機械仕掛けの兵士
「――はい終わり。これである程度は問題ないはずだ」
地下一階。負傷した遥をエレベータから引っ張り出した昴はようやく傷の処置を終え、横たわる彼女へと立ち上がって手を差し出す。疲れ切った瞳でその手を取った遥の周りには彼女の装備と、血に濡れた包帯や、ガーゼ代わりに使ったブラウスの切れ端、その他医療器具の残骸が駐車場コンクリートの上に散乱していた。腹部には真新しい包帯が巻かれていて、その下の銃創は綺麗に縫合されていた。
「……ありがとうございます。助かりました」
「いやいや別に。一応私も医者だからね」
「それにしても、まさか医療器具を常備されていたとは」
遥はコンクリート柱に手を突いて寄りかかりつつ、視界内に立つ昴の手元――彼女が片付け始めていた、エマージェンシーキットを見つめる。遥をこの場所まで引っ張ってきた後、昴が自車のトランクから取り出したモノだった。
「ん? こんなこともあろうかと準備しておいたのが役に立ったってわけさ。仮にも医者が、この程度常備してないわけにはいかないだろう」
ま、本格的な処置は後で私の病院に行かねばならんがね――そう言いながらエマージェンシーキットを愛車、グレーのようなボディカラーのBMW 523iのトランクへと戻す、少しだけ血の染みた白衣を羽織る昴を横目に遥は、未だ震える手で床に使用済み医療器具と共に置きっぱなしだった装備類を着け始める。背中に短刀、『十二式超振動刀・甲”不知火”』の鞘を、肩からはショルダーホルスターを背負い、その中に.40口径のXDM-40自動拳銃を突っ込んだ。処置用に袖やらを裂いてボロボロになった白いブラウスの上から、一部が裂けている薄汚れた黒のスーツジャケットを羽織る。
「これ以上外に出ているのは危険です……お戻りを」
「ああ、別に言われなくても戻るつもりだが……ところでね、そんな身体で銃なんか持っちゃって、まだ戦うつもりかい?」
車内に戻るよう昴に促す遥は包帯の巻かれた脇腹を抑え、震える右手には自らのXDM-40自動拳銃を握らせていた。未だ傷口から響く鈍い鈍痛に蒼い表情を浮かべつつも、瞳の奥に未だ光を灯し、引きずり気味の足は先程乗ってきたエレベータへと向かっている。
「……はい。まだ上では、戒斗が戦っている……彼の忍たる私が、こんなところで呑気にしている場合ではない」
そんな満身創痍でもなお、戦おうとする遥を見かねた昴は彼女の身体をひょいと抱え、BMWの後部座席へと放り込んでしまった。「なっ、何をするんです!」と怒りを露わにする遥だったが、昴はいつもの涼しげな、どこか達観したような表情で一言だけ言って、彼女を諭す。
「いやまあ、君の気持ちは分かるがね? ――そんな身体で行ったとして、戦部くんに加勢するどころか、脚を引っ張るだけだと思うがね」
「ッ……しかし」
「しかしも糞もないよ。ハッキリ言うがね。幾ら君が人間離れした忍者だろうと、今の状態ではお荷物にしかならない。邪魔なんだよ。戦部くんの」
その一言に、遥はぐうの音も出ない様子だった。昴は後部座席の扉を閉じ、自分は運転席へと座る。エンジンスタートボタンを押し、始動。2.5L直列六気筒エンジンを暖気させ始めた。
「にしても君達二人、よく似てるねぇ?」
「似てる……?」
昴の発した一言が不可解で、遥は聞き返してしまう。
