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黒の執行者-Black Executer-(旧版)  作者: 黒陽 光
第七章:Princess in the Labyrinth
90/110

Around the World.

 バーから出るなり乗り込んだブルーバードを飛ばし、出る前と同じ有料駐車場に突っ込んだ戒斗がホテルへと戻る頃には、既にいい時間となってしまっていた。

 自動ドアを潜ってロビーへと入るなりエレベータへと直行し、どれもこれも同じような誂えのドアが左右に並んでいる、客室フロアの長い絨毯敷きの廊下を、彼は足早に歩いて行く。

 その中の一つの前で立ち止まった彼が懐から取り出したのは、薄い紙ペラのような頼りない質感のカード。部屋のカードキーだ。それをドアノブ部のリーダーへと差し込んで開錠し、半分ほど開けたドアの間に滑り込むようにして、戒斗は部屋へと戻る。

 後ろ手に閉じるだけで、オートロック式の扉は自動で施錠してくれる。扉を放置して歩き、そのまま出入り口のすぐ近くに設けられた上品なウォークイン・クローゼットに、羽織っているスーツジャケットをM1934をポケットに突っ込んだままで掛けると戒斗は襟首のボタンを外し、ネクタイを緩めつつ、部屋の奥の方へと足を進める。

「あ、帰ってきた」

 この時間ともなれば、流石に目を覚ましていたらしい遥はソファにちょこんと座り、目の前にあるテーブルの上に広げた小振りなノートPCのキーボードを叩きながら、ディスプレイと睨めっこをしていた。

「おかえりなさい、戒斗」

「ああ……悪かったな、遅くなっちまって」

「ううん、別にそれはいい。いいんだけど……もしかして、何かあった?」

 ノートPCから目を離し、ソファから立つ遥がそう言った。どうしてそんなことを訊く、なんて言ってみたら、彼女は「なんとなく、なんとなくだけど、そんな風に見えた」と言う。

 確かに、つい数十分前にクライアントから聞かされたことは、戒斗にとって憂鬱以外の何者でもない。しかし彼自身、その事に関して顔に出した覚えは無かった。

 しかし彼女はそれを言い当てた。前々から時折感じていたことではあるが、遥の洞察力とでも言うのか。観察眼のような、優れたそういうモノには感心させられる。だからこそ、戒斗は安心して彼女に背中を預けられるのではあるが。

「そうじゃねえ――と言ってやりてぇとこだがね。残念ながら大正解、その通りさ。お前にゃ敵わねえな、遥」

 まるで降参するかのように肩を竦めて言うと、窓際に置かれた小振りな椅子へと背中を預けつつ、戒斗はモーリヒとの会合での事の顛末を彼女に話し始めた。

「……成程。犯人はある程度絞り込めた、と」

「ま、そういうことになるか。つっても確定じゃあない。あくまでも暫定的な話だがね」

「でも、辻褄は合う」

「そこが気味の悪いところさ。それによ遥、おかしいたぁ思わねえか」

「……?」

「身代金目当てでも、かといって国家転覆を狙ってる様子もねぇと来た。それ以前にだな遥。たかが一介のPMSCsオペレータ風情が、こんなヤバイことに首突っ込むと思うか?」

 その言葉に、遥は即座に首を横に振った。

 当たり前の話だった。あの四人が属する『ブラック・ウィドウ』のようなPMSCs――民間軍事警備企業という連中は、その名前が示す通り、単なる一つの企業に過ぎない。国家の公共事業である軍とは完全に異なる、民間企業なのだ。言うなれば、日本国内での銃規制緩和以前のような警備会社と、本質的には何ら違いはない。企業単位で兵器を所有・運用を行う、より過激で物騒な警備会社というだけなのだ。

 となれば、その企業に属する実働部隊の構成員、オペレータは民間企業の正社員のような立ち位置になる。いや、そのものと言っていい。国家や民族、宗教や信条のような個人的な枠組みに縛られず、自身の有するスキルの対価として金銭を頂戴する、究極にドライな雇われ兵士。それが彼らだ。

 そのように、飽く迄も金本位で動くPMSCsオペレータが、国際問題にすら発展しかねない案件にそう易々と首を突っ込むだろうか。ましてやあの四人に関して言えば人種や国籍、その経歴に差異はあれど、全員が全員アルスメニア王国と何ら関係の無い連中であることは明白である。元デルタの精鋭が、たかが東欧の小国程度に怨恨を持つとはとても考えにくい。

