常世の闇を祓うは、上弦の月影を纏いし我が刃
「――ここで会ったが百年目ですね。”黒の執行者”」
「うるせぇぞ、クソガキ。その名で俺を呼ぶな」
口先では余裕を見せるように返すものの、戒斗は焦燥の表情を隠し切ることは出来なかった。
彼の正面、構えたレミントン・ACR突撃銃の銃口の先に立つ、気色の悪い薄ら笑いを浮かべる少年――”方舟”の造り出した改造兵士ことサイバネティクス兵士の一人、麻生 隆二の存在が余りにも戒斗にとってイレギュラー過ぎる存在だったからこそ、彼は額から汗を滴らせ焦っているのであった。
そもそも、今回の敵対勢力であるIT系ベンチャー企業『株式会社エクシード』と麻生達”方舟”とは、何の関わりも無かったはずだ。強いて言うならこの間の十二番倉庫でのガサ入れの時に居たぐらいか。しかし、それに関しては『エクシード』の情報提供を見返りとして受けた依頼であり、奴らは何も関係が無いはず。だからこそ、戒斗には麻生がこうして、まるで彼が来るのを予め予見していたかのように待ち構えていた理由が、全く分からないでいる。
「何故テメェはここに居る」
全身の筋肉が強張る感触を感じつつ問うた戒斗の言葉に、麻生はまたも気味の悪い、ねっとりとした張り付くような笑みを浮かべると、その問いに答える。
「知っていたからですよ。貴方がここへ来ることは、初めからね」
「どういうことだッ! やはり貴様ら、『エクシード』に一枚噛んでやがったなッ!?」
「答える義理はありませんよ。ま、彼らと関わりが無かったと言えば、それは嘘になりますがね」
口を濁す形になったものの、麻生は遠回しに”方舟”と『エクシード』の関連性を肯定した。しかし、奴らが『エクシード』と関係を持って、何のメリットが……?
「大体、俺達が来ることが分かってただと……!?」
言葉を紡ぎつつ、戒斗は一つの結論に行き着く。簡単な結論だ。内通者。その存在が無い限り、麻生が戒斗の奇襲を察知することなど不可能だったはずだ。
しかし、思い当たる節が何処にも見当たらない。そもそも今回の奇襲作戦、大した数の人間に知らせては居ないのだから。実働部隊の遥は別として、物理的にも電子的にも口の堅い瑠梨が情報を漏らしたとは考えにくい――ましてや、相手が彼女と少なからぬ因縁を持つ”方舟”なら、尚更のこと。
他に情報の漏れる隙間といえば……後に思いつくのは、事前に知らせておき、解決次第動くように頼んでおいた刑事、高岩。消去法で行くと残った選択肢は彼しか残らないが……まさか、彼が? 考えにくいことだが、万が一、という可能性もある。
「まぁ、どうでもいいでしょう。そんなことは、どうでも、ね。それよりも――」
そう言うと、麻生は隣に置かれていた長方形型の大きな木箱を蹴り開ける。そしてその中身を両腕で持ち上げ、巨大な物体を見せつけるように掲げた。
「これまでの屈辱をたっぷりと晴らしてやりましょう。僕の全力を以て、貴方を殺して差し上げます。”黒の執行者”――ッ!」
「――冗談キッツイぜ、キャリパー.50だとッ!?」
麻生の掲げた得物を見た瞬間、戒斗は全身が震え上がるような本能的な恐怖を覚え、全速力で走り出し横っ飛びでコンテナの陰へと飛び込む。麻生はニヤリと笑い、その人工皮膚の剥離した金属光沢を放つ両腕に携えた巨大な得物――ブローニング・M2HB重機関銃を振り回し、射撃を開始した。
「クソッタレッ!」
飛び込んだ先のコンテナに背中合わせになるものの、麻生のM2から放たれる12.7mm弾によって薄い鉄のコンテナはどんどん凹んでいく。この程度の装甲なら、数分と持たずに戒斗ごと貫通してしまうだろう――危機感を感じた戒斗は意を決し、ACRを構えつつコンテナの陰から飛び出す。
「逃げても無駄ですよぉ!!」
慣性を使い、胴体ごと両腕を振り回すようにM2HBの向く銃口の先を移動させていく麻生。戒斗も負けじと走る合間に制圧射撃を加えていくが、走ることに集中した状態での射撃。当たりはしない。それは麻生も同様で、義手の規格外な腕力を以てしても重い重機関銃を振り回しているが故、一歩遅れた所を撃ち抜いてしまっている。違いがあるとすれば、麻生の節々には余裕が垣間見え、戒斗にはそれが無い、ということだろう。
