その運命は遥か、交わされし悠久なる契りの下で
「――で、アンタが槇村さん?」
所変わり、十二番倉庫内へ無造作に置かれた大きなコンテナの一つ。そこへもたれ掛かり腰を落としていた一人の女性に、満身創痍の戒斗は膝を付くと彼女と目線を合わせそう言った。
「……はい」
コクリ、と力なく頷く彼女。少し蒼みの掛かった髪を肩付近まで伸ばし、その下には品の良い顔立ち。そして何よりも切れ長の瞳が特徴的な彼女の名は槇村 凪――今回の依頼における救出目標であり、依頼主・斉藤 薫の親友たるシステム・エンジニアだった。
「あの……貴方は、一体」
「俺か?」
聞き返す戒斗に、凪は再び縦に頷き肯定の意を示す。先程制服警官から渡された簡素な毛布に包まった身体は、つい先程まで完全にひん剥かれていたことは想像に難くない。素足を露わにし毛布に包まる姿は何処か痛々しく、写真と違い眼鏡を掛けていない彼女のやつれ切った表情は、置かれていた環境を凄惨さを物語っていた。
「俺は……あー、そうだな。強いて言うなれば、麗しの姫君を救出せんと颯爽駆け付けた白馬の騎士、ってとこかね」
「――騎士にしては、些か物騒すぎるかと」
「ぬわっ!?」
背後から突然降りかかった静かなる声に思わず飛び退く戒斗。無論、いつの間にやら彼の背後に立っていたその声の主は無論、長月 遥だった。
「なんだ、遥か……驚かせやがって」
「戒斗、いつもの口八丁は良いけど……あまりに遠回しすぎて、槇村さん困ってる」
「え?」
その言葉に振り向いてみれば、確かに凪は目を右往左往させていた。当たり前か、と戒斗は今にして思う。つい数刻前まで、彼女は絶望のドン底に堕とされていたのだから。
「悪い悪い。俺は戦部 戒斗、傭兵だ。アンタのお友達らしい斉藤さんから依頼を受け、こうして参上仕ったわけ」
「薫、が……?」
依頼主の名前を出した途端、凪は驚いたように目を見開く。まあ当然だろう。こんな所で親友の名前を聞けば、こうもなる。自然な反応だ。
「そゆこと。という訳で俺の仕事はここまで。後はアンタの好きにしな。じゃあな――――ああ、そうだ」
立ち去ろうと戒斗は立ち上がり背を向けたはいいものの、何かを思い出しすぐに踵を返した。そんな彼の奇っ怪な行動をただ眺める凪と遥の二人。
「これも何かの縁だろ。何か困ったことがあったら、いつでも連絡してくれて構わねえぜ。料金は応相談、迷い子探しから鉄火場まで。今後とも戦部傭兵事務所をご贔屓に、ってな」
無造作に取り出した自身の名刺を、震える凪の手に握らせた戒斗は今度こそ彼女に背を向け立ち去っていく。
「戦部、戒斗…………」
凪が呟くのは、彼の――傭兵の名。しかし彼女にそれ以上のことを成す気力体力は残っておらず、ただそこに座ったまま、去り行く彼の颯爽たる後ろ姿を眺める他無かった。
ふと、頭上の天を見上げた。そこに広がるは曇天の空と、雲の切れ間より僅かに垣間見える幾千の星の瞬き。
戒斗はフッと微かに笑い、再び視線を落とし歩き出す。降り注ぐ雨粒が彼の肩を濡らすが、気にも留めず。
「……戒斗」
すると、いつの間にか彼のすぐ傍に立っていた小柄な少女――遥がこちらを見上げ、彼の名を呼ぶ。
振り向けば、見上げた彼女の手には一本のビニール傘が握られ、それを戒斗へと差し出していた。
「濡れて冷えれば風邪を引いてしまいますし。貰ってきました」
「……そうか。悪いな」
「いえ」
戒斗は大人しく彼女から傘を受け取り、それを片手で展開する。ワンタッチ式のビニール傘はバネ仕掛けで開き、透明なビニールが彼の身体を丸々覆い隠し、天より降り注ぐ雨粒より防ぐ。
「遥、お前は?」
見れば、遥の手にはあるべきもう一本の傘。即ち彼女の分は何処にも無かった。
「私は……」
遥は一瞬逡巡したような仕草を見せると、意を決したように飛び込んだ。
「おいおい……」
「私は、これで十分なので」
何処か声の上擦った彼女――戒斗の左腕に自身の腕を回し引っ付く遥の姿を眺め、戒斗はやれやれ、といったように呟く。
「これで、依頼は終わり?」
「ああ。無事に救出対象も生きて帰ってきた。これで俺の……いや、俺達の仕事は終わりだ」
「俺達、ですか……ふふっ」
「何かおかしかったか?」
その問いに、遥は彼の腕により一層、強く寄り添い応える。
「はいはい。ったく、困ったお姫様だこって」
「でも、貴方は選んでくれた」
「それを言われちゃあ、何も言えねえや」
そうして二人歩いていると、自分らに近付く影が一つあることに気付いた。周りに不幸を伝染させるほどに不幸面な、無精髭の目立つ、くたびれたスーツ姿の壮年の男。そんな特徴しか見当たらない男の名など、戒斗は一つしか思い当たらない。
