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黒の執行者-Black Executer-(旧版)  作者: 黒陽 光
第六章:Gunmetal Color's Fate
73/110

GunMetal Color's Fate.

「ねぇ、ちょっと、ちょっと琴音ってば」

 横から飛んでくる香華の小声に気付いた琴音は「なに?」と自分も小声で返しながらそちらの方を向く。ちなみに現在は五限目の授業中で、黒板の前には担任代理こと秋川あきかわ 朋絵ともえ教諭がチョークを手に、必死に背伸びをしつつ、微分方程式の数式を板書しているところだ。

「どうしたのよ、一体」

「いやだから、何が?」

「何が、じゃないわよ。戒斗よ戒斗。アイツ昼休みまで居たじゃないの」

「あー……」

 そういえば、朋絵ちゃんに伝えてないや。

 琴音は今更にして、戒斗が保健室で休んでいることを伝えていなかったのを思いだす。まあ、何故か毛ほども気にした様子が無い朋絵も朋絵だが。わざとか? いや、彼女のことだ。真面目に彼の存在を忘れている可能性だって否定しきれない。そう易々と忘れられるような空気の薄い男とも思えないが。

「で、どこ行ったのよアイツ」

 段々と詰め寄ってくる香華に、琴音は事のあらましを簡単に説明してやった。すると「ふーん……」と顎に手を当てて頷く香華。

「戒斗でも体調崩すことってあるのね」

「え? あ、うん……なんか様子おかしかったし。今回はサボりじゃなくて真面目に具合悪いんじゃないの?」

 琴音の一言に、「かもねぇ」と納得したように香華は頷く。

「なら後で、お見舞いにでも行ってあげましょうか」

「お見舞い?」

 そんな香華の提案が一瞬理解できず、思わず聞き返してしまう琴音。

「そりゃあ? どうやら一応アイツ、病人みたいだし。所謂アイツの『お友達』の私達が、様子を見に行ってあげてしかるべきじゃない?」

「いい考えかも。戒斗が伏せってるところなんて、そう見られるもんじゃないしね」

 いつしか談笑のような雰囲気となった二人でクスクスと笑いあっていると、教壇の向こうから飛んでくる朋絵の声。

「ほらそこー。折鶴さんに西園寺さぁーん。授業中は静かに、ね?」

「「はぁーい」」

 名指しで注意を喰らってしまった二人は不本意ながらも話を途中で切り、黒板へと視線を戻した。

 ふと、壁掛け時計を見れば、時刻は午後二時丁度を指していた。五限目が終わるまで後二十分。六限との合間にでも、ちょっと保健室に顔を出しておこうかな。琴音はそんなことを思った。



















 立っていた。何もない、地面と空の区別すらつかない、何処までも続く真っ白な場所に。


 ――よう。


 ふと、目の前の景色が揺らぐ。果たしていつから居たのか。今か、過去か、それとも未来か。そんな時間の境界線すら曖昧な世界に、黒い人影が立っている。

「お前は、誰だ?」

 気付けば、今この場所に存在しているかも定かじゃない『自分』という存在は、その黒一色に染め上げられた人影へと問いかけていた。


 ――俺はお前であり、そしてお前は俺。


「どういうことだ。理解出来るように説明しやがれ」


 ――仕方ない。物わかりの悪いお前の為に特別ヒントを与えてやろう。『俺は、お前の裏側であり、内面』……いや、違うな。どちらかといえば『お前が真に在るべき姿』と言ったところか。


「俺の、真にあるべき……?」

 奴の言葉が、理解できない。いや、理解はしている。しているのだが、頭と心で処理が追い付かない――追い付こうとしない。拒絶している。最も、今この場所で『頭』そして『心』なんて不確定なモノが存在しているのかは分からないが。少なくとも、そう感じ取れた。


 ――ここでお前は、立ち止まるのか?


「な、に?」


 ――それも良いだろう。お前自身の選択だ。だが、今までお前が捨ててきたモノ、奪ってきたモノは、どうする気だ?


「捨てる……? 奪う……?」


 ――そうだ。お前は今まで、戦う為に全てを捨ててきただろう。――の為に。それを今更、無かったことにでもしようというのか?


「……めろ」


 ――今まで奪ってきたモノ達は? お前の目的の為に、お前が何処までも利己的に、そして何処までも一方的に奪っては捨ててきたモノ達は。


「……やめろ」


 ――彼らはお前に対し、どう思うのだろうね? 一方的に奪っておきながら、何も成せない、君に対して。


「やめろ」


 ――『目的の為に』と自分にも、他人にも嘘をついて、それを言い訳にして一方的に奪い取ったお前が、次はどんな嘘をつく?


「やめろ……」


 ――それじゃあ結局、お前が奪った犠牲は全部、無駄だったってことじゃないか。


「やめろ、やめろ……!!」


 ――目的すら果たせずに、今度はそれから逃げる。そんな腑抜けたお前が生きてて、一体何の意味が、価値があるってんだ。


「やめろ……ッ!!」


 ――何の為に、生きてるのかな。


「やめろ、やめろ、やめろッッッ!! もうやめてくれ! 十分だろう! 俺は、もう嫌なんだッ! ――なんて事の為に全てを捧げて、全てを奪い取ってッ! じゃあ結局その先に何があるってんだ! そんなことに、意味があるってんのか!? 何も残らねえじゃねえかよッ! 結局、こんなこと全部ッ!!!」

 いつの間にか『自分』は膝を折り、泣き叫ぶように『人影』に向かって、声を張り上げていた。

「クソッ、クソッ、クソッ……ッ!! 結局俺がしてきたことって、全部無駄だったんじゃねえか……! 何もかも、全部……ッ! 意味なんて、どこにもありゃしねえッ!!!!」


 ――そんなに、意味が欲しいのか?


