内部を洗浄する片手間に、リサは言う。
「でもぉ」
「でももへったくれもあるかっての。待つってのも、助手の大事な仕事さね」
銃身を洗浄し終わると、まずは遊底にエキストラクターを組み付けてから銃身ユニットに装着。それからボルト・ロックを取り付けて、リコイル・スプリング、ボルト・ストップ、撃針をそれぞれ取り付けてやる。レシーバーの方に引鉄を嵌めつつ、手早く組み立てた撃鉄、シアなどの撃発機構が一纏めになったユニットを銃身へと装着。レシーバーに組み付けてから弾倉機構の板バネやらを突っ込んでやり、最後にグリップ・パネルを装着すれば組み立て完了だ。無論、各工程ごとにパーツへと入念にガンオイルを染み込ませてある。
リサは一度、組み立てたばかりのモーゼル・C96を片手で軽く構えた。フィーリングの良い銃把はまるで箒の柄のようで、C96の持つ数々の愛称の一つであるブルーム・ハンドル――箒の柄という意味だ――の由来にもなっている。
「そういえば、リサさんって随分古いの使ってますよね」
そんなリサの様子を見ながら、ふと思い出したかのように琴音が言う。
「試しに持ってみるか?」
言うと、リサは重いC96を軽々と手の中でスピンさせ、素早く銃口を自身の方へと反転させると、丸みを帯びた銃把の方を琴音へと差し出した。おずおずとそれを受け取る琴音。
「うわ、重っ」
手にした途端、琴音はズシリと重い感触に戸惑う。
当然の反応だ。彼女が使い慣れた、イタリア製の軽量なポリマーフレーム自動拳銃のベレッタ・Px4の重量は約790g。対してリサのモーゼル・C96は約1.4kgと、倍近い重さなのだ。そもそもの基礎設計が一世紀以上の時代差がある上、Px4と異なりC96の材質はオールスチールなのだから、その重みに慣れない琴音がそう感じても仕方ない。
「ははは、重いだろ」
重さに戸惑いながらも、師の拳銃をまじまじと観察する琴音を遠巻きに眺めて、笑みを零しながらリサは語り出す。
「ソイツは爺さんの倉から出てきたモンでな。あんまり手に馴染んじまったもんで、わざわざそんな骨董品を使ってるのさ」
「へ、へぇー……」
サラりと告げられた衝撃の言葉に、琴音は時代の重みを更に感じることになるが、当のリサ本人は欠片も気にしていないようで、そのまま話を続けていく。
「大体、弾自体が結構手に入りづらいんだよなぁ。7.63mmマウザー弾なんぞ、このご時世じゃ簡単に手に入るわけでもないしよ。今でこそレニアスに、向こうだとお父つぁんの店のお陰で比較的楽に手に入っちゃいるが、その前はたかが弾如きでエラい苦労したなぁ」
リサの言う通り7.63mm×25マウザー弾は、今日現在そこまでメジャーな弾種では無い。一応新規の弾薬は生産されているものの、9mmパラベラムや.45ACPのように何処でも手に入るモノでなく、入手には少々特殊なルートが必要になる。旧日本帝国の8mm南部弾のような、アンティーク銃用のコレクター弾のような扱いだ。
それ故に弾自体の単価も少々お高いのだが、リサは主とする戦闘スタイルの都合上そこまで拳銃を重宝するわけでもなく、あくまで緊急用のセカンダリが故に苦労はしていない。流石にメインで用いるとなれば弾代がバカにならない為、その時が訪れれば彼女も使う銃を改めるつもりらしいが。
これ以上リサがモーゼル・C96について語ることは無かったが、彼女のC96の撃発機構には後発のM712シュネル・フォイアーのような、セミ/フルオート射撃の切り替えが可能なセレクティブ・ファイア機構が仕込まれている。改造というよりも、M712のパーツをそのまま流用しているのだ。故に彼女のC96は完全なC96でなく、M712シュネル・フォイアーとのキメラのような歪な仕様になっている。
琴音に愛銃を預けたまま、リサはベランダの窓サッシを開け、外気の入れ替えついでに自分もベランダへと出た。
西方の地平線に沈みゆく太陽が、去り際の紅い光で大空を茜色に染め上げている。吹く風は穏やかになり、少し肌寒くも感じるその風は、季節の移り変わりをそっと告げていた。
そんな夕暮れ時の空を眺めつつ、リサは上着の胸ポケットから紙巻きの煙草を一本取り出して、咥える。お気に入りの銘柄の一つ、メビウス――過去にはマイルド・セブンと呼ばれていた銘柄――だ。
愛用のジッポー・オイルライターで火を灯し、フィルター越しに紫煙を燻らせ、肺一杯に煙を吸い込む。一度摘まんで煙草を離し、吐き出した白煙は暁の空へ溶けていく。
(上手くやれよ、カイト)
多少の差異こそあれど、見上げる空は何処に居ようと、変わらぬ景色を見せる。この光景を遙か東方の地で彼が眺めていることを想い、リサは心の内で独り、誰にも悟られぬ言葉で呟いた。




