Dawn is Still Ahead.
告げられた場所は、そう遠くは無かった。徒歩でほんの五分少々のところにある、寂れた様な外観の四階建て雑居ビル。二人はそこで落ち合うことにした。
どうやら何かの店舗らしいビルの一階部分。もう夜も更けたこの時間ともなれば、当然シャッターは閉められていた。
所々に錆の走ったシャッター背中を預け立つ遥は、戒斗の姿が近づいて来るのに気付くと「こっち」とだけ告げ、手招きをすると先導し歩いていく。
といっても、彼女に誘導されたのはほんの数m程度。立ち止まり、ビル同士の間へと遥は指を指した。そこに在る、ということなのだろう。
ビル同士の間は比較的幅が広く、車は通れないにしても自転車程度なら楽々通り抜けられるスペースがあった。まるで路地のような感じだ。
左手のフラッシュ・ライトで路地の先を照らすと、脇に置かれたポリバケツや瓶ケースなどから、この一角が店舗の資材搬入口も兼ねていることが見て取れる。裏口らしき扉も、両脇のビル壁面に確認できた。
そのままライトの光を動かし、遥が指差す先――斜め下方ぐらいの方向を、強烈な光源で照らしてやる。
「……なんてこった」
予想は出来ていたことだが、いざ事実として目の当たりにしてしまうと、戒斗は胸焼けに近い居心地の悪さを感じざるを得ないでいた。
フラッシュ・ライトの光の中で浮き上がった大きな影は、人間の身体だ。それも、明らかに生者ではない。地面に伏した者が一人と、壁に寄りかかって力なく頭を垂れる者が一人。何れも身体の何処かしらから流血の痕があり、突っ伏した方に至っては地面に大きく血溜まりを形成するほどの出血量だ。
少しだけ近付いて、人相や身なりを確かめる。二人共黒を基調とした背広姿で、顔立ちは明らかにアジア人ではない。堀の深い東欧系白人のモノだ。
死後どれだけ時間が経過したのかは分からないが、伏せっている死体には虫がたかり始めていた。血痕も古い。その近くには黒染めの回転式拳銃が落ちていたが、シリンダーを開いてみたものの、装填された六発の弾薬、いずれの雷管にも撃発痕は無かった。
もう一人の、ビルの壁に背中を預けた方は比較的新しい死体のようだった。右胸に一つ、腹に二つと、右太腿に二つの銃創が見受けられる。
だらんとぶら下がった左手の中に旧型のスライド式携帯電話が、液晶画面を付けっぱなしにしたままで握られていた。恐らく、モーリヒに連絡したのはコイツの方だろう。撃たれて動けなくなったところで、救援要請がてら連絡した感じに見える。
「見つけた時から?」
立ち上がりながら戒斗が言い放ったその問いに遥は頷き、
「私が見つけた時には、既に二人とも」
「なんてこった。手掛かりなしかよ」
もし片方にでも息があったのなら、アルマーの逃げた方向ぐらいは分かっただろうに。
軽く溜息を吐き出しつつ、戒斗は『仕事用』の二つ折り携帯の方を取り出した。電話を掛ける相手は、無論モーリヒ・シュテルンだ。
「……俺だ。連中を発見した」
数コールの間を置いて、モーリヒはすぐに応答した。
戒斗は現在位置と、二人分の死体の状況を手短に告げる。聞き終えたモーリヒは、ただ一言「分かりました」と言うのみだった。
「一応訊くが、処理の目途は立ってるのか」
「ええ。我々とて素性を悟られるわけにもなりません。既に掃除屋を向かわせました」
掃除屋……ね。
心の内で毒づきながらも、口先では「わかった」と淡白な言葉のみで返して、そのまま通話を切る。
モーリヒの言った掃除屋――その名に偽りは無い。ただ、掃除する内容が少々汚いというだけなのだ。
とどのつまり、死体処理である。一応は水面下で動いているアルスメニア内務省・国家憲兵隊としては、潜伏中のエージェントの存在を日本警察、ないし政府に悟られることは許されない。その為の証拠隠滅工作を兼ねた処理班というわけだ。