「何……?」


 ――生きている意味が、欲しいのかと聞いている。


「欲しくない、とは言えない……せめて俺は、――以外の何かを成してから死にたい、それだけ、それだけなんだ……」


 ――ならば、戦い続けろ。


「何……?」


 ――戦い続けろ。その先に、答えはある。


「ふっざけんじゃねえッ!!!! 俺はもう、戦いたかねぇんだよッ!!!!」


 ――どの道、お前にも、そして『俺』にも、それしか選択肢は残されちゃいないんだから。


















「――」

「ぁ……うぁ……ッ」

「――斗、戒斗ッ!?」

 頭上から降ってくる、どこかで聞いたような、凛々しく安らかな少女の、焦燥に満ちた声。その声が聞こえた瞬間、ゆっくりと彼は――戒斗は目を覚ました。

「は、遥……?」

「戒斗、よかった、無事で……」

 どうやらその少女の声、聞き覚えがあったのも無理ないらしい。目を開けた先、白い天井と共に視界に映し出されたのは見慣れた少女の、遥の顔だったのだから。

「俺が、どうしたって……?」

「その、あまりにうなされているものだから、心配になって……」

 やっと全身の感覚が戻ってくる。そして今気付いたのだが、何故か全身汗だくになっている。残暑が残る暑い気温なものの、ある程度空調の効いた部屋であることには間違いないのだが……

「今、何時だ……?」

 頭を傾けて壁掛け時計を見てみれば、現在時刻は午後二時十五分。五限目が後五分で終わる時間だ。

「って遥、すまんッ。十分って言ってたのが三十分になってんじゃねぇかッ」

 やっと眠る前の記憶が呼び起されたところで、慌てて戒斗は頭を乗せていた遥のふとももの上から飛び起きる。

 思い出した。紆余曲折あって何故か遥に膝枕をされていて、折角だからと十分だけ、身を預けることにしたのだった。眠るつもりは無かったのだが、こう何とも言えない心地良さについついウトウトしてしまったらしい。

「え、あ、別に私は、その……ちょっと嬉しかったので、別にいいのですがっ。それよりも戒斗、本当に大丈夫ですか? 相当にうなされていましたが……」

「うなされてた……?」

「はい。あまりにもその、苦しそうだったのでつい……起こしてしまいましたが」

 頭の片隅がズキン、と痛み、戒斗は右手で頭を抑える。「戒斗、やっぱりどこか悪いのですか?」と遥。

「いや……」

 それに対し、戒斗は絞ったように掠れた声で否定する。

「少し、嫌な夢を見ちまった。それだけさ」

 言いつつ、先程まで見ていた夢の内容を思い起こそうと試みる戒斗。が、頭の中に濃霧でもかかったかのような感覚がして、思い出せない。

「クソッ、思い出せねえ――まあいい。そういえば遥、聞き忘れてたが」

「? なんでしょうか」

「お前がここに居るってことは……何か分かったのか、『エクシード』について、何かが」

 そう言って、戒斗は自分のすぐ近く、スリッパを脱いで保健室のベッドの上にぺたんと座る遥の姿を改めて注視する。確か彼女は、依頼しておいた『株式会社エクシード』に探りを入れるべく、今日は欠席のはずだった。しかし今、彼女はいつも通りの私立神代かみしろ学園の夏女子制服を身に纏っている。彼女がここに居る理由で最も可能性が高いことといえば、『エクシード』について何か判明し、それを早急に戒斗へと伝えに来たということだろう。

「ええ。ここ数日の間『エクシード』の本社に張り付いたところでは、別段不審な点は見受けられませんでした。ですが――」

「ですが、なんだって?」

「昨晩深夜……というより、今日未明と言った方が適切でしょうか。時刻は大体0230時ぐらい。その本社ビルに不審な車が」

「不審な車」

「ええ。黒塗りのトヨタ・センチュリー。見るからに怪しいその中に、『エクシード』の社長と、専務二人が乗りこんでいきまして」

「社長……確か、名前は谷岡たにおか 誠二せいじだったか」

 この間、一応は『戦部傭兵事務所』の社員である瑠梨に調べ上げて貰った『株式会社エクシード』の資料。その中にあった名前を戒斗は思い出し、反芻するように口に出す。

「はい。残業かと思いましたが、時間も時間。あまりにも不自然でした。それに」

「それに?」

「車が立ち去った後に社内を調べてみれば、残業している者は誰一人として居なく。記録を調べてみれば、センチュリーに乗り込んだ三人以外は日付が変わる前に退社済みでした」

