キルボックス・ヒル(前編)
社長である光川のスピーチと共にパーティが開始されてから、既に一時間が経過していた。マイクの置かれた即席の檀上の上には光川が、隣の社員が装着している新製品の医療用のパワード・スーツについて事細かな説明をしている。身体に太い金属のフレームを取り付けたような外観で、白いマット塗装の施されたフレームには義肢のモノよりも小さい専用開発の人工筋肉が内蔵されているという。つい先日死闘を繰り広げた機械化兵士のようなゴツゴツの機械機械した印象では無く、スマートな作業用ツールのような感じだった。光川が話す限り、力の要る介護や医療現場、宅配に引っ越し業者、建設現場の他、作業員の負担軽減の意味を込めて車など重機械の製造工場にも配備が予定されているという。
「悪りぃ、ちょっと離れる」
一言告げて立ち去ろうとする戒斗だったが、その背中を遥に引き留められる。
「……万が一がある。私も行きます」
「心配要らねえよ。俺を誰だと思ってんだ? それに――俺よりも、そこで飲んだくれてるイカれドクターの方がよっぽど危ない」
戒斗が言うと、遥は渋々了承したように頷き、さっきからワインをガバガバ飲んでいる昴の方へと戻っていった。それを見届けて、戒斗は談笑を楽しむ客人達の間をすり抜け、男子トイレへと向かう。さっさと用を足し、洗面所で手を洗おうと自動式の蛇口に手をかざした時――ふと、目の前の鏡に目が行った。そこに映るのは自分の、不愛想でボサボサな頭の見慣れた顔ではなく、ピシッとしたスーツを身に纏い、整えた黒髪のウィッグを被って、上半分だけフレームの無い伊達眼鏡を掛けた”自称”医学生の有澤 達也だった。最も、不愛想で目付きが悪いのは変わらないが。
「何やってんだろうな、俺は」
鑑に映る、自分であって自分でない自分に戒斗は自嘲気味に呟く。こうして逃走し続け、自分まで偽り、仮にその先で”方舟”を潰せたとして――最後の俺には、何が残る? 鏡の奥で睨み付ける不愛想な有澤 達也から目を背けず、戒斗は終わりのない思考を巡らせる。
今の自分は『復讐』というただ一つの目的の為に生き、行動している。だがそれが終わってしまえば? 浅倉を殺し、復讐という目的がスッポリと抜け落ちた後の自分に何が残っているのか? 考えるだけ無駄なことだというのは重々分かっているつもりだ。しかしそれでも、戒斗は考えることを止めない。いや、止めることが出来ない。いっそこのまま、戦部 戒斗という復讐に憑り憑かれた愚かな傭兵”黒の執行者”である自分を捨て、極々普通な一介の医学生の有澤 達也として遥と二人で生きてしまうのも良いかもしれない。戸籍やらの問題はあるが、あるいは昴ならどうにかしてくれるかもしれない――戒斗の頭をよぎった誘惑。銃を捨て、復讐と戦いから逃げてしまおうという甘い誘惑。ハッと我に返った戒斗は頭を振り、思考の外へと弾き出す。
「許されないんだよ……! 俺の両手は、とうに血で汚れちまってる……!!」
気付けば戒斗は無意識に、握り締めた左拳を壁へと叩き付けていた。鈍痛が若干の痺れと共に、左腕を伝う。張り詰めた息をゆっくりと吐き、再度、鏡の向こう側に居る有澤 達也を見据える。彼の目付きは先程よりも更に悪く、殺意に溢れたモノになっていた。
「俺はぬるま湯に浸かった有澤 達也じゃねえ……復讐に生きる愚かな傭兵”黒の執行者”だッ……!!」
鑑写しの自分へと呟いた瞬間、男子トイレの向こう、ホールから唐突に響く散発的な火薬の破裂音――銃声と、来客達の悲鳴。それを耳にした途端、戒斗の中で確実にスイッチが入れ替わった。ボタンの止まっていない前を開けたジャケットの中へと手を突っ込み、背中の革製SOBホルスターのサムブレイク式ロックを解除。回転式拳銃、S&W M686を抜き放つと同時に、男子トイレ出入り口の真横の壁へと張り付く。蛍光灯の灯り反射する、銀色のステンレス・フレームのM686。汗ばむ手に、黒いラバーグリップが張り付く。一度シリンダーを軽く振り出し、弾の確認――問題ない。シリンダー内にはきっちり、六発の.357マグナム弾が詰め込まれている。戒斗は左手で丁寧にシリンダーを戻し、開け放たれたままの男子トイレのドアから少しだけ顔を出し、ホール内の様子を窺う。中には武装した侵入者が数多く居た。社員や来客など関係なく、ホールの中央一か所にしゃがまされて集められ人質とされている。
(敵の数は十人前後。銃もバラバラ。スーツや私服の上から装備を固めてる辺り、正規軍の類では無いな……だとしたら、テロリストか?)
