Blue Limit
砂埃と硝煙の残滓が舞い散る中、トリエチル・アルミニウムの爆炎を背景に地を踏み締める戒斗は、とある鉄骨を前にして立ち止まる。そして、ゆっくりとショルダーホルスターからミネベア・シグを抜き、その銃口を向けた。
「邪魔者にはご退場願った。これで二人きり。早速デートと洒落込もうじゃないか。なぁ、エミリア?」
銃口を向けた柱の陰から、隠れていた一つの影が出てくる。タイトな黒いスーツを身に纏い、長くストレートに伸びる深い蒼の髪を揺らし出てきたその影――エミリア・マクガイヤーは、手の中のカスタム・ガバメントを戒斗へと突き出す。
「単刀直入に訊こう。お前――”方舟”に強迫されてるだろう」
その問いに、エミリアは押し黙ったまま、親指で起こした撃鉄のみで応える。
「沈黙は肯定と判断させて貰うさ。そうだな……大方、身内でも人質に取られたか」
「――って」
「かといってその程度に屈するようなお前と、俺には思えん」
「――黙って」
「俺を殺すことがとんでもなく面倒なことぐらい、お前なら分かってただろ? いっそ、無理矢理にでもLAPDを動かした方がまだ――」
「――黙って! 黙りなさいッ!!」
エミリアは叫び、力んだ右手は引き金を引く。白銀の銃身から放たれた.45口径弾は、戒斗の頬を浅く擦った。一条に抉られた傷から、血が滴り落ちる。
「……ようやく、喋ってくれたか」
「貴方に何が分かるっていうの!? 私が、私がどれだけ……」
絞り出すように、悲痛な声色でエミリアは言葉を紡ぐ。「さあな。俺の知ったことじゃない」と戒斗。
「私は……私は! こんなところで! 立ち止まってる訳には、いかないの!」
「俺を狙ったのは、お前のミスだ」
「仕方なかったのよ! 弟が、弟が……」
「知ってる」
「なら、どうして!」
響く、一発の銃声。地面に転がる9mmの真鍮薬莢。掠めたエミリアの蒼い髪の一部がハラハラと舞い落ちる。信じられないような目で見るエミリアに、戒斗は冷徹なまでに凍った表情で、言い放つ。
「どうなろうと俺の知ったこっちゃない。俺は、俺の障害になる奴を片っ端から排除するだけだ――例えエミリア、それがお前であろうと」
片手に構えたミネベア・シグ。その照門と照星で合わせる狙いを、エミリアに定めた。
「私は……あの子を、弟を助けなきゃいけないの! アイツらに殺されかけた、あの子を!」
ふむ、と戒斗は少し思案する。部屋にあった義肢のカタログと、危篤状態の弟の存在。そしてエミリアが”方舟”に与する理由……頭の中で、全てのピースが綺麗に揃った感覚だった。
つまり彼女の弟は、彼女を利用すべく何らかの手段で”方舟”により重傷を負わされる。そして動けない弟の存在と、その治療を餌にエミリアを動かす。成程、確かに辻褄は合う。警察組織内部の人間ともなれば、さぞかし奴らにとっては便利な駒だろう。しかし……何故、エミリアを選んだ? それだけが、分からなかった。
「アイツらは莫大な報酬と医療費、それと最先端の医療と、高精度の義肢に、金輪際私達に関わらないことを条件に、貴方を消せって!」
「それで、引き受けたと」
「仕方がなかったのよ! このままだと弟は死ぬ! 私が逆らっても殺される! 一体どうしろって言うのよ、ねぇ、答えてよ、戒斗!」
エミリアの悲痛な叫びに、戒斗は何一つ答えることが出来なかった。そして同時に、納得した。あのエミリアが”方舟”の手先として動く理由を。
仮に自分が彼女と同じ立場だとして、どうする……? きっと、いやほぼ確実に、彼女と同じ行動を取っていたであろう。人間とは、そういう生き物だ。自分にとって大事な何かを護る為なら、他の犠牲は厭わない。
「他に選択肢なんて無かった!弟の為にはッ!! だからお願い、弟の為に死んでよ戒斗。私の為に、私を捨てた貴方が!」
叫ぶエミリアに、戒斗は再び表情を凍らせ、冷徹に言い放った。「断る」
「なんでよッ! あの子の命がかかってんのよ!!」
「知ったこっちゃあないね。冤罪掛けられた挙句ここまで大立ち回りさせられた俺の身にもなれ」
「貴方に適当な罪被せて獄中死させるのが、一番自然だって……」
「で、お前は俺に濡れ衣を吹っかけたってわけか。あの捜査一課の刑事も、お前が殺したんだな。そうだろ? 道理でおかしいと思ったわけだ。俺の部屋に来た時こっそり掠め取ったPPKで殺した。違うか?」
