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黒の執行者-Black Executer-(旧版)  作者: 黒陽 光
第六章:Gunmetal Color's Fate
65/110

Invitation of Duty.

 ガチャリ、と錠前を開け、ドアノブを捻る。重い鉄の扉を開けた先は、見慣れた自宅兼事務所マンションの玄関だった。

「ぬわー、疲れたぁー」

 開口一番そう言うと、戒斗はそそくさとローファーを脱ぎ捨て、リビングのソファに横になる。本音を言えば今すぐにでも寝てしまいたい気分だったが、生憎そうもいかないのが現実だった。なにせ、この後は……

「ったくもう、戒斗ぉ。この後打ち合わせあるのよ?」

「分ぁってる分ぁってる。さっさと終わらせるとすっか」

 琴音に促されて起き上がり、戒斗は大立ち回り後で若干疲れた身体に鞭打ち、自室に制服を脱ぎ捨て、適当な私服に着替える。ジーンズに黒い丸首Tシャツと、ラフな姿だ。

 リビングに戻ってみれば、琴音も同様だった。制服でない、ラフな格好の私服の彼女は、何やらキッチンに立ち珍しく紅茶を淹れているようだ。「珍しいな」と戒斗が言ってみれば、手元は動かしたまま振り向き、彼女は言う。

「ん、まあね。これでも戒斗の見様見真似で、技術はある程度盗めたつもりだけど」

「ほう。中々言うじゃねえか、面白い」

 ソファに腰掛け、待つこと数分。琴音は戒斗の前に、注ぎたてのティーカップを差し出す。湯気の浮き出るソレは、何の混ざり気も無いストレートだ。成程、よく好みを理解している……そんなことを思いつつ、戒斗はそのティーカップを口に付ける。

「……ほう」

 旨い。率直な感想だった。意外にも上手く淹れられている。恐らく買い置きしておいたダージリンのティーバッグを使ったのだろうが、温度もまあまあ。持った時の感触からして、ティーカップも事前に温めておいたのだろう。

「上手いじゃないか」

 そう褒めてやると、琴音は見るからに嬉しそうな表情を浮かべ「えへへ。そう?」と言った。

「分かってきたみたいだな。上手い淹れ方ってのが」

「まあね。あれだけしょっちゅう見てたら誰だって覚えるわよ」

 琴音がそう言った瞬間、ピンポーン、と来客を告げるインターホンのベルが鳴った。戒斗は立ち上がり、壁に掛かったカメラ付きインターホンのモニタを覗き込む。そこに立っていたのは、ピッシリと糊の効いた、スカートスタイルの黒いスーツを着た一人の女性だった。間違いない。今回の依頼人だ。

「はい、どちら様?」

「あの……『戦部傭兵事務所』で間違いないですよね?」

「ええ。その通り。立ち話もなんでしょう。上がってください」

 戒斗はそれだけ言って受話器を戻し、玄関に急ぎ、ドアを開け彼女を招き入れた。

「あっ……お邪魔します」

 控えめにそう呟く彼女を、いつも通り、応接間を兼ねたリビングへと導く。ソファへ座らせ、新たに紅茶を彼女の前のテーブルへと差し出すと、戒斗はその対面へと座る。

「さて。以前はどうも。斉藤さいとう かおるさん?」

 そう言う戒斗の対面に座る、今回の依頼人――斉藤さいとう かおるとは、以前に面識があった。というのも、丁度戒斗が神代(かみしろ学園に編入してから丁度一週間後、ヤバい連中に追われていると緊急で助けを求めてきた彼女を救出したのだ。そして、その依頼を終えた帰りに偶然、琴音と遭遇したのだから、ある意味彼女の持ち込んだ依頼は、今の『戦部傭兵事務所』を形作るターニング・ポイントだったのかもしれない。そういうことから、彼女のことは戒斗もよく記憶していた。