「ああ、似てるさ。強情で、頑固で、人の言うことを中々聞こうとしない。そのくせ自分は二の次ときたもんだ」
「そうでしょうか……?」
「ああそうだね。そっくりだ、君達は――だからこそ、君は戦部くんを選んだのかも知れんがね」
朦朧とする意識。ピントのズレたレンズのようにぼやけ、ハッキリとしない虚ろな視界。微かに見えるHUDの画面下半分は、自らの吐いた血で濡れていた。先程尋常ならざる力で蹴り飛ばされた影響だろう。身体に上手く力が入らず、節々が軋むような鈍痛を訴えてくる。幾ら最新技術の結晶たる戦闘歩兵アーマージャケットスーツとて、あの蹴りには耐えられなかったのだろう。しかし、死ななかっただけでも御の字だ。蹴られた腹部装甲版は恐ろしく凹んでいるものの、なんとか繋ぎ留まっている。左腕パイル・バンカーも……無事だ。まだ、戦える。
しかし、吹っ飛ばされた影響で空いたであろう壁の大穴。埃の混ざった白煙漂うその向こうから、重苦しい足音を立ててゆっくりと歩み寄る、機械仕掛けの兵士――機械化兵士の姿が徐々に露わになってきた。
「クソッタレ……このまま逃がしちゃくれねえってか」
鉄の味が色濃い口で悪態を吐き捨て、戒斗は立ち上がる。吹っ飛ばされた衝撃で一部の人工筋肉パッケージとサーボモーターが損傷しているが、構うものか。戦えるなら、それでいい。左足の一本が欠けたローラーダッシュのアームを降ろし、戒斗は悲鳴を上げる身体に鞭打ち構えを取る。左腕パイル・バンカーの残弾は、残り二発。
(だが……どうする。正攻法じゃあ天地がひっくり返ったって勝てねえ相手だ。かといってこっちには杭打機以外何一つ無え……)
打開の策を編み出さんと必死に思考を巡らせる戒斗。しかし、機械化兵士の足音は無慈悲にも近づく。
(どうする……どうする! 勝つ為にッ!!)
その時、視界の端にあるモノが映る――そして思い浮かべるのは、目の前。白煙舞う穴の開いた壁。これなら勝てる。しかしあまりにも博打要素が大きすぎる。
「ま、やるっきゃねぇか……どのみちこのままじゃお陀仏だ。一発逆転、一世一代の大博打。こういう賭けも――悪くねえッ!!」
叫び、戒斗はローラーダッシュを最大駆動。中腰姿勢で真っ直ぐ機械化兵士へと突っ込む――と同時に、右手部分の装甲を限定解放。コントロールスティックの隙間から出し、露わになった生身の手で走り抜けざまに掴んだのは――赤い円筒型の、消火器。
「これでも喰らいなァッ!!」
戒斗はそのまま一直線に左腕のパイル・バンカーを突き立てる。かのように見えた。少なくとも、対峙する機械化兵士には。しかし戒斗は、改造され人間の領域を逸脱する思考速度を持つ機械化兵士をしても尚、予測できぬ行動に出た。右手に掴んだ消火器を投げたのだ。それまではいい。注意を逸らす為だと機械化兵士は判断した――だが、それは違った。戒斗はあろうことか、その消火器をロックオン。アーマージャケットのHUD上に赤い四角のターゲットボックスで表示されたソレを、撃ち抜いたのだ。パイル・バンカーの、タングステン鋼の杭で。
「!!??」
予想外の行動に、機械らしからぬ動揺を見せた機械化兵士の視界が、白一色に塗り潰された。彼らの義眼は高性能だが、それ故に余剰スペースが無く、暗視装置や、熱線映像モードを持たない。つまり彼は、目潰しを喰らったも同然なのだ。
「貰ったッ!!」