「秘密の密会ってところか。やだねぇムサいおっさん三人で内緒話かよ」

「そんなところでしょう。結局車は追えませんでしたが、発信機は下側にこっそり取り付けておきました。その行き先は――」

 言葉の先を詰まらせ、逡巡したように遥は口ごもる。「何処だ? その秘密の宴会の会場は」と戒斗が問うてみれば、彼女は口を開く。

「――埠頭、十五番倉庫」

 遥の一言を聞いた途端、戒斗はクソッ、と舌打ちを交え吐き捨てる。

「この間の二つ飛ばし隣じゃねえかよッ。あー、ったくよォ。瑠梨の時といい今回といい……これであそこ行くの何回目だァ? 呪われてんのかクソッタレ」

 全力で悪態をつきつつ、戒斗は一度バックルからベルトを抜き、寝っ転がる際に外して枕元に転がしておいた樹脂製のシェルパ・ホルスターのベルト通しに学園指定のベルトを通し、再度バックルで固定。軽い残弾確認の後に愛銃ミネベア・シグを乱雑にホルスターへと突っ込む。

「……私の勝手な憶測ですが。その十五番倉庫、かなり怪しいです」

 だろうな、と戒斗は頷き肯定し、改めて遥へと向き直る。

「瑠梨の調べたデータやら、高岩さんのクビがかかった資料を見る限りじゃあアイツら、黒さ。それも真っ黒。1911ナインティーン・イレヴンのパーカライジングたぁ比べものにならんぐらいの真っ黒さ」

「ですが、確証も証拠も無い」

「ああそうだ。だけどよ遥。冷静になってよく考えてみな?」

 戒斗の一言に、キョトンと頭の上で疑問符を浮かべる遥。そんな彼女の鼻先へと、戒斗はいつも通りの澄ました顔で、右手で形作った拳銃の人差し指を当てる。

「俺達が殴り込んで奴らの根城にブリット撒き散らす理由に、『証拠』が必要か?」

「……成程。ある意味、戒斗らしい」

「だろ。『証拠』や『根拠』なんてくっだらねえのが必要なのはポリ公だけさ。ある意味でアウトローな俺達”傭兵”にゃあそんな硬っ苦しいお膳立てなんざ必要ねえ。『気に入らねえからブン殴る』、『怪しいから撃つ』。簡単な理由。公僕にゃ出来ねえが、俺達にゃ出来る。これで十分さ」

 戒斗がいつになく砕けた口調でそう言ったと同時に、五限目の終了を告げるチャイムが鳴り響いた。

「ん、もうこんな時間か。そういや遥、保健室のバアさんは結局来なかったのか」

 ふと疑問に思ったことを口にしてみる。今にして思えば、結局昼休みに保健室へと無断侵入してから一度たりとも養護教諭の姿を見ていなかったことを思い出したのだ。

 そんな戒斗の問いに対し、遥は「ええ。どうやら今日は風邪で休みみたいです」と答える。

「んだよ、風邪かよ。仮にも健康管理でやかましい立場だってなら、もうちょい健康には気を遣って貰いたいモンだがね」

「ふふっ……言えてます。ということですし戒斗。折角ですからもう少しゆっくりしていっては?」

 先程から妙に柔らかい表情の遥の提案に、戒斗は少し悩む。

「悪かねぇ提案だ。つっても六限何だったか? あんま面倒くせぇ先公だと後処理が面倒だしよ」

「んー、確か次は数B。五限と連続で秋川教諭のはずですが」

「よし、ヤメだヤメ」

 次の教科担任の名を遥が告げた途端、今にも立ち上がろうとしていた戒斗は踵を返し、元のようにベッドへと寝っ転がる。

「……自分で提案しておいて何ですが。些か判断が適当すぎやしませんか、戒斗」

 若干困惑したように言う遥に、「別に構やしねぇだろ。今何か起こるって訳でもなさそうだしよ」と戒斗は返す。

「……ふふっ」

「何だよ。なんか俺おかしかったか?」

「いえ。なんだか面白くって」

「だから、何がだよ遥」

「夢でうなされて起きたかと思えば真面目な話をして。かと思えば砕けた風に言ってみたり。真面目に授業を受けに行こうとしたら、担当の名前を聞いた途端止めて。コロコロ移り変わる戒斗を見てたら、なんかおかしくなっちゃいました」

「俺がおかしいのは、元からだろ?」

 くすくすと笑い続ける遥にそんな言葉を返しつつ、戒斗は寝転がったまま、再びミネベア・シグを枕元へと投げる。面倒なのでシェルパ・ホルスターはズボンに付けっ放しだが。

「今日は生徒会の慈善事業も取りやめさ。よー分からんが今日はどっと疲れた」

 戒斗が天井に向かってそんなことを言った瞬間、遠くから足音が近づいて来る音がした。数からして二人。どうやら談笑をしながら話しているようだ。真っ直ぐこちらへと向かってくる。保健室付近にめぼしい施設といえば音楽室程度しかなく、それも確か、月曜の六限は何も入っていないはずだ。ということは、つまり――

「おっと、ご来客か」

 保健室に用のある客人だということだ。病人を抱えているという雰囲気では無さそうだが。大方、養護教諭が不在なのを聞きつけ、ここぞとばかりにサボりを謳歌しに来た不届き者達であろう。いや、同じくサボりを現在進行形で行っている戒斗の言えたことではないが。

