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黒の執行者-Black Executer-(旧版)  作者: 黒陽 光
第五章:過去からの刺客!? 凶悪逃亡犯の名は戦部 戒斗
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デンジャラス・レディ

 ――『光川重機械工業本社ビル占拠事件』発生より十二時間後。翌日、午前十時十七分――


『――昨晩突如として爆発と噴煙が巻き起こり、火災が発生した光川重機械工業の本社ビル。本日九時頃の警視庁の会見によりますと、国際的なテログループ『黒い鳥』の犯行であるらしく――』

『えー、昨晩の事件についてですが、犯行グループは『黒い鳥』という国際的なテロ組織。ですが首謀者と推定される国際指名手配犯、ジョンソン・マードックを初めとした構成員の死体が次々と発見されており、これら殆どの死因は他殺による――』

『――人質となっていた客によると、パーティに出席していた何者かが『黒い鳥』構成員を殺害している現場を見たとの報告が多数あり――』

『しかしながら、爆発によって来客名簿などが全て焼失しており、ビル内を制圧した人間の特定は困難――』

 あれから一夜が明け、段々と太陽が直上へと昇っていくこの時間、夏の刺すような日差しの差し込む武家屋敷。昨夜のパーティでの一件を巡る速報が絶え間なく伝えているワイドショー番組を垂れ流す液晶テレビを横目に、戒斗は長机に置いたノートパソコンの画面を頬杖を突き眺めていた。側面のUSB端子に差さっている白いメモリには、飛び立つ鷲をあしらった黒一色のキーホルダーが。

「成程成程。そういうことか……」

 ブツブツと独り言を垂れ流す戒斗の視線の先、ディスプレイに表示されているのはUSBメモリ――昨夜、ジョンソン・マードックという男から何故か渡されたメモリの中に入っていた資料。”方舟”に関する大量のデータだった。こうして一時間近く眺めているが、どれもこれも戒斗の知らなかった事実ばかり。戒斗が”方舟”でも特一級警戒人物リスト入りしているというのは、もうなんだか色々通り越して笑いが出てきた程だ。近頃”方舟”が琴音を狙った直接行使に出てこなかったのも、それが原因らしい――『折鶴 琴音は最重要かつ最優先で確保しなければならない人物であるが、同居中と見られる傭兵、戦部 戒斗とは可能な限り接触を控えられたし』とは、なんともまあ御大層な評価を頂いたもので。だがしかし、自分との同居によって琴音に及ぶ危険がある程度緩和されているのは良いことだ。思い付きで始めたことだったが、意外にも効果的だったらしい。

 数多くの中でも目を引いたのは、丁度今開いている資料。ロサンゼルス市警より現在出向中の女刑事、エミリア・マクガイヤーに関するモノだった。彼女の名前や顔写真、勤め先などの基本的な情報は勿論、家族構成やその他諸々、そして”方舟”との関係まで。一体どのようなコネと金を使えばここまでの情報が掴めてしまうのやら。

「畜生、アイツめ」

 どうやら資料によれば、エミリアには弟が居る――彼女の旧友たる戒斗は今の今まで知りもしなかったが――。その弟が難病を患っているらしく、その為には、この間エミリアの部屋から拝借したカタログにあった高額な医療用の義肢や、その他手術費用がどうしても要るらしい。見ただけでも凄まじい額だが、勿論エミリアに払えるはずもなく。その援助を理由に、彼女は”方舟”に協力しているらしかった。当の本人も過労や、過度のストレスによる精神病を誘発しているらしく、金庫にあった精神安定剤も処方薬の一つだと推測できる。彼女が電話越しに戒斗に冤罪を被せることを話している音声ファイルやその他諸々の証拠もキッチリ揃っている――身の潔白を証明するには十分すぎる程だ。

