A Long Night's beginning.
着信音がやかましく鳴り響き、枕の下でバイブレーション機能を動かし小刻みに震えるスマートフォンに、眠りに堕ちていた意識を戒斗は無理矢理に覚醒させられた。
まだ目覚め切っていない筋肉を動かし、左手を枕の下へと手を伸ばしてスマートフォンの目覚ましを切る。左腕に着けたままだったCASIOの腕時計をチラリと見てみれば、予定通りの時刻だった。
起き上がるべく上体を起こそうとするが、伸ばした右腕が妙に重い。そちらへと視線を動かしてみると、
「おいおい……」
苦笑いを浮かべる戒斗の右腕には、寝息を立てる遥の頭が乗っかっていた。道理で少し鬱血気味で、しかし感触はじんわりと丁度良く暖かいはずだ。
彼女は気持ちよさそうに眠っている。まるで眠り姫のようだ、と戒斗は感じた。主観的な気持ちがかなり混じっているのかもしれないが、部屋の窓から差し込む、夕暮れ時の陽光を背景に眠る遥の顔は、何故だか妙に絵になっている。それは比喩でなく、本当に眠り姫のようだった。
このまま彼女が目を覚ますまで、眺め続けていたい気分だ。しかし万人の運命である十二の数字が刻む宿命には抗うことが出来ない。こうしている間にも、モーリヒ・シュテルンとの約束の時間は、刻一刻と迫っている。
しかし、折角ここまで安らかに眠っている彼女を起こしてしまうのも、なんだか忍びない。戒斗は少しだけ自身の身体を彼女の方へと寄せ、抱きかかえるような体勢で、右手を使い遥の頭をそっと持ち上げた。
鬱血気味だった腕の血管が解放され、一気に血液が腕中に流れ込む感覚を覚えつつ、ゆっくり左腕を引き抜く。戒斗の腕が無くなったスペースへ、代わりに枕を入れてやり、そこへ遥の頭を沈めてやった。銀色の髪が枕の上に、まるで華でも咲かせるかのように広がる。
身体を起こし、ベッドから降りて部屋のフロアに立つ。冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターを喉に流し込み、冷えた水で起き抜けの頭を覚醒させた。
Tシャツに一枚にジーンズだけのラフな格好から、いかにもといった風な背広へと着替える。黒を基調としたジャケットとズボンに、ネクタイは濃赤の無地をチョイスした。髪もワックスを使って整え、後ろに大きく掻き上げたオールバック風にする。一見すると別人のようにも見えた。
革靴に履き替えた戒斗は、部屋の壁に固定された液晶テレビの近く、ソファと共に据えられていたテーブルへと歩み寄り、そこへ無造作に置かれていた幾つもの樹脂ケースの一つを開封した。
その中、型抜きされたスポンジの間へ収まる、古めかしいイタリア製の小型自動拳銃ベレッタM1934を取り出し、軽く通常分解をして状態を確かめる。
かなり使い込まれてはいたが、特に錆も無く、状態は良好だった。
錆止めの為に過剰なほど吹き付けられていたガンオイルを手持ちの布で拭い、持ち込んでいたスプレーで新しいガンオイルを各部に注油。手早く組み立て、オイルを馴染ませる為に遊底をガチャガチャと何度も前後させる。
良い具合にオイルが染み込んだところで、遊底の間から溢れて来た余剰オイルを拭う。弾倉を抜いた後で一度M1934をテーブルに置き、銃と一緒に同封されていた.380ACP弾を籠めていく。予備弾倉も一緒にだ。
.380ACP弾――別名9mmショート弾、9mmクルツ弾とも言われるコイツは、正式に言えば9×17mm弾。ショートの名の通り、9mm×19パラベラム弾の長さを2mmほど短縮した弾だ。威力は落ちるものの、単純なストレート・ブローバック機構が採用出来ることから、M1934のような護身用の小型拳銃によく用いられる。
威力が低いといっても、対人相手なら必要十分な破壊力を有する。今回のような事例にはピッタリだ。
――何故、彼がここまで風貌を変え、いつも通りの愛銃ミネベア・シグを持ち出さないのか。それはモーリヒの要求があったからだ。王族を秘密裏に捜索・保護するという観点から、極力は個人の判別をさせないようにとの要求だ。