「高岩さん」
男――刑事、高岩 慎太郎にそう呼びかけてみれば、彼は後頭部を掻きながらバツの悪そうな顔で、
「あー……悪い。お邪魔だったか?」
なんてことを言うもんだから、
「っ……!」
今更になって自分の行動の大胆さに気付いた遥が、俯き顔を真っ赤にして硬直してしまった。
「いや、別に問題はねえ……俺は、だが」
「にしても意外だな坊主。お前さんのことだからてっきり……」
「何だ?」
「いや、何でもねえ。それより今回の件だ」
紡ぎかけた言葉を閉じてしまった高岩は、強引に話題を転換するようにそう告げた。そんな彼の態度を怪訝に思いつつも、戒斗は黙って頷く。
「まずは拉致監禁・人身売買事件の解決、ご苦労だった。俺達も追っていたヤマだ。横取り感があるが……まあいいだろう。社長の谷岡が現行犯逮捕されたことで、『エクシード』にも漸く強制捜査を入れられる。感謝するぞ坊主」
「前置きはいい。高岩さんよ、アンタが本当に言いたいのは、んなことじゃねーだろ」
「よく分かってるじゃないか。そいじゃあ坊主、率直に訊くが……」
一分の間を置き、高岩は口を開くと本題を告げる。
「――――あの連中、一体何者だ?」
やはりか、と戒斗は内心でそう思っていた。高岩の言う”あの連中”。十中八九、途中で絡んできた”方舟”の連中のことだろう。
「目撃情報じゃ、確実に『エクシード』関連の人間じゃないことは確かだ。職質に向かった警らの連中が何人かやられてる。幸いにも殉職は出なかったが……皆軽かれ重かれ負傷した」
「……それを訊くか、高岩さん」
「ああ。この前の件といい、ここまでされちゃ警察としても黙ってられん」
「なら尚更だ。この件からは手を引いておいた方が賢明だろうよ」
「何故だッ」
「――――敵は、外だけじゃないってことだ」
戒斗の一言に、高岩は口ごもる。言葉に込めた含みを察してのことだろう――”方舟”の組織は余りにも大きい。警察組織内にまで手が伸びているのは確実だ。だからこそ、戒斗はこの高岩という、何処までも真っ直ぐな刑事に関わって欲しくは無かった。だから、手を引けと告げたのだ。
「こんだけ言えば分かるだろ、アンタなら」
「だがな坊主」
「アンタは組織の人間だ。俺達傭兵とは違う。分かってくれ高岩さん。一介の刑事にゃこの件、荷が重すぎる」
何か言い返そうと口を開いたはいいものの、言葉が見つからずに高岩は舌打ちを交え口を閉じ、胸ポケットから取り出した煙草を咥える。
「……俺には、無理だと」
「ああ」
「んで、お前には出来るって」
「ああ……いや、俺だからこそ、だ」
「因縁か、それとも復讐か?」
「両方だ」
「両方?」
「ああ。奴らが何を企んでるのかは知らん。だが俺と、俺の周りにちょっかいを出してきたのが気に食わねえ。それだけだ」
「だから、組織を潰す」
「それ以外に理由が要るか?」
戒斗がそう言えば、高岩は堪え切れなくなったように笑いだした。「何がおかしい」と戒斗が問うてみれば、高岩から帰ってきたのは、
「いや……何。実にお前らしい理由だと思ってな」
そんな一言だった。彼は一通り笑い終えると、愛用の古ぼけたジッポー・オイルライターで煙草の先端に火を点し紫煙を燻らせる。
「まあいい。分かった。お前の言う通り、俺はこの件からは遠巻きになる。だがな坊主。これだけは覚えておけ」
「何だ」
「俺とて一度首を突っ込んじまった身だ。可能な限り力にはなる」
「……ヘッ、素直じゃねえな」
「ソイツはお互い様だ、坊主」
「――と、いう訳でだ斉藤さんよ。無事に依頼は完遂した」
≪ありがとうございます! ありがとうございます! 本当になんて御礼を申し上げたらいいのか……≫
「良いってことよ。そいじゃあ料金の件は追って連絡するから。俺もプライベートがあるんでな。この辺で失礼させて貰うとする」
≪分かりました。あの……今回は本当に、ありがとうございましたっ!!≫
「はいはい。毎度どうも。今後とも我が戦部傭兵事務所をご贔屓に」
最後にそう告げると、戒斗はスマートフォンを耳から離し、通話終了のボタンをタップ。依頼主たる斉藤 薫との通話を終えた。
「……もう、良いんですか?」
「ああ。待たせちまったな、遥」
「いえ、それ程待ったわけでもありませんし」
愛用のスマートフォンを制服ズボンのポケットにねじ込みながら、後ろに立っていた遥とそんなやり取りを交わす戒斗。彼ら二人が居るこの場所は、私立神代学園の屋上。日本に舞い戻って以来、幾つもの刻を過ごしてきた、戒斗にとっても中々に思い出深い場所だった。
