Nobody Can't get Freedom.
その後モーリヒの連絡先やらを受け取って彼と別れ、再びZのコクピットへ乗り込んだ戒斗が次に向かった先は、喫茶店より程近い場所に在る大学病院だった。
昼間故に、一般向けの駐車場もまだ解放されている。適当なスペースへと手早くZを停め、ドアを開きアスファルトの地面へと足を付いた戒斗は、両の目に刺さる、肌を焼くような激しい日差しを手で覆って防ぎながら、そびえ立つ大学病院のビルを見上げる。
相変わらず、およそ病院とは思えない外観のビルだ。何かしらの複合研究施設と言われた方が、この大仰な外観にもまだ納得が行く。まあ、一応は”大学”病院なのだから医療関連の研究は行っているのであろうが。
駐車場からそのビルへと歩き、二重の自動ドアを潜って院内へ。特に怪我や病気というわけでもないので受付を通さず、そのまま素通りして院内を歩き出す戒斗。
靴の底がリノリウムの床を叩いて独特な足音を立てる度に、廊下を行き交う人の数は段々と疎らになっていく。そうしている内に彼は、遂に廊下の突き当たりまで来てしまっていた。
その場所は立地と窓の位置の関係故か、昼間にも関わらず、全くと言っていい程に陽の光が差し込んでいない。幾つか切れた蛍光灯の弱々しい光に照らされる廊下の雰囲気は何処か不気味さすら覚えさせられた。
左右に幾つもの研究室らしき部屋の扉があるものの、その殆どが使われていない様子だった。部屋の主を表すネームプレートが差さっていない辺り、元から空き部屋なのだろう。
そんな中で唯一、引き戸の隙間から電灯の光が漏れ出ている部屋があった。廊下の最奥も最奥、陰鬱な雰囲気のせいで近寄りがたい、廊下の突き当たりの場所だった。そこが、戒斗の目的とした場所である。
彼は別段臆することなく廊下を歩き、灯かりの漏れる部屋の引き戸に手を掛ければ、それを一切の躊躇無く引き開けた。
開いた扉の向こうは各種専門機械やパソコンが転がったデスクに薬棚、小さな一人用のベッドが置かれていおり、さながら診察室のような雰囲気。一応は病院なのだから当たり前といえば当たり前だが、しかし荒れ果てたこの部屋はおよそ患者を診察するに適するとは思えず、今もデスクの前の椅子に腰掛けディスプレイを眺める部屋の主の巣も同然な様相だった。
「おや、漸く来たか」
そんな部屋の主こと、この大学病院に勤める女医である最上 昴は椅子を回転させて視線を向けると、開口一番に戒斗へそう言い放った。
「君が遅刻とは、随分珍しいこともあったもんだね。これは今日あたり雪でも降るかな」
「生憎、仕事の関係で今回ばかりは、な。許してくれ」
「おや、また依頼でも受けるってのかい?」
「そんなところだ」
昴の対面に置かれた、恐らくは患者用であろう丸椅子に腰を落としながら、戒斗は辟易したように言う。
「ご苦労なことだね。で、今度はどんな相手に厄介事を押し付けられたんだい」
そんな戒斗の様子を見た彼女はククク、と薄ら笑いを浮かべ、椅子ごとこちらへ向き直ると脚を組み、肘掛けに頬杖を突いて、まるで値踏みでもするかのように戒斗を眺めている。その肢体は相変わらず、栄養失調かと疑いたくなるぐらいにやせ細っていた。枝毛が飛ぶウェーブの掛かった長い髪と、黒縁のスマートな眼鏡の奥にある生気の無い瞳が、その印象を加速させていた。
「あー、まあ、そのだな」
「ま、君にも守秘義務ってのがあるんだろう。そう無理して言うことは無いさ」
「いや、まあ、別にアンタに今更守秘義務どうこう言うようなアレでも無いけどよ」
しかし、このまま彼女にアルスメニアのことを言ってしまっても良いものだろうか。
「言っておくが、この部屋に監視カメラの類は無い。一応は安心してくれてもいいよ」
ま、気休めにもならないだろうがね。
そう言った昴に戒斗は結局、モーリヒ・シュテルンに依頼された事の経緯を話すことにした。
「ふーん……アルスメニアの姫様が、ねぇ」
大方を聞き終えた昴は顎に手を当て、少し考えるように唸りながら呟く。
「これ、どうにも裏があるように私には思えるのだけれど。どうかな戦部くん」
「期待通りの回答だ。流石だなドクター」
「褒めたって、何も出ないよ――それで? 君は裏が見えてるのを分かってて依頼を請けた、と。そう言いたいのかい」
昴の言葉に、戒斗は縦に頷いて肯定の意を示す。そんな彼の様子を見た彼女は呆れたように肩を竦めて、
「前々から言おうと思ってたが、君はとことん馬鹿なようだね」
「おいおい冗談は止してくれよ。一体俺のどこが、馬鹿だってんだ」
「馬鹿も馬鹿さ。世界規模の組織に喧嘩は売るわ、逃亡犯にはなるわ、挙句の果てには国際問題にまで首を突っ込むときた。ねぇ戦部くん。後何回死にかければ気が済むのかな、君は」
「お生憎様だぜ。最後以外は不可抗力だ」
「はぁ……全く、君という奴は」
大きく溜息を吐くと、彼女は椅子を回転させて、再びディスプレイと向き直る。