「さて、と……」

 ノートパソコンを閉じ、自身の左腕を眺める戒斗。上腕部には真新しい切創があり、縫合された上からラップによく似た医療用の透明なフィルムが張られていた。所謂『湿潤療法』という奴だ。あの後すぐに病院へ向かった戒斗と遥の二人は、共に昴の手によって処置を受け、今に至る。彼女曰く「二人共傷は比較的綺麗だから、結構早く治ると思うよ。それに若いしね」とのこと。早く治ると言っても、二日や三日そこらで治るモノでもない。早くて二週間前後といったところだろう。少なくとも抜糸が済むまでは、派手な動きはしたくないのが本音だ。

「とは言っても、それは贅沢ってモンだろうなぁ」

 敵は完治するまで待ってはくれない。今彼ら二人が隠れ家(セーフハウス)にしているこの武家屋敷は比較的安全だが、いつまでその安全が保たれるかという保証はどこにもない。今この瞬間にも嗅ぎ付けられ、襲われる可能性だってゼロじゃないのだ。戒斗はともかくとして、脇腹をやられた遥に無茶をさせることは出来ない。戦闘力の半減した状態で奇襲を受ければ、幾ら戒斗とて護りながらの戦いでは敗色濃厚だろう。

「戒斗……」

 襖を引く音と共に向こうから現れたのは、遥だった。松葉杖を突く彼女は表情でこそ気丈に振舞っているものの、声色にはやはりどこか耐えている節があり、その姿は見てて痛々しいかった。重傷という程でないにしろ、術後そう時間の立っていない現段階ではまだ傷も痛むだろう。慌てて戒斗は立ち上がり、彼女の身体を支える。

「無茶するんじゃねえよ。言ってくれりゃ出来る範囲でやるから、暫くは極力安静にしててくれ」

「ですが……貴方も、左腕が」

「この程度掠り傷だ。何度だってこれぐらいやってる。それよりお前のが重傷だろうが」

 遥を誘導し、再び布団に寝かせてやる戒斗。

「しかし、証拠が揃ったならば一刻も早く動かなければ」

「後は俺がやる。お前は暫く大人しくしててくれ」

「ですが……」

「こういう時ぐらい、男にカッコつけさせてくれてもいいだろ? とにかく、ある程度傷が塞がるまでは安静にしててくれ」

 その一言に、遥はどこか納得がいかない表情を浮かべつつもコクリと頷く。

「よし、いい子だ。遥、お前のエリーゼ借りてもいいか?」

 戒斗がそう言うと、遥は腕を伸ばし近くをガサゴソと探り、見つけたロータス・エリーゼのキーを投げ渡す。

「構いませんよ。FRと扱いは大分違いますが、素直ないい子ですよ」

 キーを片手でキャッチし、襖に手を掛けると戒斗は一度振り返る。

「そうかい。そりゃあ楽しみだ。じゃあちょっと行ってくるから、何かあったらすぐ連絡してくれ」

「……いってらっしゃい」

 背後から聞こえた一言に、戒斗は「ああ、行ってくる」と言って襖を後ろ手に閉めた。





 痛む左腕を労わりつついつもの私服に着替えた戒斗は、ショルダーホルスターにいつも通りの使い慣れた愛銃、シグ・ザウエルP220日本ライセンス仕様ことミネベア・シグを突っ込み、先程のノートパソコンを入れたバッグを片手に家を出る。一応戸締りをしてから向かった先は、ガレージ。シャッターを開けると、相変わらず手入れの行き届いた車庫にはクロームオレンジのボディカラーが眩しいミッドシップ・スポーツカー、ロータス・エリーゼが駐車されている。傷と疲労で眠ってしまった遥の代わりに昨日の帰りは戒斗が運転し帰ってきたことで、ある程度ではあるがエリーゼの感覚やクセは把握できていた。さっさと狭い運転席へと滑り込み、パネル脇のエンジンスタートボタンを押す。すると背中、シート越しにトヨタ製1.8Lスーパーチャージャー付き直列四気筒DOHCダブル・オーバーヘッド・カムシャフト2ZR-FEエンジンが躍動する振動が響く。直列配置ピストンの軽快なサウンドを聴きつつ、水温計を見てエンジン暖気。水温が上がり、十分温まったと判断した戒斗はクラッチを操作しつつシフトノブを一速へと入れ、アクセルを踏み前進。ガレージを出ると、屋根が外しっぱなしのロードスタースタイルだからか、夏の日差しが直に戒斗へと突き刺さる。こりゃ勘弁、と戒斗は胸ポケットに差していたレイバンのサングラスを掛けると、一度車から降りてシャッターを降ろす。もう一度乗り込み、サイドブレーキを解除し今度こそ戒斗は発進した。踏めば踏むほど回転数が上がり、タコメーターが暴れスピードが上がる。吹き込む風が肌を撫で、心地良かった。ハンドリングも軽快で素直。よく走り、よく曲がる。基本だが最も重要なことを、遥のロータス・エリーゼはキッチリ押さえていた。車重の軽さの恩恵で、小柄なエンジンの割に加速もいい。

