ブラック・イーグル
「クソッ……!」
赤く燃える炎が煌々と照らす大金庫の中、10mにも満たない至近距離での銃撃戦。撃たれては撃ち返しの一進一退の攻防で、戒斗とジョンソンは互いに決定打を出せないでいた。戒斗は相手が弾切れのタイミングを狙いつつ遮蔽物から飛び出しては身を隠す位置を変え、徐々に接近していく。戒斗は遂に撃ち切ったMP7の弾倉を床に落とし、最後の四十連弾倉をグリップ底部に叩き込む。それはジョンソンとて同様だった。彼も最後の弾倉をSCAR-Lに突っ込み、ボルトストップを殴るようにして解除、初弾を装填。互いに弾は着きかけていた。
「貴様には! 貴様には何の大義がある!?」
身を隠した太い柱の陰から半身を乗り出し、連射で5.56mm弾をバラ撒くジョンソンは叫んだ。その対角線上にある、同様の形をした柱の陰に隠れた戒斗は腕だけ出してMP7の乱射で答える。
「私には大義がある! 奴らに妻と息子を殺された! これは復讐なのだ!」
単射に切り替えたジョンソンは叫びながら走り、数発制圧射撃をしつつ、より接近し金属製デスクの陰へと滑り込んだ。
「ああそうかい! 俺だってそうさ!」
叫び返す戒斗はその隙を好機と見て、ありったけの弾を連射でジョンソンの隠れたデスクへと弾を叩き込みつつ、彼も対面のデスクへと隠れる。
「ならば何故ッ!?」
「こうなっちまった以上、俺かお前が死ぬだけだッ!!」
弾の切れたMP7を投げ捨てる戒斗――奇しくもタイミングを同じくして、ジョンソンも突撃銃、SCAR-Lを投げ捨てていた。互いに最後に残された拳銃を抜く二人。炎に照らされ銀色に光るステンレス・フレームの回転式拳銃、S&W M686を構え、左手には拾ったナイフ、コンバット・カランビットを持ち戒斗はデスクを飛び越えてジョンソンへと迫る。対する彼も腰のホルスターからベレッタM92FS自動拳銃を抜き、米軍時代から愛用していた古く薄汚れたKA-BARのナイフを抜き放つ。二人の距離は、5mにも満たない。
「ならば貴様が死ねッ! 私には成さねばならぬことがあるッ!!」
立ち上がったジョンソンは迷いなく発砲。92FSの細身な銃身から吐き出された9mmルガー弾が戒斗の右肩を掠める。引っ張られるような鈍い衝撃。ジャケットの肩口が裂け、浅く抉られた傷口からは微量ながら血が舞う。
「知るかァッ!!」
その痛みを歯を食いしばり耐え、戒斗も発砲。既に起こされていた撃鉄が倒れ、シングルアクションで放たれた.357マグナム弾はジョンソンの側頭部を掠める。脳内でアドレナリンやその他物質が過剰分泌された彼らにとって痛みなど二の次。ただ、目の前に立つ敵を殺すだけが目的だった。
距離は詰まる。ジョンソンは銃口を向けつつ、順手で手にしたナイフを袈裟掛けに振るう。戒斗はそれを左手のコンバット・カランビットで捌きつつ、頭部へとM686の銃口を合わせた。咄嗟のところでジョンソンは92FSで銃口を逸らし、撃たれた.357マグナム弾は頭頂部の金髪を掠めただけに留まった。戒斗の手からM686を弾き飛ばすジョンソン。銀色のステンレス・フレームに手を伸ばすが、届かず。遠くで虚しい落下音を響かせた。
「チェック・メイトだ若造!」
好機と見たジョンソンは一歩後ずさり、発砲。その行動を予測していた戒斗はすんでのところで身を捩る。フルメタル・ジャケット弾は右の頬を掠めただけに留まった。続いて振るわれたナイフを再びカランビットで捌き、戒斗は一歩踏み込む。空いた右手でジョンソンの右手首を掴み、捻って92FSを取り落させると共に思い切り引っ張った。バランスを崩され、たたらを踏むジョンソン。引き切った手首から放し、戒斗は腰を入れた右フックをジョンソンの顔面にお見舞する。吹っ飛ばされるジョンソンだが、戒斗はそれを許さない。殴った勢いのまま胸倉を掴み、逆に引き寄せる。
「舐めるなァッ!!」
対するジョンソンは胸倉を引っ掴まれたまま、左手に残されたKA-BARのナイフを振るい反撃。戒斗の左上腕部に鋭く、鈍器で殴られたかのような鈍い痛みが襲う――避けきれなったナイフの腹、1095カーボンスチール鋼の刃がジャケットとワイシャツの生地を裁断、戒斗の肉を裂き、深く食い込んでいた。じわりじわりと滲む痛みと、流れ出る赤黒く濃い血液。
