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黒の執行者-Black Executer-(旧版)  作者: 黒陽 光
第七章:Princess in the Labyrinth
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Close your eyes.

 入店から一時間半ほどが過ぎた頃に、二人は漸く店を後にした。

「良い店だったね」

「ああ、選んで正解だった」

 敢えて多くは語るまいが、戒斗、そして遥にとって相当に濃密で、充実した時間を過ごせたことに間違いはない。

 店の料理は味自体が良いのは勿論のことだが、それに加えてお値段もやたらとお値打ちと来たから非の打ちどころが無かった。メニューを開いた際、戒斗ですら思わず目をひん剥きそうになったのは内緒である。

 コース、単品料理共に、あの価格で採算が採れるのかとこっちが心配になるぐらいだ。価格破壊もいいところである。確かに予約殺到になるまで人気が出るはずだ。下手な高級レストランに行くよりもよっぽど良い。

 駐車スペースに戻った戒斗は車の助手席に遥を乗せ、自身もコクピット・シートに滑り込むと、ステアリング・コラムへとキーを差し込み捻ってイグニッションを走らせ、スープラのエンジンを起動させる。

 もうかなり夜も更けた星空の下で、豪快なエグゾースト・ノートが響き始めた。暖気の振動に揺られながら、水温が適正温度に上がるまでを二人は待つ。

 車の車内というのは独特な空間だ。ましてや助手席ともなれば、その絶妙な距離感も相まって、なんとも言葉では形容しがたい雰囲気を自然と創り出す。更にスープラのような車体幅のそこそこあるスポーツ・タイプともなれば、シートの間に走るトランス・ミッションと、そこから突き出したシフト・レバーのお陰で最適な距離を構築する。コラム・シフト式で、その上狭苦しい軽自動車では、こうはならないだろう。

 その中で、二人が言葉を交わすことは無く。そう悪くはない沈黙を彩るのは少し肌寒くなってきた外気と、漆黒のボンネット下に格納された2.5Lツイン・ターボの1JZ-GTEエンジンが奏でる轟音だけだった。

「戒斗?」

 暖気の間どうにも手持無沙汰で、リクライニングを目いっぱい倒したセミ・バケットのシートに背中を預けながらフロント・ウィンドウ越しに夜空をぼうっと眺めていた戒斗に、遥はそう話しかける。

「ん?」

 彼女に軽く反応を返しつつ、チラリと水温計を見ればエンジンは温まりきっていた。丁度良いと思ってシートのリクライニングを直しつつ身体を起こしながら左へと視線を向けると、

「へへっ……呼んでみただけ」

 そこには、不意を突くような彼女の笑顔があった。

 あまりに不意打ちすぎて、思わず綻んでしまった顔を隠すように戒斗は反対側を向く。そんな彼の反応が露骨すぎて、また彼女は微かに笑みを浮かべる。

「反則だぜ、そういうのはよ」

 釣り上がる口角を抑えながら、なんとか言葉を紡ぎだしたはいいものの、こんなのは照れ隠しもいいところだった。

「こうでもしないと、こんな戒斗は見れないからね」

「悪い冗談だ」

「冗談に聞こえる?」

「いや」

 さっきから妙な動きが止まらない表情筋を食い縛りながら、戒斗は左手に掴んだシフト・レバーを、クラッチを繋ぎつつN(ニュートラル)から一速へとシフトした。

 ペダルから左足が離れたことで再びプレート・スプリングに抑えつけられたクラッチ・プレートがエンジンのクランク・シャフトから伝達される動力をトランス・ミッションに伝え、回転する幾層の歯車が増幅する力がカーボン製のプロペラ・シャフトと機械式LSDを通じて後輪タイヤを回し始める。

 正面に向いた視線の先、ボンネットの両端から可動式のリトラクタブル・ヘッドライトが跳ね上がり、対向車に配慮し下向きに光軸の調節されたロービーム・ライトが暗闇の中で視界を確保する。そのままステアリング・コラムから生えるウィンカー・レバーを前に押し込み、更に強力なハイビームを灯らせる。

 シフトチェンジから間もなくサイドブレーキが解放され、漆黒のボディにオレンジ色の淡い街灯を反射する70スープラは、ゆっくりと夜の街へと繰り出していく。

 砂利を四輪でゴリゴリと踏みつけつつ駐車スペースから出て、向かう先は先程も通ったバイパス道路ではあったが、スープラの機首が向いた先は店に来た時と変わらぬ方向だった。直接最短ルートでは戻らず、少し遠回りをしてから宿泊先ホテルへと帰還する算段のようだ。

 この時間ともなれば。幾ら眠らない街・東京ともいえど、日中に比べれば道を走る車の量は格段に減っている。進行方向のアスファルトをハイビーム・ライトで照らすスープラが駆け抜けるその先も、丁度良い具合に走りやすく()いていた。

 流れるヘッドライトの河を縫うように駆け抜け、その後に残るのはテールランプから尾を引く、流星にも似た紅い軌跡のみ。向かう先、続く道に終わりはないような、そんな錯覚すら覚えさせられてしまう。少し涼しくなった夜の空気もあり、気持ちのよい夜だった。

「ちょっと、いい?」

 そして、幾度目かの信号待ち。停止線ギリギリの位置に停まり、サーキットのシグナル・ランプにも似た赤い信号灯が青色に変わるのを今か今かと待ちわびていた時に、サイドシートの窓から流れる景色を眺めていた遥が呼びかけてきた。

「なんだよ」

「いいから、ちょっとこっち……ね?」

 そう言って、彼女は手招きをする。耳を寄せろということか? 二人しか居ない車内で耳打ちなぞ、何の意味が……。

 若干の疑問を抱きつつも、ここは素直に彼女へと従った戒斗は、身体をずらしてシフト・レバー越しに彼女の方へと耳を寄せる。すると、左の頬に遥の手が触れた。少し小ぶりなその感触は、自分に比べると冷たく感じてしまう。