「ええそうよ。だから何? 今ここで貴方が死ねば、全て計画通りよ。貴方は死に、弟は助かる。皆幸せハッピーエンドじゃない」
そう言うとエミリアは顔を強張らせ、両手でカスタム・ガバメントのグリップを握る。その手は、小刻みに震えていた。「俺が死ぬ。何がハッピーエンドだ」戒斗は言い、エミリアに狙いを定める。
「……死人に口なしって、本当にいい言葉よね」
「お前のことか?」
その時、戒斗はふと違和感を覚える。そしてフッと笑い、デコッキング・レバーを操作し撃鉄を戻すと、あろうことかミネベア・シグをホルスターに戻し、その右腕を天高く掲げた。
「一体何のつもり――キャッ!?」
瞬間、金属と金属の激突する激しい音が工事現場で反響し、木霊した。エミリアの手から握っていたガバメントが、まるでハンマーで殴り飛ばされたかの如く遠くへと吹っ飛ばされる。そして――数秒遅れて聞こえてくる、乾いた撃発音。
エミリアのカスタム・ガバメントを吹っ飛ばした銃弾は420mの彼方、高層ビルの屋上から放たれたモノだった。弾種は7.62mmNATO弾。狙撃銃はレミントンM700。そして、肝心の狙撃手は――
「”サジタリウスの矢”は決して逃がしはしない。そう言ったでしょう?」
スコープを覗いたまま口元を釣り上げるポニーテールの少女、折鶴 琴音だった。
「ハァッ……畜生。ついに俺もヤキが回ったか」
「その怪我、大丈夫……なわけないですよね」
狙撃から遡ること数時間前。琴音はとある一台の黒いワンボックスカーの後部座席に乗っていた。その隣には、スーツの肩に穿たれた穴から血を垂れ流す佐藤 一輝の姿が。
”黒の執行者”戦部 戒斗の宿敵たる浅倉 悟史と正対した彼ら二人であったが、直後に車両チームであるスート・ハートのワンボックスが到着。それに乗り込み、命からがら逃げ出してきた、という訳だ。佐藤の傷は、その時に浅倉の放った.44マグナム弾によって穿たれたモノである。
「でも、どうしてこうも都合よく、私を?」
琴音が問う。傷の痛みに耐えつつ、佐藤は経緯を言うか言わずでおくか逡巡するが、今更隠しても意味は無いと判断し、事の真相を彼女に話し始める。
「アイツからお嬢様に頼まれたんだよ。護衛を」
「アイツって、戒斗のこと?」
「ああそうだ」
「戒斗は、戒斗は生きてるんですね!?」
食い入るように琴音はそう言う。彼女の取った予想外の行動に多少面喰いつつも、佐藤は縦に頷き、肯定した。
「今頃奴は大詰めに入ってる。なんとかって刑事を誘い出してるはずさ」
「そこへ! そこへ私を連れて行って貰えませんかっ!?」
「は?」
思わず真顔で生返事をしてしまう佐藤。しかし琴音の勢いは止まらない。
「お願いします! 私が、私が行かないと、アイツ……!」
「いやいやいやちょっと待て。何を考えてるんだ」
「いいから、頼みます!!」
「ああもう……分かった、分かったよ。ちょっと待ってろ」
遂に折れた佐藤は香華に連絡を取り、鉄火場の場所を聞き出すと、マンションで琴音が装備を調達した後、そこへと向かった。そして――
「……良い腕だ、琴音」
不適な笑いを浮かべつつ、戒斗は無線機にそう言った。
<もう……無事なら一言ぐらい連絡寄越しなさいよね>
「逃亡犯のご身分でか? 無茶言うな」
<はいはい。とにかく無事でなによりよ>
戒斗は歩み寄り、くずおれて泣き叫ぶエミリアと正対し、握ったミネベア・シグの銃口を突きつける。そして彼女へと、戒斗は冷酷なまでの一言を叩き付けた。
「これでジ・エンドだ。終わりにしよう、エミリア」
そして、遠くから、徐々に、回転する幾つもの赤色灯とサイレンが工事現場へと近づいて来るのを感じる。
<オペレーション・コンプリート。今高岩とかいう刑事がお仲間引き連れてそっちに向かってるわ>
無線で報告する瑠梨に一言礼を言い、戒斗は再び足元のエミリアの顔を見た。そこに、かつての知的でクールな女刑事の面影はなく。ただただ哀れな操り人形が、そこに居るだけだった。
彼ら二人の周囲を取り囲むように停車する警察車両。中から降りてきた数十名の私服警官が一斉に回転式拳銃の銃口を戒斗へと突きつけるが、それを一人の刑事が制する。その刑事、相変わらずのくたびれたスーツを羽織った不幸面の高岩慎太郎は部下達にエミリアの確保を命じると、戒斗へと歩み寄り、その肩をポン、と叩いた。