戒斗のような『傭兵』と呼ばれる稼業を営む連中は、一般人と同様に、用いる銃のライフリング・パターン。旋条痕という奴を登録する必要がある。彼の普段愛用するミネベア・シグもまた、その例に漏れず登録してあるのだ。
だからこそ、モーリヒはその登録済みで足の付く銃を拒み、高い金を費やしてまで全ての装備を新たに調達したのだ。
その理由も、依頼人の置かれた板挟み的な状況と、案件自体の危うさを鑑みれば、一応の道理は通るのだが……やはり、どうにもキナ臭い。
まあ、今の時点でそんなことを気にしたところで無駄だろう。頭に浮かんだ雑念を振り捨て、戒斗はM1934にフルロードの弾倉を叩き込んだ。
初弾を送り込まずにジャケット左の内ポケットへと銃を放り込む。そもそも弾が薬室に装填されていないのだから、操作し辛い位置のセイフティを、わざわざ掛けてやる必要は無い。
同時に、M1934のガンケース内へ一緒に収められていた細身な減音器を、ジャケットの同じく左側、表のポケットへと納めた。
ズボンのポケットには使い慣れた折り畳み式カランビット・ナイフである、エマーソン社のスーパー・カランビットを入れる。刃物ぐらいは問題ないだろうとの判断だ。無論、その程度のことでモーリヒに伺いは立てていない。
「そいじゃあ、行ってくるぜ」
机の上に置き手紙を残し、今一度振り向いて戒斗は独り、そう呟く。視線の先で、彼女はまだ寝息を立てていた。
踵を返し、部屋のドアを潜る頃には彼の顔付きは固くなり、その眼光には鋭さが戻る。一歩外に踏み出したその瞬間から、彼は一人の男から”黒の執行者”へと変わっていく。
ホテル近くの有料駐車場まで歩いた戒斗は、そこに停めてあった品川ナンバーのブルーバード・シルフィへと乗り込んだ。既にトランク内の荷物は殆どが部屋へと持ち込み、LE901ライフルとその関連はスープラの方へと移してある。今のブルーバードは、何処にでもある、ありふれた大衆向けの型落ちセダンに過ぎない。
今の彼が携帯している免許証も、ライフルの弾薬と共に同封されていた偽造免許証だった。名義は有澤 達也。前にも使ったお気に入りの偽名だ。少々ご法には触れるところではあるが、今は敢えて気にしないでおく。
ステアリング・コラムの鍵穴にキーを差し込み、奥に捻ってイグニッションを始動。正面のメーター類に光が灯ると共に、ボンネットの下では始動用のセル・モーターが回り始め、1.5リットルの直列四気筒エンジンに火が灯る。
なんともベーシックな直線配列のシフトノブをDに突っ込み、アクセルに右足が触れた。少々頼りない声を上げるQG15DEエンジンは前輪へとトルクを伝え、ゆっくりとした速度でブルーバード・シルフィは駐車場を後にしていく。
太陽が徐々に西の彼方へと没し始め、夜の闇が天上を覆い始める中、しかし東京の街中は昼間のように明るかった。繁華街は言わずもがな、ビル街も立ち並ぶ高層ビルの灯かりで相当な光量だ。
時間の流れすら錯覚させるような街灯かりの中、ブルーバードを走らせていると、次第に車はネオン街へと誘われる。赤や青、様々な色で彩られた街はチカチカと眩しくて、どうにも目が痛くなってくる。
適当な駐車場へと車を突っ込み、戒斗が入っていったのは一軒のバーだった。ネオン街とは少しだけ離れた場所に位置する店の外観は落ち着いていたが、上品とも言い難い。場末のバーといった雰囲気だ。
古びた木造りのドアを潜った先も、店の出で立ちと似たような雰囲気だった。客の数は疎らで、精々二、三人程度。そこそこいい時間のはずがこの客の少なさは、店の立地のせいか、はたまたその鬱蒼とした雰囲気のせいか。
ここは、モーリヒが会合の場所に指定したバーだった。こんな妙ちくりんな雰囲気の場所を指定するなどとは、まあなんとも。
既に乗り気で無くなってきている戒斗ではあったが、だが一応は仕事である以上、ここで投げ出すわけにもいかないので、とりあえずは適当にカウンター席に着いた。
「ご注文は」
席に着くなり、気怠げな目をバーテンが、その目の色同様にやる気の感じられない口調でそう言う。戒斗はいや、と軽く断りつつ、
「『月夜に靡くは花園の調べ』、そうだったか?」