「はい。その節は本当にありがとうございました」

「あら、戒斗、お知り合い?」

 恐縮そうにお辞儀をする薫を見た琴音は、そう言いながら、自らの分のティーカップを持って戒斗の隣に座った。「ああ。前にも依頼くれたお得意様だ」と戒斗。

「ええと……戦部さん。変なことをお聞きしますが、こちらの方は?」

「貴女の依頼を終えてちょっとしてから入った……まあ、助手みたいなもんですよ」

「誰が助手よ、誰が」

 不満げに呟く琴音をスルーし、戒斗は話を続ける。

「そういえばあの後、どうされました?」

「戦部さんに助けて頂いた後、警察に全て話して……会社は阿鼻叫喚でした。そのドサクサに紛れて私は退職。今は不動産関連の会社で再スタートしてます」

「そりゃ良かった。と言いたいところだが――今日の依頼は?」

 和やかな雰囲気から一転、葬式のような重いムードに切り替わる。そんな中、薫はゆっくりと、口を開いた。

「……まずは、この記事を見てください」

 彼女がハンドバッグから取り出したノートを受け取り、パラパラと捲る戒斗と、横から見る琴音。どうやら中身は、新聞のスクラップ記事のようだった。どれもこれも、記事に書かれている内容は全て共通点があり――そして、戒斗も見覚えのあるモノだった。

「ああ……連続誘拐事件ですか。若い女ばかり狙うという、アレ。何度かニュースで拝見しましたよ」

「私の親友が、つい三日前に行方不明……いえ、攫われました」

「どうして断定出来る?」

「近くのコンビニの防犯カメラにたまたま映ってたんです。覆面を被った数人の男に、車へと押し込まれている様子が。ナンバープレートまでは特定できなかったようですが」

 ふむ、と息づくと、戒斗はノートを突き返し、一度ティーカップに口を付ける。思考を整理した後、薫へと単刀直入に訊いた。

「つまり、貴女の親友とやらがこの事件に絡んだ可能性が高いから、俺達に調べろと。そういうことで?」

「はい……正直警察は頼りになりそうにないですし。諦めかけてた時に、戦部さん。貴方の名刺を貰ったのを思い出したんです。私を助けてくれた貴方なら、もしかしたらと思って……」

「なんとも光栄なことで」

 呟き、その間も思考を巡らせる戒斗へと、琴音が小さな声で耳打ちをする。「どうすんのよ、この依頼。大分厄介そうだけど……受けるの?」

 その問いに、戒斗は黙って頷くのみで答えた。そして、改めて薫にもその旨を伝える。「いいでしょう。依頼、お受けします」

「あ……っ! ありがとうございます!!」

 その一言を聞いて、今までどこか陰鬱としていた薫の表情が、若干だが明るくなった。すぐさま差し出してきた捜索対象――つまり、彼女の親友とやらの写真と、資料になりそうな身元などのデータを集めた数枚の紙束を戒斗は受け取り、それをパラパラと捲っていく。

槇村まきむら なぎさね……」

 捜索対象の名は、槇村まきむら なぎさ。年は薫と同じ二十七歳で、国立の有名大学の理工学部卒。現在は中心部にある、主にコンピュータのプログラミングや開発などを行うIT系のベンチャー企業『エクシード』にシステム・エンジニアとして勤めているという。

 写真で見る限り、その槇村とかいう女性は、そこそこ恵まれた容姿だった。切れ長の瞳と、角ばったリムレス・フレームのの眼鏡。少しだけ青みのかかった長い髪は、今目の前に座る薫によく似ている。確かに、連続誘拐事件の対象にされてもおかしくないとも思える。有り体な言い方をしてしまえば美人、もしくはべっぴんさんと言ったところか。

 一通り見終えた戒斗は、その資料を予め用意しておいたクリアファイルに突っ込んでテーブルに置くと、依頼人である薫へと、再び向き直った。「大体分かりました。後はこちらで調べておきますので、何か分かり次第、逐一報告の電話を入れさせて頂きます。今日はこの辺でお開きにしましょう」