『――でさー。ソイツがホント面白くって』

『冗談でしょう。なんて奴よ』

 段々と近づいて来る、不届き者二人組の声。その声のトーンから察するに、どうやら双方共に女子生徒らしい。

『話は変わるけどね。この間――』

「……ん?」

 迫り来る彼女らの声に、戒斗は違和感を覚えた。違和感というか……何というかこう、聞きなれたトーン。

 そう思った途端、戒斗はハッとし、周りを見回す。彼の周囲、居る場所が保健室というだけで、別段異常はない――今自分のベッドの上できょとんとした表情を浮かべている、本来欠席でこの場には居ないはずの少女、遥を除いては。

「どうしました、戒斗?」

「マズい――ッ! 遥、一旦隠れろッ」

「えっ? あっ、ちょっ戒斗!? 隠れるって……えぇぇえぇぇ!?!?」

 隠れろと言ったものの、周囲に潜伏できそうなオブジェクトは何一つ存在しない。定番であるベッドの下も、都合悪くスッカスカで丸見え状態だ。ならばこの状況、多少のリスクはあるが最もベストな選択肢を選択した戒斗は、困惑する遥を強引に自分の方へと引き込み、大急ぎで足元の掛け布団を被り、彼女の身体をすっぽりと覆い隠した。

「――もごぉ。戒斗、一体全体何を突然」

 掛け布団の中で蠢き、丁度戒斗の胸辺りに乗っかる形になって、掛け布団の間から顔を少し出して不満げに言う遥の口へと人差し指を押し当てつつ、「少し黙ってろ」と戒斗は制す。

「マズいんだよ。狭っ苦しいが、ちぃと隠れててくれ」

「何がマズいんです――ふごぉ」

「だから黙ってろって。来やがったんだ。よりにもよってこの状況で、琴音と香華のお二人様がよ」

 その一言を聞いて遥も納得したのか、それ以上言葉を発することはなかった。戒斗は「よーし、いい子だ」と言って少し遥を後ろに下がらせ、空気穴代わりの少しの隙間を空けた状態で、ほぼ完全に掛け布団を肩まで被った。

 先程の違和感。聞きなれたトーンの正体を、彼はすぐに理解した。それもそのはず。護衛任務の関係で結構な期間同居をしている琴音と、学園以外でも何度か顔を合わせている香華。その二人の声となれば、戒斗はすぐに彼女らが迫ってきているのだと察することが出来た。

 彼女らの目的といえば、一応は体調不良の病人”だった”戒斗への見舞いに他ならないだろう。普段なら喜んでいいことなのだが――今は状況が状況だけに、余計なお世話だと言わざるを得なかった。

 状況? その何がマズいのかと聞かれれば、答えはたった一つだ。簡潔でシンプルな回答。それは今、掛け布団の下。丁度戒斗の右脇から胸辺りで身を潜めている遥の存在に他ならない。ぶっちゃけ彼女の存在を隠す判断は咄嗟の条件反射的なモノで、理由は何かと問われれば戒斗には倫理的な回答が用意できないのだが――彼の直感が、幾多のブリット飛び交う硝煙臭い鉄火場で培った第六感が告げていたのだ。彼女の存在を来客二人組に知られれば、ヤバイと。

「戒斗ー、居るー?」

「っるせぇな……人が寝てるってのによ」

 ガラリと引き戸を開けて開口一番発せられた琴音の声に、戒斗は半身を軽く起こしつつ、あくまでも『寝起き』のていで返す。

「何よ。折角お見舞に来てやったってのに」

「はいはい。そりゃご苦労様でした。なんだ、香華も一緒か」

 わざとらしく香華の顔を見て、意外そうな口調で戒斗は言う。「あら、ご不満?」と香華。

「いいや別に。こんなガンパウダー臭い俺の為、美人様御二人にご足労頂くとは恐悦至極」

「ふふっ。いつにも増してジョークのキレが良いのね。にしても意外だったわ。貴方のことだから、どこかで女の子でも一人ぐらい引っ掛けて連れ込んでそうだと思ったんだけど」

「オイオイ香華ァ。冗談キッツイぜ。幾ら俺でも、そこまで節操無しじゃねーさ」

 軽口を叩き合い二人をよそに、琴音は戒斗の寝転ぶベッドの縁へと腰掛ける。一瞬ヒヤリとさせられたが、幸いにして彼女が座ったのは、遥が隠れたところとは反対側。つまりは窓際であった。

「そういえば香華。順調か? 『護身術』とやらは」

「ええ、おかげさまでね。最近は佐藤以外に、麻耶にも教えて貰ってるのよ」

「ああ、あのおっかねえメイドさんか」

 戒斗は言いつつ、香華の住む西園寺家の屋敷で一度だけ会った、あの桃色ショートカットで回転式拳銃(リボルバー)のやたら似合うメイド長こと南部なんぶ 麻耶まやの姿を思い起こし、苦笑いを浮かべた。