「この野郎!」
歯を食いしばり痛みを耐え、戒斗は右手で掴んだ胸倉を更に引き寄せると頭を振るい、額で強烈な頭突きをお見舞した。強烈な一撃をモロに喰らったジョンソンは唸り声を上げ悶える。高い鼻の鼻骨は折れ、大量の鼻血が噴き出していた。戒斗は胸倉を放すと右手でジョンソンの左手首を掴み、食い込んだままの刃を引き抜かせ彼の手からナイフをひったくると、燃え盛る炎の中へと投げ捨ててしまう。痛む左腕に鞭打ち、戒斗はカランビットを振るうと左腕上腕部の健を斬り裂き、その流れのまま脇腹も抉ると再びジョンソンの左手首を掴み、同時に脚を引っ掛け転倒させた。床に倒れ伏した彼の脚を向いて馬乗りになると、戒斗はジョンソンの左足首を掴む。猛獣の爪のように湾曲した凶悪な刃のコンバット・カランビットを手元で高速回転させたかと思えば、逆手に持ったその刃を流れるような動作で振るい、アキレス腱を断裂させてしまった。
「ぬぐあああああああああッッッ!!??」
強烈な痛みに叫び悶えるジョンソン。これで一生脚は使い物にならなくなったな――そんなことを思いつつ、ジョンソンから離れて、吹っ飛ばされたM686を回収すると戒斗はその銃口を油断なく合わせて言い放った。
「チェック・メイトだな」
そう言い放った戒斗の裂かれた左腕の傷口から垂れる赤黒い血が重力に引かれ伝い、手首から指先、そして彼が手に持つ、血と脂で汚れたコンバット・カランビットの刃を伝う。それは薄汚れボロボロ、その上全身傷だらけで血を流す戒斗の幽鬼のような印象に拍車をかけていた。
「……貴様は、本気で、奴らと張り合う気か?」
喉の奥底から絞り出すような脆く儚い声で呟くジョンソンに、戒斗は「ああ」とぶっきらぼうな一言で返す。
「たった、一人で、か」
「ああ。元々俺は一人でやってきた。今回もそれは同じさ」
ジョンソンはまだ動く右脚と右腕で這い、壁に背中を密着させもたれ掛かった。
「正気か? 奴らの規模は、恐らくお前が想像してる何倍も大きい」
「承知の上だ。今更テメェにどうこう言われるまでもねぇよ」
「そうか……私はもう駄目なようだ。計画も全て水の泡。もう、何もない」
この際だ、どうせならこれを貴様に託そう――自暴自棄のような表情で呟いたジョンソンはボロボロになってしまった、時期外れだが洒落たトレンチコートの内ポケットから一本のUSBメモリを取り出し、戒斗へと差し出した。怪訝に思いつつも、戒斗は最早無用の長物と化したコンバット・カランビットを投げ捨てそれを受け取る。白いメモリ外殻の後端部からは、飛び立つ鷲をあしらった黒一色のキーホルダーがぶら下がっていた。ジョンソンの不可解な行動に、戒斗は思わず「何のつもりだ?」と問いかける。それに対しジョンソンは自嘲気味な薄笑いを浮かべ、「なぁに、死に際の気まぐれさ……」と一言呟くと、胸ポケットから取り出した紙巻き煙草を一本咥えた。火を点けようとポケットを弄るが、肝心のライターはさっき投げ捨ててしまったことに気付き舌打ちする。
「最期の一服も吸えねぇたぁな……」
戒斗はUSBメモリをポケットに突っ込み、ジョンソンの口から煙草を摘まみとると、銃口を向け警戒したまま燃え盛る炎へと近づき、その火で煙草の先を点してやった。焦げ臭い中に、微かだが紫煙の香りが混ざる。
「ほらよ」
まだ動く右手に掴ませてやると、ジョンソンは驚いたような表情を一瞬浮かべ、すぐに納得したような安らかな表情になって一言「ありがとよ」と言ってそれを咥えた。彼の吐き出す紫煙の煙は浮かび、何もかもを燃やす炎の黒交じりの白煙に混ざったかと思えば掻き消えていった。
「その中には、我々が今まで集めた”方舟”に関する資料と、今回ボブが可能な限りデジタル化したデータが入ってる……万が一にと思って用意しておいたメモリを、こんな形で使う羽目になるとはな」
最期になるであろう煙草を愉しみつつ、ジョンソンはうわ言のように呟く。撃とうと思えばすぐにでも撃てるのだが、戒斗には何故かそれが出来なかった。
