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黒の執行者-Black Executer-(旧版)  作者: 黒陽 光
第六章:Gunmetal Color's Fate
72/110

MEANING

 そしてあっという間に時間は流れ、正午。昼休みという一時の解放を得た生徒達は各々の思うままの場所で皆、持ち込んだ弁当やらコンビニの出来合い。もしくは購買で適当なパンを買うか、そうでなければ学食。ほぼ例外なく、生徒は皆、この開放時間に昼食を摂る。

「暑っつ……直射かよ……」

「まだ夏って感じね……」

 それは校舎の屋上へと出て直射日光を全身に浴びている戒斗と琴音にしても例外でなく、彼ら二人の手にはやはり、それぞれ弁当箱が握られていた。元は二段に重ねて一つになるモノで、戒斗が上段、琴音が下段の中身を口に運んでいる。

「さっさと食っちまおうぜ。こんな中に長いこと居たら、茹でダコになっちまう」

 いつも通りフェンス近くのコンクリートの出っ張りへ腰掛ける戒斗は箸で掴んだ卵焼きを一切れ、口へと運びつつ、そんなことを呟く。

 暑いのなら校舎の中で昼食を摂ればいいというのは至極最もなことであるが、転入当初から毎日屋上に上がって慣れ親しんでいる故、どうしても他の場所に行く気にはなれないのであった。流石にこの暑さには堪えるモノがあるが……戒斗は『本日は比較的涼しくなりそうです』なんて大ボラを噴いた朝のお天気キャスターを一瞬恨んだ。

「そういえばさ」

「ん?」

 特に話題も無く、ただひたすらに暑さに耐えていた中、琴音が唐突に話題を切り出した。

「二人でお昼食べるのって、結構久しぶりよね」

「ああ……そういえば。今日は遥、休みだったな」

 そう、本日は遥ことクラスメイトの忍者少女、長月 遥は珍しく欠席していたのだ。理由は分かっている。一昨日彼女に頼んでおいた、『株式会社エクシード』に関する内偵の件であることは確実だ。一体どんな方法を使って潜入するのかは分からないが、彼女なら上手くやり遂げてくれるだろう。

 思った途端、戒斗は彼女に――遥に対して、自分が無意識下で相当の信頼を置いていることに気付いた。確かに優秀な諜報員であることは間違いない。あくまで戒斗の希望的観測だが、CIAの連中にも劣らないだろうと思う。元々『忍者』とは戦闘部隊でなく、そういった諜報員なのだ。

 しかし、ただそれだけの、理詰めの出来るような理由のみで彼女のことを信頼しているのでは無いのは明白であった。戒斗自身”傭兵”という物騒な職業柄、どうしても他人を安易に信用することが出来ない。出来ないはずのだが――そんな自分が、どうして遥をここまで信用出来ている?

 分からない。自分自身の思考であるはずなのに、それが理解できない。他でもない、自分の考えていることの根拠が。

「ん? 戒斗ー?」

 その声が耳に入った途端、ハッとして戒斗は我に返る。

「今何時だ!?」

「いやいやいや……まだ昼休みだってば。急にボーっとするから、熱中症にでもなったかなと思って」

 どうやらまた、思考の海に堕ちていたらしい。何か回答の見つからないことにブツかると毎度毎度こうだ。出口の見えない無限回廊に閉じ込められたみたいな錯覚になって、どんどん意識が深く深く堕ちて行く。悪い癖だ。

 戒斗は首を横に振って立ち上がり、どうやら食べ終わったらしい琴音の弁当箱下段の上へと、既に数分前に空になっていた自分の上段を被せると、何かを振り払うように勢いよく立ち上がった。

「ちょ、ちょっと戒斗。ホントに大丈夫? なんかさっきから物凄く様子おかしいけど」

「あー……すまん。チョイとマジで気分悪くなってきたから保健室行ってくるわ。次は確か朋絵ちゃんの数学だったよな」

「え、あ、うん。そうだけど。真面目に戒斗どうしちゃったわけよ?」

 割と真面目に心配する琴音に背を向け、戒斗は「……すまねえ。朋絵ちゃんに言っといてくれ」とだけ告げて、そのまま屋上を立ち去って行ってしまった。

「んもう、何なのよ一体……」

 腑に落ちない戒斗の行動に対し、独り琴音がブツブツ呟きつつ弁当箱を片付けていると、唐突に屋上の扉は開かれた。戒斗が戻ってきたのかと思い振り向いてみれば、軋む錆びついたドアの前に立っていたのはいつもの彼ではなく、