と、傍から聞けば意味の分からない言葉を口走った。
しかしバーテンはピクリ、と表情を強張らせ、「……お待ちしておりました。奥へどうぞ」という風に呟くと、そのまま戒斗を店の奥へと誘導していく。
戒斗が口走った、一件意味の分からない言葉はモーリヒより予め聞き及んでいたもので、会合の為の合言葉だそうだ。
このままバーテンに言えば意味が分かるとは言っていたが……まさか、そういうことだとは。通りで店内の何処を見渡しても、奴の姿が見当たらないはずである。
誘導された先はやはりというべきか、個室だった。その奥まり過ぎた配置から察するに、普段は滅多に使うことの無い場所なのだろう。こういった用途以外には。
「どうも。わざわざご足労をかけまして」
個室に鎮座するソファに深く腰掛けていた、頭髪を白髪で真っ白に染めた、背広姿の東欧系の年老いた男は戒斗に気付くと立ち上がり、日本語でそう言いながら深々と頭を下げた。
今回の依頼人であるアルスメニア王国内務省・国家憲兵隊所属のエージェントのモーリヒ・シュテルンだ。テーブルに置かれた赤ワインの瓶と、半ばほどまで葡萄色の芳醇な香りの液体が満たされたワイングラスを見る限り、暇を持て余して酒を嗜んでいたようだ。
モーリヒに手招きされるまま、戒斗は彼の対面のソファへと腰を落とした。空のワイングラスが彼の元へと差し出されるが、運転だからと丁重に誘いを断る。
「申し訳ありません、この様な所で」
「構わねえさ」
「ここは我々の息の掛かった者が運営するバーでしてね。幾らでも呑んで頂いて結構ですよ」
「そりゃ嬉しいお誘いだ。つっても残念だが、さっきも言った通り、今日の俺ぁ生憎、運転なんでね」
「それは残念」
「で? 呼び出したからには、何か要件があるんだろう」
本題を切り出すと、モーリヒは「ええ」と頷き、すぐ脇に置いていた鞄から、クリップで留められた幾つかの紙の束を戒斗の前へと差し出した。
「これは」
「サリア様の予定されていた日本での行動計画と、失踪当日の詳細な状況。それと移動予定だったルート経路図です」
モーリヒの説明を耳に入れつつ、差し出された紙束を手にとって、戒斗はそれをペラペラと捲って流し読みをしていく。
今回の捜索対象であるアルスメニアの王族、サリア・ディヴァイン・アルスメニアの失踪から既に十日近くが経過していた。字面だけ見ればかなり絶望的な状況ではあるが、失踪した人物が人物だけに、今回ばかりはそうとも限らない。
王族に限らず、こういったような、一個人の生死が国全体を揺るがす人間は国家の存亡にすら関わってくる問題に発展しかねないが、しかし同時に、犯人にとっても交渉の場における最大級の切り札と十分なり得る。フィクションの世界でもよくある話だ。アクション映画の題材として使い古されたモノを例に挙げるとすれば、分かりやすい例が一つある。例えば米国大統領専用機、エアフォース・ワンが何者かに乗っ取られたと仮定しよう。同乗する乗組員や軍人などは大抵、冒頭で死ぬ羽目にはなるものの、肝心の大統領本人は終盤まで生き残っていることが多い。
とどのつまり、今回はそんなケースにピタリと一致するのだ。この資料に記されている側近やSP連中の生死は絶望的ではあるが、サリア嬢本人の安否はそこまで心配する必要も無い。尤も、犯人の狙いが王族の暗殺にあるとすれば、また話は変わってくるのだが。
もし暗殺が狙いならば、そろそろ犯行声明が届いて然るべき頃合いだろう。それすらも無いというのであれば、自ずと暗殺狙いの可能性は排除される。
だがモーリヒの話を聞く限り、身代金目当ての犯行メッセージなども届いていないようだ――結局のところ、失踪の原因は不明。そもそも悪意ある第三者に攫われたのかもすら、ハッキリと断定は出来ない状況なのだ。
「ですが、犯人の目星はある程度付きました」
しかし、二言目にモーリヒは他者の犯行と断定した。「早いな」と戒斗が言えば、
「目星といっても、ほぼ消去法のようなモノですけどね」
と言いながら、新たな資料を差し出してきた。
「サリア様が最後に確認されたのは訪日二日目の昼頃、ご宿泊先のホテルより出発なされる直前です」
