ファイブ・カード
「――了解。情報感謝する。今度珈琲でも奢るってアイツに言っておいてくれ。ああ、ああ。それじゃあな。香華、お前も十分気を付けろよ」
固定電話の受話器を戻し、通話を切った戒斗は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「……戒斗、今のは」
声がしたと思って振り向くと、そこには起きて布団から這い出て来たのか、松葉杖を突いた遥が心配そうな視線を戒斗に向け、柱に寄りかかって立っている。戒斗は言うべきか言わぬべきか数秒の間迷い口ごもったが、結局彼は口を開く。
「浅倉が……浅倉の野郎が、琴音を狙ってきやがった」
涼しい顔で戒斗はそう言うが、やはりどこか怒りの感情を孕んでいる。
「無事、なんですか」
「ああ、一応はな。香華のとこの部隊に張り付いて貰ってたのはやっぱり正解だったみたいだ。にしても……」
「にしても?」
「奴はどこにでも転がってるチンピラを安金で雇って襲わせたらしい。本気で琴音を狙いに行くなら、奴自身が出てくるか、”方舟”の部隊を使うはずだ……そうでないのなら、おちょくっているか」
「試しているか、ですね」
先読みした遥の発言に、「だろうな」と戒斗は溜息交じりに返し壁にもたれ掛かる。そうだ。奴が本気で奪いに来るなら、奴等にとってよっぽど脅威らしい”黒の執行者”の居ない今は千載一遇のチャンスだ……何故、こうも中途半端な手段でしか来ない? 疑念は尽きることがないが、それを解決する術がない以上、どうしようもない――戒斗は再び受話器を取り、電話帳から番号を呼び出しコール。
「はいはい。どちら様かの」
「レニアスか。俺だ」
電話を掛けた先は銃砲店”ストラーフ・アーモリー”――即ちレニアスだった。相変わらずの年齢不相応な幼さの残る声の彼女に、戒斗はこの間注文しておいた品の入荷具合を問う。
「そうじゃの……大方の物は注文通りに揃ったぞい。AK-47系の突撃銃は中古じゃが、ハンガリーのAMD65が手に入ったの。他の中古品は注文通りFALにM14、M60が二挺ずつ。レミントンM870散弾銃も手に入ったわ。残念じゃがMGLにM72ロケット・ランチャーは手に入らなかったが、その辺は勘弁して貰いたいの。こっちにも限界があるわ。焼夷弾のM202とクレイモア地雷、バレットM82は注文通り取り寄せたぞい」
完全に注文通りとは行かなかったが、大方は揃っていた。流石はレニアスといったところか。
「上出来だレニアス。追加で頼めるか?」
「構わんが、あんまアレな奴だと多少時間を貰うことになるぞい」
「そんな大したモンじゃねえよ。.308ウィンチェスター仕様のDSR-1と、後適当なスコープを頼む」
ジョンソン・マードックから受けとった資料の情報を基に、戒斗は本来策定していた作戦に大幅な変更を施した。だからこそ、レニアスにDSR-1狙撃銃を追加注文したのだった。
「ん、それなら丁度在庫があるの。スコープは今ならリューボルドのが安いが」
「型は?」
「ちょっと待つんじゃ……あったあった。リューボルドのMk4-M3じゃの。どうする戒斗?」
「よし。買おう。取っておいてくれ」
それから二、三言交わし、戒斗は受話器を置いた。さっきからずっと居たのか、同じ場所に立ち続けていた遥が「……戒斗、私に何か、出来ることは」と問うてくる。彼女とて、動けず何もできない現状に思うことがあるのだろう。しかし……怪我人に無理をさせるわけにもいかないのもまた事実だ。顎に手を当て、どうしたものかと思案を巡らせる戒斗。ふと、あることを思い付く。
「……遥。一応怪我人のお前に無理をさせる訳にゃいかない。それは分かってくれるな?」
「ですが、私は……」
そんな遥の唇に人差し指を当て、戒斗はそれ以上の言葉を止め、こう言った。「そこでだ。俺に名案がある」
数時間後、既に太陽が半分ほど地平線に没し、茜色に染まる空を背景に片側一車線の車道を疾走する一台のスポーツカーがあった。夕陽によく似たクロームオレンジの流線型の車体に光を反射させるその車は、ロータス・エリーゼ。遥の所有する2シーターのロードスタースタイル・スポーツカーだった。最も、当の所有者は助手席で、今運転しているのは戒斗なのだが。
スーパーチャージャー付き直列四気筒エンジンの振動を背に感じつつ、夕暮れ時の街を疾走すること十数分。辿り着いた先は、一階部分の正面がガラス張りの無駄に大きな二階建ての店舗。それに比べて妙に小ぢんまりとした駐車スペースに戒斗はエリーゼを駐車すると、遥を連れその店舗――銃砲店”ストラーフ・アーモリー”のドアを潜る。
