キルボックス・ヒル(中編)
光川重機械工業本社ビル二十階の多目的ホール。今は創業十五周年記念パーティが催されているその場に、本来あるべき優雅な雰囲気と気品漂う談笑はどこにも存在していなかった。テーブル等は蹴り倒され、ホールの中央に無理矢理集められた来客――人質達。彼らの周りを、数人の武装した人間が囲んでいた。人質に銃口を向け脅す彼らの人種は白人、黒人、アジア系、ヒスパニックと様々。一応コミュニケーションに用いる言語は英語で統一されているようだったが、格好や装備にもこれといった統一性は見られない。テロリストの類であろう。
否応なく座らされ、恐れ怯える人質達。迫り来る死の恐怖に駆られる彼らの中で、ただ二人だけは冷静そのものだった。華やかで上品なパーティには明らかに場違いな白衣を気にも留めず羽織る元・天才医師の最上 昴ともう一人。彼女の横に控える、無難な黒いスーツを身に纏った小柄な少女、有澤 桜――という偽名を名乗っている忍、長月 遥の二人は、表面上では一応怯えた風にしてはいるが、その実内心は平常心そのものだった。
「……やはり、ここは私が切り抜けるべきかと」
囲むテロリストや周りの人質達に聞こえない程度の小声で昴に提案する遥は、敵に気取られないような動作でゆっくりと背中、ジャケットの下に隠した短刀型高周波ブレード『十二式超振動刀・甲”不知火”』の柄へと手を伸ばす。が、昴の「止めておいた方がいい」の一言で制されてしまった。
「何故」
「まあまあ落ち着きたまえ。君らしくも無い。ここは腰を据えて機会を待つ局面だと、私は思うがね」
諭すような口調の昴の表情が、まるでこの状況を楽しんでいるかのように遥の目には映った。
「……しかし、このまま何もしないという訳にも」
「よく考えてみなよ。運良く戦部くんが自由に動けている今、下手に事を起こせば彼の邪魔になるとは思わないかい?」
「ですが……」
「彼ならもうそろそろ、何らかのアクションを起こす頃だろうね」
昴が言うと、囲んでいたテロリスト達の動きが何やら慌ただしくなってきた。無線機に一言二言告げた後、二人程がホールから出ていってしまう。その光景を眺めていた昴は「……ね? 言った通りだろう?」と自慢げな表情だった。
「少しは、自分の大将を信じてみたらどうだい? ――君が動きたくなるのも、分かるけどね」
「……そうしましょう。ですがやはり、一人では」
「大丈夫さ。彼は――戦部くんは、普通じゃない」
「ジェイムス、応答しろジェイムス! ……クソッ」
階段を駆け下りる『黒い鳥』の構成員。チャンという名の中国人の彼は、一向に応答のない無線機へ悪態を吐き捨てるとそれをポーチに戻した。相方の新入り、ジェイムスという名の若いアメリカ人からの連絡が途絶えた。楽観的に見れば単なる無線機の故障、で済むが、最悪の場合――
「殺られたなんて悪い冗談はよしてくれよ」
駆け下りる。彼の手には西側諸国で用いられる5.56mm弾対応のロシア製突撃銃、AK-102。元チャイニーズ・マフィアたるチャンが慣れ親しんだ56式自動歩槍――AK-47の中国製コピー突撃銃――と大差ない操作感覚のAK-102は、正に彼の身体の一部同然だった。――大丈夫だ。これがあれば、自分は死なない。
自分自身に言い聞かせ、突入するのは十八階フロア。ハンドガード部のビカティニー・レールに取り付けたフラッシュ・ライトの強烈な光を灯し、扉を蹴破る。
「ジェイムスどこだッ! 居るなら返事をしろ!!」
電気の灯されていない、暗い空間へと叫ぶ。が、反応はどこからも帰ってくる様子はない。ほぼ決定的となった最悪の可能性――ジェイムスが殺されたことを否応なく突きつけられたチャンは舌打ちをし、AK-102の銃口を振り回して進路を照らしつつ室内を突き進む。
「ジェイムスどこだ! 返事をしろ!!」
探す対象は、すぐに見つかった。フラッシュ・ライトで照らす中に、少しだけつま先が見えたのだ。チャンはそこに向かって一目散に走る。つま先のあった先に向かってフラッシュ・ライトの光を照らし、そして――見つけてしまった。物言わぬ死体と化した、ジェイムスの姿を。
「おいおいおい……嘘だろッ」
彼の死に様は、形容しがたい程残酷だった。辛うじて原形が分かるレベルにまで殴られ凹んだ顔面。血を流す頭は、恐らく近くのデスクの脚にでも叩きつけられたのだろう。鉄製の脚も僅かに血痕が付着している。無残な姿に変わり果てた頭を支えていたはずの首はポッキリと折れてしまっていた。その上、亡骸からは装備が剥ぎ取られている。
会話を交わした回数こそ少なかったが、彼も志を同じくした仲間には変わりなかった。ジェイムスの死に対し、チャンの胸の内からドロドロとした、内から身を焼くような、胎動し流れ出すマグマにも似た感情――怒り交じりの復讐心が溢れ出す。どこだ。ジェイムスを殺した奴は、どこだ。
「――ッ!」
怒りに燃えるチャンの頬を、唐突に鳴り響いた轟音と共に何かが擦る。チャンを仕留めそこなったソレ――銃弾はそのまま、じきに死後硬直の始まるであろうジェイムスの胸へと突き刺さり、その肉を抉った。
「畜生、外したかッ」
その銃弾を放った主、戦部 戒斗は舌打ちをすると手に持った.45口径自動拳銃SW1911を続けざまに三連射。手近なデスクの陰に飛び込むチャンに向け発砲。だが命中はゼロ。威嚇代わりに残りの三発をロクに狙いもつけずに撃ち、そして戒斗もデスクの陰へと隠れた。
「お前が! お前がジェイムスを殺したのか!」
怨み言を叫ぶチャンを聞き流しつつ、戒斗はホールドオープンしたSW1911を操作。空弾倉を床に落とし捨て、背負ったボストンバッグから取り出した新たな弾倉を叩き込み、スライドストップを解除。初弾を薬室に送り込み、サム・セフティを上げてロックするとジャケットのポケットへと戻した。そして予め立て掛けておいたMP5A5短機関銃を手に取り、安全装置を解除。連射へと合わせる。
「へえ、ジェイムスっていうのかい、ソイツ!」
挑発するように戒斗は言いつつ、中腰姿勢で身体をデスクの陰に隠したまま素早く移動する。対するチャンは半身を乗り出し、声のした方向へとAK-102を連射で掃射する。撒き散らされる空薬莢と、灯かりのない暗い空間の中で線香花火のように銃口から瞬く発砲炎。
(今ので大体位置は掴めた。ならばやることは一つ……炙り出す!)
