闇夜を斬り裂き”疾る白刃”
月明かりに照らされたある部屋。そこで目を閉じて静かに正座している小柄な一人の少女。身に纏う鎖帷子と布は、漫画に出てくるような忍者装束を現代風にアレンジしたようにも見える。脇に置かれた日本刀の鍔が月光を反射し、妖しく光っていた。
≪さて。仕事の時間だ。目標の確保を最優先。護衛の奴等は殺してしまっても構わん≫
左耳に着けたイヤホンから、若干ノイズの入った男の声が聴こえた。
「……御意」
少女は無表情のまま、何かを振り切るかのように首を横に振り、マフラーのような長い布で鼻から下を覆い隠す。立ち上がり、右側に持ち手が来るよう後腰に日本刀を装着する。
次の瞬間には、部屋のどこにも少女の姿は無かった。
「琴音、準備できたか?」
「もう出来てる。先に外出てるわね」
そう言って自宅の玄関から外に出ていく琴音。戒斗も部屋の戸締まりを確認し、黒いキャリーバッグを持って玄関から出た。
「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」
ドアの向こうに立っていたのは、前見た時と同じ、上品なスーツを身に纏った執事、高野だった。彼に先導される形でマンションの階段を降り、一週間前に乗った黒のセダン、その後部座席に乗り込んだ。荷物は全て高野が後部トランクに積んでくれている。
高野の運転で車に揺られること一時間弱。港の駐車場で降ろされた。
大型クレーンの灯りが夜空を照らす港。大小さまざまな船が停泊している中で、一際大きな存在感がある豪華客船が入港してくるのが見えた。おそらくその存在感の理由は、船全体が漏れ出す明かりと煌びやかな電飾で輝いているからであろう。その輝きは美しく、正に豪華客船といった感じだ。
「あちらが乗り込んで頂く、日本の誇る新造豪華客船”龍鳳”でございます」
聞いたことがある。確かつい最近進水した国産大型客船だ。飛鳥Ⅱ以上に大型の、日本最大の豪華客船が完成したとかなんとかニュース番組で報道していたのを戒斗は覚えていた。
「へぇ……あれがねぇ」
巨大な船体を見つめて呟く戒斗。
龍鳳は完全に停泊し、既に乗客が乗り込みを始めている。
「お嬢様は既にお乗りになっているはずです。後のことは護衛指揮官の佐藤に任せてありますので、お困りのことがあれば彼にご相談ください」
「分かった。それじゃあ明日出迎えよろしく。仕事はキッチリ果たしますよ」
琴音、そろそろ時間だし行くぞ。言って自分も乗り込もうと歩いて行く戒斗。高野は遠ざかる二人の姿を見送り、乗ってきたセダンの運転席に再び乗り込んだ。
(お嬢様、どうかご無事で……)
胸からこみ上げてくる不安を必死に押し込み、高野は車を走らせた。
乗り込んですぐに目に入ったのは、別世界だった。
煌びやかな明かりが満ちたホール。乗務員達は皆が皆練度が高く、無駄な動きを一切見せない。乗客もどこか、一般人とは違う上品な雰囲気が溢れる者達ばかりだった。
「これ、私達凄く場違いじゃないのかしら……」
小声で呟く琴音。一応仕事だから、多分問題ないだろ。戒斗もあまりの別世界っぷりに戸惑いつつも呟き返した。
一応二人もいつもの私服ではなく、黒のスーツを着ている。ちゃんとした正装をしているのだが、やはりどこか場違いな雰囲気はあった。特に琴音は。
フロントの受付嬢と数言会話し、一日泊まることになる客室の鍵を貰った。二人があまりの場違い感に堪えきれず部屋に直行すると、泊まる部屋――321号室の前に、漆黒のスーツを身に纏った男が一人、立っているのが見えた。左の脇から胸にかけてが不自然に膨らんでいる。恐らく帯銃しているのだろう。立ち方も素人ではない、一分の隙もないプロのソレだ。
「ちょっと荷物持っててそこに居ろ」
困惑する琴音に無理矢理手に持ったキャリーバッグを預け、戒斗は右手でスーツの上着の下に吊るしたホルスターからミネベア・シグを抜き、左手で後腰に装着した鞘からナイフを逆手に抜刀した。男が戒斗のいる位置から見て廊下の反対側を向いた隙を見逃さず、気配を殺して近づく。