「レニアス居るかー? 居るんだろー?」
店の奥へと呼びかけると、カウンターの向こうから、140cmあるかないかの年齢不相応な小さな体躯の頭から燃えるような長いツインテールを揺らして、店長ことレニアス・ストラーフが出てきた。最初こそいつも通りの呑気な様子だったが、戒斗の隣――松葉杖を突いた遥の姿を視界に認めるなりすっ飛んできた。
「おっ、おっお主!? 一体どうしたんじゃこんな!?」
「はいはい待て待て落ち着けレニアス。単なる銃創だ。そう慌てるな」
困惑する遥に詰め寄るレニアスを腕で制し、両肩を掴んで背中を向けさせると店の奥へと案内させる。店内を通り、いつもレニアスが出てくるカウンターの向こう、つまり裏側へと導かれる二人。裏口への出入り口もあるそこは、言ってしまえば小汚く、何かの工房のようにも見えた。レニアス曰く、実際工房だそうだが。その奥には倉庫らしきスペースに通じる扉も見えた。それを横目に、足元に気を付けつつ工房内を通って二階へ。遥に手を貸しつつ階段を昇ると、そこは想像していた土足厳禁の生活空間などではなく、意外にも事務所然としていた。書類の山積みになったデスクを脇に通り抜け、レニアスが一つドアを開ける。カーテンが閉め切られ、薄暗いその部屋の壁に貼り付けられたクリップボードにはとある人物の写真や、どこかの風景を撮った写真が何枚も張られている。その対面にはスクリーンが垂れさがっており、プロジェクタが稼働状態にあった。部屋中央に置かれた大きな机には地図やノートパソコン、その他諸々が置かれており、なんとも作戦室然といった雰囲気だった。例えるなら、近代の戦闘艦によくある艦橋とは別の司令室、C.I.C.のような雰囲気だ。そんな部屋の中央。地図の広げられた机の前に、人影が二つあった。
「よう、久しぶりだな二人共」
「私は言う程久しぶりって程じゃないけどね」
軽く挨拶をした戒斗にそう言ったのは二人の内一人。程よく身体のラインが出ている黒いタイトなスーツを着込んだ、腰まで届くストレートの金髪を揺らす少女、西園寺 香華だった。
「駐車場に居たあの妙に派手なフェラーリ、やっぱりお前のか」
「そうよ。私のベルリネッタ凄いんだから。今度付き合ってあげてもいいわよ?」
「悪いが遠慮しておく。とてもじゃないが6.3リッター、V12の化け物に太刀打ちする自信はない」
「ところで大丈夫? その怪我。ええと……」
香華は握手を求めようと手を差し出したはいいが、目の前に立つ松葉杖を突いた遥の名前が分からず言葉に詰まる。一応前に一度顔を合わせたことはあるのだが、互いに名乗る暇も無かったのだった。「……遥、です。長月、遥」と遥が一言名乗ると、香華は「そう。戒斗から聞いてそうなもんだけど、一応名乗っておくわね。私は西園寺 香華。よろしくね。遥ちゃん」と改めて握手を求めた。差し出されたその手に困惑するも、遥は握り返した。
「……で、そっちのお嬢さんのご機嫌は本日斜めと」
「誰のご機嫌が斜めですって? ……ったく。ちょっと心配してあげればこれなんだから」
もう一人。机の前に置かれたパイプ椅子にふんぞり返り、どうやら自前らしいノートパソコンの画面を眺めている小柄な少女。赤髪やら金髪やらが居る中でも特に目を引く桃色の髪をツインテールに纏めたこの少女は、かつては義賊とまで言われ崇められていたスーパーハッカー”ラビス・シエル”こと葵 瑠梨。事件以来暫く顔を合わせることは無かったが、彼女に変わりはないようだ。
「これで全員揃ったか」
机の前に立ち、プロジェクタ用のスクリーンを背後に戒斗は改めて見回す。遥にレニアス、瑠梨に香華の四人は一堂に戒斗へと視線を向けており、彼が見回すと皆、一度頷いた。
「よし。それじゃあ始めるとするか――ブリーフィングだ」
プロジェクタから出力した映像を白い垂れ幕のようなスクリーンに映し出し、戒斗はそれを使って作戦説明を進めていく。スクリーンに映し出されているのは机の上の地図と同じ場所の地形図だが、国土地理院発行、縮尺二万五千分の一の正確な紙地図とは異なり、もっと簡略な、それこそ点と線で表わされている略地図だった。それと現地の上空から撮影した航空写真、加えて各種データなどを同時に表示している。
「――というわけだ。ここまでで何か質問は?」
一同を見回し問いかけると、パイプ椅子に座ってふんぞり返りつつも話に耳を傾けていた瑠梨が小さく手を挙げていた。
「私が遠隔で各種管制とサポートするのはいいけど、具体的には何を使って支援をするわけ? この間みたいに衛星を間借りするわけでもあるまいし。まさか口頭でやれってんじゃないでしょうね」