白煙の中を疾る、赤色に輝く一対のカメラ・アイ――戒斗は一気にローラーダッシュで間合いを詰め、左腕を突き出しパイル・バンカーを撃つ。炸薬が弾け、タングステン鋼の硬く尖った杭が放たれる。それを直前に察知した機械化兵士は高周波ブレードを上げる余裕も無く、その右腕に施された装甲で杭の腹を打ち、なんとかベクトルを逸らし直撃を免れる。だが、それこそが。機械化兵士にパイル・バンカーの杭を触れさせることこそが、戒斗が今の一撃に込めた真の狙いだった。
「位置は大体掴んだ……コイツで終わりだッ!」
「――!!」
杭が弾かれた勢いのまま、戒斗は回転を交えつつターン。杭が戻り、最後の薬莢が装填されたと同時に、アッパーカットで殴りかかるように左腕を機械化兵士へと突き立てた――確実に、彼の胸を捉えて。
「取ったぞ――貫き通すッ!!」
左手に施された装甲で胸部装甲版を殴られた機械化兵士が防御の構えを取る間も、後ろに飛んで回避する間も与えず戒斗は左手コントロールスティックのファイアレリース・ボタンを押し込んだ。薬室内に装填された金色の太く大きい真鍮製薬莢。その底部の雷管をパイル・バンカーの撃針が叩き、電気発火。充填されたコルダイト火薬が弾け、重いタングステン鋼の杭を超高速で機械化兵士の胸へと突き立てる。7.62mm弾の直撃ですら耐える彼の装甲版を無慈悲に突き破り、僅かに残された生身の肉や、代替の人工臓器を貫き粉砕し、脊椎ユニットをへし折り――突き抜けた。首を縦に貫通し、彼の後頭部から。主要部分や、脊椎ユニット、そして最も重要な装置である脳を破壊された機械化兵士は間も無く機能停止。その終わりのない生命の灯火が消え去った。
≪警告。バッテリー残量ゼロ。周囲に敵反応確認できず――よってオペレータを強制排出します≫
AIの機会音声による唐突な通知。機体の節々から蒸気を排熱すると共に、バッテリー切れを起こしたアーマージャケットの全装甲が解放された。戒斗はそのまま、力なく前のめりに床へと倒れ込む。
「はぁ、はぁ……」
上がる息を整え、なんとか身を転がし仰向けの状態で頭上を見上げる。そこにはアッパーカットで殴りかかったままの状態で機能停止した濃緑色の戦闘歩兵アーマージャケットスーツと、その左腕から伸びた杭に串刺しにされ、宙ぶらりんになった機械化兵士の残骸があった。杭の先端には人工臓器の機械部品やオイルのような人工血液、脊椎ユニットに護られていた背骨の欠片や、貫いた脳漿の一部がこびり付いている。貫通面からはオイルか人工血液か判別のしようがないドロッとした液体が止めどなく溢れ出してくる。
「後五秒。後五秒遅かったら俺、死んでたな……ハハッ、まだ幸運の女神には見放されちゃいねえようだな、俺は」
寝転がり見上げたまま、戒斗は乾いた笑いを浮かべる。いつの間にやら変装用のウィッグがずり落ち、レンズの一部が割れた伊達眼鏡が床に転がる。
<あーあー、戦部くん聞こえてるかね。生きてるなら応答してくれたまえ>
左耳に差さったままのインカムから聞こえてくる、呑気な昴の声。戒斗は半笑いを浮かべたまま「残念ながら、まだくたばっちゃいねえぜ」と応答してやった。
<そうかい。にしちゃあ死にかけの魚みたいな声だけどね>
「まあな。たった今、アンタの機械化兵士をまた一人ブチ殺したところだ。生憎死にぞこなったがな」
<へぇそうかい。ソイツはめでたいねぇ>