「あれれー、戦部くん居ないのー?」

 朝っぱらから一騒動起こした新聞部員、雨宮あまみや 優佳ゆうかであった。





 横開きのドアを開ければ、まず最初に覚えた印象は『薬品臭い』だった。医療器具やその他諸々の混ざった独特で強烈な消毒臭さがドアの向こうから漂い、鼻腔を鋭くつつく。

「誰も、居ねえか」

 誰に向けるでもなく呟きながら、戒斗は無人の保健室へと足を踏み入れた。どこか影の差す顔のまま後ろ手に戸を閉め、一番窓際のベッドへと飛び込むようにして寝転がる。保健室のぬしたる養護教諭が帰って来れば説教の二、三でも吹っかけられるのであろうが、今の彼にそんな些末なことを気にしている余力は無かった。

「どうしちまったのかね、ここ最近の俺って奴はよぉ……」

 額に片腕を当てつつ、天井に向かって戒斗は自嘲気味に言う。窓から差し込む残暑の陽光が彼の身体を照らす。ふとそちらへと顔を向けてみれば、体育の授業へと連行されていく、体操着姿の気怠そうな生徒達の姿があった。そういえばこの保健室、一階だったなと戒斗は思う。

「訳分かんねえよな」

 自分の中の何かが、ここ最近の間に瓦解し始めている。原因は分からないが――ここに来るまでの間で、自分自身で理解できない自らの変容を、戒斗はそう結論付けていた。

 数日前のガサ入れの時といい、今日のことといい……確実に、自分の中で”黒の執行者”は足元から徐々に崩れて行っている。それは良い。この間の一件で、復讐以外に生きる道を見つけたはずだ。勿論復讐はキッチリ果たさせて貰うが――別にそれはどうでもいい。理解し、納得したことだ。

 しかし、だ。そうじゃない。”黒の執行者”は元より、”戦部 戒斗”という自分すら変質を始めていることに気付いたのだ。一体何故だ? 復讐に囚われすぎたからか?

 違う。寧ろそれは『今までの自分』だ。復讐という檻に囚われた、”黒の執行者”という愚かな籠の鳥。高岩に指摘された通りだ。では何だ? 誰が変えた?

「琴音が、現れたからか……?」

 呟いたと同時に、戒斗の心の内で疑問符が浮かぶ。確かに彼女と再び出会ったことは、戒斗にとって相当に大きな転機ではあったはずだ。しかし――それが決定的な要因かと言われれば、肯定し切れない。彼女を護り通すことは、どちらかといえば『義務感』に近く、傭兵としての彼の矜持でもあった。一度乗りかかった船からは、そう易々と降りたくはない。相手が幼馴染の、決して赤の他人とは言えない少女ともなれば尚更だ。何よりも、琴音が”方舟”に狙われているという事実を知ってしまった以上、相応の力を持つ自分はそれを見過ごすことが出来る程、冷徹になり切れない。

 琴音は確かに、戒斗にとっては掛け替えのない人間だ。間違いない。ましてや、幼少期の――”黒の執行者”なんて畜生以下の男に成り下がる前の自分を知っていてくれているとなれば、尚更だ。

 しかし彼女が戒斗を、”黒の執行者”を変質させているのかと問われれば――それは疑問符を浮かべる他に選択肢が無い。いや、確かに彼女によって”黒の執行者”は少なからず変化しているのは紛れもない事実であるが、それが”戦部 戒斗”自身であるかと言われれば……

「何でこんな、小難しいこと考えてんだろうね」

 呟いて、戒斗は瞼を閉じる。考えても考えても、答えが見つからない。そういった時は一旦眠って、頭の中をリセットすると良い。誰の教えだったかは忘れたが、今まで生きてきた人生の経験則上、間違いのない対処法だった。今回も、そうした方が良いのだろうか? しかし思考の渦は留まるところを知らず、

 黒一色に染まった視界の裏、思い起こすのは、彼の辿ってきた記憶の切れ端。



 ――戒斗。お前に俺の持つ技術の全てをくれてやる。何でかって? 一つしかねえ、決まってんだろ。復讐の為だ。俺と、お前の。


 ――へぇ、こんなガキでも一丁前にSIGなんてぶら下げてんのかい。私? 私は、そうさね……凄腕の美人スナイパーってとこでどうだい?