「はい……! よろしくお願いしますっ!!」

 薫は立ち上がり、頭を叩き付けんばかりの勢いで下げる。そんな大仰な動作に微妙に困惑しつつ壁掛け時計を見ると、時刻は既に午後七時半を過ぎていた。

「もうこんな時間だ。物騒な事件が立て続けに起きている中、か弱い女性に一人夜道を歩かせるというのも、些か忍びない――琴音、すまんがタクシーの手配を頼む」

「え? ああ。分かったわ」

「いやいやいや戦部さん! 別にお構いなく! 私は大丈夫ですから、ね?」

 流石に恐縮し、断ろうと薫はそう言う。しかし戒斗はそれを一蹴し、「ご贔屓頂いたか弱き依頼人へのサービスですよ。コイツは、俺からの」と告げる。

「いや、でも……」

「本当なら俺が送るのが一番安全のような気もしますけどね。俺なんかよりタクシーの方がよっぽど信頼できるでしょう。それに、どこの馬の骨とも知れない男に送られるなんて、親父さんに知れたら殺されちまう」

「私は独り暮らしですっ!!」

「そうかい。ま、今は外を出歩かないに越したこたねえさ」

「戒斗ー。十分ぐらいで来るって」

 どうやら琴音はきっちり手配をしてくれていたらしい。残りの十分間、紅茶を呑みつつゆるりと過ごし――そして、すぐに時間は過ぎた。

 後ろを付いて来る琴音と共に、マンションの下まで見送りに出る戒斗。到着していたタクシーへと薫に先んじて向かい、運転手に千円札三枚を握らせた。これだけあれば、まず足りるだろう。

「あの……本当に、ありがとうございます。それと、依頼の件は……」

「あいよ。任されて」

 肌寒い夜空の元、最後にもう一度、深く腰を折り頭を下げた後、薫は乗り込む。自動ドアの閉められたタクシーは、そのまま彼女の自宅へと向け走り去っていった。

「……キナ臭えな」

 立ち尽くしたまま夜空を見上げ、呟いた戒斗の一言が気になり、琴音は「どうしたの?」と声を掛ける。

「いや……何となくだが、今回の依頼も中々に面倒なことになりそうな、そんな気がしてよ……」

 それだけ呟いて、戒斗は再びマンションの階段へと戻っていった。





「お疲れーっと……誰も居ないか」

 そして、三日後の放課後。花の金曜日にも関わらず、戒斗はまた、生徒会室へと足を運んでいた。しかしドアを開けてみれば、珍しく誰も居ない。あの智花でさえも、だ。

「珍しいこともあったもんだ」

「ま、忙しいんじゃない?」

「……まあ、暇ではないということでしょう」

 そんな会話を、共に来た琴音、そして遥と交わしつつ、いつも通り会長机の上に山積みになっている中から適当な書類を引き抜き、適当な椅子に腰掛け、横並びになると早速事務処理を始める三人。

「それにしても」

 ふと、何の気なしに戒斗は話題を切り出してみる。「ん、何よ」と琴音。

「ここ一週間で、亜里沙が生徒会室に居たこと、あったか?」

「……感覚的ですが、大体数時間といったところ」

「なぁ遥よ。これ結局のところ、ていの良い雑用係にされたってことじゃねえのか、俺達」

 書類にペンを走らせながらボヤく戒斗と、それに対し「……否定しきれない」と苦笑いしつつ返す遥。

 そんな感じで適当に談笑しつつ書類をこなしていた三人だったが、突然勢いよく開かれたドアによって、そんな雰囲気を、ある意味ブチ壊された。

「――戦部くん、居る!?」

 やはりと言うべきか。蹴り飛ばすようにドアを開いた矢先に戒斗の名前を呼ぶのは、噂の生徒会長こと、真田さなだ 亜里沙ありさご本人様である。

 また厄介事か……辟易した心情を隠すことなく表情に出しつつ振り向けば、彼女は開口一番、こう言った。「別に今回は実力行使ってわけじゃないわよ?」

「はぁ?」

 なら何の用だというのか。思わず戒斗は訊き返してしまう。

「この間言ってた件よ」

「何のことだか、俺には理解しかねるね」

「アンタ忘れたわけ!? この間の件よ、この間の。貴方が自分の車で乗りつける云々の件!」

「……ああ」

 思い出した。香華がフェラーリ・F12ベルリネッタで乗り付けた翌日ぐらいだったか。ダメで元々のつもりで戒斗は亜里沙に提案してみたのだったが、意外にも彼女は割と真面目に受け止め、そのことについて関係各位の教員と交渉を進めてくれていたのだった。すっかり忘れていたが。