「畜生、瑠梨! プランBだッ! さっさと高岩さんに連絡してくれッ!!」
広間から逃げるように、戒斗はガラス窓に飛び込み、身体でブチ割って侵入。どうやら警備員詰所らしいその場所で困惑の表情を浮かべていた連中をACRの一掃射で無力化しつつ、インカムに向かって叫ぶ。
≪ちょ、ちょっと戒斗!? 一体何が――≫
「説明してる暇は無ぇッ! まだ俺はキャリパー.50でミンチにされたか無ぇんだよ!!」
困惑する瑠梨に叫びつつ、戒斗は自分でブチ破った窓からチラリと顔を出して様子を窺う。
「ふふふ……逃げなさい、逃げなさい。”黒の執行者”……ただ殺すだけでは、つまらない」
するとその向こうには、恍惚の表情を浮かべ、ゆっくりと、一歩ずつ踏み締めるようにしてこちらに歩いて来る麻生の姿が見えた。戒斗の錯覚ではない。確実に奴の両手には、ブローニング・M2HB重機関銃が握られていた。
「ったく……どこまでも常識破りなヤロー共だこと」
その重量と、弾薬の凄まじい反動が故、M2重機関銃は人間が手で持ち歩いて射撃することは設計上、想定されていない。しかし麻生の持つモノは、可能なように各部が改造されているようだった。後端の射撃装置はピストルグリップ型の片手で握り込む形に変更。銃身根本のヒートカバー部には、もう片方の手で保持できるように太い取っ手――キャリング・ハンドルが無理矢理取り付けられ、頑丈に溶接されている。機関部の左へと延びる12.7mm弾が連なる弾帯は麻生の左腕、キャリング・ハンドルを持つ腕に幾重にも巻き付けられた上、胴体にも袈裟掛けの形で、更に二重、三重と巻かれていた。信じられないような話だが、一発一発が大きく重量のある12.7mm弾を、目測だが奴は数百発は持ち歩いている。益々『サイバネティクス兵士』とやらが、如何に人間の常識とかけ離れた規格外な連中かということを、戒斗は再度、身を以て実感させられた。
「B級アクション映画じゃねえんだ、テメーはスタローンか!? それともシュワルツェネッガーかッ!」
「機械である点を鑑みれば、後者の方が近い比喩でしょうね――そこですか。見つけましたよ」
咄嗟に床に伏せった戒斗の頭上を、壁を紙っぺらのように貫通して飛び過ぎる12.7mm弾。弾道の大体の目測を立てつつ、それに触れないよう戒斗はゴロゴロと床を転がって、元来た方向の狭い通路へと引き返していく。
「これだけ狭けりゃ、振り回しづらかろうて」
「それはどうですかね――ッ!!」
戒斗がホッと一息ついて呟いた途端、麻生はそう言いながら義手の肘打ちで壁を無理矢理突き破り、戒斗のすぐ目の前へと姿を現した。
「なんて野郎だ――出来の悪いパニック・ムービーのの主人公になったつもりは無ぇぞ、俺はッ!」
麻生がM2を構え直す直前に、戒斗は真後ろに向かって一目散に走り出し、間一髪のところで曲がり角に飛び込んだ。数瞬まで自分が居た所を切り裂き、壁面に外界へと繋がる、換気扇代わりの大穴を穿つ.50BMG弾。
「逃げないで下さいよぉ。つまらないじゃないですか」
「んなイカれた得物でOK牧場の決闘と洒落込もうってか、冗談じゃねぇ! おととい来やがれこのスカタンがッ!!」
更に道なりに逃げつつ、曲がり角から見えたM2重機関銃の銃身向かって当てずっぽうにACRを弾切れまで連射する戒斗。流石に生身の部分に当たってしまってはマズいと思ったのか、麻生は一度踏みとどまり、銃撃をやり過ごす。
≪――戒斗! 戒斗ッ!!≫
「遥かッ!?」
インカムからやっと聞こえてきた遥の声に、戒斗は走りながらACRの空弾倉を落とし、チェストリグから取り出した新たなP-MAG弾倉をレシーバーへと乱暴に叩き込みつつ応える。
≪待ってて、今すぐ助けに≫
「待て、遥ッ! このクソガキは俺がなんとかしてみせる! 奴が居やがるってこたぁ、恐らくお前さんの方にも――」
≪――ッ≫
戒斗がそう言いかけた途端、インカムの向こうから彼女の焦燥の声が聞こえ、そこで通信は途切れてしまった。クソッ、と毒づきつつ、戒斗は再び向かい来る麻生に向かって掃射。裏口の内ドアを蹴破り、そして窓ガラスに飛び込むと、倉庫の外に飛び出していった。