「これで私も、我々『黒い鳥』も終わりだ……癪だが、後は貴様に託すとしよう」
「いいのか。敵である俺に、こんなモノを任せて」
「構いやしねえよ……情報は現代における最大の武器だ。持っていて損はないだろうよ。それに……どうせ死にゆく身だ。一応これぐらいのことはしとかにゃ、先に逝った奴らにあの世で笑われちまう」
さあお前はもう行け。とジョンソンは戒斗に出ていくよう催促する。「貴様を放って行くわけにもいかん……吸い終わるまでは待ってやる」と戒斗は反論するが、ジョンソンはそれを拒んだ。
「どうせこのままなら、遅かれ早かれ俺は死ぬ。失血死が早いか、炎に抱かれて灰になるか。どっちが先かってだけだ。安心しろ。今更生きることに執着する必要もない」
「しかしだな……」
「最期の一服ぐらい、一人で愉しませてくれや。ロクに走馬灯にも浸れやしねえ――それにな若造。そろそろサツが押しかけてきてもおかしくねえぜ」
まだ連中に見つかる訳にゃいかねえんだろ、お前は?――その一言でハッとした戒斗は、渋々だがこの場を去ることにした。M686をホルスターに戻し、戒斗はジョンソンに背を向け一言「……あばよ」と言って去っていく。その孤独な後ろ姿に、死の淵に立たされたジョンソンは戒斗の人生や、最期に行き着く終わりを垣間見たような気がした。その背中を眺め、叫んだ。「忘れるな、”黒の執行者”よ。『黒い鳥』を。この俺、ジョンソン・マードックという男を!」
言葉を返すことなく、ただキザに後ろ手を振った戒斗は、振り返ることなく歩き去っていった。ジョンソンは短くなった煙草を限界まで吸い、そして吸い殻を炎の中へと投げ入れた。一瞬にして灰燼に帰すその光景は、まるで自分自身を暗示しているかのよう。気付けば炎は段々と自分の身体を取り囲もうとしていた。過度の失血のせいか、視界が縁から段々と暗くなっていき、意識が薄れてきた。
「このまま緩やかな死を待つ、ってのも悪かねえが……」
独り呟き、ジョンソンは最後まで隠し通し、結局は使わなかった減音器付きのルガーMk.Ⅲ自動拳銃を震える手でトレンチコートのポケットから取り出した。そしてその銃口を、迷うことなく自らのこめかみにあてがう。
「――幸運を。”黒の執行者”」
彼は迷うことなく、引き金を引いた。
チーン、とエレベータは空気の読めない軽快なベルを鳴らし、地下一階へと到達した。戒斗は蒼い顔で、左腕を押えながら身体を引きずるようにエレベータから這い出る。アドレナリンが沈静化したからか、急に痛みが酷くなってきた。特に酷いのは左腕だ。流れる血はそれほど多くも無く、止まり始めてはいるのだが、やはり失血からか視界が若干暗く、そして寒い。体温が低下しているのだろうか。なんにせよ、適切な処置を出来る限り早く施さなければならない状況なのは確かだった。
「おーい戦部くん。こっちだよこっち。早く乗りな」
相変わらず空気を読まない間の抜けた声で戒斗を呼ぶ声は、昴だった。彼女の傍に駐車されているグレーのBMW 523iの2.5L直列六気筒エンジンは既に火が灯されていた。珍しく気を利かせた昴の開けた助手席ドアからシートに滑り込む戒斗。
「……戒斗!? その怪我は!?」
蒼い顔でシートベルトを締めていると、後部座席で横たわっていた遥が飛び起き、珍しく驚いた表情で問いかける。戒斗は気休め程度だが一言、「心配ねえ……ちょっと引っ掻かれただけさ」と説得力のない一言を言ってやった。
「なぁドクターよ。悪いが帰りにアンタのとこの病院、寄らせてもらっても構わないか……?」
「どちらにせよ、忍者ちゃんの治療もあるからその予定だったさ。大体、君達の車は私の病院に停めただろう」
運転席に座り、律儀にシートベルトを締めた昴に問いかけると、顔も見ずに彼女はいつも通りの飄々とした口調でそう答えた。
「さて、あまりノンビリしている暇もないようだし出発するよ。怪我人はどこかに掴まっているがいいさ」