「だろ? 祝杯がてら、帰ったら飯でも奢ってくれよドクター」
<それは保証しかねる。考えてはおくがね。ところで戦部くん。忍者ちゃんは無事処置しておいたよ。といっても応急処置に過ぎないから、帰りに私の病院に寄って欲しいが>
「それは本人に伝えてくれ。こちとらまだ大仕事が残ってるんだ」
ふらつきながらも戒斗は立ち上がり、口内に未だ残る血を床に吐き捨て、口元の血を拭いつつ、機能停止したアーマージャケットの背部に回り込む。アーマージャケットを操るオペレータが機体を捨て脱出しなければならなくなった緊急時のバックアップ用に備え付けられていた金属製パッケージの蓋をこじ開け、その中に常備されていたドイツ製PDW、MP7A1を手に取り、予備の長い四十連弾倉をズボンとベルトの間にねじ込んだ。
<大仕事かい。ソイツは大変だねぇ。是非内容を聞かせてほしいものだが>
「なぁに簡単な話さ。一番の脅威は無事始末したことだ。後は残った奴を皆殺しにして、ボスを捕らえ拷問する。それだけだ。簡単だろ?」
<頑張ってくれたまえ……と言いたいところだけど。もうそろそろ警察が嗅ぎ付けてきてもおかしくない頃合いかな。幾らなんでも派手に暴れ過ぎたね、戦部くん?>
「いつもならヒーロー待遇で悠遊凱旋なんだがね。生憎今の俺は凶悪逃亡犯って肩書きだ。捕まるにはちょっと早すぎる」
伸縮式の細い銃床を展開。MP7を構え警戒しつつ、戒斗は金庫の方へと歩を進めていく。
<まあいいさ。私達は駐車場でのんびり待たせて貰うよ>
「そうしてくれ。さっさと皆殺しにしてくる」
<君なら余裕さ。期待してるよ、戦部くん>
交信はそこで途切れた。あまり時間が残されていないことを感覚的に察していた戒斗は、金庫へと――『黒い鳥』のリーダー、ジョンソン・マードックと生き残った同志の居る方へと急ぐ。
「……反応、ロストです。ボス」
大金庫の開け放たれた扉の向こう。今は空になっている機械化兵士の格納容器の前で、スキンヘッドに丸眼鏡を掛けた黒人の男、ボブが手にした赤色のノートパソコンに表示された事実――苦労して手に入れた機械化兵士が機能を停止したという事実を、顔面蒼白で報告した。
「なんだと?」
あまりに現実味のない部下の報告に、ジョンソン・マードックは思わず証拠品の書類を纏める手を止め聞き返してしまった。
「はい。相討ちかどうかまでは分かりませんが……とにかく、破壊されたことは確かです」
「なんてことだ……なんてことだ!」
怒りのあまり眼前のデスクに叩き付けた書類が舞い、ひらひらと舞い落ちる。ジョンソンの両手と身体は、小刻みに震えていた。裾の長いロングコートを翻し、右腰のホルスターから抜いたベレッタM92FS自動拳銃のスライドを素早く前後させ初弾装填。側面の安全装置を掛け、起きた撃鉄を安全位置に戻すと再びホルスターに戻し、ジョンソンは立て掛けてあった突撃銃、SCAR-Lを手に取って生き残った僅かな部下達に告げる。「総員、戦闘準備。奴は必ず来る」
その指示に呼応し、ありったけの書類と情報資料を詰めたボストンバッグを一か所に纏めて置いたボブ、ニコライ、そしてもう一人、米国東海岸出身の金髪白人の男ジョンの生き残った三人は各々の武器を手に取った。
(私の計画を散々滅茶苦茶にした挙句、あのサイボーグまで倒しただと……? 我々ですら対応が困難な相手を、たった一人で倒す奴とは一体何者なのだ?)
