薄汚れたトリガーを引く意味
「――浅倉ァァァァッッッッ!!!!」
借り受けた高周波ブレード『一二式超振動刀”陽炎”』を手に、戒斗は走り出す。その先に立つ、彼の宿敵――”人喰い蛇”の異名を持つ傭兵、いや『元』傭兵の浅倉 悟史はニヤリと凶悪な嗤いを浮かべると、まるで手招きするかのような動作で、黒い革のフィンガーレス・グローブに包まれた指先を手前へと動かす。
「駄目ッ、いけない! 戒斗、その男は――!!」
「うおおおああああああッッッ!!!」
予備の短刀型高周波ブレード『一二式超振動刀・甲”不知火”』を手に天窓から降り立った遥の制止も耳に入らず、戒斗は下段に構えたまま、浅倉へと突進していく。
そして振りかぶり、左から袈裟掛けに振り下ろす鋭い一撃が浅倉を襲う。が――
「お前、こんなに弱かったか?」
そう言う浅倉は傷一つ負った様子は無く。彼の右手は、『一二式超振動刀”陽炎”』の鍔をがっちりと掴んでいた。
「この野郎――ッ」
刀を持ったまま、戒斗はローキックを脚へと放つ。しかし、当の浅倉はビクともせず。逆に、掴んだ鍔ごとチョイと捻ったかと思えば、次の瞬間には、戒斗は身体ごと宙に浮かんでいた。
「がは――」
背中から地面に叩き付けられる。鈍く、重い感触。息が苦しい。肺の中の空気が一気に押し出されたような、気持ちの悪い心地。気付けば、無意識の内に開いていた右手の中から、刀が滑り落ちていた。
「あァ? これで終わりか? もっと楽しませてくれよ……」
浅倉は、地に伏した戒斗の胸倉を右腕――二年前に戒斗自身の手で吹っ飛ばしたその腕で掴み上げ、自らの顔と同じ高さまで持ち上げる。
そんな息がかかりそうな距離で、戒斗は奴の、浅倉という男の顔をまじまじと見た。凶悪な顔だった。何ともアレな言い方ではあるが、そうとしか言いようがない。別段不思議のない、一応は人間の顔なのだが……なんというか、生理的な嫌悪感と言うのであろうか。奴の顔を一度見れば、胸の奥からふつふつと、恐怖にも似た拒絶反応が湧き出てくる。もしかしたら、奴に対する自分の復讐心が故かも知れないが、きっとこの感覚は、マトモな人間なら誰しも思うのであろうと、戒斗はこんな状況下においてふと、そんなことを思った。
「なァ、ちったぁ楽しませろよ、よォ……!!」
浅倉が苛立ちを隠さない一言を発したかと思えば、次の瞬間には、彼の左拳が戒斗の頬を直撃していた。頬に走る、殴打の鈍い痛み。顔が左方向へと鋭く引っ張られる。
切った口内から出た血をペッ、と床に吐き捨て、戒斗は再び、浅倉の顔を見据える。やはり、嫌悪感の拭いきれない顔だった。そして戒斗は、言い放つ。
「ああ、楽しませてやるさ。この野郎――!!」
そして戒斗は、フリーになっていた左手を素早く後方へと持っていく。ズボンの左後ろポケット。そこに入った冷たい金属の塊――折り畳み式のカランビット・ナイフ。米国エマーソン社製のスーパーカランビットを素早く取り出し展開。逆手に持った切っ先を、浅倉の下顎へと突き立てる。
「ほッ――」
仕留めた、と戒斗は確信していた。しかし、あろうことか浅倉は頭を後ろに倒し、すんでのところで迫り来る刃を回避。顎先を浅く、ほんの少し切っただけに留まった。
「やるじゃねえか……やっぱお前は面白れェ」
そんなことを呟き、浅倉は空いた左手で、戒斗の左手首を掴む。仕留めたと確信した一撃を躱されたことによる、隙が生まれていたその左手を。
生々しい人肌の暖かさが伝わる。奴の左腕は、義手では無い。それが、浅倉 悟史という憎き男が未だ生きているという、嫌な実感を否応なく戒斗へと叩き付けていた。
「クソッ……!!」
掴まれた左手を、戒斗は必死に振りほどこうとする。が、浅倉の握力は強く、一向に離れない。いつしか、彼の手からはスーパーカランビットが滑り落ちていた。
「ホラホラ、どうした」
戒斗の首を握る、義手である右手の力を少し強める浅倉は、今までに無いほど愉快に、そして凶悪に嗤っていた。
息が詰まる。少しずつだが、視界も狭まってきた。緩やかに意識が失われていくのが分かる。
畜生、あと少し、あと少しだ――!!