チャンの側面を突く位置に文字通り滑り込んだ戒斗は、間髪入れずにMP5を掃射。9mm弾の雨がチャンの身体へと殺到する――かと思いきや、そこに彼の姿は無く。9mm弾は空を切り、棚に幾つもの弾痕を穿つに留まった。
「馬鹿がッ! 俺はここだァッ!!」
叫ぶチャンの位置は、つい先ほど戒斗が居た場所だった。立ち上がり、今度こそ逃がさないと戒斗を銃口で睨み付けるチャン。不味い――戒斗は考えるより先に、床を転がる。一瞬前まで戒斗があった場所の床を抉る5.56mm弾。戒斗は転がったまま移動し、チャンと相対する形で手近なデスクの陰へと飛び込んだ。
再装填している暇は無い。潔くMP5を捨て、死体から奪ったSW1911を抜き、サム・セフティ解除。陰から腕だけ出し、チャンの居るであろう方向へと連射する。.45口径の重い反動と共にスライドが前後し、エジェクション・ポートから吐き出される空薬莢。
「ッ!」
それをチャンは自らも隠れやり過ごしつつ、AK-102を再装填。左手に持った新たな弾倉で、マガジンキャッチを抑えつつ空弾倉を弾き飛ばす。その勢いのまま切り欠きに引っ掛け、弾倉を叩き込む。右側のボルトハンドルを操作し、装填完了。
(残り弾倉は一つか……ここいらで増援要請しねえとキツイな)
怒りに震える心と裏腹に、思考はクリアそのものだった。チャンは戒斗の銃撃をやり過ごしつつ、左手でポーチから大柄な無線機を取り出し、増援要請を行おうとする――が、突如左腕を引っ張られるような強烈な感覚。思わず手から放してしまった無線機は吹っ飛び、壁に叩き付けられる。無線機は抉れ、摩擦で黒く焦げていた。まぐれであろうが、戒斗の放った銃弾が見事命中したのだった。
「クソッタレ!」
悪態を構うことなく吐き捨て、チャンは再装填の済んだAK-102を手に飛び出す。こうなった以上、自分一人でこの正体不明の敵を排除しなければならない。
絶え間なく響く、剣戟にも似た二つの銃声。近付けば離れ、離れれば近付く。微妙な距離感を保ったままの銃撃戦が、一体何分、いや何時間の間続いたのだろう。チャンは永遠にも似た感覚を覚えていた。しかし、銃とは弾を消費するモノ。いずれ終焉は訪れる――弾切れという幕切れによって。
「畜生、肝心な時にッ!!」
最後の弾倉が尽きたAK-102を投げ捨てるチャンは右腰のホルスターからベルギー製の自動拳銃、ブローニング・ハイパワーを抜き放つ。装弾数の多いダブル・カーラム式の弾倉を有するハイパワーはグリップが太く、特殊なマガジン・セフティのせいで引き金の重い銃だったが、チャンにとっては何よりも頼れる相棒だった。チャイニーズ・マフィア時代で下っ端の頃からずっと彼と共にあるハイパワーはマガジン・セフティが削られ、当然の如く各部は傷だらけだった。摩耗した部品も何度か交換している。しかしチャンにとっては傷の一つ一つが勲章で、交換部品は生きた証だった。彼にとってこのハイパワーは唯一無二の一挺で、何度も窮地を救われた”幸運の女神”に等しかった。――今回も、必ず俺を勝利に導く。チャンはそう信じて疑わなかった。絶対の信頼を寄せ、ハイパワーの使い古した擦り傷だらけのスライドを引き、初弾装填。
「中々に手強い……」
対する戒斗も苦戦を強いられていた。上がる息を整え、ずれた伊達眼鏡を指で押し上げた。MP5の弾倉を一度外して確認してみる。だが残りはたった二発。薬室内に装填されてる分を含めたところでたった三発だ。弾倉ももう無い。闇雲に三発全てをバラ撒いてみるが、勿論のこと命中は無し。戒斗は溜息と共にMP5を投げ捨てた。
(1911の弾倉が残り一つ。M686はフルであるが……はてさて、これだけで仕留められるかどうか)
相手はかなり戦い慣れている、相当の手練れのようだった。闇雲に撃ったところで、当たりはしない。しかし敵も同様のはずだ。先程から牽制で撃っていた発砲音が聞こえない。ブラフという可能性もあり得るが、敵の主兵装は弾が尽きたと考えてほぼ間違いないだろう。戒斗は意を決し、SW1911片手に飛び出す。
「馬鹿がッ、死にに来るか!」
それを見逃さず、チャンは足音の聞こえた方へと銃口を向け迎撃。ダブルタップで放たれた二発の9mm弾の内一発が戒斗の頬を掠める。が、それを意にも留めず戒斗は発砲炎の瞬いた先へとSW1911を片手で三連射。迫り来る.45口径弾を本能的に察知しすんでの所で回避したチャンは後ろに跳び、間合いを取りつつハイパワーを連射。戒斗もそれに応えるように追い、残りの弾全てを叩き込む。銃弾と空薬莢の躍る、刹那のやり取り。一瞬でも気を抜けば、それが死に直結する。
(視界が悪すぎる……)
走りながらハイパワーの空弾倉を落とし、新たな弾倉を叩き込むチャンは一進一退の状況に辟易していた。ほぼ光源の無い空間での銃撃戦は、互いに決定打を欠いていたのだ。チャンは意を決し、敢えて出口の方へと向かう――蛍光灯の灯りで満ちた、階段へと。
対する戒斗も一定の間合いを取りつつ、その足音を追う。幾ら暗闇に目が大分慣れてきたとはいえ、暗い状況下での戦いは戒斗にとっても苦戦を強いられるモノだった。SW1911のマガジンキャッチを押し、空弾倉を躊躇なく床に捨てて、最後の弾倉を装填。スライドストップを解除し初弾を送り込む。蓄光塗料の塗られたSW1911のアイアン・サイトのお陰で狙いこそ付けやすいものの、敵の姿がよく見えないんじゃあどうしようもない。
「よし……!」
扉の向こうへと飛び込み、壁に背中を付けてハイパワーを構えるチャン。後は敵が目の前に来さえすれば、後は引き金を引くだけで彼の勝利だ。チャンはそれを信じて疑わなかった――そして、それはすぐに現れた。扉の前へと滑り込む、一つの影。
「チェック・メイトだ!」
チャンは残弾を意にも留めず、その影へと向かってハイパワーがホールドオープンするまで連射する。やったか……? 弾倉交換しつつ、警戒しながら近寄るチャン。彼が撃ち仕留めた何かへと近寄り――そこで意識は途切れた。中身の引き裂かれた頭を床に叩きつけて、倒れたチャンの眉間に穿たれた大穴からは血が溢れ出る。
「――チェック・メイトはお前の方だったようだな」
戒斗は白煙漂うSW1911のサム・セフティを起こし、ポケットに収める。チャンは最後に致命的な判断ミスを犯していた。自ら光の下へと出るという、致命的なミスを。彼は戒斗を誘い込む魂胆だったのかもしれないが、それは同時に自分の姿を晒すことに繋がる。つまり、狙い撃ちし放題という訳だ。現にチャンは、戒斗が適当に蹴り飛ばした椅子を戒斗と勘違いし、それを穴だらけにしていた。その隙だらけのチャンを、戒斗は優雅に椅子に腰かけ狙い撃ちできた、ということだ。