「最近姿を見かけなかったのは、そういうことか」

「ええ、ご名答。貴方の為に走り回ってたんだから」

「そりゃご苦労様でございました――で、どうだ」

「単刀直入に言うと、取れたわ。許可」

「イヤッホゥ!!」

 ガラにも無く飛び上がってガッツポーズを決める戒斗と、それを唖然とした視線で見つめる一同。「……アンタ、こんなキャラだっけ?」と琴音。

「ま、まあ……生徒会の脚として、及び緊急時の対応装備の常時準備の為ってことで無理矢理納得させたんだけど」

「何でもいい! とにかく助かったぜ。こりゃデカい借りが出来ちまったな!」

「……いつもの戒斗は、何処いずこへ」

 何とも言えない表情で遥が呟いた瞬間、携帯の着信音が鳴る。全員が自らのかと思い探るが、違う。誰のかと思えば、戒斗のスマートフォンからだった。

「おっとすまねえ。電話だ」

 それだけ告げると、スマートフォンを片手に、戒斗は一度生徒会室の外へと出て行く。適当に距離を取り、人気の少なそうな階段下あたりで通話を開く。

「悪い。出るのが遅れた」

<――構わねえさ。今学園に居るんだろ>

 電話の相手は、低い声の男だった。電話越しにも不幸が伝染しそうな、そんな声で彼はそう言った。

「で、どうだった――高岩さんよ」

 高岩。電話の相手を戒斗は高岩と言った。つまりは――彼が今話している相手は、戒斗とよく分からない縁の深い警察関係者。高岩たかいわ 慎太郎しんたろうという名の刑事だった。戒斗の脳裏に、あのくたびれたスーツと、少し老化の進んだ、凄まじい不幸面が浮かぶ。

<結論から言わせて貰えば、相当怪しいぜ。その……なんてったか。アクなんとかだっけか?>

「『株式会社エクシード』だろ?」

 半笑いで指摘してやる戒斗は、二日前。つまり薫の依頼を受けた翌日に、自分と警察のパイプ役のような立ち位置の高岩刑事に連絡を取った。そして彼に、『株式会社エクシード』――つまりは、依頼人たる薫の親友、そして今回の捜索対象である槇村 凪の勤めるIT系ベンチャー企業の調査を、頼んでいたのだ。

<そうそう。その『エクシード』な……こっちでも相当動き始めてる>

「詳しく聞かせて貰えるか?」

<話せる範囲で、ならな。最も、お前が睨んでた連続誘拐事件とは別件で、県警が動いてる>

「と、いうと?」

<薬やら、ソッチ関係だよ。言わなくても分かるだろう>

 ――ヤクザか。まさかIT企業とつるんでいるとは、戒斗にも予想外だった。

<そう驚きなさんな。今は昔の任侠映画とは訳が違う。シノギも難しいってこった>

「成程ね。で、アンタもその捜査に?」

<一応な。本当に一応レベルだが。メインで動いてるのは組対だ>

 組対――たしかこの県だと、組織犯罪対策局だったか。その名の通り、ヤクザや不法滞在の外国人連中、薬物や国際犯罪の対策を主とした連中だ。ソイツらが動いているとなると……