 ――へへへへ……持っていきやがったなァ、俺の腕をヨォ。戦部、戦部 戒斗……確かに刻んだぜェ。俺の胸に、バッチリとよォ。


 ――私はね、刑事としてじゃなく、一人の女として、戒斗。貴方を愛していたいの。


 ――それに、一度くらい、お前も普通の高校生活ってのを、送ってみてもいいんじゃねえかと思ってな。


 ――戒斗!? 戒斗なんでしょう!?


 ――――私の”サジタリウスの矢”は、決して貴方を逃がしはしない。







 ――――私の妹を、助けて欲しい。







 ――おや、見かけない顔だね……君かい? 私に用がある、というのは。











      ――……ったく、良いとこ持っていきやがって。














      ――私はただ、一分一秒でも、貴方と同じ時間ときを過ごしたい。


















「ふーん。つまりボクは、思いっきり入れ違いだったってことだね」

「そういうこと。残念だったわね」

 一方、屋上ではフェンス近くの出っ張りへと腰掛け不満げな顔を浮かべる新聞部員、雨宮 優佳と、その隣で苦笑いを浮かべる琴音の姿があった。

 雨宮がここに来た理由を簡潔に言えばこうだ。戒斗の行き先を聞き回って判明した屋上へと取材の為に突撃してみたものの、運悪く戒斗はその数分前にここを去ってしまい、入れ違いとなった雨宮は思いっきり無駄な手間を食わされてご立腹と、そういうことだ。ちなみに雨宮、取材の為に昼食すら摂っていないらしい。ご愁傷様としか言えないが。

「全く……で? 肝心の戦部くんはどこに行ったのかなぁ?」

「うーん……流石に今回は、教えられないかな」

 あからさまに様子の変だった今の戒斗の居場所は分かっている。だが、そんな状況の彼の元へと、この雨宮という無遠慮極まりない少女を易々と向かわせるのはまずい、と判断してのことだった。真面目に体調が悪いだけならまだしも、それに併発して彼の機嫌が悪ければ、最悪雨宮が死んでしまうかもしれない。いや、殺されることは流石の戒斗とて無いだろうが、半殺しぐらいにはなりかねない。

「なんでさー! もしかして”傭兵”の仕事にでも行ったとか!?」

「違う違う……とにかく、今日だけは教えられないわ。ごめんね」

 あからさまに不満な表情を浮かべつつも、それでいて探りを入れてくる雨宮を適当にあしらいつつ、琴音も教室に戻ろうと思い立ち上がった。が、その手首を、座ったままの雨宮に掴まれ引き留められてしまう。「何? まだ何か私に用?」と琴音。

「決めた。今日のところは君に取材をすることにしたっ!」

「えぇ……」

 至極面倒そうな琴音を無理矢理もう一度座らせると、ポケットから手帳とボールペンを取り出す雨宮。

「まず最初に。結構戦部くんとは仲良いみたいだけど、どうしてかな?」

「うーん……」

 流石に彼の仕事内容や、今まで関わってきた依頼の詳細。そして”方舟”に関連することはとてもじゃないが言えないとして……この程度のことなら問題ないだろう。そう判断した琴音は渋々ながらも、彼女の取材に応じることにした。