「――ッ!?」
戒斗を救援に向かおうと一歩踏み出した瞬間、背筋に刃を当てられたかのような尋常ならざる殺気を感じた遥は、脊椎反射に等しい速度で咄嗟に身を捩らせた。瞬間、今の今まで身体のあった空間を斬り裂く、一筋の刃。
「この太刀筋……まさか!?」
「ほう、躱したか」
振り向いてAS-VALを構えてみれば、その先に立っていたのは彼女の思った通りの男だった。身長は190cm近い長身痩躯で、整った凛々しい顔。流麗な蒼みがかった長髪を頭の後ろで結ぶその男の手には、60cmを超える長さの刀身を持つ、一振りの日本刀があった。
「山田……山田、勲」
「やっと某の名を呼びおったか。お主の名は確か……ああ、思い出した」
「貴方に構っている暇は……無い!」
山田との距離は約七m少々。遥は迷うことなく、両手に構えた消音突撃銃、AS-VALの引き金を引いた。
「ふっ……!」
しかし山田は少し口元を吊り上げると、遥が引き金を引くと同時に手持ちの刀を振りかぶり、一歩踏み出した。左眼に仕込まれた義眼が起動。生身の虹彩を模ったカバーが開かれると、彼の体感する時間感覚は、機械化兵士のソレと比較すると僅かな時間であるが、通常よりも引き伸ばされる。自分へと迫り来るSP-5特殊弾の弾道を予測し、それに応じて右腕義手が動く。刃を振るって弾頭を斬り払いつつ、遥へと迫る。
「斯様な無粋極まる飛び道具など」
「やはり、時間稼ぎにすら――!!」
「我らの果し合いには――無用ッ!!」
迫り来る山田へと残弾の無くなったAS-VALを投げつけ時間稼ぎとし、その間に遥は左腰に差した鞘から日本刀型高周波ブレード『一二式超振動刀”陽炎”』を抜き放ち、構える。身は半身に。両の手で順手に柄を握り締め、右の脇を広げて肘を高く上げ、反対に左腕の脇は締める形を取った。刃を上に向ける形で水平に倒した刀身を支える柄を、顔のすぐ横まで引き付けた形だった。
「いざ!」
山田は飛んできたAS-VALの機関部を刀身の腹で叩き払い、下段に刀を構え遥へと接近する。
「尋常に……!」
「「――勝負ッ!!」」
二人の言葉が重なると同時に、互いの刃も重なった。下から振り上げられる山田の刃を、遥は叩き伏せるようにして防御。鋼と鋼が激突し擦れ合い、舞い散る火花。
「ふっ……!!」
鋼を叩き伏せた刀身をその勢いのまま捻り、遥は横薙ぎに斬り返しの一撃を放つ。
「悪くない」
しかし山田も山田で、叩き伏せられたものの、柄を持つ両腕に力を籠め素早く引き戻した刀身の峰で、遥の一撃を受ける。
「お主、遥とやら」
そのまま遥の持つ『一二式超振動刀”陽炎”』の刃を絡めとり、上方へと払い飛ばす山田。
「まだ……ッ!」
「随分と」
そのままの勢いで手首を捻り返し、叩き付けるような縦一文字の一撃を放とうと上段に構えた山田と、刃を振り払われたことによって生じた大きな隙を補い隠すように、大きく一歩、後ろっ飛びに飛んで距離を取る遥。
「良き眼をするようになったッ!!」
しかし、それでもまだ距離は足りない。長き刀身のメリットを最大限に生かした、質量により増大する重力加速度を利用した山田の思い縦一文字の一撃。遥は着地と同時に刃を横に倒して構え、振り下ろされた渾身の一撃を正面から受ける。
「重い……!!」
「好敵手の成長、某、感涙の極みだッ!!」
想像以上に重くのしかかる斬撃に、刀を握り締める遥の小さき両手が、両腕の筋肉が悲鳴を上げる。しかしなんとか外側へと押し返し、払い除けた。
「此の身、我が背に背負うは月影……!」
遥は低く身を落とすと同時に刃を返すと、右下からの袈裟掛けの一撃を放つ。
「ぬっ、しかし!」
一瞬焦りの表情を浮かべた山田だったが、すんでのところで引き戻した刀によって致命傷の一撃を受け止める。
「我らは輪廻の輪より外れし者共。其の刃、天雷の如し」
しかし、放った一撃を受け切られる所まで、遥は既に織り込み済みであった。受けられると同時に手首と、そして連動して刃が捻り返り、左からの短い横薙ぎを放つ。
「何――ッ!?」