チャンの死体に近付き、その手からブローニング・ハイパワーを回収すると戒斗は立ち去った。下へ、下へと階段を下る。
「何? 二人が殺された? ……クソッ、分かった。二、三人程追跡に回せ。最悪人質の見張りは手薄でも構わん」
顔も知らぬ何者かによって二人の部下が殺されたという報を聞いたジョンソンは焦っていた。てっきり、ただ逃げ足が速いだけの一般人かと思っていたが、考えを改める必要があるようだ。素人同然のジェイムスはまだしも、チャイニーズ・マフィア叩き上げのチャンまで殺されたとなれば、敵は相当の手練れと見る他ない。作業を急がなければ……焦るジョンソンの内心が表情に出ていたのか、彼のすぐ近くで金庫を破る作業を黙々とこなしていた黒人の男、ボブはチラリと彼の姿を見ると、後六十分程度で作業は終わりそうだという旨を伝えた。
<――ボス。配置に着いた>
手に持つ無線機から唐突に響く、低く渋い壮年の男の声。英語の流れるように綺麗な発音。英国人だった。
「ティムか。了解した。そこから監視を続けてくれ。発砲は指示を出すまで控えろ」
無線機の向こう、光川の本社ビルが見渡せる位置の対面のビルに陣取った英国人の部下、ティムにジョンソンは告げる。
<オーケー。だが気を付けろ。敵は確実に銃を携行している――まただ。今度は十三階で発砲炎が見えた>
抑揚の乏しい口調で、彼の持つ狙撃銃のスコープ越しの情報を淡々と報告するティム。その報告に対しジョンソンは「……わかった。別命あるまで監視を続行」とだけ言って無線を一方的に切った。後に残るのは溜息と、金庫破りの作業音だけ。本命の金庫が破れるまで、残り六十分――それまでの間に、イレギュラーを処理出来ればいいが。
「残念ながら、テメェらの会話は全部ダダ漏れなんだよなぁ」
十階のオフィス。これまでに入ったフロアと同様に電気の灯されていないこの場所で、戒斗は壁にもたれ掛かり座り込んで残弾を整理しつつひとりごちる。彼の左耳のイヤホンの伸びる先は、先程奪った無線機。敵のボスが焦っていることも、増援をけしかけてきたことも。そしてどこからか監視の目が光っていることも全て、敵である戒斗に筒抜けだった。そろそろ気付かれてもおかしくない頃合いだが……敵に気取られるまでは、このアドバンテージを活用させてもらおう。
先程敵から奪ったM4A1突撃銃の弾倉を外し、チャージング・ハンドルを一度引いて排莢。ピンを外しアッパーレシーバーを跳ね上げて軽く分解し、内部を軽く改めた後再び組み上げ、弾を込め直した弾倉を叩き込む。チャージング・ハンドルをもう一度引き、初弾装填。安全装置が掛かっている事を確認してから身体の隣に立て掛けた。
(さて、そろそろ補給が欲しいところだがな……)
現在の装備は持参したM686とニムラバス・ナイフに加え、M4A1突撃銃と予備弾倉二つ。自動拳銃のSW1911とブローニング・ハイパワーが各一挺ずつで、弾倉使い切り。後はボストンバッグの中に入ったC4爆薬三セットとオマケに無線機だった。確実にまだ十人以上は居ると思われるテロリスト集団相手にこの量は、正直心許ない――だが、やるしかない。戒斗は一度深呼吸をしてから立ち上がり、警戒しつつ十階フロアから階段に出る。一応上にも注意を払いつつ、極力足音を立てないように下へと下りて行く。
<――ユージ、聞こえるか>
……敵の通信だ。戒斗は左耳のイヤホンから聞こえる声に耳を傾ける。
<ええ。聞こえますよ。こっちは異常なしです>
<監視カメラを復旧させろ。侵入者が紛れ込んでる>
「こりゃ少々マズいかもわからんね……」
戒斗は無意識下で歩みを速める。監視カメラを復旧されてしまっては、こちらの戦術的優位どころか圧倒的不利に陥ってしまう。
<了解。ですが、電源の復旧やら起動時間やらあるんで十分ぐらいはかかりますよ>
<構わん。出来るだけ急げ>
タイムリミットは、十分。それまでに監視カメラを抑えなければならない。確かカメラモニタのある警備員室は……
「一階、か」
受付カウンターの奥だった筈だ。受付といえば、あそこに居た社員は無事だろうか? 名前は覚えていないが。とにかく殺されていないことを祈るしかない。
「居たぞッ!」
「――ッ」
丁度踊り場に出た所で、敵と鉢合わせしてしまった。距離は数m。戒斗は思考よりも速く、半ば条件反射で下げていた銃口を向け、躊躇なく引き金を引き絞る。階段の上下を激しく反響する、雷鳴のような発砲音。空薬莢が床に跳ね、5.56mm弾が飛翔する。片手でスコーピオンVz61短機関銃を構え、無線機に呼びかけようとした敵は永遠に声を発することは無かった。胸の防弾プレートキャリアに三発命中。セラミックプレートとケブラー繊維の複合構造で何とか弾の貫通を食い止めたが、着弾の衝撃で肋骨がへし折られる。最後の一発は運悪く、眉間に命中。突入したフルメタル・ジャケット弾は頭蓋の内部を掻き回し、脳の機能を完全に停止させた。崩れ落ちる敵を気に留めることなく、戒斗は走る。階段という開放的な空間で発砲してしまった以上、敵が集まってくるのも時間の問題だ。その前に、脱出しなければ。
「こっちだ! 上から銃声がしたぞ!」
下から駆け上る、数人の足音。少なく見積もっても三人は居るだろう――咄嗟の判断で戒斗は七階フロアに飛び込み、床を転がって反転、たった今閉めた扉へと銃口を向ける。十秒ほど経ってから、扉の向こうを駆けていく足音が聞こえた。それは遠ざかっていく。どうやらなんとか回避は出来たようだ。しかし、こうなった以上暫くの間は階段は危険。
「敢えて、ね」
戒斗はおもむろにエレベーターホールへと歩み寄り、『下へ』ボタンを押した。階段に注意が集まるのは、死体発見から少しの時間も考慮して大体二分前後。その間、エレベータの危険性は若干ながら下がる。今の内だった。早く来い、と戒斗は内心急かす。
そしてエレベータはすぐに到着した。チーン、とベルを鳴らし開く扉に一応警戒するも、内部に敵の姿は無い。そそくさと乗り込んで、パネルの一階ボタンを押してから扉を閉じた。浮き上がるような感覚。ゆっくりと下降するエレベータ。しかしそれは唐突に止まる。三階フロアで――止まった。誰かが、呼び寄せたのだ。下へと向かうエレベータを。
(まずい……!)