薄れゆく意識の中、戒斗は遂に、胸元にある硬い物体に、右手が触れたことを悟った。
「なんだァ。もう終わりなのかァ?」
「――たばれ」
「どうした、言いたいことがあるなら言ってみろ。ハッキリとな……」
「――くたばれ、クソ野郎ッ!!」
そして戒斗は、右手で確かに握ったそれを一気に抜き放ち、浅倉へと放つ。
鋭い突きの一撃で放たれたそれは、確実に浅倉の左肩口へと突き刺さった。流石の浅倉とて、彼も人間だ。自らの肉を裂かれた痛みに一瞬、苦悶の表情を浮かべた浅倉の、戒斗の首を握る力が弱まる。その隙に戒斗は自力で抜け出し、咳き込みつつも浅倉から距離を取る。
「へっ、へへへへへっ……やるじゃねえか。ああ、ホントに面白れぇ、面白れぇよお前は……!!」
鋭く深い傷を左の肩口へと穿たれた浅倉は、蛇柄のジャケットに紅い血で染みを造っても尚、嗤っていた。
「言ってろ」
そう言う戒斗の右手には、血に濡れた一振りのファイティング・ナイフが握られている。オンタリオ・Mk3NAVY。上着の下、ショルダーホルスターの負い紐に無理矢理括りつけていた、彼に残されし最後の武器だった。
「ああ、楽しい、楽しいぜ……」
うわ言のように呟く浅倉。その傍に、一人の”方舟”兵士が駆け寄った。「例のモノは無事に回収が完了しました」と彼に耳打ちをする。
「へへへ……なァ、”黒の執行者”よォ」
「なんだテメェ、まだやるかッ!」
臨戦態勢を取り、握ったMk3を手の中で回転させ、逆手に構える戒斗。しかしそれとは対照的に、浅倉は今までの戦闘態勢を解除してしまった。「どういうつもりだッ!?」と戒斗。
「悪りぃな。ホントのとこ、もうちょいお前と闘り合いてぇんだけどよォ……用事も済んで、後はそこに転がったクソガキを持って帰る。俺も上の命令には逆らいにくいからよォ。決着は、次にお預けってことにしとかねェか?」
「テメェ、ふざけてんのかッ!」
殴りかかろうとする戒斗だったが、背後から何者かに腕を掴まれ制止されてしまう。誰かと思い、半ば睨み付けるように振り向くが――そこで戒斗の腕を抱えていたのは、遥だった。
「遥ッ、何故止める!?」
「戒斗、駄目……! 今奴の誘いに乗ったら、確実に殺される」
「だがッ!」
「駄目ッ! とにかく、今は退いてッ!!」
思い切り遥に腕を引っ張られ、後ろにたたらを踏む戒斗は、半ば彼女に引きずられるような形で後退していった。
その姿を眺めつつ、床に転がった麻生の首根っこを引っ掴み引きずっていく浅倉。後一歩で”黒の執行者”が誘いに乗りそうなところに邪魔が入り、彼は酷くイラついていた。上からの命令は『目標を回収し、貴重なサイバネティクス兵士たる麻生 隆二の回収。そして即時撤退』。しかし、奴から――戦部 戒斗から仕掛けて来れば、上への言い訳が立つと踏んでの提案だったのだが。それをあの、『里の忍者』に邪魔された。まるで楽しみに取っておいたケーキを目の前で盗られた子供のように、浅倉は酷くイラついている。
「命拾いしたな、戦部のガキよォ……次を楽しみにしてるぜ」
独り呟いた浅倉は、”方舟”の部隊と共に、闇夜の奥へと姿を消した。
「――何故だッ! 何故止めたッ!?」
敵が退いていったことを確認し、手持ちの狙撃銃であるレミントン・RSASSをガンケースに戻し、狙撃ポイントから撤収して十二番倉庫へと合流に向かった琴音が聞いたのは、珍しく声を荒げた、戒斗のそんな一言だった。
「あのまま突っ込んでいたら、戒斗。確実に貴方は死んでいた」
「知ったことかんなもんッ! 俺は刺し違えてでも奴を……浅倉を仕留める! その為の十年間だッ!!」
出入り口近くの壁面に張り付いて、琴音はそっと中の様子を窺ってみる。すると、やはりというべきか。彼女の隠れる扉の近く、倉庫の中で、戒斗と遥の二人が、珍しく口論しているようであった。見る限り、いつも通り冷静な遥と対照的に、戒斗の方は完全に頭に血が上りきっている様子。