一言告げると、昴は左手を置いた電子式シフトノブを操作。LEDシフトポジションインジケーターランプがNからDに移り、踏まれたアクセルペダルと呼応して唸るエンジンからの駆動力がオートマチック・トランスミッション経由でタイヤに伝わると、三人を乗せたBMWは急発進した。地下駐車場の坂を昇り、久々の外界へ。既に夜は更け、太陽が没し暗くなった空とは対照的に、高層ビルの立ち並ぶ街には煌々と光が灯っていた。その中を、昴の操るBMWは疾る。二分程走っていると、対向車線から次々と赤色灯を回しサイレンをやかましく鳴らす白黒の緊急車両――パトカーの大群が押し寄せてくる。どうやら間一髪だったようだ。
「危なかったねぇ戦部くん。危うく私まで御用になるところだったよ」
対向車線を走り抜ける、大名行列のようなパトカーの群れを眺める昴はヒュー、と口笛を吹いて、まるで他人事のように言った。
「冗談になってねえ。とりあえず名簿は一緒に爆破しておいたから、アンタの身元が割れる心配はないはずだ」
「へぇ。君が私の保身を心配するとは。意外だね」
「自分の保身に繋がるからだ。放っとけ」
「はいはい」
そんなくだらない会話をしていると、遂にパトカーの成す列に切れ目が見えてきた。その最後尾。何の変哲もないトヨタ・クラウンのパトカー。その助手席に乗っていた、どこか見覚えのある不幸面の刑事と、戒斗は目が合ったような気がした。
「――ん? 何かありましたか、高岩さん?」
「いや……何でもない。多分気のせいだ」
爆発やら火事やら銃声やら。どうやらただ事ではなさそうである通報を受け、光川重機械工業の本社ビルへと急行している大量のパトカーの最後尾。トヨタ・クラウンの改造パトカーの助手席に乗っていた刑事、高岩 慎太郎は隣でハンドルを握る相棒、柊 雅人の問いかけに対し、茶を濁すような回答を相変わらずの不幸面で返していた。
(さっきのBMWの助手席……あの傭兵小僧に似てた気がするが)
対向車線ですれ違ったグレーのBMW。その助手席に座っていた若い男が、何処となく知り合いの傭兵――今は凶悪逃亡犯として追われている一流の傭兵、”黒の執行者”こと戦部 戒斗とどことなく似ている気がしたのだった。一瞬のことだったから確かなことは言えないが……あの多方向に吹っ飛んだボッサボサの髪の毛といい、どこか眠そうで、しかし内に何かを秘めた黒い瞳。それに――今騒ぎになっている光川の本社ビルの方向から来たということもあって、高岩はどうしてもそれが気のせいだ、他人の空似だとは思えなかった。
(きっと奴は、また……)
高岩はそれ以上考えることをせず、頭に浮かんだ根拠のない推測や憶測を頭を振って思考の外へと追い払う。今考えた所でどうしようもない。仮にアイツが関わっていたとしても、それはきっと何か意味があってのことなのだ――そう思い込むことによって、刑事としての自分を納得させる。彼は本来、刑事という公正であるべき立場なのだが。罪を着せられる前の戒斗と何度も接し、どうしても彼が本当に罪を犯したとは思えないでいたのだった。いや、仮にしていたとしても、発覚するようなヘマはしないだろう。それが彼であり、”黒の執行者”という傭兵なのだと。
では何故、彼は。戦部 戒斗という傭兵は追われている? 高岩にはそれが解せなかった。仮に、本当に仮定の話だが、奴ほどの傭兵ならばあらゆる手を講じてとっくに海外へ高飛びしていても不思議ではない。実際そうした方法で、罪を逃れたあくどい傭兵を高岩は数多く知っている。では、仮に罪を犯していたとして、何故逃げずに未だこの近辺に留まっているのか? 幾ら考えても、それだけは分からない――きっと自分には分からないのだろうと、どこかで高岩は悟っていた節もある。
「考えるだけ、仕方ねえか……」
ひとりごち、煙草を咥え火を点けようとする。が、それを横から柊の腕に止められてしまう。
「駄目ですよ。パトカーは禁煙です」
「いいじゃねえかよ。これから大仕事だ。一本ぐらい見逃してくれたって」
「駄目なものは駄目です。ホラ、さっさとソレ、しまってください」
「ケチ臭えなぁ。そんなんだからいつまで経っても百円ライター野郎なんだよお前は」
「はいはい。私が悪うございました――さて、そろそろ到着ですよ」
そうして彼らは、炎が轟々と上がり、見るも無残な形となった光川重機械工業本社ビルへと到着した。