見る限りこの辺りは飲食店街で、人の住む気配は少ない。騒ぎが起こっていない辺り、発砲は無かったか、或いは減音器。この状況ならば証拠の隠滅は容易だろう。朝日が昇る頃になれば、この場所は最初から何事もなかったかのように綺麗サッパリ片付けられてしまう。髪の毛一本、ここには残らないだろう。
携帯電話をポケットに突っ込みながら、戒斗は再びしゃがみ込むと、死体の手からスライド式携帯を取り上げる。
少し操作をして液晶画面を動かすが、肝心の言語が英語でなく、勿論日本語でも無かった。恐らくは向こうの母国語だろうが、残念ながら戒斗にそれを解読することは出来ない。遥にも見せてみたが、右に同じだった。
小さく舌打ちをし、その携帯を懐に収める。モーリヒには「最初から無かった」とでも言っておけばいいだろう。
掃除屋がやってくるまでは、まだ時間がありそうだ。戒斗はそのまま、比較的綺麗な状態の、壁にもたれ掛かった方の死体を詳しく検分していく。
銃創はやはり五ヶ所。いずれも径が大きく、.45口径クラスの弾で撃たれたように見える。死因は失血死のようだが、片肺は潰れ、臓器も幾つかやられている。どのみち助かりはしなかっただろう。
懐を漁ってみても、身分証の類は出て来なかった。出てきたのはブレード・テック社製折り畳みナイフのプロフェッショナル・ハンターと、フランス・マニューリン社製.357マグナム回転式拳銃のMR73。こちらは4インチ・モデルだ。
プロフェッショナル・ハンターの方は死体へ元通りに戻すが、MR73は予備の.357マグナム弾と一緒に頂戴することにした。ちょっとした戦利品という奴だ。今の状況下、使える物は多いに越したことは無い。
MR73のシリンダー・ラッチは操作性に優れた、前方に押すタイプだ。フレーム左側面のラッチを押し込んでロックを解放し、蓮根形状の六連発弾倉シリンダーを左方向へと振り出してやる。
装填済み弾薬の状態を確認するが、全て未発砲のモノだった。手首のスナップを効かせて片手のみで勢いよくシリンダーを戻すと、撃鉄を起こして具合を見てみる。
悪くない。動作は渋くなく、かといって軽過ぎない。撃鉄を指で戻す為に軽く引鉄を引いてみたが、こちらの動作も快調のようだ。
一度、片手で構えてみる。照門が少々狭く感じるが、比較的見やすいサイトだ。素早いサイティングは比較的やりやすいだろう。
どこも入念に手入れが行き届いていて、使い勝手の良い銃だ。元来が古い銃が故に最近の.357マグナム・リボルバーと比べれば見劣りする点――主に重量の面で――があるものの、それでも良い銃なことに変わりはない。
長めの銃身と剛健なフレーム。そして黒いラバー製のグリップがMR73の剛健さをアピールしてはいるものの、しかし同時に、フランスらしい上品で、そして流麗な造形美すらも感じさせる一挺だ。
ズボンとベルトの間にMR73を強引にねじ込んでから、漸く戒斗は凄惨な現場から離れようとするが、靴底に感じた、何か小さな物を踏んづけたような感触で立ち止まる。
注意深く見てみれば、それは空薬莢だった。自動拳銃用の、後端に張り出したリムの無いリムレス式で、雷管で撃発するセンター・ファイア方式のの空薬莢。
堕ちていたそれを拾い上げてライトで照らすと、尻に打たれた打刻からウィンチェスター製・.45ACP弾の空薬莢だということが判明する。コルト・M1911シリーズなどに用いられる、米国では最もポピュラーな大口径拳銃弾だ。
とすれば、やはり敵は減音器を使っていると見て間違いないだろう。スティーブ・アルマーの来歴から鑑みるに、予想される得物はM1911シリーズ。