「気持ちは分かります、戒斗。でも今、貴方がここで倒れてしまえば、誰が”方舟”を」
「それこそ俺の知ったる範疇じゃねえさ! 俺は浅倉をブチ殺して奴に復讐する。そっから先は知ったことじゃねえッ!! ”方舟”がどうこうしようが、世界がどうなろうが、そんなもんはどうでもいい、俺には関係無えッ!!」
「ですが……」
「ですがもへったくれもあるかッ!! 今からでも遅くねえ、奴をこの場で――」
傍に立て掛けられた散弾銃、レミントンM870を引っ手繰るように取って、浅倉を追おうとする戒斗がそう言いかけた瞬間、彼の前に遥が立ちはだかる。そして――パチン、と、何かを叩いたような音が倉庫に響いた。
振り下ろした小さな手を戻す遥と、首を横へと曲げたまま、唖然としたように立ち尽くす戒斗。その彼の左頬は、若干、ほんの少しだが赤く腫れていた。
「痛って……」
「――私は、ここでみすみす、貴方を死なせる訳にはいかないッ!」
「……それは、”黒の執行者”に仕える忍としてか」
「それもある。けれど――今は、私という一人の人間として、戒斗。意地でも今、私は貴方を止める」
遥の言い放った一言に、戒斗は立ち止まる。そして手に持ったM870を何処かへと乱雑に投げ捨てると、彼女に背を向け、ただ一言「……すまねえ」とだけ言って、歩き去ってしまう。
その背中は、どこか寂し気で、そしてどこか、酷く重い十字架を背負っているように、遥の目には映っていた。
「あ……ちょっと、戒斗……」
倉庫を出て立ち去っていく彼を、琴音は呼び止める。が、まるで耳に届いていないように無反応な戒斗は、そのまま、何処かへと歩いていく。
彼の尋常ならざる様子が気になり、後を追おうとする琴音であったが――その手を後ろから不意に握られ、立ち止まらされてしまった。
「今は、追わない方がいい」
琴音の手首を握って制する遥が言う。
「でも……」
「戒斗を……今の彼を、独りにしてあげて」
「放せッ! 放しなさいッ、浅倉!!」
「うるせェな……ちと黙ってろ、クソガキ」
一方、そのまま浅倉に引きずられて倉庫を後にした、両腕義手の無い麻生は、まるで駄々っ子のように両脚をバタつかせつつそんなことを喚き散らしていた。そんな麻生が余程気に入らなかったのか、浅倉は一度立ち止まったかと思えば麻生の脇腹を軽く蹴飛ばし、彼が嗚咽を漏らしたところでその小柄な身体を、頭を背中側に向ける形で肩に担いでしまった。
「なっ、何をする浅倉!!」
「黙ってろってのが聞こえなかったのか」
尚も騒ぐ麻生にイラつきつつ、浅倉は彼を担いだまま、周辺に展開し警戒する”方舟”兵士の部下達と共に歩き、駐車された三台の黒いバンの元へと向かう。
トヨタ・ハイエース。世界的なベストセラーの車種だ。そんな数台のハイエースの内、真ん中の一台へと向かう浅倉。部下の一人に横開きのドアを開けさせ、その向こうの後部座席へと麻生の身体を投げ込んだ。
「痛っ! 何をするんです!?」
後部座席に横たわる麻生であったが、両腕が無い故に上手く起き上がれない。
「黙って寝てろ」
浅倉はそれだけ言って、ドアを荒く閉める。不機嫌な心情が露骨に表れた、乱雑な閉め方だった。
そのまま彼はハイエースの助手席へと座り、その隣、運転席には先程ドアを開けさせた部下の兵士を座らせる。全員がそれぞれ車に乗り込んだことを確認し、先頭が発車すると、浅倉を乗せたハイエースもまた、走り出した。
「それにしても」
運転席に座る兵士が、ふと口を開く。「何だ」と浅倉。
「回収したブツ、あれ何なんでしょうか」
「さあな。お前が知ったところで、意味は無い」
「はあ……」
濁した回答に若干の不信感を抱きつつも、それ以上、彼は浅倉に追求しようとはしなかった。利口な判断だ、と浅倉は思う。
今回回収した”ブツ”について、彼ら兵士達――”方舟”においても末端に当たる連中が詳細を知ったところで、彼らに待っているのは、そう明るい未来では無い。これ以上追及された場合、敢えて彼に教えて、行く末を眺めるのもやぶさかではないと浅倉は考えていたが、存外この男は退き際を心得ているらしい。長生きするタイプだろう、きっと。