「それに関しては問題ない。これを見てくれ」
戒斗は言うと、手元にあるプロジェクタに接続されたノートパソコンを操作。スクリーンにとある航空機の写真を数枚呼び出す。
「コイツは米国製の無人偵察機、MQ-1プレデター。ベイロードに積んでるヘルファイア・ミサイルは今回は使わないがな。香華のところのを借りられる手筈になっている――丁度いい。今回の協力者を紹介しておこう」
再度操作すると、次に表示された新しいウィンドウは、誰かとの通話のようだった。どこかの作戦室のような薄暗い部屋を背景に、アフリカの血が入っているのか浅黒い肌の、それとは対照的な白に見える銀色のツーサイドアップの髪、そして赤いフレームの眼鏡とのコントラストが目を引く……少女? 実年齢は分からないが、そのようにも見える妙に小柄な女性が映し出されていた。彼女が戒斗の言う、今回の協力者のようだ。
「紹介する。彼女が今回我々に協力してくれることになったキエラ・バルディラだ。香華のとこの部隊の管制官だそうだ。主にプレデターの管理と、その他処理にオペレートを担当する」
「はいはーい。紹介に預かりました、キエラですっ。好きなように呼んでくれて構わないわよ?」
一通り紹介されたキエラは、妙に煽情的な仕草でそう言うと、「貴方が噂の”黒の執行者”ね? お話は色々と聞いているわ。よろしくね?」と画面越しにも関わらず握手を求めてきた。
「はいはい。よろしく、キエラちゃん。握手はそのうちお茶でも連れてってやるから、その時にな」
「あら、嬉しいこと言ってくれるのね。見かけによらず結構いい男じゃない」
戒斗をひどく気に入った様子のキエラはその後、プレデターの機能、滞空可能時間などを簡単に説明していく。それに注意深く聞き耳を立てる瑠梨だったが、ふと疑問に思ったことを思い切って問いかけてみる。「その辺は分かったわ。でも相当派手にやるんでしょう? なら幾ら人気がないとはいえ、万が一にでも銃声やらを聞いた誰かに通報されて警察の横槍でも入ったらどうするのよ」
「それに関しては心配ない。作戦開始から十分間はジャマーが効く手筈になってる。そうだろ?」
確認する戒斗に、ニッコリと笑窪の可愛らしい笑みを浮かべてキエラは頷いた。瑠梨も異議はなさそうだったので、戒斗はノートパソコンを操作。略地図のウィンドウを一番手前に持ってきて、赤色のレーザーポインターを使って指し示し細かい説明に入る。
「狙撃ポイントはこことここ。もう一つ予備の地点がここだ。いずれも視界が開けていて、なおかつ撤退には困らない。その他設置ポイントは青色のマーカー、クレイモア地雷の敷設個所は赤色のマーカーで示してある。今回用いる装置自体はここの工房を使って簡単に作成可能だ。終わり次第取り掛かる。この作戦自体は相手の出方次第になってしまう面があるが、少なくとも明後日――約七十二時間後には開始されると予想される。以上だ。何か質問は?」
見渡すが、誰一人手を挙げる者は居なかった。戒斗は最後に全体を締めくくる言葉で、ブリーフィングを終える。
「無いならそれで良い。各自の役割、行動は先程説明した通りだ――改めてだが、協力に感謝する。それじゃあ解散だ」
情報処理、電子機器方面のスペシャリストである瑠梨。武器調達、機械制作なら右に出る者の居ない武器屋娘、レニアス。今回も護衛部隊の迅速な手配やプレデターの都合などで尽力してくれた大財閥の娘、香華。現在は負傷中ながらも、行くあてのない逃亡者だった戒斗を救出し匿った、ある意味今回最も尽力し、貢献した忍者、遥。そして――戒斗自身。急ごしらえながらも、四枚のエースと、一枚のワイルドカードが揃った。
「ポーカーで例えるなら、ファイブ・カードってとこだな。そしたら奴らに、エミリアにとって計算外のジョーカーになるのか、俺は」
解散する面々を見やりつつ、戒斗は呟く。ファイブ・カード――賭けなんかによくある、トランプを用いたカードゲームのポーカーにおいてロイヤルストレート・フラッシュすら超える最強の役。しかしながら通常はワイルドカード、つまりジョーカーを抜いて行う為に不可能な役。あくまで希望的観測に過ぎないが、戒斗が逃げ伸び、こうして未だに生存していること自体がエミリアにとっての計算外――つまり、彼の存在がエミリアにとってのジョーカーになる。だからこそ彼はファイブ・カードと例えたのかもしれない。
戒斗が生き残り、ねじ曲がった筋書き。決着の日が、足音を立て確実に近づいていた。