 ならば、彼らは何故そのような行動に至ったのか。少しでもヘマをすれば国際指名手配は確実。辺境国のスラム街でインターポールの追っ手に怯える余生を送る羽目になるのは、明らかに目に見えているはずだ。

 そんな大きすぎるリスクを負ってまで、彼らを駆り立てた原動力は何か。

 答えは、ほんの一つぐらいしか思い浮かばない――金だ。彼らが動く一番の理由は、まずそれに尽きるだろう。

 軍で磨き上げた自身のスキルを生かしたいという者や、単純に闘争を欲する者のオペレータの中には少なからず存在する。だが、やはり大多数は金目当てだ。切った張ったの鉄火場に自分を投げ込み、命の切り売りをするリスクに見合うだけの莫大なリターン。それこそが、PMSCsに属する最大のメリットなのだから。

 少なくとも、戒斗に思い浮かぶ四人の行動原理は、それ以外に無い。PMSCsに属する以上、戦う相手はコロコロと変わる。下手をすれば、一つの紛争地で両方の陣営に着くこともあるだろう。彼らが戦うのに、高尚な理由に信念、深い愛国心や、敵に対する激しい憎悪は必要ないのだ。

 ということで、仮に例の四人が莫大な報酬を見返りとして、アルスメニアの姫様を誘拐したとしよう。とすれば、ここでまた一つ、腑に落ちない点が見えてくる――彼らの雇い主が一体何者なのか、だ。

 それに関して、今の戒斗にも、ましてや遥に出せる明確な可能性は、何一つとして無い。どこぞの諜報機関か、それとも政府か。はたまた過激派集団か、もしかすれば一個人のポケット・マネーで賄っているのか。ハッキリとした答えは、それこそ四人を尋問でもしてみない限り出てこないだろう。しかし、雇い主がロクな奴じゃないことだけは明白だ。

「とすれば……やはり、政権転覆が目的では?」

「俺も考えたんだが、その線はちぃと微妙くさいぜ。俺達一般外国人レベルの人間に伝わらないとして、仮にも憲兵隊のエージェントなはずのクライアントにも、まして外遊に付き添った奴にまで情報が来てないってなぁ妙だ」

「声明はまだ出ていない、と」

「そういうことになるだろうな」

 今一度言葉にして喋りながら、大方の状況は頭の中で整理が出来た。だが結局、暫定的な”敵”と思われる連中の根幹に在る動機が掴めず、二人はただ、互いに頷き合うことしか出来なかった。

 ニューロン回路に思考を走らせている内、二人の間で交わされる言葉は自然と失われる。お互いにそう嫌な沈黙では無かったが、現状をどうすることも出来ず、ただただ静観している他にすべきことが思い当たらないもどかしさで、どうにかなってしまいそうだった。

「……ま、それはさておき」

 ――飯だ。

 そう口火を切って、唐突に沈黙の糸を断ち切ったのは戒斗である。

「へ?」

「だから、飯だよ飯。晩飯まだだろ?」

「え、あ、うん。そうだけど」

「俺もだ」





 あんまりに唐突で脈絡のない言葉に困惑しっ放しだった遥を半ば強引に引き連れ、戒斗が向かった先はホテル内のレストラン……かと思いきや、何故か地下駐車場だった。

 そこに停めておいた黒の70スープラに飛び乗り、少しのエンジン暖気の後に車を走らせること数十分。バイパス道路から降り、その先に広がる繁華街の大通りから一本脇に逸れた場所にある一件の建造物の軒先。そこに二人はいつの間にか立っていた。

 脇にある小ぢんまりとした砂利敷きの駐車スペースにスープラを突っ込んだ戒斗に連れられてそこに立つ遥は、建物の妙ちくりんな雰囲気に本日二度目の困惑を覚えてしまう。

 建物自体は二階か三階建てぐらいの四角いビルの形をしていて、今目の前に見える一階部分の壁面は古ぼけたような煉瓦が一面に張り付けられており、同じく古びた風貌の木製扉も相まって、全体的にどことなく落ち着き、洒落た雰囲気を醸し出している。軒先に立てられている簡素な立て看板の内容を見る限り、ここは飲食店の店舗のようだった。