「まあいい……次に会うのを楽しみにしてるぜ、”黒の執行者”。そう遠くはない……」
そして、彼ら”方舟”は、闇夜の中へと消えていった。
「はぁ」
十二番倉庫から少し離れた所。夜の帳が降り、電灯の数が少ない故に薄暗い波止場。その端で地面から少し盛り上がった長方形型のコンクリートへと腰掛け、戒斗は独り、溜息を吐いていた。大分色落ちしたリーバイスのジーンズに包まれた彼の脚は、すぐ目の前の海へと向け、ブーツの底が海水に着かんばかりに投げ出されている。
彼の見る視界の向こうには、永遠とも思える距離にまで広がる伊勢湾と、その先に続いているであろう太平洋が望める。そんな海の上に点々と存在する微かな光――往来する貨物船と、三重県・四日市の沿岸に広がる工場地帯の煌々とした灯り。そして、ポツポツと見える街の光以外に、人の気配は存在していなかった。
「何やってんだろうな、俺……」
血が上りきっていた頭がようやくクールダウンし始めた戒斗は、先程の愚行を思い、より一層深い溜息と共に言葉を吐き出す。
あの時の自分は、完全にどうかしていた。今更になって振り返ってみれば、自分のした一連の行為は、馬鹿そのものだ。
冷静に考えてみれば、あの男――浅倉 悟史に、刀一本で殴り込むなんて、気が狂ったとしか思えない。下手すれば重機関銃を持ちだしても死にそうにないような男を相手にそんな行動を取って、よく死ななかったな、と戒斗は思う。様々な偶然が偶々積み重なった幸運、いや、最早奇跡に等しい。奴と正対して、生き残ったのは。
挙句の果てに、遥にまであんなことを言ってしまった――本当に、どうかしている。浅倉に遭遇した時は、いつもそうだ。数か月前の豪華客船『龍鳳』の時だって、佐藤と琴音が止めなければ、確実にお陀仏だった。そして、今回も。
「俺って奴ぁ、本当に」
どうしようもねえ、馬鹿さ。
戒斗がそう呟きかけたところで、肩に誰かの手が触れた感触がした。振り返ってみれば、いつの間にやら戒斗の背後に立っていたのは、高岩――刑事、高岩 慎太郎だった。
「よう。こんなところでどうしたよ、傭兵坊主」
相変わらずの不幸面で愛想笑いを浮かべつつ、高岩はそう言って戒斗の隣に腰掛ける。
「ああ……ちょっとな」
「ヘマでもこいたか」
「ちげーよ……って言いてえとこだけども」
「図星か」
戒斗は何も言わない。いや、何も言えなかった。
それを無言の肯定と受け取った高岩は、言葉を続ける。
「乱入してきた、よく分からん連中のことだ。そうだろ?」
「……ああ」
「俺にはさっぱりだが、少なくともお前には関わりがある。それも深く、な」
「否定は、出来ん」
「そうか。奴らに関しては何も聞かん。聞いたところで、ロクなことにならなさそうな雰囲気だしよ」
「それがいい、高岩さん。懸命な判断だ」
この刑事には、高岩という人間には、”方舟”と関わらせたくない。戒斗の本心だった。あんな連中とは、関わらないに越したことはない。ましてや、一介の刑事たる高岩は、特に。
「ソイツらに関してのことで、お前はあの嬢ちゃん二人のどっちかに対して、やらかしちまったってとこか」
「……よく、そこまで分かるな」
「ま、一応俺も刑事だからよ――ま、そう気にすることでも無いんじゃないのか」
「気にするなってのが、無茶な話なんだよ」
そんな戒斗の言葉を聞きつつ、高岩は胸ポケットから煙草を一本取り出し咥え、ジッポー・オイルライターで火を点す。カチン、とジッポーを閉める小気味の良い音と共に、紫煙の香りが辺りに漂う。
「人間完璧じゃねぇんだ。どっかに間違いは必ず生まれるさ」
「それは、理解している」
「してねーよ。お前さんは……そうだな。完璧であろうと、無理をしてる節があるな。俺の見立てだと」
「何?」
思わず戒斗は訊き返す。意味が分からなかった。自分が……完璧であろうと、無理をしているだって?
