ブラッドショット・フェアリーテイル-Phase.2-
飛び込んだその先は、下層へと続く、かなり手狭な階段だった。一応は小奇麗に纏まっているものの、そこは非常階段といってもそう差し支えない程に、無愛想な雰囲気で戒斗を出迎える。
踏み出した自分の靴がフロアを激しく踏み鳴らす音に、遠くで響く誰かの足音が重なる。忙しなく小刻みに聞こえるその足音は、明らかに駆け下りているモノだ。スティーブ・アルマーでほぼ間違いない――奴は、まだそう遠くに行っちゃいない。
握り締めるマニューリン・MR73の銃把へ、自然と力が籠もる。戒斗は何段か飛ばしながら、まるで飛び降りるかのようなハイペースで階段を下っていく。
後の二人が続いてやってくる様子は無かった。あれだけの群衆に揉まれていれば、それも必然か。寧ろ自分一人だけでもアルマーを追い続けられているのは僥倖と言っていい。
先に聞こえる足音だけを頼りに、最下層の地下三階まで一気に駆け下りた。階段フロアから出て、その先に広がる駐車スペースへと向かう。
だたっ広い駐車スペース。戒斗から見て30m程向こうで、全速力で走る男の背中があった。間違いなくあの背中はアルマーだ。
『止まりやがれよぉッ!!』
奴にも通じるであろう英語で叫び、戒斗はMR73の撃鉄を起こしながら構える。
「……なーんて言った所で、素直に待つ奴なんか居やしねえ――なら、これが一番だろッ!」
そして引鉄を続けざまに二度、引き絞る。一発目はシングル・アクションで、二発目は引鉄が勝手に撃鉄を動作させるダブル・アクションにて.357マグナム弾の二発を撃ち放った。
しかし二発はどれも明後日の方向へと飛んでいく。これだけ離れた距離で、しかも素早く動き回る標的。その上照準がロクに調整出来ておらず、全く慣れていない他人の銃というのも災いしたのだろう。一発はコンクリートや配管剥き出しの天井に、もう一発は不運にも射線上に駐車されていたプリウスに命中し、運転席側のサイドガラスを派手に粉砕してしまう。
戒斗は軽く舌打ちをし、アルマーを追って走り出しながら、蓮根型弾倉に残った四発――先程、人垣を掻き分ける為に使った二発は既に補充済みだった――をダブル・アクションで一気に撃ち放つものの、どれも命中することは無かった。
弾の切れたタイミングを見計らってかなのか、それとも偶然か――丁度、戒斗が撃ち尽くしたタイミング。自分が曲がり角に差し掛かったタイミングでアルマーは身体を反転させ、スタームルガー・P90で反撃に出た。
MR75のような回転式拳銃は動作の確実性や堅牢さに優れる分、手数勝負ではオートマチック相手では完全に分が悪い。こちらの手札が六発に対し、向こうのP90――元々は9mm自動拳銃スタームルガー・P85の.45口径モデルだ――の装弾数は八発+一発。薬室に予め装填した状態でフルロード弾倉を突っ込めば、約三発ものアドバンテージが奴の手の中にあることになる。この差は大きい。
その上、拾い物故にスピード・ローダーを持たない今の戒斗は装填速度がオートマチックに比べ圧倒的に劣る。スピード・ローダーを持たない使い手が回転式拳銃の再装填に要するプロセスがシリンダーを降り出して排莢・弾薬を取り出す・手で一発ずつ装填・シリンダー再セットなのに対し、自動拳銃は片手で弾倉を落とす間に、もう一方の手で新たな弾倉を取り出すことが出来る。空弾倉は棄てることになるものの、装填に要する時間は僅か数秒だ。
今のような一対一の追撃戦の場合、そもそもの命中率がお互いに低いが故、どうしても手数勝負になるところが大きい。今のような状況下で、戒斗が圧倒的に不利なのは火を見るよりも明らかだろう。
だが決して回転式拳銃が不利な訳でなく、時と場合によるところが大きい。偶然今回のシチュエーションに於いては、戒斗が不利だったというだけだ。
「畜生……ッ」
弾の無い今の状態では応戦することもままならず、止む無く戒斗は適当な車の陰に飛び込んで身を隠す。持ち主には悪いが、暫くの間このヴィッツには盾になって貰うとしよう。
まるで釘打ち機で殴りかかるかのような激しい金属音が響く中、戒斗はMR73のシリンダー・ラッチを解放し蓮根型弾倉を左方向へと振り出した。エジェクター・ロッドを押し込んで、発砲時の熱で膨張し薬室にへばり付いた金属薬莢六つを引きずり出し、硬いコンクリートの床に落とす。ジャケットのポケットにバラで突っ込んでおいた.357マグナム弾を適当に引っ掴み、リズムよく六つの薬室へと突っ込んでいく。
フルメタル・ジャケット弾を手際良く六発装填すると、景気付けに勢いよくシリンダーを回転させてから、片手でシリンダーを再装填した。
「さて、仕切り直しと――」
独り呟きながら再び身を現すと、当たり前と言うべきかそこにスティーブ・アルマーの姿は無かった。
「……当たり前か。ったく面倒なことになっちまった」