 手加減してあの抜き撃ち速度。今から振り返っても恐ろしい。絶対に敵には回したくないと、改めて戒斗は武装メイドの底知れぬ脅威を実感し、若干の冷や汗が伝う。

「あれ、メイドさんなんて雇ってたっけ、香華」

 琴音が思い出したかのようにそう言えば、香華は頷く。

「ええ。十何人居るわね」

「「うわあ」」

 揃って声を上げる戒斗と琴音の姿を少しだけ口元を吊り上げて面白そうに見つつ、香華は更に話を続けていく。

「そのメイド達を束ねてるのが、さっき言ってた麻耶よ。そういえば顔合わせの時はまだ戒斗、逃亡犯だったものね。琴音が知らないのも無理ないわ」

「へぇ~……てっきり、高野さんがそんな立場だと思ってたわ」

「高野も似たようなもんだけどね。彼は執事兼運転手。それこそ、私が物心つく前から仕えてくれてるのよ」

 ま、最近では運転手の仕事はめっきり減っちゃったけどね。と香華は、自身の愛車たるフェラーリ・F12ベルリネッタのキーをブラブラと摘まんで見せる。

「それで、その……ええと、麻耶さん、だっけ? その人は?」

「麻耶も正直、高野と立場上は変わらないわね。メイド達を統括するメイド長兼、私の近衛」

「気を付けたほうが良いぞ、琴音。あのメイドちゃん、見かけ以上におっかねえからよ」

 戒斗が割と真面目な顔でそう言えば、「マジで?」と少し引いたような反応を琴音は見せる。

「ああ、大マジだ。下手すりゃ俺だって、気付かねえ内にケツの穴が増えてご臨終さ。あのメイドちゃん、未来から送り込まれた殺戮兵器(キリング・マシーン)だって言われても信じるね。問題はソイツがガチムチのシュワルツェネッガーじゃなく、そこそこ可愛い嬢ちゃんだってことだが」

「何者なのよ、そのメイドさん……」

「いずれお前も会うことになろうさ。何にせよ、あんなおっかねえメイドちゃんが近衛に張り付いてるんだ。よっぽど安全だろうよ、香華は」

 言いながら戒斗は再び枕へと後頭部を埋め、そしてチラリと壁掛け時計を見た。時刻は既に、午後二時二十八分。もうすぐ六限が始まる時間だ。

「そろそろ六限目だ。行きな」

「あら、戒斗はどうするの?」

 香華にそう問われれば、「まだ怠りぃし面倒だし。次もサボるわ。朋絵ちゃんによろしく」と戒斗は適当に返す。

「あっそういえば戒斗。朋絵ちゃん、アンタの存在すっかり忘れてたわよさっきの時間。多分出席扱いになってんじゃないの」

「マジで?」

 ベッドの縁から立ち上がった琴音より告げられた事実に、思わず戒斗は聞き返してしまう。事実だとすれば、これは思わぬ僥倖だ。出席せずして単位が確保できる。こんなに得なことは無い。

「マジでよ。で、どうすんの? 次は流石に伝えてもいいと思うけど」

「あー……こうしよう。『気付いたら言え』。つまりは気付くまで放置だ」

「そんなんでいいのかしら……」

「いいんだよ別に。帰りはまだ分からんが、俺が車のとこに居なけりゃ香華にでも送って貰ってくれ。頼めるか、香華?」

 戒斗の提案に、香華は黙って頷き肯定する。

「そういうことで、頼むぜ。そろそろ時間だ。さっさと戻らねえと、朋絵ちゃんにドヤされちまうぞ。ホラ、行った行った」

 急かすように戒斗は二人を退出させる。ガラガラと立てつけの悪い保健室の扉が琴音の手によって閉められ、彼女ら二人が遠くへ歩き去ったのを確認すると、戒斗はふぅ、と大きく息をついた。途中何度かヒヤヒヤさせられる場面はあったものの、なんとか遥の存在は悟られずにすんだみたいだ。

「おっと。姫君を忘れるところだったぜ」

 そう思ったところで遥の存在を思い出し、慌てて戒斗は起き上がり掛け布団を捲る。すると、

「すぅ……すぅ……」

 いつの間にやら寝息を立てている遥の姿が、そこにはあった。

「あらまあ。お眠りに」

 無理もないな、と戒斗は思う。彼女は今日の未明に、『エクシード』から出て行くセンチュリーと社長達の姿を確認したと言った。よく考えてみれば、遥は今の今まで一睡もしていないということになる。要は徹夜だ。それが影響し、尚且つ布団の中という妙に安心感のある場所に寝転がっていれば、寝てしまうのも無理はないだろう。幾ら彼女が凄まじい戦闘能力を秘めた現代忍者だとしても、根本は人間だ。

「そういや遥の寝顔見るの、何回目だっけか」

 数えるほどしか無かったはずだ。多分これで、二回か三回目。戒斗は口に出すことなく、内心にて思った。

 普段は無表情気味で、感情の読みづらい――最も、最近は大分分かりやすくなったとは思うが――彼女であるが、こうして穏やかに寝息を立てている姿は、実に年相応な、普通の女の子だ。

 こんな少女を、自分は戦わせ、殺戮を行わせている。その事実を目の当たりにさせられたようで、戒斗は心が痛む思いであった。しかし、それは仕方のないこと。彼女は『忍者の末裔』という血族に生まれてしまったが故、戦いを宿命付けられている。そして最愛の妹を殺され、今では”方舟”に復讐を誓う――

「……クソッ」

 そこで戒斗はハッとして気付く。復讐。理由や動機、その相手に差異はあれど、彼女は――遥は自分と同じく、復讐という修羅の道へと身を堕とした身であることに、今更彼は気付いた。