 そうして数十分走っただろうか。辿り着いた先はとある大邸宅。巨大な鉄製の門の前まで車を進めると、ベルギー製PDWパーソナル・ディフェンス・ウェポン、P90を肩から下げている、最早顔馴染みに近い門番二人が近寄ってくる。

「よう、久しぶりだな。ところでそんな重装備着込んじゃって暑くないのかい?」

 サングラスを少し下にずらし、門番の一人に陽気に話しかける戒斗。だが門番は彼の姿を認めるなり、下げたP90の銃口を突きつけてきた。

「お前……なんでここに来た」

「おいおい冗談よしてくれ。知らぬ仲じゃないだろう?」

 やれやれ、といった感じでわざとらしくオーバーリアクションで戒斗は両手を上げる。

「大体お前は、その……警察に追われてる身だろう!? なんでノコノコこんな所に来た。捕まるのは分かってるはずだろう」

「そりゃ俺だって比較的マトモな思考回路を持ってるって自負してるさ。ホントなら日が高いうちは外にだって出たくないぐらいだぜ? そんな臆病者の俺がわざわざリスクを冒してまで出てきたのには、理由がある。そうだろう」

「ぐ……だが」

「あーもうまどろっこしい。単刀直入に言うと、アンタらのお嬢様に用があって来たんだよ。既に話も通してある。確認してみろ」

 キッパリと言われた門番は相棒の一人に戒斗を任せ、背を向けて渋々といったように無線機で確認を取る。ここで片方を制圧してしまえば、すぐにでも突破されてしまうな。と戒斗は警備の甘さを実感するも、別にここへ殴り込みに来たわけでないので別に実行に移そうとは思わなかった。

 数分後、連絡を取っていた彼が戻ってくると、納得のいっていない複雑な表情で一言「……通れ」とだけ告げて鉄製の巨大な門を開かせる。

「はいはいどうも。お仕事ご苦労さん」

 正直自分でもわざとらしいと思うような作り笑いと猫撫で声で礼を言って、戒斗はエリーゼを門の向こうへと走らせる。後ろから「ったく……」とか何か聞こえた気がしたが、まあ聞かなかったことにしてやろう。

 敷地内から地下駐車場へと入り、相変わらずヨーロッパ製の数千万円もするようなスーパーカーばかりがズラッと並んだ光景を横目にエリーゼを適当なスペースに駐車する。隣にはドぎつい黄色のボディカラーが眼に刺さるフェラーリ・F12ベルリネッタ。ボンネットの下に搭載した6.3LのV型十二気筒DOHCダブル・オーバーヘッド・カムシャフトエンジンと七速デュアルクラッチのトランスミッションから生み出されるパワーは破壊的な程だが、車両価格も頭が痛くなるほど凄まじい。燃費も凄まじい。悪い方向で。

アメリカ(あっち)じゃ黄色はマヌケの乗る車とかよく言われてたが……はてさて、どんな奴が乗り回しているのやら」

 ロサンゼルス時代によく聞いたことをふと思い出し、ひとりごちる戒斗だったが――その黄色いベルリネッタを乗り回すマヌケとやらが誰のことなのかは、程なくして判明することになる……