チラリと横を見てみれば、無残な姿に変わり果てたヴィッツの車体があった。.45口径弾が腹に直撃した右側フロントタイヤは完全にバースト同然で、使い物にならなくなっている。フロントと右サイドのガラスは弾け、他にもドアパネルやフェンダー近く、ボンネットに加えて、ルーフにまで弾痕が刻まれていた。最早修復は不可能。オーナー次第としか言いようがないが、ほぼ確実に廃車になるだろう。特にルーフなんて、ほぼ修復不可能な位置だ。
内心で軽く詫びつつ、戒斗はアルマーが逃げたと思われる方向に駆け出す。このだだっ広い駐車場の中、全力で逃げる男を捕まえるのは中々に骨が折れそうだった。
その頃、当のスティーブ・アルマー本人は地下二階駐車場を涼しい表情で走り抜けながらも、内心では焦燥に駆られていた。
敵が何かしらの動きを見せてくるのは予測出来ていたことであり、今回自分が尾けられていたのも、半ば予定通りの展開だった。二匹は何事もなく排除し、後の煩い蠅は適当に煙に巻く――その筈だったのだが、イレギュラーな邪魔が入ってしまったのだ。
(あんな男、情報には無かった)
思い浮かべるのは、たった今銃火を交わしたばかりの、東洋人の男。ヤツの手の内は皆が皆、アルスメニア国家憲兵隊のエージェント連中、即ち東欧系の人間のはずだ。事前に聞き及んだ情報では、そうなっている。間違いのない、確かな筋からの情報だ。あんな東洋人が居れば、確実に耳にしているはずなのに。
時折日本語らしき言語を口走っている辺り、恐らくは現地人――日本人なのだろう。スティーブ・アルマーという男は英語以外に分かる言語はそう数多くなかったが、アレがこんな辺鄙な極東の島国特有の謎めいた言語だということぐらいは分かる。
予測するに、奴は雇われた人間……。だが、日本人にしてはあまりに腕が立ち過ぎている。とてもじゃないが、こんな呑気な国で磨ける腕じゃない。
拳銃の構えは、斜めに構える古典的なウィーバー・スタンスだった。近頃流行りのアイソセレス・スタンスじゃない。その他にも細かな動作がイチイチ古臭く、'90年代風味なところが多い奴だった。この辺りから察するに、恐らくはかなりの手練れから教授を受けた男なのだろうが……。
「ああ、クソ」
なんて、名前すら知りもしない敵をプロファイリングしている暇すら無くなって来た。正面から男が二人、こちらに迫ってきている。片方は背広で、もう一人はパーカー姿。どちらも拳銃を手にしたアングロサクソンであり、秋葉原に入ったぐらいから自分を尾け回していた尾行に間違いない。
(どうする? ここで排除するか……?)
一瞬思案するが、アルマーはすぐさまその選択肢を否定し、奴らとは別方向に走り出した。交戦せず、逃げる。それが彼の取った選択肢。
現状ある装備といえばスタームルガー・P90が四発と、予備弾倉一つ。後は頼りない折り畳みのユーティリティ・ナイフ程度なものだ。三人を相手取るにはかなり心許ない。
走りながら左手でポケットをまさぐり、日産のエンブレムが刻まれた車のキーを握り締める。
背後で英語らしき聞き慣れた声で怒声が響き、すぐさま銃弾がこちらへ襲い掛かって来た。尾行の二人が追い付いてきたらしい。
「ああ、クソ。こうなっちまった以上、やるしかねえってか。面倒は嫌だね、面倒は……!」
ここまで来たら、応戦する他無い。
アルマーは手近な車の陰に飛び込むと、すぐさま上体と右腕だけを出して反撃を開始する。アバウトに狙いを定めて、スタームルガー・P90の引鉄を絞った。
.45口径の重い衝撃が、腕の筋肉を容赦なく震わす。激しく動く遊底から金色の空薬莢が吐き出されると、フルメタル・ジャケット弾は遠くでコンクリートの壁を抉り飛ばした。
続けて何度も何度も撃ち、牽制にする。そうしながら視線を巡らせ、アルマーは目当ての車を探す。
「確か、この近くだった筈なんだが……」
一か八か。試しに鍵裏のキーロック解除ボタンを押し込んでやった。
すると、アルマーからほんの少し向こう。5mもないぐらいの距離に停車されていた車が短いブザー音と共に、ハザード・ランプを二回明滅させる。
「ビンゴ! ツイてるぜ今日は!」
アルマーは最後の一発を背広の男の胴体に叩き込むと、弾倉を交換してからその車の方へと一気に走り抜ける。
銀色のボディで迎えたその車は、セダンタイプだった。ルノー傘下で生まれ変わった新生日産のV35型スカイライン・350GT-8。そのドアを勢いよく開けて、ドライビング・シートへと滑り込む。
「頼むぜ……ハリーハリーハリー!!!」
覚束ない手で何度も失敗しつつ、漸くステアリング・コラムの鍵穴に刺さったキーを勢いよく捻りイグニッション。ボンネットの下で息を潜めていた、3.5リットルVQ35DEエンジンが長い眠りから目覚め、吠える。
「よしッ!!」
エンジンが掛かると、アルマーは若干の安堵を覚えた。だが、ここからが本当の正念場だ。
フット式のサイドブレーキを左足で蹴り飛ばすように解除しながら、エクストロイドCVT・トランスミッションに繋がるシフトノブをDへと突っ込む。
動き出す銀のボディを操るステアリング。それを握るスティーブ・アルマーの手には、焦りのせいか自然と汗が滲んでいる。