「結局」

 戒斗は、隣で穏やかな寝息を立てる遥の顔を直視しながら、独り、話しかけるように呟く。

「俺もお前も、同じなのか」

 ――復讐なんていう、バカでどうしようもない目的を生きる意味としてきた、この俺と。

 続けて口に出しそうになった言葉を喉の奥へと押し戻す。理由はどうあれ、『復讐』という目的が同じであれ、彼女と自分の行為を同じに見てはいけない――自分の愚かな『復讐』と、同列に考えてはならないと、自分の心が警鐘を鳴らしたからだった。少なくとも、自分が言えたことではない。彼女の目的を、意味を。否定してはならない、絶対に。

「ちょっと失礼」

 ふと思い立ち、戒斗は遥の腰の後ろへと手を伸ばす。別にやましい気持ちがあるわけで無し。単に、普段彼女が持ち歩いている短刀『十二式超振動刀・甲”不知火”』を身に着けたままでは、寝づらいだろうと考えたからだ。確かいつも、腰の後ろに着けていたはず……あった。戒斗はそれをゆっくりと、彼女の腰、スカートの上あたりに巻かれた保持用の簡素なベルトから外し、枕元へと置いてやる。

 続けて、ブラウスに隠れてギリギリ見えないような位置、後ろ腰の左寄りに着けた短刀の鞘とは逆の場所。即ち後ろ腰の右寄りに取り付けたシェルパ・ホルスターから彼女の愛銃スプリングフィールドXDM-40自動拳銃を抜き、これまた枕元へ。

 次にホルスターを外そうとしたものの、どうしても外れなかったので、仕方なしにブラウスの下へと手を伸ばす。自分より一回りも二回りも細い腰に戒斗は若干の困惑を覚えつつも、無事にシェルパ・ホルスターをベルトごと取り外した。見れば、どうやらそれはガンベルトにも似た形状の、しかしそれよりも格段に細いモノで、左腰には小型の二連マグポーチも取り付けられていた。無論、中には.40S&W弾が十六発フル装填された箱型予備弾倉が二つ差さっている。

「これでよし、と」

 そして最後に、彼女を起こさないようゆっくりとベッドの上へと移動させ、その頭の下に枕を敷いてやった。最後に掛け布団を、今度はしっかりと被せて終わり。

「……なぁ、遥」

 自分のすぐ隣で、穏やかな表情のまま眠る遥へと、戒斗は話しかけるように呟く。

「『復讐』だの『護衛』だの、色々並べて自分自身を取り繕ってはみたが……結局、俺の本質は空虚なんだよ。空っぽで、何もない。俺という容器の周りを『黒の執行者』というパッケージで覆い隠して、中に何も入りゃしないんだ」

 身体の後ろに置いた手を動かしてふと触れる、冷たい感触。手繰り寄せて握ってみれば、それは愛銃であるミネベア・シグ。大本の設計・開発は名門シグ・ザウエル。ライセンス生産は日本の、旧社名を新中央工業と名乗っていた現在でいうミネベア社。9mmルガー弾を八発装填可能な弾倉を持つ、未だにコンチネンタル・マガジンキャッチという古ぼけたシステムを用いている、彼にとっても使い慣れた自動拳銃だ。今まで幾多の死線を潜り抜け、様々な窮地を救われた、文字通りの『相棒』。しかし今の戒斗には、手の中のミネベア・シグが、スライドやフレームに刻まれた幾多の傷跡が、擦れて露出した金属光沢を放つ地金の銀色がこれ以上なく頼もしく見えると同時に、どこか足枷のようにも感じられてしまう。

「結局、俺が誰かを殺すことなんて、本質的には何の意味もない」

 戒斗は手の中のミネベア・シグのスライドへと、左手を掛ける。

「浅倉への『復讐』は俺自身のモノでもあるかもしれないが、結局俺が『復讐』を誓ったのは、親父が言ったからさ。アイツを護衛することだってそう。結局は親父に仕組まれていたことだった……ま、今ではどっちかてと義務感ってのが強いがな。つっても別に、だからってアイツのことが嫌いって訳でもねえが」

 そしてスライドを、一度引いた。押し下げられ、エキストラクターによって弾き飛ばされた未使用の9mmフルメタル・ジャケット弾が宙を舞い、木の合板が貼り合わさった保健室の床板へと落下する。

「全て意味が無かったことなんだ。俺がこうしてここに居ることも、誰かを一方的に殺すことも、そして……”方舟”と戦うことも」

 戒斗はベッドに座ったまま壁にもたれ掛かり、そしてスライドを前後させていく。次々と宙を舞っては、落ちて行く薬莢達。

「結局俺は本質的に凄まじく空虚な人間で、今まで『自分の意志』でやっていたと思っていたことは全て、『他人の意志』が介在し、仕立て上げられたモノだったんだよ……どうして、今まで気付けなかったんだろうな」

 そして、スライドが引き切ったまま動かなくなった。見れば、エジェクション・ポートから覗ける弾倉には既に弾は無く。スライドが停止したのも、残弾を知らせるスライド・ストップ機能が正常に動作したからである。