 そのまま彼女の指先は、彼の肌を這うようにして顎先へと移り、右手が右の頬へと触れたかと思えば――、

「――!?」

 自分の首が知らぬ間に左の方へと向き、遥の顔が一瞬近づいたように見えた矢先、戒斗は自身の唇に何か、柔らかい感触を覚えた。

 少しだけ、仄かに甘い感触がする。吹けば掻き消えてしまいそうな程に儚い、束の間の夢物語にも似たそれが、自分に重ねられた遥の唇だと理解するのに、戒斗は一秒近い時間を費やした。

 その永遠にも思える時間は、しかし一瞬で。交差点の信号が青に変わるまでの、ほんの短いひとときに過ぎなかった。つい数秒前まではあれほどまでに待ち焦がれていたシグナル・ランプの変わる瞬間が、今はとても恨めしく思えてしまう。

「――ぷ、はっ」

 信号機のLEDランプが青色に変わる頃、遥は触れていた唇を離す。尾を引く唾液のアーチが次第に途切れ、頬を紅潮させる彼女の顔が離れていく。

 しかし戒斗はその余韻に浸る間もなく、急ぎクラッチを繋ぎつつシフト・レバーを一速に叩き込んで車を発進させた。バックミラーの先、テールの向こうに控えた後続車の連中を、そう長いこと待たせるわけにもいかない。

「ったく、お前って奴は……」

「えへへ……」

 口先では辟易したように言いつつも、実は内心で遥の照れ隠し気味な言葉にノック・アウトされかけたのは内緒である。

「もうちょっと、その……場所を選んでだな」

「そう思ったんだけど、我慢できなくて」

「あのさぁ……」

 大きく溜息を()きつつも、しかし彼の浮かべる表情自体は、そう悪いモノでもなかった。

「しゃーねえ」

 独り呟くと、戒斗は唐突にスープラのハザード・ランプを炊く。左右のウィンカーが同時に、等間隔で明滅し始めると、左車線の脇へと車を寄せ、スピード・メーターが0を指すとギアをN(ニュートラル)に突っ込み、サイドブレーキを目いっぱい引いて車を停車させた。

「え、ちょっと戒――っ」

 奇行とも取れる突然の停車に戸惑いの色を隠せない遥だったが、紡ぎかけた言葉は半ばにして強引に塞がれてしまう。

 今度は人気のない緑地のすぐ近く。わざわざ眺める物好きなど、そうは居ないだろう――そんな心理が働いたが故か、今度は随分と長かった。

 触れた彼女の唇には戸惑いの色が見え隠れして、身体は反射的に離れようとするものの、いつの間にか背中にまで回った彼の左腕がしっかりと引き寄せ、離さない。

 最初こそ、ただのつつき合いに過ぎなかった。だがいつしか互いの舌と舌が絡み合い、引いては追い、追っては引く。攻守が入れ替わりながらも、舌同士は互いを貪欲に求めて離れようとはしない。本能の赴くがままに互いを求め合うその姿は、ある意味で代弁者のようにも見えてしまうだろう。

「ん……っはぁ……っ」

 僅かな隙間を縫う様な息継ぎの度に、遥からは僅かに甘い声が漏れる。その度に上気する顔と、まるで幻惑の蝶でも追いかけるかのようにゆらり、ゆらりと揺れ、焦点が曖昧になっていく瞳で、更に勢いは加速していく。

 終わる(とき)なぞ見えはしない。惹かれ合い、求める本能の欲望は収まるところを知らなかった。

 だが、悠久に続くとも思える蜜のように甘かった時間は、無粋を極める無機質な電子音で強引に断ち切られてしまう。

「……チッ、んだよタイミングの悪りぃ」

 ――携帯の着信音だ。だが普段使いの私物スマートフォンに、こんな音を設定した覚えは無い。

 案の定、鳴り響いていたのは型落ちの二つ折り携帯電話の方だった。クライアントのモーリヒ・シュテルンより、『仕事用』として渡されていたモノだ。

 片手で器用に開いた液晶画面に表示される着信相手は、勿論モーリヒであった。しかし、彼との会合からそう大した時間が経ったわけでもない。まして、この携帯に掛けてくる程に火急の用があるとは、少なくとも今日現在、ましてやこんな夜更けに思い当たる節は無かった。

 と、すれば他に考えられる可能性は……。

 脳裏に妙な予感が駆け巡りつつも、戒斗は応答ボタンを押して通話に出ると、左耳にスピーカーを押し付けた。

 二、三言交わすと、すぐさま彼は携帯を閉じてしまう。

「どう、したの?」

 戒斗の不穏な雰囲気を察してか、遥は彼の横顔に視線を向けつつ、案じるように言葉をかける。

「ったく、折角のムードがブチ壊しもいいとこだぜ……」

「……まさか」

 遥も、同じ結論に行き当たったらしい。戒斗は一度頷いてやると、今更言葉にするまでも無いが、しかし言葉にしなければならない一言を紡ぎ出す。

「本当にすまねぇが、遥。この続きは暫くお預けらしい。クソッタレのクライアント様から、緊急の呼び出しだ――――尾行させていた奴の配下が、残らず()られたらしいぜ」

 嫌な予感という奴は、こういう時に限って的中してしまうらしい。

 ハザードを消し、ギアを叩き込んだスープラが空転する後輪から白煙と共に叫ぶスキール音の悲鳴を叫ばせながら、爆発するように急発進していく。

 ――――どうやら、夜はまだまだ長く続くらしい。

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