「君の求めていたモノは、これだろう?」
そう言って昴は手招きをし、ディスプレイを見るように指し示した。戒斗は彼女とデスクの間に割って入り、液晶画面に視線を巡らせる。そこに映し出されていたのは、とある人物の戸籍と来歴、そして顔写真だった。
「これは」
顔写真の男には見覚えがある。嫌というほどに。
戒斗が言葉を紡ぎ終える前に、耳元から昴の声が飛んで来た。
「前々から君に頼まれていた、連中の……ええと、なんだっけ」
「サイバネティクス兵士」
「そうそう。そのサイバなんちゃらの素体になった奴の戸籍データだね」
彼女の言葉通り、表示されていたのは”方舟”の造り出した強化兵士の一人である、麻生 隆二のデータだった。
「生憎、今の段階ではその麻生とやらについてしか分からなかったがね」
「十分だ。感謝するぜドクター」
そう。丁度凶悪逃亡犯の濡れ衣で追っかけ回され、身の潔白が証明された直後ぐらいの話だ。逃亡生活の間に遭遇した新たな敵であるサイバネティクス兵士の二人に関する調査を、各方面に様々なコネを持つであろう昴に頼んでおいたのだ。それが漸く出来上がったとの連絡を受け、こうして戒斗はついでに病院へと足を運んでいたのだ。
――麻生 隆二。
大方偽名だろうと高を括っていたが、意外にも本名だったらしい。現在は行方不明者扱いになっており、生きていれば年齢は十八になる。あの外観ではとてもそうには見えないが。
五年前、家族で行った旅行の帰り際に高速道路で大規模な事故に遭い、そこで親兄弟の全員と死別。麻生本人は生き残ったものの、両腕を切断し、ウィンドウの破片が突き刺さった眼も両方が失明したという。その上昏睡状態に陥り、以降は長期に渡って入院生活を送っていたというが……。
「ここから先の記録が無いな」
しかし、麻生が十五を過ぎた後からの記録の一切が白紙となっていた。昴の言葉によれば、ある日突然病室のベッドから忽然と姿を消したらしい。
「行方不明、ね……成程。大体読めてきたぜ」
「大方、君の想像通りだろうね」
――つまり、この日を境にして、奴は”方舟”と関係を持った、という感じだろう。
麻生の欠損部位も、全て義肢の部位と一致する。どんな経緯で麻生を見つけたまでは定かではないが、奴らにとって麻生は格好の実験材料だったことだろう。
「十三体の機械化兵士自体は、この時期より大分前に全個体が完成している。誰が関わってるかは私の知るところではないが、その辺を考えると一応の辻褄は合うね」
昴の言った通り、この仮定を当てはめたとすれば、奴が行方不明扱いになっている理由にも一応の説明はつく。
サイバネティクス兵士という強化兵士自体が、機械化兵士の技術を応用したモノだと、初めて相対した際に麻生本人の口から語られている。その機械化兵士の開発に直接関わった昴は、技術応用というよりも低コスト版、要は廉価版という見解らしいが、いずれにしても機械化兵士とサイバネティクス兵士は深い関係にあることは明白だ。
「それにしても、事故で、ねぇ。随分不幸なことだ。そうは思わないかい? 戦部くん」
「ああ。だが敵である以上、奴の事情がどうだろうと知ったこっちゃないさ」
確かに麻生の境遇は、不幸以外の何物でもない。事故で親兄弟全員を一気に失い、助かったといえ自分も両腕を吹き飛ばされ、眼は使い物にならなくなっているのだから。その辺りを思えば、奴が”方舟”に与することも分からないでもない。二度と使えないはずの腕を、二度と視えないはずの眼を再び与えられたのだ。恐らく奴を突き動かしている最大の要因は、その辺りにあるのだろうと予想できる。
だが、そんなことは戒斗に関係のないことだ。不幸だとは思うが、しかしそれだけだ。奴が最初に銃口を向けてきた以上、麻生は敵であってそれ以外の何者でもない。その時点で、戒斗にとって麻生の境遇は、彼の言った言葉通り”知ったこっちゃない”のだ。
「ありがとよ、ドクター」
デスクから離れ、戒斗は踵を返しドアの方へと歩いていく。
「そう焦るんじゃあないよ、戦部くん」
その声に振り向くと、こちらへ椅子ごと向き直っていた昴は何かを投げ渡してきた。それを片手て掴み取り、指を開いて手の中にあったのはUSBメモリ。
「持っていきな。ソイツが何の役に立つかは知らないがね」
彼女の口振りから察するに、恐らくは閲覧していた麻生のデータが丸々コピーされているのだろう。用意周到なことだ。
「お言葉に甘えさせて貰うさ」
そう言って、戒斗はポケットへUSBメモリを放り込むと、今度こそ昴の研究室より立ち去って行った。
彼の背中を見送りながら、独り研究室に残った昴は呟く。
「サイバネティクス兵士、ねぇ。こんな大それたことを考える大馬鹿者なんて、私には一人しか思い浮かばないさ――そうだろ?」
しかし、その問いに応える者はまだ、彼らの前に姿さえ見せていない。
答えの出ない問い掛けに、昴は自嘲気味にフッと笑うと、再びディスプレイに目を走らせていく。