「それとこれとが、一体全体どう繋がる」
「お部屋からエレベータへと向かわれるほんの数分の間に、サリア様の姿が確認できなくなりまして」
「……つまり?」
「その短い時間の間、姫様のお傍に居た人物が自ずと疑われますよね?」
「ああ」
「そもそも、万が一を考え、ホテルには我々が雇い入れた警備の者を付けていました。無論、サリア様のお部屋近くにもです」
「……成程。そこの警備員が怪しいと」
「左様でございます。お察しが早くてなによりで」
一応は話の筋は通っている。まずは外部の人間から疑う、普通のことだ。
「で? その数分間にお姫様の近くに居た人間は?」
戒斗が問うと、モーリヒは渡した資料のとあるページを見るように言いながら、そのページに張り付けられた数人の写真、それらの素性を事細かに説明する。
「同フロアに在り、尚且つ犯行が可能な範囲に居た人間は七名。その内、側近一人と近衛二人は除外したとして、残りは四人」
「一応訊くが、身内の犯行である可能性は?」
「正直、考えにくいところではあります。何せ近衛の二人に関して、既に死体が発見されております故」
「……なんてこった」
「遺体には激しい拷問を受けた痕が見受けられました。王室近衛軍でも随一の手練れであっただけに、残念で仕方ありません」
「訊くまでも無いだろうが、日本警察の方には」
「事情が事情だけに、報告はしておりません。彼らに関しては『訓練中の事故で爆死』とし、遺体は既に国の方へと」
「なら、やっぱ警備員の線が濃厚か」
結局、その結論に戒斗も行き着いた。
当日の警備状況を事細かに把握し、フロアの間取り、護衛の配置、その他諸々の要素を完全に把握した上で犯行に望める人間は、自然と彼らに絞られていく。
「で、連中だが……」
死亡したという近衛兵二人と、未だ行方不明の側近一人の写真から目を移し、残った四人の警備員の方へと視線を走らせる戒斗。しかしそれらは想像していたような日本人でなく、肌の色に多少の差異はあれど、顔付きはどれも外国人のソレであった。
「警備会社、というのは少し語弊がありましたね。その四人は米国の『ブラック・ウィドウ』社員です。所謂PMSCsって奴ですよ」
その名は、戒斗とて一度や二度じゃないほど耳に挟んだことがある。数多く存在するPMSCs――プライベート・ミリタリー・アンド・セキュリティ・カンパニーズ。日本語に直せば、民間軍事警備企業だ――の中でも特に大手の部類である企業だ。
米国の西海岸に本社を置く『ブラック・ウィドウ』が抱えるオペレータの多くは退役軍人であり、中には陸軍のデルタ・フォースや海軍のNAVY SEALs、海兵のフォース・リーコンに加え、英国からは第22SAS連隊、フランスはGIGNなどの部隊に属していた元特殊部隊員も、少数ではあるが雇い入れているという大企業だ。
写真と共に添付されている四人のオペレータの経歴をざっと流し読みしてみても、かなり厄介な相手であることは分かる。
まずは一人、最年長のウィリアム・ホーナー。茶髪の白人で、現役時代にはデルタに所属。湾岸戦争への従軍経験があり、『砂漠の嵐』作戦や『砂漠の剣』作戦、その他多くの公式・非公式問わず参加していたとのことだ。歳は既に四十を超えてはいたが、経歴だけを見ても、かなり厄介な人物ではあることが分かる。
次もアメリカ人だが、今度は短髪の黒人だ。名はレジー・トッド。こちらはまだ三十代と比較的若く、イラク戦争には陸軍の一兵士として参加していたようだ。
三人目はドイツ系の血が混ざった堀の深い顔のアングロ・サクソンであるジョン・ウェーバー。こちらもイラク戦争への従軍経験があり、戦闘工兵として参戦。マサチューセッツ工科大出身の、爆薬に関するスペシャリストらしい。
最後が日系三世で、二十代後半と四人の中で最年少のスティーブ・アルマー。海兵としてアフガンへ二年間の従軍だそうだ。
「こりゃまた、面倒な連中ばっかよく集めたことで……」
面子を見ているだけでも、頭が痛くなってくるような経歴の持ち主ばかりだ。特に厄介なのがウィリアム・ホーナーとジョン・ウェーバーの二人だ。元デルタなら言わずもがな、爆破解体のスペシャリストなぞ、どう見たって嫌な予感しかしない相手である。