冷や汗が滲む。咄嗟の判断で取り回しの悪いM4A1と邪魔なボストンバッグを床に降ろし、戒斗は扉ギリギリに張り付いて警戒する。右手はポケットからSW1911を。左手は足首からニムラバス・ナイフをそれぞれ取り出し握り締める。手汗が滲む。敵の数は分からない。四人以上なら確実に終わる。この局面を無事に乗り切るかどうかは、賭けに近かった。それも、かなり分の悪い。
そして下降は止まり、扉がゆっくりと開いた。戒斗は扉が開くと共に飛び出す。敵の数は――二人。一人は扉の目の前。もう一人は一歩半ぐらい引いた位置に立っていた。どうやら悪運が勝ったらしい。
「きっ、貴様――」
有無を言わさず、戒斗は奥の敵へと片手でSW1911を乱射。同時に手前の敵の脇腹を蹴り飛ばす。突然の鈍痛に悶える男の後ろで、.45口径弾を肩と脚、首に喰らった敵が血を噴き出し倒れる。ホールドオープンしたSW1911を投げ捨て、残ったもう一人を押し倒す。両腕を脚で思い切り踏みつけ抑えつつ、逆手に握ったニムラバス・ナイフの切っ先を体重を乗せ喉元に突き刺す。肉を裂き、食道と気道を貫き、穴を穿つ。すぐに腕を引き、戻した刃を今度は首筋にあてがい躊躇なく引く。皮と肉が裂け、同時に動脈も真っ二つ。鮮血が勢いよく噴き出し、壁面を汚す。完全に絶命していた。
「ハァ、ハァ……」
上がる息を整え、ニムラバスの刀身を死体の衣服で拭い鞘に納める。使えそうな装備が無いか検めておきたかったが、そんな暇は無い。すぐにエレベータに戻り、ボストンバッグとM4A1を回収し、バッグの中から予備の自動拳銃、ブローニング・ハイパワーをポケットに突っ込んで戒斗はエレベータで再度、一階へと向かう。
まただ、と黒い髭を蓄えた英国人の男、ティムは伏せ撃ち姿勢で覗くスコープ越しに一瞬見えた閃光を見て思った。しかし、ボスの命令が無い以上、撃つことは許されない。
「標的が目の前に居て、撃てないとはね」
一度スコープから目を離し、胸ポケットから煙草を一本取り出し咥える。オイルライターで先端に火を点し、芳醇な紫煙を肺へと吸い込む。本来煙草は臭いの観点から狙撃手にとってあまり好ましくないモノだが、彼は気に留めない。煙草を咥えたまま再度スコープへと目を戻す。彼が今居るのは、光川の本社ビルが一望出来る、捻じれたような見た目の高層ビルの屋上ヘリポート。吹き抜ける風は強く、短く切り揃えたティムの黒髪を激しく揺らす。この場所へは当たり前のように不法侵入の為、鍵は減音器付きの拳銃で壊して開けていた。彼が構える、リューポルドのスコープが乗せられた彼の狙撃銃は英国アキュラシー・インターナショナル社のAW――英国軍正式採用名称でL118A1という名のボルトアクション式ライフルだった。一般的には最初期型の採用名であるL96という方が知られているだろう。ティムにとって昔から使い慣れた、指先同然の銃だった。
「ボス。また殺されたぞ。今度は三階だ。そろそろ発砲許可をくれ」
<駄目だ。まだだ。どのみち監視カメラが機能すればこちらで制圧出来る。お前の力を借りるまでも無い>
一抹の期待を込めた進言だったが、無線機の向こう側に居る大将は聞き入れてくれそうにない。ティムは紫煙を吹かしながら、ある可能性を提示する。
「……もし、敵が無線機を強奪していたらどうなる」
<何?>
「十分考えられる話だ。パーティという環境下なら大っぴらにライフルやらは携行出来ん。事前に俺達の動きを察知して準備していたというのも考えにくい――それなら、もっと大勢でお出迎えがあるはずだからな。かといって拳銃だけで突破というのは厳しいだろう。出来の悪いアクション映画じゃあるまいし」
<つまり、我々の同胞から武器を鹵獲していると?>
「そうなるだろうな。何、実に合理的だ。よっぽど実戦慣れした奴だろうよ。なあ? 聞いてるんだろ」
ほぼ確実に聞き耳を立てているであろう、顔も知らぬ敵に対し挑発的な言葉を投げかけるティム。
<……となると、ユージが危ない!>
やっと気づいたか、マヌケめ――そう言ってやろうと思ったが、関係を悪くするだけだろうと思い止めた。
<ユージ! おいユージ応答しろ!>
ジョンソンが必死に呼びかけるが、反応は無い。きっともう、既に彼は――
「……ボス、発砲許可をくれ。遅かれ早かれ、奴はアンタの所に向かうだろう。――俺が、仕留める」
苦渋の決断を下したジョンソンが発砲許可を出すのを聞きもせず、ティムはL118を構え直し、弾倉装填。引きっぱなしだったボルトを押し戻し、狙撃用の高精度な7.62mm弾を薬室に装填した。
「楽しもうじゃないか」
元英陸軍特殊部隊S.A.S.の狩人は不敵な笑みを浮かべ、ゆっくりと目を覚ます。
これで、アドバンテージは完全に消え失せたわけだ――降りた先、一階エレベーターホールを足音を殺し警戒しながら歩く戒斗は、無線機から聞こえたティム、という名の敵からの挑発的な言葉に、声に出そうになった悪態を喉の奥へと押し込む。敵がどこに潜んでいるかわからない以上、無用な音を立てるわけにはいかない。一度壁に張り付き、M4A1の弾倉を一度外し弾を確認。ボルトと連動したチャージング・ハンドルを軽く引いて排莢口から少し覗く金属薬莢を見て、一応弾の装填を確認しておく。弾倉を戻し、親指で安全装置を解除。連射に合わせる――動く人間は全て敵。そうでも思っていないとこちらが殺られる。銃口を向け周囲をくまなく警戒しつつ、戒斗は進む。
「……ひでえもんだ」