 戒斗はふぅ、と大きく溜息を吐き、片膝を立て、その上に右手を乗せた。力なく垂れる右手と、そこに握られている、ホールド・オープンしたミネベア・シグ。

「とどのつまり、俺は操り人形さね」

 ふと窓越しに空を見上げれば、そこは相変わらず蒼く。点々と浮かぶ白い雲の中には、未だ入道雲が混ざっている。クソ暑い夏は、どうやらまだ、終わってくれないらしい。

「別に親父を責めるとか、否定するつもりはねぇさ――ただ」

「ただ……俺が、俺自身が、俺自身の為に選んだことってのが無い。それがどうにも、怖くってな……」

 改めて、遥の姿を見やる。相も変わらず穏やかな表情で、写真か何かでこの瞬間を切り取っておきたいような衝動にも見舞われる光景だが、戒斗には同時に、その小さな背中に圧し掛かる、巨大な十字架の姿を見た気がした。

「だからよ、遥。俺はある意味で、お前が羨ましかった」

 言いながら、自分の背中にも同じような十字架を背負っていることに気付く。それは大したことではない。何せ、今まで殺してきた奴らの、生きる資格を一方的に奪い取ったが故の十字架だから――しかし戒斗は同時に、自分の身体のあちこちへと巻き付く、強固な鎖の存在にも気付いていた。それは『復讐』という鎖であり、他にも様々がある。どれもこれもが煩わしくて仕方がないが、同時に、成し遂げなければならないという、強迫概念に近い感情も覚えてしまう。どちらにせよ、今の彼は思う様な身動きが取れないでいた。

「自分の意志で戦い、自分の意志で俺に仕え、尽くして。そして自分の意志で『復讐』という道を選択し、奴らと戦い抜くことを選んだ。そんなお前の一つ一つが、俺は羨ましくて仕方がなかったのさ。だから、俺は――そんなお前の背負った十字架を、少しでも肩代わりしてやれたらな、と思う」

 傷だらけのミネベア・シグを足元へと軽く放り捨て、戒斗は右手を、眠る遥の頭へとそっと置いた。

「これは俺自身の、俺だけの意志で、俺が選択したことだ。詭弁かも知れないが――それでも、俺はそれでいい、と思っている。遥の十字架を少しでも代わりに背負ってやることが、今の俺を、”黒の執行者”というパッケージで覆い隠された空っぽの俺を、少しでも埋めてくれるんじゃないかと、そう感じたからさ」

 撫で回す右手が触れる彼女の髪の感触は、相変わらず心地の良いモノだった。いつまで触れていても飽きない、そんな感覚。

「前にお前は、俺に助けてくれと言ったな」

『――私の妹を、助けてほしい』

 フラッシュバックするのは、あの日の、満月の夜の記憶。神代(かみしろ)学園の屋上で、初めて彼女が自らがしのびであるという正体を明かした、あの日の記憶。

「あの時俺に、ありがとうと、そう言ったよな」

『……はい、戒斗。ありがとう、ございました』

 雪山の実験施設にて、彼女の妹、しずかの仇である機械化兵士マンマシン・ソルジャーを葬った時、目に涙を浮かべた彼女が言った、言葉の記憶。

「とんでもねえ。礼を言うべきなのは――助けられていたのは、俺の方だったのさ」

 そして戒斗は、もう一度、遥の顔を見る。思えば最初は敵同士だった。それが今では……人生とは何とも予測できないモノだな、と戒斗は思う。

「なんでたって、こんな俺をあるじだなんて言ってくれたんだ、お前は」

『――私達しのびは、仕える方が居なければ、意味を成さない。それは政府や組織ではなく、しのび自身が見定めた一人の人間でなければならない――それが習わしです。だから戒斗、貴方は今、この瞬間から、私のあるじです』

「なんでたって……こんな空虚な男と、一緒に歩きたいなんて」

『私はただ、一分一秒でも、貴方と同じ時間ときを過ごしたい』

 ――それは、戒斗。簡単なことです。貴方だから、ですよ。

 そんな声が聞こえた気がした。いや……聞こえた。いつしか、戒斗が頭に手置いていた遥の瞼は、開かれていたのだから。

「は、るか……?」

「私は、私自身が、貴方と共に歩みたいと思った。別に一番になれなくてもいい。ただ、貴方の傍で、貴方のしのびとして、この身朽ち果てるまで共に居たかった。それだけです」

「だが……俺は……ッ」

 慟哭にも似た戒斗の声を、遥は起き上がり、無理矢理に彼の顔を自らの胸へと埋めさせることで沈めた。

「何を……?」

「戒斗、これだけは覚えておいてください。『貴方は、決して空虚なんかじゃない』」

「ッ……!」

 声を押し殺すような戒斗の頭を、遥はそっと撫でる。先程、彼が自分にしてくれたように。

「貴方はあの時、私の依頼を断って、そのまま撃つことだって出来たはず。なのにそれをせず、妹を――結果的に死んでしまったといえ、一時的にでも解放してくれた。しのびとして私が仕えると言った時だって、戒斗は受け入れてくれた。この決断、どこに他人の意志なんて存在するのです?」

『私達傭兵は、国家に左右されない。誰に雇われようが、何処に味方しようが自由だ。だからこそ、だカイト。こんな仕事だからこそ、自分の意志に従うんだ。――己の直感を、信じてみな』