そして、彼は天を仰ぐ。既に直上を僅かに通り過ぎた昼下がりの太陽は未だその熱気を存分に放っており、夏の残滓を余すことなく振りかざしている。その周囲に際限無く広がる蒼穹の空と、幾つか浮かぶ純白の雲。
「……? どうしたの、戒斗」
「いや、別にどうという訳じゃ無いんだが」
言いながら、戒斗は腰を落とし、手近なフェンスへと背中を預けもたれ掛かる。そしてその隣へ、同じように腰掛ける遥。以前なら彼女がこんな行動を取れば驚きの一つや二つ見せたものだが、今となっては別段不自然なことでは無くなっていた。寧ろ、戒斗にとって好ましいことでもある。
「確か…………お前と出逢った日も、こんな感じだったって思ってよ」
「言われてみれば」
思い起こすのは、あの日の記憶。確か豪華客船”龍鳳”での一件――香華絡みの依頼が舞い込んだ翌日だっただろうか。突如現れた二人目の転入生には驚かされたものだ。尤も、今となっては戒斗のクラスに転入生は一人や二人なんてレベルじゃないのだが。主に香華のせいで
『……遥、でいい――――名前。戒斗と琴音、多分優しい人。優しい人には、名前で呼んで欲しい』
僅か数ヶ月前のはずなのに、悠久の彼方の記憶にすら感じる言葉が彼の脳内を閃光のようにフラッシュバックする。初々しい彼女の姿を思い出し、戒斗は思わず笑みを零す。
「あの時はお互い傭兵とも、忍者とも知らなかったんだよな」
「……ええ。そしてあの”龍鳳”で再び会いまみえた」
「あン時は死ぬかと思ったマジで。っていうか俺、よく考えたら遥に勝てた試しが一度も無いんだが」
「私は私で、戒斗の素顔を見た時は動揺のあまり動けなかった」
「あー、アレそうだったのか。よく分からんけどチャンスだと思って逃げたが」
豪華客船”龍鳳”内で遥と二度目の戦闘時、確かに彼女が動揺を見せ硬直したのを戒斗は覚えていた。今にして思えば、都合よく自分が気まぐれでサングラスを外し、素顔が露わになったからだと理解出来るが……。運が良かったとしか言えない。あのままマトモに闘り合っていたのなら、屍を晒していたのは確実に戒斗だったのだから。
「懐かしいですね、今となっては」
「ああ。この短い間によくもまあ、ここまで濃密な時間を過ごしたもんだ」
「……極め付けが逃亡犯だものね、戒斗」
「それは冤罪だろうが」
半笑いで言うと、戒斗は漸うと立ち上がる。
「ま、思い出話はいつでも出来るさ。今日ぐらいは顔出しとかねえと、鬼の生徒会長様にドヤされちまう」
言いながら、立ち上がりかけた遥へと戒斗はその手を差し伸べた。
「……尤も、授業をサボった分際で生徒会にだけ顔を出すというのも、どうかと思いますが」
差し出された彼の手を、遥は迷うことなく取った。自身と比べると大きく、そして無骨な手。しかし彼女にとって何者にも代え難い彼の掌は、触れるだけで充足と安心を自身に与えてくれる。
「そういうお前も、共犯だろ?」
力強く、しかし何処か優しく遥を引き寄せる戒斗。その双眸に以前のような曇りは無く。迷いの断ち切れた瞳は、真っ直ぐに遥の姿を見据えていた。
「ふふっ、それもそう。戒斗と私は、常に共犯者だった」
引き寄せられた遥もまた、彼を見上げつつ、その小さく華奢な身体を戒斗の胸元へと預ける。
「そういうことだ。共犯者は共犯者らしく、最後まで付き合ってもらうぜ? それこそ――」
「――煉獄の果てまでも、でしょう?」
遥の言葉に戒斗はヘッ、と笑うと、彼女の手を引いて駆け出した。
――――先の自分に、どんな運命が待ち受けているのかは分からない。分かりたくもない。きっと凄まじく面倒なんだろうな、と戒斗は思う。
しかし、それもまたアリだと思わせていた。彼女が――遥がそこには居るから。
「中々に七面倒くせえ人生だが……」
精々、楽しむとしよう。
例え自身に待ち受ける運命が、血と砲火、硝煙の弾けた臭いに塗れる砲金色の運命だとしても。この先何度絶望したとしても――――
――――――彼女と交わした悠久の契りに、嘘はないから。
待 た せ た な
……はい。お待たせしました。ということで第六章『GunMetal Color's Fate』編、堂々完結です。
ここからは告知。
以前にコラボ企画をやらせて頂いた旗戦士様の作品『なんでも屋アールグレイ』とのコラボ企画第二弾がまさかまさかの正式始動です。
近日公開の運びとなりそうでありますので、そちらもよろしくどうぞ。前回同様、所謂劇場版みたくパラレルワールド的な立ち位置の単発別作品となる予定です。
前回のコラボ企画作品『The Twin Bloody Bullets -”黒の執行者”特別篇-』もシリーズ関連付けから飛べるかと思いますので、よろしければご一読くださいませ。