対面ビルの屋上に陣取り、L118A1狙撃銃に乗せられたリューポルド社製スコープを伏射姿勢で覗いていた英国人、ティムの耳にも、ジョンソンからの狙撃支援指示が届いていた。その内容、口調から、彼は既に察していた。虎の子の機械化兵士が、破壊されたことを。
「そろそろ退き際だろうな」
しかしティムはその通信に応答することなく、無線機の電源を一方的に切る。箱型弾倉を外し、ボルトハンドルを一度引いて未使用の7.62mm弾を取り出すと弾倉に込め直した。空薬莢を回収し、身を起こしてポケットにねじ込むとティムはL118をそそくさと黒いナイロンのガンケースに収めていく。数分で作業は終わり、屋上に彼の居た痕跡は全く消失してしまう。最も、出入り口の鍵は壊してしまったが。
「それじゃあなボス。アンタの役目はここで終わりだ」
決して本人に伝わることのない別れの言葉を吐き捨て、ティムは煙草を一本咥え、火を点すと右太腿に装備したカーボンホルスターからシグ・ザウエルP226を抜くと、ある程度警戒しつつ屋上を後にしていった。
砕かれた壁の穴を通り抜け、エレベーターホールを抜けると、遥が倒れていた多目的ホールまで戒斗は辿り着いた。床にこびり付く、乾いた血の跡が生々しい。転がっている腕のない死体を横目に、コンクリート柱やホール内に置かれた資材の陰に隠れつつ、進行方向にMP7の銃口を向け警戒し進んでいく。
「――気を付けろ。きっと近くに居るはずだ」
ホールの向こう、金庫へと続く方からロシア訛りの英語が聞こえてきた。咄嗟に戒斗は手近な柱の後ろに隠れる――コンクリートに背中合わせに張り付いた瞬間、足の裏に何か固いモノを踏んづけた感触がした。音を立てないようそっと足を退け、踏んづけたモノを拾ってみる。その正体は一本のカランビット・ナイフ。先程遥が交戦した全身ナイフ男、マイケル・ロレンスの所有物であったエマーソンのコンバット・カランビットであった。戒斗の所有する同社製スーパーカランビットより刃渡りこそ短いが、裏を返せばそれだけ取り回しがいいことに繋がる。
「カランビットか。こりゃいい。貰っとくぜ」
猛獣の爪のように湾曲した黒染めのブレードが展開されたままだったコンバット・カランビットのリングに左手人差し指を通し、手の中でクルクルと回転させつつ戒斗は柱の陰から敵の様子を窺う。数は一人だった。ロシア人のような背の高い男が一人、耳に差したインカムで仲間と交信しつつ多目的ホール内に入ってくる。装備はロシア製の突撃銃、AK-102と……ここからだとよく見えないが、拳銃が一挺。周りに他の敵の姿は見えない。
「折角だ、コイツを試してみるか……!」
戒斗は周囲を確認。蛍光灯は灯されておらず、窓と通路から差し込む光以外には無く、室内には身を隠せるような影が多い。戒斗は一度コンバット・カランビットを床に置き、転がっていたライフルの空薬莢を明後日の方向へと投げ飛ばす。遠くで響く、真鍮薬莢がコンクリートに跳ねる音。
「そこかッ!?」
音のした方へと銃口を向け、ハンドガード部のビカティニー・レールに取り付けられたフラッシュ・ライトの強烈な光を向けるロシア人、ニコライという名の大男。しかしその先に標的たる戒斗の姿は無く、あるのはなんの変哲もないありふれた空薬莢だけ。しかしそんなことも知らず、ニコライは最大限の注意を払いつつその方向へとにじり寄っていく。彼の注意がそちらへと向いた隙を突き、戒斗は影から影へと中腰で素早く移動する。
「こちらはニコライだ……近いぞ。すぐ近くに居る……応援を寄越してくれ」
緊迫した表情でインカムに呼びかけるニコライ。その背後にゆっくりと、音も無く忍び寄った戒斗の姿が通路の灯りに照らされ浮かび上がる。戒斗は背中から襲い掛かり、空いた右手で素早くAK-102を払い落すと同時に引き寄せ、左手に逆手で持ったコンバット・カランビットの刃を躊躇なく突き立て、流れるような動作で右肘近くの健を刃で食い破り、切断する。