 遥の穏やかな声に、あの満月の夜の帰り道、バンの中でリサに言われた一言が重なるように戒斗の脳内をフラッシュバックする。

「だから、戒斗。貴方は別に空虚なんかじゃない。そんな悲しいこと、言わないでください」

「俺が……空っぽじゃ、ない?」

「ええ。貴方は絶対に、空っぽなんかじゃありません。もしそれでも、空っぽだと言い張るのでしたら――私が埋めてみせます。何年、何十年掛かったとしても、必ず貴方の隙間を、埋めてあげますから」

 彼女の言った一言が、強烈な電流のように身体を駆け巡る。『空っぽじゃない』と、彼女は否定した。『埋めてみせる』と、彼女は言ってくれた。その一言で――何故か、身体が楽になったような気がした。

「貴方は貴方の意志で、私を救ってくれた。なら――今度は私が、私の意志で。戒斗を、囚われた檻の中から救い出す番です」

「……なんで、俺に、そこまで」

 ようやく声を出すことが出来た戒斗は、彼女に問いかける。すると遥は、両の手で戒斗の頭をギュッと抱き締め、自らの胸に押し付ける。そして自分の頬もまた、彼の頭へとくっ付けて、そっと優しく、一つ一つの言葉を噛みしめるように、彼女は言った。

























「――貴方のことが、大好きだからです。戒斗」
















 その一言を理解するのに、一体何分掛かったのだろうか。ようやくその言葉の意味を理解することが出来た戒斗が最初に発した一言は、

「遥、お前……」

 そんな言葉だった。対して遥は一層彼を抱き締めつつ、囁くように言う。

「はい。私は貴方のことを、戦部 戒斗という一人の人間を、この上なくお慕い申し上げています」

「そ、んな……嘘だろ?」

「嘘じゃありません」

「なんでたって、こんな血生臭い俺を……ッ!」

「恋は盲目、というのでしょうか。今になってみれば、貴方が幾ら血に濡れていようが、どんな重荷を背負っていようが。そんなもの、私には見えませんし、どうでもいいです。ただ、貴方と同じ時を過ごし、同じ空を、貴方の隣で眺めていたい。それだけのことです」

 遥が一言発するごとに、戒斗の全身の力が抜けていく。抜けて行くと同時に、身体中に纏わり付く鎖が、少しずつ解けて行くような、そんな感覚を覚えてしまう。

「貴方が、私が背中に抱えたモノを背負うというのなら。それが貴方の望みだというのなら……私も共に、貴方の背負った十字架を、一緒に背負いましょう」

「あ、あぁ……ッ」

「もう、戒斗を独りぼっちにさせたりはしない」

「は……るか……ッ!!」

「――今までよく、頑張ってきました。もう、戒斗は独りで戦う必要なんて、ないから」

「あ、あああぁぁぁぁぁッッッ!!!」

 決壊した感情が、想いが、記憶が。濁流の如く溢れ出す。涙腺から零れる透明な液体が、自らの流す涙だと知るには、随分と時間がかかった。そんな自分を、遥はただ黙って、抱き締めてくれている。その温もりが、埋まる胸から伝わる、彼女の鼓動が。その一つ一つが優しく、そして愛おしく、戒斗を包み込んでいく。

「……すまない」

 感情の濁流が収まった後、初めて戒斗が発した言葉は、そんな言葉だった。

「でも、遥。俺なんかの隣で、本当に、良いのか……?」

 擦り切れたような声で、戒斗が発した悲痛な声に、遥は言葉では答えず。一度離した彼の顔へと自分を近づけ、そして唇を軽く合わせることによって答えた。そして、彼女は今まで見た中でもとびきり優しい笑顔で、彼に伝える。自分の気持ちを。

「逆です。戒斗じゃなきゃ、駄目なんですよ。それより、戒斗は、その……自分から言い出しておいて何ですが。私が貴方の隣を歩いても、本当に良いのでしょうか?」

「俺は……」

 そこで戒斗は、気付いた。自分が無意識で内へ、内へと塞ぎ込んでいた、今目の前に居る少女への想いを。

 ――最初は敵同士という最悪な出会い方だった。しかし彼女が正体を明かし、雪山での出来事。そして逃亡中、彼女と過ごした日々。思い起こしてみれば、自分はいつの間にか、彼女のことを目で追っていた。遥の発する言葉の一つ一つに揺れ、何気ない仕草の一つ一つに、どこか淡い気持ちを覚えていた。そして何より、幾度となく自分の危機を救ってくれた小さな後ろ姿に痺れ、酔いしれていた自分を、今更にして戒斗は自覚をする。

「俺に、遥と共にこの先の道を進む資格なんて、あるのか……それは、分からない。だが」

「だが――俺は、俺は遥と共に、歩んでいきたい。それは誰の指図でもなく、俺自身の意志が求めることだ」

 言い切った戒斗を、再び遥は優しく包み込む。夏制服の白いブラウス越しに伝わる彼女の胸の感触は少し柔らかく、そして暖かかった。聞こえる心音は、彼女が生きている証で。自分と共に歩んでくれると言った少女が、同じ時間を生きている証だった。

「戒斗が進む道が険しく、危険な砲金色つつがねいろの運命だとしても……私は、何処までも共に歩く。例えどんな険しい道だったとして、貴方と一緒なら、怖くないから」

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