「やっぱ、自覚はねーか。付き合いは大して長かねーが、んでも見てて分かることってなぁあるもんよ――傭兵坊主。例えるならお前さんは……そうだな。籠の鳥ってとこか」
「籠の鳥」
ますます意味が分からなくなった。籠の鳥だって? 冗談も大概にして貰いたいものだ。
「そうさ。籠の鳥――籠の中に捕らえられてんのさ、お前はよ。”黒の執行者”って名前の、御大層な籠に」
「どういう、意味だ?」
「言葉のまんまさね。悪いがお前の経歴は調べさせてもらった。色々とな……。あの中に居た金髪の兄ちゃん、ありゃ”人喰い蛇”の浅倉だろ」
「……ああ。その通りだ」
「昔は色々とこっちでも騒いで貰ったからよ。俺だって、奴の名前ぐらいは知ってるさ――それにしても、生きてたとはな」
「俺だって、死んだと思ってた。思ってたさ。なんせよ……!!」
「『俺自身の手で殺したはずだから』。そう言いたいんだろ?」
高岩の言葉に、戒斗は黙って頷く。どうやら本当に、この刑事は自分の経歴について調べ上げてきているようである。
「それだよ。お前が囚われてるってなぁ、そういうことだ」
「何だって?」
「お前が囚われてる檻のことだ。お前はお前の根幹を、”黒の執行者”に……浅倉への復讐に掴み上げられてる」
「俺が、浅倉に……?」
「そうだ」
「奴の上で、踊らされてるってか……? そんな……そんな馬鹿なことがあってたまるかッ!」
声を荒げ、両の拳を潰さんばかりに握り締めた戒斗は、怒りを露わにし立ち上がる。
「オイオイ、落ち着けよ。そこまで言ってねえだろうが」
「じゃあ、何だってんだ!」
今にも殴りかからん勢いの戒斗に、高岩はハァ、と溜息を一度吐くと、短くなった吸殻を海へと放り、新しい一本に火を点すと、言った。
「要はな、坊主――あんま復讐に拘りすぎんなってことだよ」
「な、に……?」
『復讐に拘りすぎるな』、だって?