男が気配に気づいて振り向くのと、戒斗が拘束して喉元にナイフの切っ先を突き付けるのはほぼ同時に起こった出来事だった。
男はしまった。と悔しそうな表情を隠すこともせずに言う。
「さて、色々聞きたいことはあるが――テメェ、浅倉に雇われて俺達を殺しにきたのか」
切っ先をさらに近づけて尋問する戒斗。男はハァ、とため息を吐いて全身の緊張を弛めた。
「何か勘違いなさっているようですがね。私は香華様の護衛を任されている者です。決して貴方達を殺しにきたわけじゃありませんよ?」
男が呆れたように言う。
「その言葉が真実である証拠もないからな。安易にテメェを信用する訳にもいかねぇんだこちとら」
戒斗は警戒を緩める気はない。
「だからですね――」
「佐藤!? ちょっとアンタ、佐藤を殺そうだなんて一体どういうつもりよ!」
男の言葉を遮り、戒斗に浴びせられる罵声。その声の主は、気品漂うその身体を青色のドレスで包んだ、腰まで伸びた金髪のストレートヘアが眩しい美少女――今回の護衛対象、西園寺 香華その人だった。
「――で、佐藤は私を護る為にお父様が遣わせた護衛部隊の隊長さんなのよ! 分かったわね!」
戒斗に罵声を浴びせる香華。かれこれ二十分は聞いている気がする。
あの後、香華に促されるままに琴音を呼んで客室に入り、この状況というわけだ。どうやら彼女によれば、先程締め上げた、このスーツ姿の男は佐藤 一輝という名らしく、事前に高野から聞かされていた護衛部隊の隊長らしかった。どうもパーティ中の護衛計画説明の為に二人を待っていたようで、そこを勘違いした戒斗が襲い掛かってしまったようだ。
「分かった!? ならとっとと謝りなさい! 今すぐに!」
「いやもうホント、すんませんでした」
香華の強すぎる口調が若干癇に障るが、悪いのは自分なので素直に頭を下げる戒斗。謝られた佐藤は分かって頂ければいいんですよ。と戒斗に頭を上げさせる。
「全くもう、大体アンタはねえ――」
「まあまあお嬢様、その辺にしておいてください。この後は折角のパーティですし、あまりここで体力を消耗されても」
さらに責め立てようとする香華をなだめ、渋々ながらも退出させた佐藤。
「さて、色々誤解も解けたようですし、本題に入りましょうか」
二十代と見られるが、若干加齢が始まったのか老け顔。しかし端正な顔立ちの佐藤は言うと、その双眸が今までの優しげなソレから一気にプロの目へと変わった。
手近なテーブルの上にパーティ会場の見取り図を広げ、作戦を説明していく。
「会場の出入り口は全部で四か所。それぞれに私の部下を一人ずつ着かせます。貴方達二人は私と共にお嬢様の傍で警戒に当たってください」
「ああ、それは全く構わんが。肝心の出入り口がたった一人で大丈夫なのか?」
戒斗の疑問ももっともだった。いくら高度な訓練を受けた人間とはいえ、一番敵との遭遇率が高い出入り口で、しかも拳銃一挺とはあまりにも脆弱過ぎる守りだった。
「この船は乗船段階で銃の持ち込みなんかは厳しく制限されていますし、まず大丈夫ですよ。本来なら彼らにも自動小銃の一挺ぐらいは持たせてやりたいのですが、いかんせんパーティ会場という場ですし。他の方々に要らぬ不安感を抱かせてもと思いまして」
まあそれもそうだ。銃というのは力、即ち暴力の象徴である。今でこそ大分少なくはなったが、銃規制解禁当時は反対運動なんかが多くて大変だったそうな。銃とは、それ程人々に負の印象を与える道具なのだ。ましてや華やかなパーティの場となればなおさらだ。折角着飾って彩っても、豪華な食事で華を添えても、銃という一つの暴力の形があるだけで雰囲気は一気に暗くなってしまう。そういうことを佐藤は避けたかったのだろう。流石は由緒正しき西園寺の私兵部隊といったところか。
「了解した。アンタも戻ってくれて構わないぜ。何かと準備があるんじゃないか? 大丈夫だ、パーティの時間には必ず合流するさ」