「……そうねぇ。十年ぐらい前、戒斗はこの辺に住んでたのよ」

「ふむふむっ!」

 紡がれる言葉に耳を傾ける雨宮の眼は輝いていた。そんな彼女に辟易しつつも、琴音は事のあらましを離していく。

「んで、アイツの近所に私も住んでたわけ」

「所謂、『幼馴染』って奴かな!?」

「そう。正にその通りよ。アイツがアメリカに渡ってからは全く音信不通だったんだけどね」

「十年後、ボクたちの学園に転入してきたと」

「ええ。十年振りに会ったからね。びっくりしちゃって思わず叫んじゃったわよ。恥ずかしかったー、あの時の周りの視線っていったらもう」

「……それで、戦部くんは何で転入してきたのかな? 偶然じゃないよね、きっと」

「それはね――ッ」

 どうやら私を護る為だったらしい。

 言いかけたギリギリのところで、琴音は押し止まった。危ない。油断していたタイミングで突っ込まれた。この雨宮という少女、外見では想像できない程に周到なジャーナリストだ……!

「ど、どうも偶然だったらしいわよ?」

 慌てて取り繕う琴音であったが、彼女の顔をじっと見据える雨宮の表情はどこか懐疑的であった。

「それで、次の質問――」

 雨宮がそう言いかけたところで、五限目の始業五分前を告げる予鈴のチャイムが鳴り響いた。

「あ、次朋絵ちゃんの授業じゃーん! 急がなきゃね! 残念だけどこの辺で、ばいばーい!!」

 これをチャンスと見て、琴音は言いながら、雨宮の顔も見ずに一目散に屋上を立ち去っていく。

「あ、ちょっと待ってよ! ボクにはまだ聞きたいことが山ほど!!」

 なんとか引き留めようとするものの、それを聞き入れるわけも無く。瞬く間に琴音は雨宮の視界から消え去っていった。

「はぁ。ま、いいや。『戦部 戒斗』に『折鶴 琴音』……どうもこの二人、引っかかるね」

 追うことを諦めた雨宮は手帳をポケットへと戻し、空いた手でフェンスを掴むと、屋上の景色を眺め呟く。

「朋絵ちゃんが言ってたらしい『特別な使命』。きっとこの二人には、何かある」

 徐々に確信へと近づいていく感触を胸の内で確かめると、雨宮もそそくさと屋上を後にしていった。





「――」

「んぁ……」

「――斗」

「んだよ……」

「――戒斗」

 戒斗は目を覚まし、ゆっくりとその瞼を開く。いつの間にか左腕を下にして横向きの姿勢で寝転がっていた彼の視界にまず飛び込んだのは、壁掛けの時計だった。時刻は現在、午後一時三十五分。とっくに五限目の授業が始まっている時間だ。どうやら眠ってしまっていたらしい。人間目を閉じれば、存外簡単に眠れるものらしい。そのお陰か、あれだけぐちゃぐちゃに掻き回されていた頭の中も、幾分かスッキリとした感覚だった。例えるなら、自室の掃除を終えた後の何とも言えない心地良さだろうか。

「戒斗、戒斗」

 まあ琴音にも伝えてあるし、五限目はサボってしまっても問題ないだろう。戒斗はそう思い、もう一寝入りしようと再び瞼を閉じる。

「……戒斗?」

 にしてもなんだこの声は。隣のベッドでバカップルがヤッてんのか? 安眠妨害だ安眠妨害。人の名前をバーゲンセールみたいにバカスカ呼びやがって……ん?

「……寝てる?」

 耳朶を叩くこの声。間違いなく同年代ぐらいの少女の声だ。しかも、どこかで聞き覚えのあるような……

「そうだ」

 なんだか頭が浮き上がったような感触がした。何だ何だ。これは夢か? 夢にしちゃ妙にリアルだが。

「……んっ」

 どういうことだオイ。次は何かの上に乗せられたぞ、頭が。妙にふわふわとした、柔らかい感触。保健室の潰れた枕の微妙な綿の感触じゃあ、断じてない。なんというかこう、ウォーターマット? いや違う。もっとこう何というか、芯の硬さの周りに、ふんわりとした優しい柔らかさを纏った――