「――ん? ああ、そのフェラーリなら私のよ」

 地下駐車場から邸宅へと直通のエレベータで昇り、赤絨毯の引かれた廊下を歩いた先。いつも通り大邸宅――西園寺家の応接間へと通された戒斗が高級そうなテーブルを挟んだ目の前のソファに座っている、どうやら私服らしい上品な白いスーツジャケットのような上着と、膝上ぐらいのスカートを着こなした少女、西園寺さいおんじ 香華きょうかへと駐車場のF12ベルリネッタの持ち主を訪ねてみれば、彼女は腰まで伸びた長く美しい金髪ストレートの髪を揺らし一度首を傾げるとにこやかな笑みを浮かべてそう言った。その顔立ちは整って、どこか適当なファッション雑誌にモデルとして出しても恥ずかしくないぐらい美しく、そして年齢相応に可愛らしいのだが――問題はそこじゃない。なんだって? あの、マヌケだって背中に貼り紙して走ってるような黄色いフェラーリの持ち主が、コイツだって?

 戒斗としては話のネタにすべく適当に切り出した話だったのだが……まさかこのお嬢様だったとは。とても外見からはフェラーリなんて暴れ馬乗り回すような娘には見えないのだが。というか執事の高野さんがリムジン回してくれるだろ、お前は。

 ……なんて、予想外の回答に思考を混濁させられている戒斗をよそに、香華は「へへへー、いいでしょう。羨ましいでしょう」と自慢げに胸を張っていた。リサほどではないが十分デカい胸が揺れる、揺れるッ。

「……あー、うん。まあ良い車なんじゃないか。うん」

 何とも歯切れの悪い返事を返してやる戒斗。金髪で黄色のフェラーリとは……まあ、うん。カリフォルニアでも突っ走ってこい。

「まあ私の車の話は一旦置いといて。話があるんでしょう、戒斗?」

「ああ。とりあえず確認だが……琴音の様子はどうだ」

「今のところ、彼女に特に変わった様子はないわ」

 香華の一言に、戒斗は胸を撫で下ろす思いだった。数日の間は警察が張り付くだろうが、その後は自分が居ない以上、琴音がまた襲撃される可能性がかなり高いと判断した戒斗は、武家屋敷を隠れ家(セーフハウス)としたその日に香華に連絡し、西園寺の私兵部隊に影ながら琴音の護衛を頼み込んでいたのだった。それが功を奏してか、未だに彼女に危害は咥えられていないという。まずは一安心だ。幾ら身の潔白を証明し大手を振って帰ろうとも、琴音が居ないのならその行為に意味は無い。

「で、見せたいモノって何?」

 戒斗はバッグの中からノートパソコンを取り出し、起動。先刻まで武家屋敷で眺めていた資料を呼び出し、ノートパソコンごと香華の前に差し出してやる。それを一つずつ見ていく香華は「これは……」と呟いたきり神妙な顔つきのまま一言も発そうとしない。それから何十分経過した後であろうか。大方見終えた香華は画面から目を上げるなり戒斗に問いかけてきた。

「……これを私に見せて、一体どうしろと?」

「簡単な話だ。可能な範囲でいい。これらの件について調べてくれ。データのコピーは渡しておく」

 戒斗はポケットから取り出した自前のUSBメモリを香華へと投げ渡す。受け取った香華は戸惑いつつも、「……私に出来ることなんて、たかが知れてるわよ?」と言って受け取ったソレを眺める。