戒斗がそう言うと、お心遣い感謝します。それではまた後ほど。と言って佐藤は部屋を出て行った、
そして数時間後、パーティ会場。広いホールはクラッシックの優雅なメロディで満たされており、所々に設置されているテーブルには豪華な食事が並んでいる。周りを見渡せば、どこかで見たような政治家や芸能人など、多くの著名人がワイングラス片手に談笑を楽しんでいた。
「ちょっと戒斗あの人見てよ! テレビでよく見る人だわ! 実物は意外と背小っさいのね~」
そんな中、見覚えのある芸能人を見かけては騒ぎ出す琴音。いやうるさい。場違いにも程があるぞ。
≪こちらエコー1-2、今の所異常なし≫
左耳に差したイヤホンから通信が聴こえる。定時連絡だ。
≪エコー1-1、異常なし≫
≪エコー1-3、こちらも問題ない≫
配置も全て計画通り。佐藤の護衛部隊、コールサイン”エコー”の部隊はきっちり四か所の出入り口を固めていた。前方、広いステージがある側の右側をエコー1-1、左を1-2、更に背後の左右をそれぞれ1-3と1-4が警備している。
≪こちらエコー1-4、若干の問題があったが今の所問題は無い。オーバー≫
≪エコーリーダーよりエコー1-4、出来れば詳細を報告してもらいたい≫
コールサイン・エコーリーダー――佐藤の声がイヤホンから聴こえた。
≪何、ドジな船員が俺の頭に食器をブチまけただけですよ。引き続き警備に当たります。エコー1-4アウト≫
戒斗の視界の端では、香華と他の客が談笑していた。常に護衛対象を視界の隅に置いておく。要人警護の鉄則だ。
「これ結構イケるわよ?戒斗もどう?」
この能天気な助手様はどうにも気が抜けているようだが。
「一応仕事ってことを忘れるんじゃないぞ……中々美味いなコレ」
琴音から受け取った皿の上に載っていた牛肉を頬張る。焼き具合はミディアムレアぐらいか。焼き加減もそうだが、下味もしっかりしている。肉本来の味を殺さずに、しっかり引き立てていい味を出していた。
そんなこんなで、琴音は役得と言わんばかりに次々食い物を持ってきては戒斗に食わせていた。ホント仕事を何だと思ってるんだ。いや美味いけど。
約二時間半のパーティは特にこれといったアクシデントも無く、順調に進んでいる。
≪エコーリーダーよりアルファ。そろそろ終了の時間だ。一応安全の為に部屋の前までは送ってくれ。オーバー≫
コールサイン・アルファこと戒斗に無線で話しかける佐藤。戒斗は了解と一言返すと、琴音を近くまで招きよせる。
「琴音、そろそろ終わりだ。ご苦労だったな」
「え? もう終わり?」
明らかに腹一杯といった様子の琴音。少しは自重しろ。一応仕事なんだから。心の内でぼやく。
ステージ上に立った司会者がスタンドマイクに向かって終わりの挨拶をしている。
――司会者が挨拶をし終えたその時だった。突如船体が揺れたかと思えば、煌びやかな光に彩られていた会場は一気に暗闇に支配されてしまった。
≪エコーリーダーより各員、状況を報告しろ!≫
無線機から佐藤の怒鳴り声が聞こえる。会場に居た数々の客人達は恐れ、悲鳴を上げていた。
≪こちらエコー1-1、全く状況が掴めませ……うわああああッ!!≫
≪停電か!? 状況を把握し……がぁぁぁッ!≫
隊員達の声が次々途切れていく。何者かの襲撃を受けているのは、火を見るより明らかだった。
「琴音ッ!NVGを着けろ! 使い方はさっき教えた通りだ!」
「う、うん! やってみるわ!」
電灯以外の明かりが無い船内での電力カットは十分考えられる――戒斗の提案で予め腰に吊るしておいたポーチから二人はNVG、個人用暗視ゴーグルを取り出し、頭に装着する。起動すると、右も左も分からないような漆黒に支配されていた視界が一気に緑色に染まる。緑色の視界は、空間に漂う微弱な光を集め増幅させるこの装置の大きな特徴だった。