受付カウンターの目の前まで歩み寄った戒斗は、凄惨な紅に塗り替わった、清潔そのものな印象だった場所を見て眉を狭めた。壁面に飛散しこびり付いている赤黒く乾いた血の跡と、一部に張り付いたままの脳漿らしきナニか。床には引きずったような太い血痕が二本、警備員室の閉まった扉まで続いている。恐らくはあの向こうに、受付係二人の遺体があるのだろう。別段深い関係でも無いが、無関係な人間の死体というのは流石に戒斗とて堪えるものがある。憂鬱な心境を押し殺し、戒斗は意を決してカウンターを飛び越え、警備員室のドアのノブにそっと手を触れた。キィ……と少し軋んだ音を立てて開く金属のドア。開いた隙間から中の様子を窺うと、日本人らしきアジア系の男が一人、パイプ椅子に座って、監視カメラの捉えた映像が映し出されるであろう複数のモニタと睨めっこしていた。彼に警戒心は無く、ゆったり珈琲まで啜っている始末だ。恐らく彼が、無線で言っていたユージとやらなのだろう。一度息を整え、戒斗は勢いよく扉を開く。
「なッ……!? もう来やがったか!」
敵は慌てて珈琲の入った紙コップを落とし、椅子に立て掛けてあった89式小銃を手に取って構える。が、そこまでだった。正確な狙いで戒斗は一発、ユージという名の彼の右肩を抉る。89式を取り落とし、痛みに悶えるユージ。戒斗は続けざまに二発、脇腹と右脚に5.56mm弾を叩き込んで無力化した。床に倒れ伏しながらも左手でナイフを抜こうとするユージだったが、戒斗はそれを見逃さず左腕を蹴飛ばし踏みつけ、拘束。彼の眉間にM4A1の銃口を向けて冷徹な口調で問うた。「テメェらの目的、構成人数、装備、脱出までの段取り全て話せ」。
「誰が喋ってやるか……」
あくまでも黙秘を貫く姿勢のユージに対し、戒斗はM4A1を持ち替えると右手でハイパワーを抜き、無表情のまま引き金を引き、左肩を抉る。痛みに短く喘ぐユージ。
「無駄弾は使いたくないんでな。次は眉間だ。分かったな」
ハイパワーをポケットに戻し、持ち直したM4A1を向ける戒斗。
「わ、分かった、分かったよ……知ってることは話す。だから殺すな。俺は現地ガイドで雇われただけだ、な?」
「本当か」
「ああ本当だとも。全て話すよ……最も、俺が知っていることは限られているがな」
それからユージは聞いてもいないのにペラペラと話し始めた。自分が日本の現地協力者として金で雇われたこと、敵の数が二十人近くて、自分は脱出の手筈までは知らされていないこと。それと――彼ら『黒い鳥』が、”方舟”に対し敵対行動を取る為に活動していること。
「これで全部だ、全部話した。だから殺さないでくれ、な?」
愛想笑いを浮かべてユージは言う。その直後、無線機から声が響く。<ユージ、監視カメラは復旧できたか!?>
無線機の声を聞いて振り向くと、何も映っていなかった筈のモニタに、いつの間にかビルの各監視カメラからの白黒映像が映し出されていた。戒斗はユージを元のパイプ椅子に座らせ、無線機に問題なしと言え、と脅し強要する。それに素直に従い、報告するユージ。
<そうか。もうすぐそっちに増援が行く。もう安心だ>
チッ、と戒斗の舌打ち。一刻も早くここから立ち去らねば、敵が大挙して押し寄せてくる。しかし監視カメラとこの男を放っておくわけにはいかない……焦る戒斗の視界内に、一つの日用品が入る。茶色いロール状のそれは、ガムテープだった。
「――ちょっと眠ってろ」
戒斗のその言葉を最後に、ユージは銃床で殴られ、意識は闇の中へと堕ちていった。
「おいユージ! 無事か!?」
AK-102と防弾プレートキャリアで完全武装した五人の男達が、一斉に警備員室へとなだれ込む。先頭に立って指揮を執っていた、頬の切り傷が目立つ黒髪の日系の男はユージの姿を見つけると、彼に駆け寄った。酷い有様だった。パイプ椅子に座らされた彼は後ろ手に縛られ、両脚は椅子の脚に、身体はグルグル巻きにガムテープで拘束されていた。顔には複数の殴打された跡があり、両肩と脇腹、右脚には銃創と思しき傷から血を垂れ流している。口も喋れないようにガムテープが巻き付けられていた。
「酷えもんだ……大丈夫だ。もう安心しろ。すぐに応急処置してやるから」
男は近付き、AK-102を床に置くと口のガムテープを剥がしてやった。すると、血の気の引いた真っ青な顔のユージは叫ぶ。「逃げろ、これは罠だ!」と。
「何? 一体どういうことだユージ。説明しろ」
「だから罠だって言ってるだろ! 俺はいいからさっさと逃げろ! でないとアンタらまで――」
瞬間、轟音が響いた。
「……爆発?」
その轟音と衝撃は、二十階の多目的ホールで未だ人質になっていた遥の耳にも届いていた。ビル全体が揺れる。悲鳴を上げる人質達に、怒号を叫ぶ残った敵達。どちらも平常心を欠いていたが、その中で遥と昴の二人だけは冷静だった。
「どうやら、戦部くんが動き出したようだね」
危機的状況にも関わらず、どこか楽しげな口調の昴。彼女は一言、遥に「そろそろ私達も動こうか」と耳打ちすると、唐突に立ち上がって手近な敵に告げた。
「あー君、ちょっといいかな」
どこか間の抜けた昴の声に、「なんだ、今は忙しいんだ大人しく座ってろッ!」と怒声を浴びせる敵の男は、金髪の白人だった。
「まあまあそうカッカしないでくれたまえよ。私の姪がどうしてもトイレに行きたいってんでね。行かせてやって欲しいんだが」
昴は遥の手を引いて立ち上がらせる。唐突な行動に戸惑う遥だったが、昴が横目でウィンクすると彼女の思惑を何となくだが察した。
「チッ……分かったよ。下手な行動取られても困るから一応アンタにも付いてきてもらう」
「はいはい」
「ったくよ……おいジャクソン! ちょっと着いて来い! ハリーはここで人質共を見張ってろ!」
合流してきたジャクソンという名の黒髪の白人に遥が連れられ、トイレへと向かう。その後ろを、MP5A5短機関銃の銃口を突き立てながらも飄々とした態度で歩く昴。
「お前はここで止まれ」
「はいはい」
女子トイレの目の前で昴は立ち止まらされ、ジャクソンに連れられ入っていく遥の後ろ姿を見送る。
「お前は手を挙げてろ。両手をだ」
「分かった分かった。注文が多いことで」
胸の前に銃口を突き付けられながらも表情一つ変えない昴は、指示通り両手を上げた。