「すまなかったな、傭兵」
「構わねえよ。証拠は無事プレゼント出来たかい?」
ホルスターにミネベア・シグを収めつつ、戒斗は問いかける。彼の言う『証拠』とは、これまでの逃走中に収集した数々の物的証拠や、ジョンソン・マードックから渡されたUSB内に収められていた様々な記録の台帳をコピーしたファイル。そして、たった今戒斗がスイッチを切ったICレコーダーだった。今までエミリアと交わした会話が全て、そこには録音されている。自白テープに等しいそれを高岩に投げ渡す。
「ああ。予定通りきっちり。送られてきた。これで完璧さ。お前は晴れて無実の身だ」
受け取ったICレコーダーを手元で揺らしつつ、高岩は口元を釣り上げる。
「これで身の潔白は証明出来たし、ついでに刺客は処理出来たし、結果オーライさ」
「ところで、本当に良いのか? アイツはお前の……」
制服警官に手錠を掛けられ、引きずられるようにパトカーに連行されていく、憔悴し切ったエミリアの背中を眺め、戒斗は言う。「……構わねえさ。元々忘れ去ってた女だ。また忘れるだけさね」
呟く戒斗の表情は、言葉とは裏腹にどこか憂いで見える。そう感じ取った高岩は、敢えて話題を逸らした。
「にしてもお前……これはやり過ぎだろ、流石に」
引き気味に呟く高岩が眺める先には、幾多の死骸と、トリエチル・アルミニウムの炎の残滓。そして異臭を放つ焼死体と、四方八方に飛び散った返り血と空薬莢がある。
「仕方ねえさ。これぐらい暴れねえとどうしようもねえ奴らだ――そのことで、アンタに頼みたいことがある」
「何だ?」
「死体の連中、司法解剖でも何でもした後で良い。身元を特定してくれ」
奴らが”方舟”の爪の先だとしても、死体の身元を特定するだけで、何かしらの手掛かりは掴めるはず――そう確信しての頼みだった。高岩は少し悩んだが、「ま、構わねえか」と合意してくれた。
「一度は愛し、そして愛された女が殺しに来る、か……」
連行されていくエミリアを、複雑な眼差しで見送る高岩がふと呟いた瞬間、視界内で何かが弾けた。水風船でも破裂したかのような音が響く。紅い液体が、が制服警官の顔面を汚す。
「う、うわあああああああああ!!!???」
あまりに唐突な出来事に慄き、思わずエミリアを引きずっていた腕を放す二人の制服警官。その瞬間、遅れて聞こえてきた撃発音と共に、エミリアの肉体は前のめりに力なく崩れ落ちる。その首から上は、綺麗さっぱり消え失せていた。四方八方に飛び散る、吹っ飛んだ頭蓋の欠片と脳漿の破片。そして、僅かに透き通る蒼い髪の残った頭皮が、そこかしこに散乱していることを、戒斗は理解するのに数秒の時間を要した。
「ッ!? まさか琴音、お前なのか!?」
≪そんなわけッ……! 私にも何が何だかさっぱりよ!≫
無線の向こう側の琴音も、予想外の事態にかなり狼狽していた。
――口を、封じられた?
戒斗の脳裏に、否応なく突き立てられた可能性。少なくとも、エミリアは消された。彼女の存在によって不利益を被る、何者かの手によって。
「口封じ、ねぇ。くだらねえな」
マクミランTAC-50対物狙撃銃を携えた浅倉 悟史は、咥えた煙草に火を点けながら呟く。その右手義手の人工皮膚は剥がれ落ち、装甲の継ぎ目からは微かに白煙が立ち上っていた。
「某とて、今一度あの娘と会いまみえたかったのだが」
「二人共、これは仕事ですよぉ? もう少し真剣にやって貰わないと、困るんですがねぇ」
浅倉の背後に立つ、二人の人影。青みがかった長髪を頭の後ろで結ぶ、若々しく、凛々しさと気品を漂わせる190cm近い長身の男。腰に長い太刀を差したその男、山田 勲と、そして季節外れなロングコートを羽織った麻生 隆二だった。双方とも、サイバネティクス兵士である。
「さて、仕事はこれで終わりです。そろそろお暇しましょうか」
麻生がそう告げると、彼ら三人は静かに、痕跡一つ残さずビルの屋上を後にする。まるで、最初から何もなかったかのように。
「どうせなら、もっと楽しい殺しをしたいもんだぜ」
彼は、浅倉は闇の中へと消える。いつの日か、因縁の傭兵と闘う日を夢見て。