周囲を見渡して警戒する二人。数秒の後、戒斗の視界に驚くべき速さで疾走する小さな人影が一つ見えた。ソレはとんでもない速さで走り、出入り口を警備していた隊員――エコー1-4と呼ばれていた彼との距離を一気に詰める。腰から何かを引き抜いたかと思えば、次の瞬間にはもう小さな影は無く、斬り裂かれた頸動脈からおびただしい量の鮮血を撒き散らしながら力なく倒れるエコー1-4だった肉塊だけがその場にあった。
≪時間だ、始めろ≫
耳のイヤホンから聞こえる指示に従い、忍者装束を身に纏った小柄な少女は自らが潜んでいた天井を突き破り、音も無く豪華客船の艦橋に降り立った。
彼女は右手で腰に差した日本刀型に加工された高周波振動ブレード――十二式超振動刀”陽炎”を逆手に引き抜き、表情一つ変えずに艦橋に居た四人の船員の内、一番手近だった男の首を一刀両断。おそらくこの男は、自らに何が襲い掛かったのか理解することもなく、気が付けば死んでいたのであろう。
たった今斬り裂いた男の頭が高く天に舞う。ソレが床に落ちる前に少女は踏み込んで他三人を斬殺した。ある者は胴体を袈裟斬りに、またある者は頸動脈のみを正確に斬り裂かれ、皆等しく即死した。
「艦橋を確保。制圧部隊の投入を進言します」
無線機に向かって少女は呟く。
≪流石に良い手際だな。既に向かわせた。お前は手筈通りに配電盤に仕掛けた爆薬を起動させ停電、非常電源に切り替わるまでの三分半以内に西園寺の娘の確保と私兵部隊の排除を行え≫
何かを抑えるかのように少女は下唇を軽く噛んでから、御意。と一言呟き、船員達の鮮血でそこら中が真っ赤に染まった艦橋を後にした。
数分後、彼女は今もパーティが続けられている大ホール、その前方出入り口のすぐ近くに身を潜めていた。ドアの前にたった一人でスーツ姿の男が立っているのみで、他に人の姿は見当たらない。一旦陽炎を鞘に納め、忍者装束の懐から旧ソ連製特殊消音拳銃PSSを抜き、男の頭に三発、正確に鉛弾を撃ち込んだ。特殊弾薬SP-4は大した音を発することもなく、亜音速で男の頭にめり込み、即死させる。
少女はPSSを再び懐に戻し、船の配電盤に仕掛けたC-4プラスチック爆薬の遠隔起動装置を手に持ち、迷わずそのスイッチを押して起爆した。
爆発の衝撃で船体は大きく揺れ、数秒後に主電源から供給されていた電力が喪失。一時的に船全体が暗闇に包まれた。しかし、特殊な訓練を受けた彼女にとって暗闇は何の障害にもならない。寧ろ格好の狩り場である。潜伏場所から飛び出し出入り口を体当たりするように開け放つ。とりあえず目の前、つまり今突破した出入り口と反対側の所に走り、これも突き破る。その先に立っていた男――恐らく西園寺の私兵部隊員であろうソレを、居合の要領で抜刀と同時に斬り裂く。男は左腕と共に頭を吹っ飛ばされ、即死だった。
同じ要領で他の場所に居た奴も斬殺。主目的である西園寺家の娘を確保するべくホール内を見渡す。
居た。アイツを確保すれば終わりだ。
標的の姿を確認し、少女が飛びこもうとした直後、目の前を小口径フルメタル・ジャケット弾が一発掠めた。
咄嗟に距離を取り、陽炎を抜刀する。銃弾を放った人物は、頭にNVGを装着して、片手でドイツ製護身用小口径自動拳銃、ワルサーPPKの銃口をこちらに向けていた。
「へぇ……何者だか知らんが、その娘を持っていかれちゃ困るんだ。大人しく引き下がってくれりゃ、命までは取らんよ」
不敵な笑みを浮かべるソイツは、今まで殺してきた私兵部隊の男達とは明らかに放つ殺気が異なっていた。今までの男達が実戦未経験の道場剣術一本だとすれば、この男は実戦経験者、しかも修羅場を数々潜ってきた猛者のソレだった。この少女でさえ、思わず圧倒されるほど。再度陽炎を握り直し、彼女は男と対峙した。
――丁度その頃、主電源が落ちて二分十五秒経ったその時、兵員輸送ヘリコプターUH-1Y”ヴェノム”が三機、客船の真上に居た。機体から垂らされたロープを伝って、およそこの場に似つかわしくない完全武装の人間数十名が豪華客船”龍鳳”に降り立つ。