「うわああああッ!!??」
筋肉の健を突然断裂され、永遠に使い物にならなくなった激痛と喪失感に叫ぶニコライ。しかし戒斗は攻めの手を緩めない。足払いと同時に、拘束し握り締めたままの右手を支点に刺さったままのカランビットを引きニコライの身体を張り倒す。刃を抜き、手の中で素早くコンバット・カランビットを回転。拳を握りしめ、人差し指に通ったリングを支点にナイフを前方へと伸ばしたような握り方――エクステンデッド・グリップと呼ばれる持ち方に持ち直し、転げ落ちるニコライの首に突き立てた。引く力に、身体が落下する力が重なって刃の刺さったニコライの首は裂け、動脈は真っ二つ。喉笛を掻き斬られた彼は背中を地面に叩き付けると同時に、体内の血を一気に失ったニコライは息絶えた。
「――貴様ァッ!!」
戒斗を掠める銃撃。通路の向こうから押し寄せたもう二人の増援によるモノだった。戒斗は舌打ちを交え、カランビットを回転し元の逆手に戻しつつ反転。走り込み、最も近いコンクリート柱の陰へと飛び込む。立てかけておいたMP7を手に取り、カランビットを持ったまま折り畳み式のフォアグリップを握り安全装置を解除。連射に合わせる。
「挟み込め!」
そう叫んだのは、スキンヘッドで丸眼鏡の黒人。ボブという名の彼は、社長室での一部始終を目の当たりにしていた戒斗にも見覚えがある人間だった。しかし――そんなことはどうでもいい。戒斗は左から回り込もうとするボブに向け、MP7を制圧射撃。対面の柱の陰へと釘付けにする。しかし迫り来るもう一人の金髪の白人、ジョンへと振り返り片手で牽制射撃をしたところで、弾が切れてしまった。地を蹴り、後方へとジグザグに走りつつ、空の弾倉を落とし捨て、ズボンとベルトの間にねじ込んだ新たな四十連弾倉を叩き込み、再装填。放置されたデスクの上を滑るように飛び越え、その後ろに身を隠した。近寄る二人へと、腕だけを出し射撃。すぐに移動。今度はすぐ近くの柱の裏へと滑り込む。発見された状況下での数的不利な戦闘。戒斗の劣勢は火を見るよりも明らかだった。しかし、この程度の不利で怖気付く戒斗では無かった。この程度の修羅場など、幾らでも潜り抜けてきた彼に、諦めるという選択肢など最初から存在しない。
弾倉確認――まだ二十発程度余裕がある。意を決し、柱の陰から飛び出す戒斗。走りながらMP7を指切りで撃ちつつ、近い方の敵、ジョンへと一気に詰め寄る。
「死ねぇッ!!」
手にした短機関銃、シグ・ザウエルMPXを自らへと突っ込んでくる戒斗へと向け、引き金に指を掛けるジョン。しかしその銃口から9mmルガー弾が吐き出されることは無かった。戒斗の予想外の行動によって、それは防がれてしまったのだった。彼が唐突に投げたMP7が顔面に激突し、悶えるジョン。きっと鼻か歯の何本かが折れたのだろう。しかし気にしてやる義理は無い。戒斗は手の中に残ったコンバット・カランビットを握り締め、右手でジョンの腕を払いMPXを取り落させると同時に、太腿の内側――太い血管などが集中した急所をカランビットの刃で突き破り、捻り抜く。ジョンが苦痛に喘ぐ間も無く次は脇腹を抉り、足払いと同時に手首を握り締めた右手を動かしジョンの身体を張り倒すと、手の中でカランビットを回転させ再びエクステンデッド・グリップの構えを取る。ガラ空きになった首筋に突き立て、肉を抉る感触が伝わると同時に刃を引いた。湾曲した刃が肉を裂き、猛獣の爪に抉られたような傷から大量の赤黒い血を噴き出しジョンは間も無く失血死した。
「殺りやがったなァッ!!」