「俺から……今の俺から! 奴への復讐を取ったらッ!!」
「『もう何も残っちゃいねえ』ってか」
「ああそうだッ!!」
「はぁ。なんというか、妙なところで純粋っちゅーかなぁ、お前は」
「どういうことだ、高岩さんよ……言ってみろ」
「ま、そう慌てなさんな。まずは落ち着いてよ――」
「言ってみろってんだッ!!」
怒鳴り、戒斗は高岩の胸倉を掴み上げる。互いの顔面の距離が近づく中、突然胸倉を掴まれて怒るでもなく、高岩は煙草を咥えたまま、言った。
「――周りをよく見てみろ、坊主」
「何……?」
「お前さんは、復讐以外何も残っちゃいねえ。そう言ったな」
「ああ」
「そりゃあ、坊主の勘違いだ。浅倉に復讐する以外に、お前には目的があるはずさ」
「どういう意味だ」
「お前んとこの助手ちゃんよ、助手なんてなぁ、嘘なんだろ?」
「――ッ」
見抜かれていた。予想の範疇を超えた高岩の一言に、戒斗は言葉に詰まる。
「最初から分かってたさ。そうだな……あの連中から護る為に、坊主は嬢ちゃんを連れてる。そんなとこか」
「……」
「無言は、肯定ってことで受け取らせて貰う――ホラ、よく考えてみろ。今の坊主には、それがあるだろ?」
「何?」
「復讐以外の目的、立派に見つけてるじゃねえか」
琴音を、奴らから――”方舟”から護りきることが、今の自分に残された、復讐以外のモノだって言うのか、この男は。
言われてみれば、確かにその通りなのかもしれない、と戒斗は思う。『浅倉への復讐』という目的一点だけなら、何も、琴音を護る必要など、どこにも存在しないのだ。”方舟”という、とんでもなくデカく強大な組織に狙われていると知った時点で、一方的に護衛を破棄することだって、戒斗には出来たはずだ。そして、そのまま一人で、世界のどこへなりとも浅倉を追えばいい――例え、道半ばで自らの身が朽ち果てたとしても。
それが、今までの――琴音と再び出会う前の自分。”黒の執行者”と恐れられた傭兵、戦部 戒斗だったはずだ。
しかし……しかし、今は、どうだ? 結局護衛は破棄せず、浅倉どころか”方舟”なんて連中まで叩き潰そうとしている。普通に考えて、あまりにも非合理的だ。浅倉を殺したければ、浅倉だけを狙えばいい。”方舟”なんぞ、知ったことか。そういうスタンスで良かったはずだ。
では何故、今の自分は”方舟”そのものの破壊を狙う? その答えは――たった今、高岩が言った通りのことだ。
――琴音を、護る為。
そうだ。結局のところ、今の自分は”黒の執行者”ではない。変えられていたのだ。彼女と、琴音と再び出会った、あの日から。自分は”黒の執行者”から、ただ一人の”戦部 戒斗”という名の男に。
「はっ……ははははっ」
思わず笑いが零れてくる。そうか。いつの間にか、変わっていたんだ。
「そうか、俺は……そういうことか」
呟きながら、戒斗はゆっくりと高岩の胸倉から手を離す。そして再びコンクリートに座り込むと、Tシャツの下、首からぶら下げた9mmルガー弾のネックレス――両親、そして自分自身の骨から造られた人工ダイヤモンドが弾芯に練り込まれた、復讐の一発。”黒の執行者”が”黒の執行者”たり得る為の、証明に等しい一発だった。それを戒斗は取り出し、眺めると、銅色のギルディング・メタルに覆われた弾頭部へと一度口付けをする。
そして、誰に向けるともなく、夜の帳が降りた漆黒の海へと、戒斗は呟く。
「俺は、奴を……浅倉をもう一度、この手で殺す。それに変わりはない。だが――琴音も護る。俺自身の手で」
そんな戒斗の様子を見ていた高岩は、安心したような表情を浮かべ、三本目の煙草に手を伸ばす。
「すまなかったな、高岩さん」
「構うこたぁねえ。若いってのは良いことだ――吸うかい?」
そう言って差し出された一本を、戒斗は押し返す。
「悪いな。俺は吸わない主義だ」
「そうかい……ふぅ。そうだ、思い出した。ほれ」
高岩から差し出されたのは、分厚く広い茶封筒だった。何の書類が入っているのか、そこそこ膨らんでいる。「これは?」と戒斗。
「今回の報酬だ。『株式会社エクシード』に関する、超部外秘の捜査資料」
「悪いな」
「おっと、俺が流したって漏らさないでくれよ。バレたら、下手すると俺の首が飛ぶだけじゃすまねえかもしれん」
「はいはい。その辺は分かってるさ」
そして戒斗は立ち上がり、高岩に背を向け、波止場から立ち去ろうとする。「なんだ、もう行くのか」と高岩。
「ああ。待たせてる姫様方も居るしな――ありがとよ、高岩さん」
「良いってことよ。若者を導くのも、俺達ジジイの務めさ」