「で? この戦争オタク達を、俺にどうしろと? まさかお見合い写真って訳でも無いだろうに」
資料を軽く放り投げつつ、大きな溜息を混ぜ、辟易したように戒斗は言う。
「サリア様の失踪直後、その四人もまた、姿を眩ましたようです。『ブラック・ウィドウ』本社の回答としては『その四人に関しては二週間前に解雇済みであり、当社は一切関係ない』と」
「見え見えだな」
「ええ。ですが幾ら見え見えといえ、我々にはこれ以上『ブラック・ウィドウ』の本丸へは手は出せない。それは無論、貴方も同じ」
二人が合意した通り、余りにも見え透いた回答だ。この一件に『ブラック・ウィドウ』自体が絡んでいるのは最早明らかなのであるが、当該オペレータは解雇済みであると言われてしまえば、それ以上突っ込んだことは出来ない。やってしまえば、逆に自分の首を絞める羽目になってしまう。
成程、上手く考えられた筋書きだ。誰に吹き込まれてこんなヤバイ橋を渡ってるかは知らないが、上手くコトが運べば万々歳。もし仮に四人が失敗したとしても『ブラック・ウィドウ』の本体にまでは被害が及ぶことは無い。どちらに賽が転がったとして、今まで通りに悠々と大手を振って歩けるというわけだ。
「だから、クビになったプー太郎を問い詰めろってか。俺は探偵じゃないんだぜ?」
「似たようなモノでしょう」
「ハッ、言えてらぁ。それで? 連中の居所は掴めたのか」
「それが、まだ――と言いたい所なのですが」
やたら芝居の掛かった身振り手振りを交え、しかし顔付きは神妙にモーリヒは言葉を紡ぎ出す。
「つい先刻のことです。四人の内の一人、スティーブ・アルマーの姿を捉えたと、私の手の者から連絡が」
「ヒューッ、到着早々に殴り込めってか。人使いが荒いことで」
戒斗も戒斗で、似たように大振りな仕草でわざとらしく言ってやる。しかしモーリヒは「いえ」と否定し言葉を遮り、
「まだ、その機ではありません」
「じゃあ、いつ行けってんだ。そのテの荒事の解決用に、わざわざ俺を雇ったんだろうが」
「アルマーは、もう少し泳がせることにします。上手くいけば、連中のアジトの所在を掴めるかもですし」
「冗談だろ? 誘拐の手口も不明、意図も不明、行動も不明。たった一つだけ分かることは、アイツらが本物のプロってことだけだ。アンタの手下がどんだけ優秀かは知ったこっちゃねえが、今を逃したら上手いこと煙に巻かれるか、さもなきゃ大事なエージェントを無駄に死なせることになるぜ」
「ご忠告は感謝します。ですがミスター・イクサベ。アルマーを捕らえたところで、奴が仲間の所在を吐くとでもお思いで? 拷問でも何でも、必要とあらば私達は手を下しましょう。ですが、それが万が一無駄足だった場合、今度こそ姫様への手掛かりを失うことになる。そうなれば損をするのは、私達アルスメニアの民だけではないはず。そうではないですか? ミスター・イクサベ」
このままでは堂々巡りだと、両者共に心の奥底では感じていた。戒斗の言うことも尤もではあるが、モーリヒの言い分にも一理ある。どちらも正しいのだ。結局は、どの手段を選択するかというだけ。
「……チッ、分ぁーったよ。俺だってプロだ。クライアントの意向には従うさ」
だが、意外なことに先に身を退いたのは戒斗の方だった。言葉を吐き捨てて立ち上がるなり、彼は踵を返して個室の出口に向かい歩いていく。
「では、また動きがあれば連絡を。あちらの携帯の方で構わないですね?」
その背中を呼び止めながら、しかし優雅にソファの背もたれに背中を預けたままでモーリヒはそう言う。
「分かってるよ。コイツだろ?」
モーリヒの言う『あちらの携帯』とは、たった今戒斗が懐から取り出し、ストラップだけを持って後ろ手にブラブラと垂らしている、古めかしい二つ折りの携帯電話のことだ。これもモーリヒから支給された物である。
「なーに、そう心配しなさんでも、報酬分の仕事はするさ」
「では、期待していますよ。暫くお待ち頂くことになりますが」
「へいへい。生憎こちとらドンパチは得意分野でね。今更ビビりゃしねーよ」