その斬り返し、一瞬。あまりに素早き動きに山田は付いていくことが出来ず、思わず左手を柄から離し、構えを解いてしまった。義眼を起動することによってやっと、ギリギリのところで躱す。後ろに反った背骨が軋み、首の喉仏付近の薄皮一枚が、遥の持つ『一二式超振動刀”陽炎”』の切っ先によって削がれる。
「以前より格段に強くなったようだな、お主……!!」
たたらを踏むものの、山田は踏み止まり、構え直すと再び縦の一撃を放つ。その顔は嬉々とした表情で、まるで待ち望み焦がれていた者と出逢うことのできた刻のよう。
「遥とやら、刻むがいい! 某が渾身の一撃を――ッ!!」
「蔓延る常世の闇を祓いしは我、上弦の月影を纏いし我が刃――我こそは宗賀衆が上忍也――覚悟ッ!!」
二人は同時に踏み出し、そして閃光の如し一撃を互いに振るいすれ違い、そして立ち止まった。互いの位置が逆転し、背中と背中を突き合わせ立つ二人の影。そして、
「――が、はっ」
先に倒れたのは、山田の方であった。胸を抑え、膝からくずおれた彼の胸には、袈裟に裂かれた一条の刀傷があり。床へ落ちる赤き液体は、彼の身体から滴り落ちる血の色であった。
「見事だ、遥」
「……一歩甘ければ、私がやられていた」
そう言う遥の纏う忍者装束。左の肩口は一ヶ所が縦に裂けており、浅くではあるが削がれていた。
「某の完敗のようだ。宗賀の忍よ。止めを刺せ」
覚悟を決めたように向き直り、息を荒くしつつも正座しそう告げる山田だったが、遥は止めの一撃を放つどころか、一度血と脂を払うように刃を振ると、その手に持つ刀――『一二式超振動刀”陽炎”』を左腰の鞘へと収めた。
「何故だ……何故止めを刺さないッ!?」
「……ここで、勲。貴方に止めを刺すのは、確かに道理でしょう。それは分かる。だが――先程も言った通り、私は貴方に構っている暇が無い」
「主の身を、案じてのことか」
「ええ。しかし私は……宗賀衆の忍としての責務と同時に、一人の人間として。戒斗を殺させるわけにはいかないと感じている」
そんな遥の言葉を聞いた山田はフッ、と少し笑うと、自らの振るっていた刀を床に突き刺し、杖のように体重を掛けると、ゆっくりだが立ち上がる。
「お主に拾われた命だ。この借りは、いずれ」
「気にする程の事でもない。借りを返すというのなら、次の戦場で」
遥はそれだけ告げると、山田に背を向け、歩き去っていく。しかし山田は今一度その背中へと声を掛け、引き留めた。
「暫し待たれよ!」
無言のまま振り返る遥に、山田は言う。
「某の本来の目的は時間稼ぎだ。尤も、大して稼げてはおらぬが――今の隆二相手では、遥殿の主はおろか、其方でさえ立ち向かうのは難しいであろう」
「……どういうこと」
「彼奴は.50口径の重機関銃を持ち出している上、身体に強力な負荷を掛けた上で、サイバネティクス兵士としてのリミッターを解除し、強化している。どうやら主殿に二度も三度も顔に泥を塗られたのが、よっぽど頭に来ているらしい。下手をすれば命を落としかねない故、止めておけと忠告したのだが――そんなことはどうでもいい。いいか遥殿。絶対に奴と戦うんじゃない。逃げるんだ。兎に角どこでも。兎に角逃げ切ってくれ」
「……礼は、言わない」
「別に礼など求めてはおらぬ。これは、そうだな……敵に命を拾われた男の、単なる独り言であろうか」
遥は一度山田の姿を一瞥すると、今まで居た牢獄近くの部屋を後にしていく。最早なりふり構っては居られない。もし彼の言ったことが真実だとしたら、戒斗の身が危ない……!
右腰のシェルパ・ホルスターから抜き放った自動拳銃、スプリングフィールド・XDM-40を連射し、外へと通じる最も手近な窓ガラスをブチ破る。鉄板の仕込まれた腕甲で、弾痕の穿たれたヒビだらけの窓ガラスを突き破ると、遥は雲の切れ目から覗く月を背に飛び出した。
そんな彼女の姿が、見えなくなるまで眺めていた血塗れの山田は独り、呟く。
「もし、出会いが敵同士で無かったのであれば……いや、もし某が道を違える前であれば」
長刀を杖代わりに、山田はゆっくりとした速度で歩く。
「――いや、それは叶わぬこと。夢物語よ。あの忍は我が人生、最大にして最高の好敵手。それでよい。それが全てだ」
そして、夜は更に更けていく。