「……へ?」

「あ、起きましたか。戒斗」

 まさかと思い目を開けてみれば、その視界の中には保健室の真っ白い天井と――何故か、夏制服を着た遥の顔があった。それは問題ない。何故か先程と違って仰向けになっている点も大したことじゃあない。些末なことだ。しかしこう……妙に近い。彼女との距離が。いやもっと言うと構図もおかしい。視界の右側にある遥の姿は胸元が異様に近く、そして何故か下腹部から下が全く見えない。

「……なぁ、遥?」

「ん、なんでしょうか」

「お前がここに居ることはとりあえず置いておくとして、だ。なんか妙に距離が近いのは、俺の錯覚か?」

「いえ。物凄く近いですね。ふふっ」

 柔らかい笑みを浮かべた彼女の髪が少し揺れ、なんかこう、妙に甘酸っぱい香りが鼻腔に突撃してくる。何これ。分かった、分かったぞ。アレだ。女の子特有の何とも言えない香りに、シャンプーの香料が混ざった男殺しのアレ。

「あー、うん。分かった。俺がド近眼になってないのは分かった。もう一つ聞いていいか?」

「ええ。可能な限り、お答えしますよ」

「……俺の後頭部が乗っかってるこの感触、なんやて」

「そ、それはですね。その……」

 何故か少し頬を紅く染めて口ごもる遥。数秒ごにょごにょと口を動かした後、彼女は言った。

「……所謂、膝枕って奴です」

「ウッソだろ」

「……いえ、だから、その……つまり、私のふとももです」

「えっ」

「だから、あの……もう! 何度も言わせないでください……恥ずかしいです……」

 声が段々細くなって、見る見るうちに顔が真っ赤になっていく遥。

 うん、つまりはこういうことだ。ブレット飛び交う硝煙臭い鉄火場で切った張ったの大立ち回りの傭兵”黒の執行者”こと戦部 戒斗は今現在、目の前で耳から蒸気を噴き出しそうなぐらい真っ赤になってる少女、長月 遥に膝枕をされてる、と。そういうことだな。オーケィ。理解した。

「どういうことだオイ……」

 沸き起こる様々な感情を全て色々通り越して戦慄を覚えた戒斗は、虚空に向けて呟く。

 膝枕。それは男という生き物の永遠の浪漫にして、最高の名誉。ましてや自分から言い出すでもなく、眠りこけている間にあっちから自主的にこの行動に出たとなれば、それはもう何というか、筆舌に尽くし難いような感情を覚えるであろう。それが普通だ。普通なのだが……その行動に出た少女が、あまりにも意外過ぎたもので、戒斗は戦慄を覚えていたのであった。

「えっ、あっ、その……あまりにも気持ちよさそうに戒斗が眠っていたもので、つい……」

 なんだこの萌え要素しか無い少女は。これが散々苦しめられてきたあの忍者少女と同一人物だってか。冗談よしてくれ。

「あっあっ、あのっそのっ! 迷惑、でしたか……?」

「あー、いや、何だ」

「あわわわわ! 戒斗の迷惑と知らず、とっ、とんだご無礼をっ! すぐにどきますから――」

「いや、いや待て待て遥ッ。一旦落ち着け。別にどかなくていいから」

「えっ……?」

「どかなくていいから、一旦落ち着け、な?」

「あっ、はい……」

 普段の姿からは想像もつかないような、可愛らしい仕草を見せる遥。これが、彼女の素の姿なのだろうか。だとしたら――少し意外だが、それでも戒斗は心のどこかで安堵を感じる。彼女にも、年相応な面がちゃんとあるんだ。殺し殺されの鉄火場に慣れ、乾き切ってしまった自分のようにならずに済んでる。

「ま、俺も一応男だ。顔に出てねえかも知れんが、実際相当内心はヤバかったりする」

「はい……」

「それはいい、寧ろ俺が感謝したいぐらいさ――で、だ。それとは別で一点、聞かせてくれ」

「な、なんでしょう」

「……もしかして、逃亡中の隠れ家(セーフハウス)でもやってたのか?」

「……ぁ、う……」

 こう、湯でも沸かすのかってぐらい顔が更に真っ赤になっていく辺り、図星と見た。

「朝までやってたりしたのか」

「……は、はぃ……ぅう」

「フム。成程ね。ところで脚、大丈夫か?」

「え?」

 きょとんとした表情で遥は戒斗の顔を見る。どうやら言葉の意味が汲み取れなかったらしい。ちなみに彼女の顔はというと、若干赤みが残ったままではあるが、先程のように湯沸かし器みたいに真っ赤になっているわけでも無い。