考えられる状況とすれば、尾行に気付いた奴がここまで二人を誘い込み、予め減音器を仕込んでおいた自動拳銃で一気に無力化した、といった感じだ。一人には運よく急所に命中させられたが、戒斗がマニューリンMR73を拝借した方は即死とまではいかなかったのだろう。
即死した方の銃創数がイマイチ判明しないのが気がかりではあるが、少なくともアルマーは五発と一発以上――即ち、M1911の弾倉一つ分をほぼ撃ち尽くしたことになる。HK45などのダブルカ―ラム弾倉でハイ・キャパティシィな拳銃となればまた状況は変わってくるところではあるが、少なくとも奴が貴重な弾をそこそこ消費したのは明らかだ。敵が単独であり、尚且つこちらの手数が圧倒的に勝る今の状況の内に、なんとしてでもアルマーを確保しておきたい……。
だが、アテにしていた尾行の生き残りは、既に息絶えている。揃い始めていたパズルのピースは崩され、また一からやり直しになってしまった。精々エージェントの携帯とMR73が手に入った程度で、無駄足にも等しい。
「……帰るぞ」
踵を返し、遥に告げて歩き出した戒斗は、半ば意気消沈だった。楽しく食事をした後に折角出来たいいムードをブチ壊された挙句、それが完全な無駄足だったのだ。これでアルマーを拘束出来ていればまた話は違ったのだろうが、生憎そうはならなかった。
そんな戒斗の心情を察してか、どんな声を掛けてやればいいのかも分からず、彼の背中についていくことしか遥には出来なかった。勿論、彼女も同じ気分だ。いい所だったのに最悪のタイミングで邪魔が入れば、誰だって嫌な気分になる。
スープラまで戻って、再びエンジンに火を入れた。静けさの支配する夜更けの空に、年代モノのエンジンが遠吠えを上げる。
少し冷えた水温が再び適性値に戻るまでの間、二人は無言だった。互いに言葉を探すが、なんて声を掛けたものか、正しいと思える言葉がどうしても見つからないのだ。
すると、隣を二台のバンが通り過ぎていく。例の掃除屋かと思ったが、この暗さでは分からない。向こうとて同じだろう。精々、変な車が停まってる程度にしか思わない。
やっと水温が温まった。シートベルトを装着し、格納されていたリトラクタブル・ヘッドライトを跳ね上げる。暗い細道をハイビーム・ライトが照らす。
「……そう、気を落とさないで」
そんな折、エンジンの轟音とカー・ステレオから流れる音楽だけの車内に満ちていた無言の鎖を、サイドシートに座る遥はそう言って断ち切った。
「たまたま、運が悪かっただけ。私は……その、別に気にしてないから」
「……また、巻き込んじまったな」
「ふふっ、いいのいいの気にしないで。元から覚悟の上だしね」
柔らかい笑みを浮かべた彼女の顔を見て、戒斗は胸に渦巻いていたモノが、漸く取り払われた気がしていた。
「この埋め合わせは必ず、近い内に――――!!」
言いかけた時だった。あまりに無粋な着信音が、唐突に鳴り響いたのは。
「……冗談だろ?」
凄まじいデジャヴを感じつつ、戒斗はポケットを弄る。
案の定、着信が来ていたのは二つ折りの方――『仕事用』の方だ。
『――ミスター・イクサベ。緊急でお願いしたいことが』
左耳に当てたスピーカーから聞こえてきたのは、勿論クライアントのモーリヒ・シュテルンの声である。
『送り出した手の者が先程、スティーブ・アルマーを発見。現在追跡中ではありますが……貴方にも、応援を頼みたく』
「オイオイ……超過労働にも限度があんぜ」
『追加報酬はお約束いたします。奴を確保出来れば、の話ですが。
そう心配なさらずとも、そこから近い位置です。場所が場所だけに、今度は分かりやすいでしょう。目標の発見位置は――――』
――――長すぎる夜が明けるのは、どうやらもう少し先らしい。