「事態は、どうやら俺が予想していた以上に厄介みてえだな」

<どうもそうらしい。ともかく、その『エクシード』はヤクザに資金供給やら、シノギのアドバイスやら、とにかく色々深い関係らしい>

「ふむ」

<今日の夜、ヤクの取引が行われるって情報も入ってる。『エクシード』の連中が関わるかは知らんがな>

「それを俺に教えて、どうしようってんだ」

<組対も、そして俺達も。今回の取引現場は是が非でも抑えにゃならん。そこで、だ――良い知らせがある。お前に、県警の組織犯罪対策局から正式に依頼だ>

 冗談だろ……? もう、戒斗は溜息しか出なかった。

「馬鹿言ってんじゃねえよ高岩さん。俺にGメンの真似事をしろってか?」

<そうじゃない。どっちかてとドンパチだ>

「余計タチ悪りいじゃねえか」

<そう焦りなさんな。巷に銃が溢れるこのご時世だ。奴らも相当警戒しているらしく、かなりの重装備で固めた護衛の鉄砲玉が付くって話もある>

「ソイツらの相手をしろって、そう言いたいのか」

<ああ、その通り。それプラス、契約条件には『一人たりとも逃がさないこと』も含まれてる>

「ハァ……どうせ、断れねえんだろ?」

<ああ。断って貰ったら正直困る>

 どうせ、最初から選択肢なんか無えんじゃねえか……そんなことを心の内で呟きつつも、渋々戒斗はその依頼を受けることにした。

「俺に依頼を受けさせたいが為に、わざわざ電話を掛けてきたってか」

<悪い。俺も仕事なんだ。分かってくれよ傭兵。見返りと言っちゃなんだが、お前に『エクシード』に関する資料をくれてやる。これは俺からのちょっとした気持ちさ。本来なら部外秘どころの騒ぎじゃないんだぜ?>

「はいはい……目の前に人参ブラ下げられてちゃ、馬の俺に追っかける以外の道はないだろうよ」

<すまん。恩に着る>

「時間と場所は?」

<今日の夜、十時~零時ぐらいの予想だ。場所は港の外れ、埠頭の十二番倉庫辺り。俺は埠頭の入り口に待機しておくから、声を掛けてくれ>

「へいへい。分かりましたよ……そいじゃあこの辺で、健全な学業に戻らせて頂きますわ」

<引き留めてすまなかったな、傭兵。今日は頼んだぞ>

「あいよ。そいじゃあな」

 その一言で、やっと通話を終えた。気付けば、話始めてから十五分近くが経過している。急ぎ、生徒会室へ戻らねば。そう思い、戒斗は走り出した。





「――遅い!」

 急ぎ生徒会室に戻り、ドアを開けてみれば、開口一番飛んできたのは、そんな亜里沙の声だった。「悪い悪い、仕事関係だ」と詫びつつ、戒斗は元の席へ。気付けば、既に智花や一成といった他のメンバーも揃っている。

「ふむ。事情は察しかねるが、意外と大変なのだな。”傭兵”という仕事も」

 半目を閉じ、腕を組む一成が気を遣うようにそう言う。「まあな、意外と楽じゃねえ」と戒斗。

「まあ、私達一般人には理解し得ない世界です」

「そうだな、まな板はそのまま、普通のまな板として生きてくれればいい」

「誰がまな板ですか!!」

「ん? 洗濯板の方が好みだったか?」

 顔を真っ赤に反論する智花と阿呆なやり取りを交わしつつ、横に座る琴音に、戒斗は軽く耳打ちする。

「……急だが、今日の夜に仕事が入った」

「え?」

「詳細は帰ってから説明する。遥にもその旨、伝えてくれ。今日は早めに上がるぞ」

「ああ、うん。分かった。とりあえず今日は、私達もさっさと上がるのね?」

「そうだ」

 それだけ言ってから、戒斗は立ち上がる。脹れっ面の智花を横目にしつつ、会長机の前へ。既に終わった書類を出しつつ、亜里沙と正対する。

「ん? どうしたのよ戦部くん」

「悪い。急に仕事が入った。今日はこれで上がって構わねえか?」

「あらそう。構わないわよ。どっちみち、今日はもう皆解散する予定だったし」

「……そうなのか?」

「ええ。文化祭の準備も、来週ぐらいから始まるでしょ? 今の内に英気を養っておいて貰いたくてね」

 ああ、そういえば担任代理の朋絵がそんなことを言っていたような気もする。戒斗は一言、亜里沙に「……すまない」とだけ告げると、琴音、そして遥を連れ、帰っていく。

「……ふむ。”傭兵”とは実に度し難い職種よ。無事、生きて帰ってくれれば良いのだが」

 去りゆく彼の後ろ姿を眺め、何故だか感慨深そうに呟く一成と、「洗濯板の恨みは晴らす」とブツブツ何か物凄く不穏なことを呟くのは智花。

「大丈夫よ。戦部くんなら……必ず帰ってくるわ」

 どこか確信にも似た一言を、亜里沙は半分無意識に呟いていた。

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