 一歩先を歩き出す戒斗を追うように扉を潜り、その先に広がる店内を目の当たりにした遥は、思わず「わぁ……」と感嘆の声を漏らしてしまう。

 店内は外観相応、いやそれ以上に上質な空間が造り出されていた。床も壁も全てが木造りであり、少し高めの天井からぶら下がる大きな風車が、ゆっくりと回っている。壁面の木は若干アンティークじみた色合いではあるが、掃除は行き届いているようだ。床も同様に古びた感じではあるものの、しっかりと磨かれていることはパッと見だけでも察することの出来る光沢がある。

 一言で表してしまうとするのなら、この店は何処からどう見ても高級店のソレだった。数名の店員は忙しなく動き回るものの、その動き一つ一つが洗練されており、それでいて波一つ立てない程に静かだった。あくまでも自分らは黒子に徹するというような、そんな心意気すら感じさせる。

 幾つか見える窓の向こうにチラリと見える美しい緑の植物や、何処かから微かに流れるジャズ・ミュージックが、店の上品な雰囲気を更に加速させている。客の数はまばらではあったが、それすらもがこの空気感を完成させる要素の一つとなっていた。

「戒斗、ここって……」

「チョイと、昔の知り合いに聞いておいたのさ」

 戒斗が少しウィンク気味に遥へと視線を配らせてから、やってきた店員と二、三言交わして、一度(うやうや)しく頭を下げた店員に誘導された先は、店の一番奥にあるテーブル席だった。

 窓際のその席で、遥は戒斗の対面へと座る。周りの数席には他の客の姿が一切無く、巧みに配置された調度品やその他諸々の関係で、居るはずの客達の声はおろか、微かに聞こえてもおかしくは無い食器の音すらも耳に入らない。聞こえるのは流れるジャズ・ミュージックだけで、他には頬を撫でる微風だけ。まるでこの場所だけ、他から隔絶された空間のような印象すらも覚えてしまう。

「素敵な、本当に素敵なお店……」

「だろ?」

 他では早々お目に掛かれない様な、完璧に調和された空間に遥が目を輝かせている間、戒斗は薄く笑みを作りながら、内心ではガッツポーズを取らんばかりの勢いだった。

 実はこの店、適当に選んだわけでも何でもなく、事前に計画の内に突っ込んでおいた店なのだ。L.A.時代に関わり合った依頼人――同じ日本人だ――にわざわざ連絡を取って聞き出し、予約を勝ち取ったレストランなのである。この店の予約に合わせてモーリヒとの会合を半ば強引に切り上げたのは、彼だけの秘密だ。

 久方ぶりに連絡を取った彼曰く、この店自体は予約殺到で結構な競合率の店らしい。だが戒斗は常連らしい彼の名前を使わせ、五日ほど前には半ば強引に予約を取り付けてしまったのだ。ちなみに余談ではあるが、その彼は既に帰国済みであり、関東の何処かで医者をやっているらしい。

 戒斗がそこまでした理由の根幹には、やはり遥のことがある。当たり前だが、彼一人だったとしたら、わざわざこんなに洒落た店には来ない。全ては遥の為だった。

 少し前のあの一件の時点で戒斗は、気付かぬ内に精神的に壊れかけていた自分を遥に救われた――少なくとも、彼自身はそう認識している――。そこから多少の紆余曲折の末、彼女とはまあ、世間一般でいう恋人同士の関係になったわけだが……。そんな関係にある遥に、未だに自分が何もしてやれていないことが、ここ最近どうにも引っかかって仕方なかったのだ。

『――お前にゃお似合いさ。いや、勿体なさ過ぎるぐらいか』

 そこにトドメを刺したのが、リサのそんな言葉だった。

 どうにか彼女に、自分でしか体験させてやれないようなことを……と悩んでいた矢先、飛び込んで来たのが今回の依頼である。その時に戒斗は、昔の依頼人のことを思い出して、結局が今に至る。

「わぁ……」

 下見も無し、何も無しの完全なぶっつけ本番ではあったが……今の彼女の、本当に心の底から楽しんでいるような遥の表情を見ていると、連れて来て正解だったと確信した。

「もしかして、戒斗。私の為に……?」

 そんな遥の言葉に、戒斗は柔らかく少しの笑みを浮かべるだけで応える。

「そう……ふふっ。ありがとう、戒斗」

 ……この笑顔を見られただけでも、ここに足を運んだ価値はあった。そう思わせる程に、彼女の楽しげな表情を眺めているこの瞬間が、戒斗には何故だか、世界中のどんな宝石よりも価値のある、世界で最も貴重なひとときに思えてしまう。



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