「いや、どんだけの時間やってたかは知らんがな。脚、痺れるだろ?」

「そっ、それは別に! 私は寧ろ……」

「折角綺麗な脚してんだ。俺なんかの頭乗っけるよりか、もうちょい大事にした方が良いぜ――よっと」

 そんなことを言いつつ、戒斗はゆっくりと上半身を起こす。

「あっ、戒斗待って!」

「んぁ? どうした藪から棒に」

「えーと、その……」

「なんでい」

「お気遣いはその、嬉しいのですが……後――け」

「何だって?」

「だ、だから……後もう少しだけ、膝枕、させていて欲しいです……うぅ」

 そう言ってすぐ、再び顔が真っ赤に染まる彼女の頭頂部へと、戒斗はポン、と右手を乗っけてやる。サラリとしたショートカットの短い髪は見た目以上に髪質が良く、滑らかで艶もある。指通りも良く、触っていて飽きないタイプの髪だ。そんな彼女の頭の上へと、戒斗は無骨な手を乗っけてやった。

「あ、ぅ……」

「十分だけな」

「え……?」

「だから、後十分、俺を遥に預けることにした。流石にそれ以上は脚が痺れちまうだろ」

 一度髪をワシャワシャと掻き回してから、戒斗は再び身体を寝転ばす。後頭部に柔らかく、暖かな感触。肩の一部にきめ細やかな布の感触が触った辺り、今日も黒のニーハイを履いてきているのであろう。そんなことを思いつつ、戒斗は身体を右へと傾ける。

「あ――ひゃっ!?」

 九十度回転した視界には、遥の身に纏う白いセーラー服の生地と、冬服同様チェック柄のスカートが目に入る。そんな視界のほんの一部に、白く透き通った、陶磁のような彼女のふとももが入る。補足しておくが、チェック柄スカートの奥は見えていない。僥倖なのか不幸なのかは分からないが、戒斗にとっちゃそんなのは些末なことであった。

「うう……この体勢、ちょっと恥ずかしいです。戒斗……」

「そうかい? 俺としちゃ、悪くねえがな」

「か、戒斗がそう言うなら……う、でもやっぱり恥ずかしい……」

 彼女のふとももに押し当てた右耳に、一定リズムを刻む音が微かに聞こえる。彼女の、遥の心音のそれだ。彼女が今こうして、自分と同じ時を生きている証。その穏やかなリズムはまるで、遠い昔に聞いた母の子守唄のようで……段々と、眠気が誘発されてくる。

「なぁ、遥」

「あ、え? なんですか、戒斗?」

「俺は、何の為に生きて……何の為に、戦ってるんだろう」

「……」

「復讐なんて檻に囚われてばかりで……結局は、何も出来やしない。何もない。何も残らない。何も……」

 半分眠りかけた思考の中、戒斗は半ば無意識に呟いていた。しかし遥は、彼の問いに対し何も言葉を発することなく、ただ、その頭に手を乗せた。

 相変わらず四方八方に吹っ飛んだ、手入れ知らずのボサボサな黒い髪。その上へと遥の小さな手が乗り、そして優しく包み込み、そっと撫でていく。

「……少なくとも」

 ゆったりと、まるで永遠に引き伸ばされたかのような時間感覚。この一部だけ、時間と空間が入れ替わった場所のような錯覚の中、遥は口を開いた。

「少なくとも、戒斗。貴方は私を救ってくれた。私に、生きる意味を与えてくれた……それだけじゃ、駄目でしょうか」

「遥に、俺が……?」

「ええ。貴方は私に、生きる意味をくれた。それでも、貴方は何も無いと、言うのですか?」

「……ッ」

「貴方が檻に囚われているというのなら、今度は私が……私が、戒斗。貴方を救う番です」

「遥……」

「私は、貴方に仕えるしのびである以前に、一人の女の子として、私は――」

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