「何でもいい。とにかく何か、奴らに近付ける情報が少しでも欲しい」

「ハァ……分かったわよ。戒斗の頼みなら、断る訳にもいかないしね」

「すまん。恩に切る」

「いいわよ。また何か適当な形で返してくれればいいから」

 その後に適当な談笑を愉しんでいると、唐突に応接間のドアがノックされた。

「どうぞ。お入りなさいな」

 香華が許可を出すと、その主は「失礼します」と言ってドアを開け入ってきた。ノックの主はどうやら侍女――メイドの類らしく、なんとも古式めいた、それこそその筋が見たら泣いて喜びそうなメイド服を着た、一見して少女のようにも見える160cm程の桃色ショートカットを揺らす可愛らしいメイドだった。

「紹介するわ戒斗。この南部なんぶ 麻耶まや。私専属みたいなメイドよ」

 香華に紹介され、南部、という名の彼女は礼儀正しくスカートの裾を摘まむと一昔前の礼儀正しい淑女の如くお辞儀をし「メイド長兼、香華様の近衛としてお仕えしております、南部 麻耶と申します。私のことは南部でも麻耶でも、貴方様のお好きなようにお呼びくださいませ」と一部の隙の無い挨拶をした。戒斗も思わず気圧されて「あ、ああ……よろしく。ええと……麻耶さん?」とこっちまで頭を下げてしまう。

「で、麻耶? 何の用だった?」

「はっ。以前より仰せつかっておりました――」

 何やらよく分からない会話を交わす二人。そんな二人を眺めている内に、戒斗は何か妙な臭いを感じ取っていた。臭い、といっても実際に鼻腔を刺激しているわけではない。そうではなくてもっと感覚的な、強いて言うなら”気配”やその類に近い何か。それも、自分が妙に嗅ぎ慣れた臭い。ある意味最も身近で、最も遠いような――

 次の瞬間には、応接間の空気は一変していた。戒斗と麻耶。互いに突きつけ合う金属の筒――銃身。戒斗は彼女にミネベア・シグの銃口を突きつけると同時に、自らも銀色に光るステンレスの銃口――4インチ銃身の米国S&W社製回転式拳銃リボルバー、M686を突きつけられていた。それを抜き放った彼女は何の予備動作も見せることなく、戒斗とほぼ同時にその銃口を突き付けていた。一瞬前まで香華と普通に会話を交わしていたにも関わらず、だ。

「――何のおつもりで?」

 抑揚のない、冷静沈着な声色。しかしその中に秘められた殺意は鋭く、研ぎ澄まされたナイフの如く。戒斗を捉えるその双眸は――目が、死んでいた。ガラス玉のように透き通った深い青色の眼の奥底に、まるで深海の底の底にも似たドス黒い”何か”を感じた。百戦錬磨の傭兵である戒斗とて、震えあがりそうになるような”何か”が、彼女の眼の奥底には秘められていた――人を殺す目だ。この目は。一体何者なのか、このメイドは。

「ちょ、ちょっと戒斗!? アンタ麻耶に向かって一体何してるのよ!!」

 突然のことに思考が追い付かず目が点になっていた香華が、やっと理解できたかと思えば詰め寄ってくる。戒斗はふぅ、と深く息を吐くと、ミネベア・シグの銃口を上げ元のショルダーホルスターに戻した。

「悪かったな、麻耶さん。アンタから俺とよく似た――いや、俺以上に濃い死臭を感じたもんでな。チョイと試させて貰った」

 戒斗は元のソファに座るが、麻耶は一向に警戒を解こうとしない。香華が「ごめんね麻耶、戒斗が……もういいわ」と言って始めて、その臨戦態勢を崩しM686を古典的な革製のサムブレイク・ホルスターに収めた。どこから取り出したのかと思えば、多重構造になっているスカートの背中に隠していたようだ。