一方トイレの中では、一応警戒してかジャクソンが着いて来ていた。
「何で俺がこんなことしなけりゃならないんだ畜生……ホラ、早く済ませてこい」
悪態を吐くジャクソンに促されて遥は個室の扉を開ける。
「お手数おかけします」
「わーったわーった。さっさと行ってこい」
「……いえ、それは少し違います」
瞬間、怪訝そうな表情を浮かべたジャクソンは倒れた。胸を袈裟に深く抉られ、血を噴き出し。
「――逝くのは、貴方です」
振り向きざまに左手でジャケットの下から隠し持っていた短刀型高周波ブレード『十二式超振動刀・甲”不知火”』を逆手に抜き、遥が斬って捨てたのだった。
「なんだ!? どうしたジャクソン!」
銃口を突き付けていた男の視線が、突然聞こえた倒れ伏す音に戸惑い逸れる。その瞬間を、昴は見逃さなかった。右手をクイッと少しだけ操作すると、白衣の右腕の裾からバネ仕掛けで小型自動拳銃――シグ・ザウエルP230自動拳銃が飛び出してくる。その細く小さいグリップを握り、昴は腕を下ろして片手でP230の銃口を男のこめかみへと突きつけた。勿論、敵の射線からは少し身をずらして。
「形成逆転、かな?」
「このアマ……!」
戒斗から万が一に、と事前に言われて仕込んでおいた仕掛けだったが、意外にも役に立ったようだ。昔のアクション映画が発想の元だというが、中々どうして便利なモノで。右腕だけ重いのが鬱陶しくて仕方なかったが、いざこうして非常事態になればかなり有用だ。なにせ構えるまでに隙がない。
「ああ、そういえばこうしなきゃいけないんだったね」
昴は今気付いたようにスライドを操作、初弾を送り込む。つまり今までは発砲不能状態だったというわけだ。その動作を見てしまった男は「舐めやがって……!」と怒りを露わにする。
「ま、そういうことだね。それじゃあさようなら」
躊躇なく、引き金を引いた。乾いた発砲音。MP5を取り落し、崩れ落ちる男の姿。しかし昴は表情を変えず。ただつまらなさそうに男の姿を眺めるだけ。
「何だ!?」
「おっと。まだ居たんだったね」
発砲音を聞いた残った敵の怒号が響く。どうしたものかと思案する昴の前に、短刀を収めた遥が駆け寄る。
「……ご無事で」
「ああ。戦部くんの仕掛けが役に立ったよ」
死体からMP5を回収し、遥は昴を庇うように前に立つ。一度弾倉内の残弾を確認してから、引き切ったまま切り欠きで固定され、薬室を解放状態にしていたコッキング・ハンドルを弾いて初弾装填。連射に合わせ構える。
「何の騒ぎだ!?」
駆け寄る敵の姿が通路の角から現れる――遥は無言で引き金を絞る。殺到する9mmルガー弾はある程度が防弾プレートキャリアに阻まれるが、胴体との間に空いた隙間から侵入。肉を裂き人体に突入し、黒人の敵の内臓器官を破壊する。
「なん……だと……ッ!?」
断末魔に近い声だった。負傷の痛みと衝撃で倒れる黒人の男。遥は素早く通路の角近くの壁に張り付きつつ、一発、至近距離から男の頭に9mmルガー弾を撃ち込み絶命させた。角から少し顔を出し、敵情偵察――残り数は二名。それぞれAK-102とF2000突撃銃を所持。それぞれ臨戦態勢を取っていた。
「さて、こうなってしまった以上、戦う他ないようだね?」
遥の後ろに歩み寄った昴がP230を渡そうとするが、遥は「自分の身を守ってください」とそれを拒む。
MP5を左手に持ち替え、半身を乗り出し残った全弾を掃射。しかし当たりはせず、敵二人は柱や倒したテーブルなど手近な遮蔽物に身を隠す。
「今の内に! 早くこっちへ!!」
残弾の尽きたMP5を投げ捨て、人質に向かって叫ぶ遥。人質達は最初戸惑ったようだったが、一人が立ち上がるとワッと波のように我先にと大挙して押しかけてきた。
「はいはーい。押さないで押さないで。とりあえず適当な所に隠れててね」
その群衆を間の抜けた声で遮蔽物へと誘導するの昴を横目に、遥はジャケットの下、脇に装着した身体に張り付くような薄身のショルダーホルスターから.40口径の米国製自動拳銃、スプリングフィールドXDM-40を抜き放つ。慣れた手付きでスライドを左手で掴み素早く前後させ、初弾装填。
「おやおや。忍者が拳銃とはねぇ」
遥の持つXDMを眺め、昴が皮肉めいた口調で呟く。
「……拳銃はいわば、現代の手裏剣ですよ。忍者だっていつまでも時代錯誤はしてられないってことです」
「成程ねぇ。ところで、あの厳つい連中がこっち見てるけどいいのかな……ッ!」
敵が様子を窺っているのに気付き、昴は身を乗り出しP230を当てずっぽうに一発発砲。天井に命中し、慄いた敵二人は今一度身を隠さざるを得なくなる。
「人質達は私に任せてくれ。一応撃つぐらいのことは出来るさ――それよりも君は、彼らをさっさと始末してくれると助かる」
「……御意」
この場は昴に任せ、遥は意を決し走り出す。片手でXDMを掃射しながら、地を蹴る。遮蔽物から、また遮蔽物へ。ジリジリと距離を詰めていく。三つ目に飛び込んだテーブルの陰で、残弾の少ない弾倉を左太腿、スカートの下のポーチに戻し、フル装填の弾倉に予め交換しておく。そして今一度、飛び出す。敵の反撃をジグザグに走り抜け回避し、床を蹴り、壁を蹴ってその懐へと飛び込む。
「コイツ本当に人間かッ!?」
遥の軽快な動きに驚きつつも、敵は反撃の手を緩めない。しかし、その手に持ったAK-102は唐突に弾を吐き出さなくなった――弾切れだ。
「――さよなら、です」
懐に飛び込み、腹に三発、.40口径弾を叩き込む遥。ダメ押しにとジャケットを翻し左手で『十二式超振動刀・甲”不知火”』を抜刀。首元を一閃し、斬り捨てる。邪魔になった死体を蹴り飛ばし、遥は更に駆ける。
「な、なんなんだコイツ……! 来るな、来るなァッ!!」