5mの距離に居たボブが振り向き、怒りを露わにした表情でMP5A5短機関銃の銃口を向ける。戒斗はカランビットを回転させ逆手に持ち直しつつ、右手は死体の手首から放し、黒いスーツジャケットを翻すと背中のSOBホルスターから銀色の金属光沢を煌めかせるステンレス・フレームの回転式拳銃、S&W M686を抜くと片手で構え、ダブルアクションで引き金を引き絞る。バネ仕掛けで撃鉄が起き、同時にシリンダーが回転。撃鉄はロックされることなくすぐに開放され、発砲。2.5インチの短い銃身から強力な.357マグナムのフルメタル・ジャケット弾が吐き出される。咄嗟の動きにしてはあまりにも正確な狙いで放たれた弾はボブの眉間に吸い込まれ、巨大な風穴を穿つ。脳内で鉛弾に暴れ回られ、脳漿をシェイクされたボブは間も無く絶命した。
「さて、後何人出てくる……!」
戒斗は警戒するが、一向に次の敵が現れる様子はない。今は物言わぬ死体と化したジョンが隠れていた角材の山へともたれ掛かり、M686のシリンダーを解放して空薬莢を一発取り出すと、新しい弾を込め、またホルスターに戻した。床に落ちたMP7を拾い、コンバット・カランビット片手に警戒しつつ更に進んでいく。
「通信途絶、か……」
その頃、一人金庫に残ったジョンソンはある一瞬を境に部下達との通信が途絶えた無線機を投げ捨てていた。幾ら呼びかけても返答がない辺り、彼らは既に……。
「こうなってしまってはもう、意味がないか」
悟ったようにひとりごちると、ポケットからありったけの書類を詰め込んだ幾つものボストンバッグへと、火をつけたジッポーライターを投げ込む。赤色の炎を上げ、燃え上がる。
「――おいおい。折角の重要資料を燃やしちまうたぁ、どういう了見だ?」
その金庫に響く、第三者の声。ジョンソンは両手に携えた突撃銃、SCAR-Lの銃口を向ける。が、そこに立っていたのは、ある意味彼にとって最も予想外だった人物の姿だった。戦闘の影響か、ボロボロで薄汚れたスーツを身に纏った彼は油断なくMP7A1をこちらへと構えていた。各所に吹っ飛んだボサボサの黒髪の下に見える双眸は鋭くジョンソンの全身を捉えている。
「戦部 戒斗……”黒の執行者”。何故お前がここに居る!?」
彼の名前を、ジョンソンは知っていた。だからこそ、気が付けば激昂し叫んでいた。しかしそんなジョンソンとは対照的に、戒斗は面喰ったような顔で「ん? なんだ、知ってるのか」と間の抜けた返答を返す。
「ああ、知っているさ。知っているとも。”黒の執行者”の異名を持つ凄腕の傭兵。それがお前だ! ”方舟”の資料で何度もお前は見た。奴らに最も危険視されているお前が、何故私の邪魔をする!?」
「さあな。強いて言えば、テメェらが気に入らねえだけさ」
それに、今の俺は凶悪逃亡犯だ。早々警察の厄介になる訳にゃいかねえからな――そう付け加えた戒斗は、目の前で激昂する人物のただならぬ雰囲気を本能的に察知し、無意識下で警戒を強める。
「気に入らない。気に入らないか。たったそれだけの理由で、私の人生全てを捧げた復讐を邪魔するのか、お前は!」
「知らねえよんなこと。俺の勝手知ったる範疇じゃねえ」
「なんだと……!? 貴様とて、奴らと敵対しているのだろう! ”方舟”とッ!!」
「ああそうさ。俺は浅倉の畜生をもう一度ブチ殺すついでに、あのクソッタレ共も叩き潰す」
「ならば! ならば何故我々を!」
「だから言ったろ、気に入らねえってよ――それにこちとら気が立ってんだ。お前のお仲間に重傷を負わされた奴が居るんだ」
「それはこちらとて! 貴様は何人の部下を殺した!?」
「さあね。殺した相手をイチイチ数える馬鹿は居ねぇだろ?」
「貴様ァァァッ!!」
ジョンソンの怒りは我慢の限界だった。連射でSCARを発砲。既にその行動を予測していた戒斗は難なく避け、手近な金属製のデスクへと隠れる。紅い炎の照らす中、目的を同じくした二人の戦いが幕を開けた。