「さっきも彼女が言った通り、メイド長であると同時に私の近衛――つまりはSP、親衛隊みたいなものなのよ、麻耶は」

 深い溜息を吐きながら、香華も元のソファに戻る。そのすぐ傍に控える麻耶は、明らかに戒斗を警戒した様子だった。やり過ぎたか? と思うが時既に遅しという奴だ。

「これだけのメイドさんが近衛に付いてるなら安心だな、香華。なんせ俺が殺されかけたんだからなぁ」

「はい?」

 戒斗の斜め上とも取れる発言に香華は思わず聞き返す。

「そのまんまの意味さ。彼女が手を抜いてくれなきゃ俺はとっくにお陀仏だ――なぁ麻耶さん? アンタの本気は、こんなもんじゃないだろう」

 人形のように微動だにしない麻耶は何の反応も見せないが、その明らかに笑っていない眼が全てを物語っていた。その通りだ。私が本気を出せばお前など簡単に殺せるのだぞ、と。そう告げられているようで、背筋が凍るような錯覚を覚える。

「どこで拾ってきたのかは知らんが、麻耶さん一人居れば大体の脅威は片付けられそうだな――なんで豪華客船の時にこんなおっそろしいメイドさんが居なかったのかは知らんが」

「それは……ッ」

 妙に偉そうな態度でティーカップの紅茶を啜る戒斗の一言に、弁明を試みようと身を乗り出す香華をそっと制止し、人形のようだった麻耶が一歩踏み出て口を開く。

「……それに関しては弁明のしようもありません。あのことに関してはただただ、貴女様にお礼を申し上げる他ありません。私はとある別命を受け、香華様のお傍を離れざるを得なくなっていましたから」

「別命?」

 戒斗の問いかけに口ごもる麻耶だったが、香華が一言「言っていいわよ、麻耶。戒斗は信用できるから」と許可を出すと、どこかで躊躇しながらも感情の見られない抑揚のない声でその経緯簡潔に話す。

「香華様が、そう仰るのでしたら……全てをお話ししましょう。と言っても至極簡単なことです。正孝様――香華様のお父上である、西園寺グループ現会長、西園寺さいおんじ 正孝まさたか様が拉致されたとの報を受け、私は救出に行っておりました。丁度、豪華客船で貴方が香華様を救ってくださった、同日に」

「成程ね。大方その犯人ってのも”方舟”関連なんだろ?」

「お察しの通りです。彼らの目的は正孝様、及び香華様の拉致による身代金か、もしくは西園寺グループ全体」

「よくあるパターンか……どちらにせよ、あのままだったら日本、いや世界経済が多少は傾いてもおかしくなかったわな」

 巨大な西園寺グループは、既に世界経済の一端を担っていると言っても過言ではない規模だ。しかし、幾ら巨大なグループといえ、生物と同じく頭――つまり正孝とやらを抑えられたとなれば。今頃世界恐慌にでもなっていたのではないか。

「ええ。私が正孝様の救出に成功したとしても、仮に貴方様が失敗なされて香華様が捕らえられたとなっていれば」

「確実に親父さんは折れただろうな」

 誰かの権力を動かす為に、その家族を人質にするというのは手垢が嫌という程付いた手法だ。それを予測した上で、護衛を依頼したのであろう。戒斗は納得したように頷き、上品な香りの紅茶を全て飲み干し空になったティーカップを置くと、立ち上がった。

「そいじゃあこの辺でおいとまさせて頂くとしよう。何か分かったら連絡してくれ」

 背を向け、後ろ手に振りつつ戒斗は言うと閉じられたドアへと歩き出す。

「はいはい。それよりさっさと証拠突き付けて、今度は大手を振って来なさいな。門番の二人が困ってたわよ?」

 香華の声を背に受けつつ、戒斗はドアノブに手を掛け――そして一度振り返ると、ソファに座った香華と、その傍に控える侍女の姿を一度視界に入れる。南部 麻耶というこのメイドは何とも度し難い存在ではあるが、その一方でどこか戒斗は安心もしていた。一応香華は”方舟”に狙われる身であるが、彼女が――麻耶が居る限り安心だろうと。

「あいよ。ちゃっちゃと片付けてくるわ。それと――麻耶さんよ。悪かったなさっきは。香華をよろしく頼んだぜ」

 言って戒斗はドアを開け、廊下に出て立ち去っていく。背後から感情の見られない平坦な声で「……お任せを」というような言葉が聞こえた気がした。

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