意味不明な動きの敵に翻弄された仲間が一瞬で殺された光景を見てしまったもう一人は恐れ、ベルギー製のブルパップ式突撃銃、F2000を連射で滅茶苦茶に撒き散らす。しかし狙いもしない弾が当たる訳も無く。距離を詰めた遥の一閃によって、その首と胴体を別離させ即死した。
遠くから響く、乾いた一人分の拍手。昴だった。「いやーははは。凄いねぇ忍者ってのは。予想以上だ。あんな動きが生身の人間に出来るなんてどうかしてるよ」と、いつも通りのニヒルな笑みを浮かべて言う。
「……急ぎましょう。こうなってしまった以上、一刻も早く戒斗と合流する必要がある」
「そうだねぇ。って言っても、彼がどこにいるのか皆目見当がつかないが」
昴がそう言った瞬間、エレベーターホールからチーン、とベルの音が聞こえる。何者かが、騒ぎを聞きつけてエレベータで駆け付けた……? その可能性を閃いた瞬間、遥の身体は思考よりも速く動いていた。一気に駆け抜け、開かれる扉の前へXDMの銃口を向け、同時に短刀を構える。そして、扉が開かれる――
二十階で行動を起こし、遥が見張りの敵を全滅させた十五分ほど前。丁度爆発でビルが揺れたその時、地下一階で息を潜めていた戒斗にもその轟音は聞こえていた。彼はその正体を知っている。他でもない、彼自身が仕掛けた罠が爆発した音だったのだから。
「上手くいってるといいが」
戒斗はあのユージとかいう敵を気絶させ、その身体をたまたまあったガムテープで縛りつけた。その作業が終わった時、ふとボストンバッグの中にC4爆薬があったのを思い出した彼は、五分にセットした時限信管を取り付けたC4爆薬を椅子の背もたれの裏に張りつけておいたのだった。それが丁度、今爆発したというわけだ。今頃上は大騒ぎ。警備員室は丸焼けで、監視カメラ関連の機材とユージとかいう日本人は今頃灰になっているだろう。運がよければ、彼の救援に駆けつけた敵の何人かも一緒に。
「これだけ派手な火葬だ……無事に、成仏してくれるといいがね」
警備員室で一緒に燃えたであろう、置いてあった三つの死体――恐らくは受付係二人と、警備員室に詰めていたビルの警備員だろう――を思い出し、戒斗はふと呟く。しかし、名も知らぬ死者に思いを馳せている時間は、今の戒斗には存在しない。暗い通路の中、コンクリートの壁から顔を覗かせ様子を窺う。彼が居るのは地下一階の駐車場の奥、本来は関係者以外立ち入り禁止の場所だった。恐らくはこの奥に、光川が開発したという軍事用パワードスーツがあるはず。金属の両開き扉の周りに敵の姿は無い。戒斗はM4A1を構え警戒しつつ、その扉の前へ。振り返って背後に敵が居ないことを一度確認してから、ドアノブを握る。開いていた。ゆっくりと捻り、少しだけ引いて開け、隙間から中の様子を探る。
中は蛍光灯の灯りで満たされていた。見える限り敵は三名。制圧出来ない数じゃない。ここで立ち止まっていても埒が明かないと判断し、戒斗は邪魔になりそうなボストンバッグを捨て、突入する。中は意外にも広く、奥行きも結構あった。研究室のような、白を基調とした清潔然とした内装。実験器具のようなモノや、ノートパソコンが多数部屋の隅のデスクの上に置かれている。そして何よりも目を引くのが、中央。黄色い、どこかハンガーのような印象を受けるアームから伸びるチェーンで吊るされた、三体のロボット……のように見える、恐らくはパワードスーツ。濃緑色を基調としたソレは、身長が大体2m近い。全面が広く開放されており、今すぐにでも中に人が入れそうだった。
「誰だッ!?」
派手に音を立てて突入した戒斗に気付き、それぞれの銃口を向ける敵達。中には最初に確認した三人に加え、陰に隠れて見えなかったもう一人を加え四人が居た。戒斗は無言のまま、一番手近な敵兵に5.56mm弾を連射で浴びせ排除。前方に飛び込み転がりつつ、もう一人を更に排除した時に、残弾がなくなった。しかし、遮蔽物も無く、敵までの距離が5mもないようなこの状況下で再装填をしている余裕はない。潔くM4A1を捨て、ポケットからブローニング・ハイパワーを抜き、残弾を気にせず連射する。走る敵に対し、殆どが外れたが、運よく一発が腹に命中。敵は倒れ伏す。追い打ちをかけようと試みたが、ここでスライドがホールドオープン。弾切れだった。戒斗は舌打ちをし、ハイパワーを投げ捨てて背中のホルスターから自前の回転式拳銃、S&W M686を抜き、撃鉄を起こすことなくそのまま引き金を絞り、ダブルアクションで発砲。強力な.357マグナム弾が倒れ伏す敵の背中から肉を裂き突入し、盛大に胸の奥をズタズタに引き裂く。程なくして、敵は出血多量で絶命するだろう。そう判断した戒斗は目標を移し、最後の敵へ。撃鉄を起こしながら一気に敵へと詰め寄り、構えていたUMP短機関銃を蹴り飛ばす。ガラ空きになった敵の左胸に一発、発砲。強烈な.357マグナム弾を防弾プレートキャリアはなんとか凌ぐが、着弾の衝撃に敵は息を詰まらせる。戒斗は更に敵の眉間へと狙いを合わせ、発砲。フルメタル・ジャケット弾が眉間から侵入し、頭蓋骨を粉砕。脳漿を滅茶苦茶に引き裂かれた敵はすぐに絶命した。これで、全滅か――戒斗は上がる息を整えつつ、M686のシリンダーをスイングアウト。使った空薬莢だけを摘まんで投げ捨て、新しい.357マグナム弾を左のポケットから取り出し装填。遠心力を使い片手でシリンダーを戻すと、再びホルスターへと納めた。
「これが、パワードスーツねぇ……」
一番手前に吊るされていたパワードスーツに近寄り、戒斗はまじまじとそれを観察する。もう少し不恰好なのを想像していたが、意外にもスタイリッシュだった。確かに分厚い装甲で鈍重な印象は受けるものの、想像していた程ではない。ヘルメットらしい装着具に仕込まれた一対の吊り目なカメラ・アイが、全体に引き締まった印象を与えている。そうして見ていると、戒斗はふと思いつく――コイツを奪取してしまえばいいのではないか?
「そうと決まれば、善は急げってな」
戒斗は手近に置いてあった管理用と思しきノートパソコンを操作。固定具――便宜的にハンガーと呼ぶ――を降ろし、パワードスーツの足を地面に着ける。そして、ノートパソコンの隣にあったマニュアルを手に取り、パラパラと斜め読み。今の服装のまま装備出来るかが不安だったが、どうやら何とかなりそうだ。一応専用のスーツを推奨してはいるが、通常の着衣でも問題は無いらしい。戒斗はマニュアルを閉じ、パワードスーツへと乗り込む。いや乗り込むという言い方は変かもしれないが、実際に乗り込んでいるのだ。例えるなら、人の形をした型の中へと身を埋めるような感じ。
仕込まれているピストルグリップ型のコントロールスティックを握り、操作するとスーツの装甲が閉じられる。数秒のフィッティング作業の後、被せられたヘルメットの内側に取り付けられたHUDが起動。黒い画面に『機動歩兵アーマージャケットスーツ試作弐号機”雷光”』の文字が浮かび上がり、次に外側のカメラ・アイからの映像が映し出されると共に、各種情報が一挙に視界内に展開される。
「うっひょう、コイツはすげえや。まるでSF映画みてえだ!」
やや興奮気味の戒斗は、装甲内で握っているコントロールスティックを操作。武装チェック。装備は右腕に取り付けられた、銃身の短く切り落とされたガトリング・ガン――HUDの表示によれば『M134ミニガン改』らしいモノ一挺と、左腕に取り付けられた杭打機。いや、火薬の力で杭を撃ち出す強力な近接兵装パイル・バンカー。それこそロボットアニメの世界の武装だったが、どうやらパワードスーツでは有用らしい。とにかく、それが取り付けられていた。表示によれば、そのパイル・バンカーは『PBM-01 ロンゴミアント』というらしい。アーサー王伝説に出てくる聖槍の名にあやかったのだろうか。細長いカートリッジ式弾倉に収められた炸薬は十発。こんなに要らない気はするが。その他にこれといった武装は無し。強いていえば、背中にはスーツを着用するオペレータの緊急脱出用に短機関銃、MP7が吊るしてあることぐらいか。人間の手のようなマニュピレータは無く、精々殴れるか殴れないかぐらいの装甲が張られているだけ。
戒斗はコントロールスティックで拘束具を解除し、二本の足で歩きだす。
「おおっ、意外と歩きづらい」
実際歩きづらかった。動くには動くが、普段のように軽やかではなく、どちらかといえば機械的。いや機械なのだから当たり前だが。とんでもない重量の身体を強靭な人工筋肉とサーボモーターで支えているわけだから、重いのは仕方がない。最初はのっそりとした足取りだったが、次第に戒斗も慣れてきて、すぐに歩く速度は早くなっていった。さっさとエレベーターホールに戻り、開いたエレベータの中へ。重量制限に引っかからないか不安だったが、ギリギリ問題ないらしい。左腕のパイル・バンカーでパネルの二十階行きボタンを軽く小突く。扉が閉じ、エレベータは軋みながらも、上昇を始めた。
「さて、颯爽登場で格好良く遥とイカれドクターでも救出しますかね」
ヘルメットの中で一人呟き、戒斗はエレベータが昇り切るのを待つ。そしてすぐにその瞬間は訪れた。万が一に備え、戒斗は全兵装の安全装置をオフ。身構える。
「さぁ来い!」
叫び、開く扉の向こうに見える人影へと右腕ミニガンの銃口を向ける――そして、素っ頓狂な声を上げた。
「……は? 遥?」
扉の向こうで自動拳銃と短刀を構えていた小さな人影は、紛うことなき遥の姿だった。しかし当の遥は当然であるが戒斗であることに気付かず、突然現れた巨大なパワードスーツに驚きつつも手に持った自動拳銃――スプリングフィールドXDM-40を二、三発撃つ。当たり前だが、.40口径拳銃弾程度はこの”雷光”という名のパワードスーツの装甲に掠り傷一つ与えることは出来ず。ただ弾かれるだけ。
「ちょ、ちょっと待て! 待て遥! 俺だ! 戒斗だ!」
外部マイク越しに叫ぶ戒斗の声にやっと遥は気付き、「……は? 戒斗?」と唖然とした表情を浮かべた。
「いやまあ、驚くのは分かるけどよ……端的に言えば、ここの社長が隠し持ってたパワードスーツを奪ったってことだ」
「は、はあ……映画のプロップのようにも見えますが」
「だろ? 俺も驚いたさ。でも残念だがこれは現実の兵器らしい」
「――おやおや。もしかして戦部くんかい? これはこれは随分なモノを持って帰ってきたねえ。ええ?」
エレベータから出た戒斗の元へと、目を輝かせた昴が歩み寄ってくる。装甲版をガンガンと叩き、関節部やその他諸々を興味津々といったように観察し始めた。
「すまんが観察は後にしてくれ。事態は一刻を争う」
それを止め、戒斗は神妙な口調でこれまでの経緯を話す。社長が殺されたこと、ここを襲撃したテログループが『黒い鳥』で、彼らが”方舟”と敵対していること。彼らが戒斗の奪ってきた軍事用パワードスーツと、ここの金庫に隠されている機械化兵士を狙っていること。
「……ふむ。大体事情は察せた。どうやら私が想像していたよりかなりヘビーな事態らしいね。ところで戦部くん、一つ聞きたいが」
「何だ?」
「その、ええと何ていったっけ。とにかくここを襲った奴らは”方舟”と敵対しているんだろう? 君は、彼らと手を組まないのかい?」
昴の問いかけは、至極最もな話だった。”方舟”ほど巨大な組織と敵対するのであれば、仲間は大いに越したことは無い。ましてやここまでの大事が出来るテログループだ。メリットは大きいだろう。
「……私は、戒斗の決定に従います」
暫し無言だった戒斗に、遥がそっと呟く。そして戒斗は告げた。「――俺は、奴らと友達になれそうにない」
「ほう?」
恐らく彼女にとっても意外な返答だったのだろう。昴が興味津々といったように聞き返してくる。
「コイツらはどうもいけ好かねえ。幾ら”方舟”を潰す為たぁいえ、こりゃちょっとやり過ぎだ。何より、俺と遥、あとアンタを巻き込んだのも気に食わねえ」
「へえ。君なら案外賛同するかと思ったんだがね」
「残念だが自分から進んでテロリストの仲間入りするような趣味はねえよ」
「今は凶悪逃亡犯だけどね、君は」
「それは冤罪だッ――まあこれだけ色々並べてきたが、何よりも俺は奴らのお仲間を結構な数殺した。今更はいすいませんでしたー降参します仲間に入れてくださいーなんて通じるわけねえだろ」
言って、戒斗は右腕を動かし、汗を拭おうとするがパワードスーツを着ていたのを思い出す。どうにもこのスーツの中は暑くて仕方がない。これは改良の余地があるな。後で機会があれば社長に直談判してやる――と思ったが、そういえば当の社長は既に死んでいたのだった。彼の凄惨な死に様を思い出すと、胸糞悪くなる。
「とにかく、だ。今はさっさとジョンソンとかいうクソ野郎をブチのめしに行かにゃならん。悪いが先生、アンタは車に戻って脱出準備を頼む。イザとなったらアンタの車だけが頼りだ」
「はいはい。どうせ私が居ても足手まといだものね」
「いやそういう意味じゃ」
「大丈夫さ。自覚してるよ。君達二人の足手まといにはなりたくないし、何より後ろをついて行きたくない。私の中の人間の定義がおかしくなりそうだ」
それじゃあね。と言って昴はエレベータに入っていく。戒斗は彼女に事前に手渡した無線とインカムを装着するようにだけ言って、閉じる扉を見送った。戒斗は一度パワードスーツを解放し、降りて汗を拭い、内ポケットに突っ込んでおいたインカムを左耳に差し込んでもう一度パワードスーツを装着した。遥もそれに倣い、インカムを装着。
「あー、あー。聞こえるか?」
「……はい。聞こえます」
「こっちもバッチリさ。ちなみにもう車の中だよ。退屈で仕方がない。さっさと片付けてディナーと洒落込もうじゃないか」
マイク感度は良好のようだ。濃緑色パワードスーツ”雷光”を身に纏った戒斗は遥を引き連れ、エレベータに乗り込む。目指す先は――二十四階。そろそろ金庫が破られてもおかしくない頃合いだ。目標は、機械化兵士の破壊。そして『黒い鳥』リーダー、ジョンソンを倒すこと。先端技術の粋を尽くした現代の鎧を身に纏った戒斗は向かう。この騒動に、終止符を討つ為。