ホールの半分近くが死角になっている男子トイレからでも、ある程度敵の様子は探ることが出来た。敵の数は多い上、突撃銃や短機関銃で武装している。とてもじゃないが回転式拳銃一挺でどうにかなるような相手ではなかった。本来なら敵の目を掻い潜って逃げてしまうのが最も賢明な策だが――いかんせん、人質の中には昴と遥の姿もある。遥ならあるいは何とか機会を窺って自力で脱出出来るかもしれないが、ドンパチに関しては殆ど素人に近い昴じゃあそれも無理だ。
(やるしかねえってか。勘弁してくれよったくよぉ……)
戦うしかない。しかし、仕掛けるのは今ではない。敵が群れから離れた所を狙い、一人ずつ、ゲリラ的な奇襲で確実に始末していなければ――ならば、こうしてはいられない。今は人質に目が行っているとはいえ、あと少ししない内に戒斗の潜む男子トイレへも敵は必ずやってくる。そうなってしまえば一巻の終わりだ。どうにかしなければ――脱出経路を策定すべく視線を巡らせると、男子トイレのすぐ傍、ホールとは反対側に重そうなドアが一つあるのを、事前に見取り図を頭に叩き込んでおいた戒斗は思い出した。そのドアの上で光る緑色の表示看板は――
(階段か……とりあえずはこの場を離れる他ないッ)
当面の行動を組み立てた戒斗は敵の視線を窺い、男子トイレから飛び出そうとする。しかし、敵の一人、MP5A5短機関銃を携えた丸刈りのアフリカ系の黒人がこちらへと近づいて来るのが一瞬見えた。始末できないことは無いが、今このタイミングはまずい。
(一か八か、賭けるしかねえってか)
意を決し、男子トイレから飛び出す戒斗。銃口はホールの方へと向けたまま、階段へと続くドアへと駆ける。数mしか離れていなかったドアへは数歩で到達できた。片手でM686の銃口を向けたまま、左手で音を極力立てないようにドアノブへと手を掛ける。足音は近付く。
半分だけ開いたドアの隙間に戒斗が身体を滑り込ませた瞬間、遂に黒人の男は姿を現した。急いで、しかし音を立てないように重い鉄の扉を閉める。気付かれたか――? 数cmだけ開けた隙間から様子を窺うが、どうやら気付いた様子は無かった。まずは一安心だ。扉をゆっくりと閉め、戒斗はフゥと息を吐く。
「さて、とりあえず逃げたはいいが、ここからどうするか……」
警察に探知される可能性がかなり高いスマートフォンは武家屋敷に置いてきた。しかしこれといった無線機の類は無し。手持ちの武器は音の派手な回転式拳銃のM686と、弾はスピード・ローダー二つ分とバラで数十発。後はズボンの下、左足の付け根あたりに隠した波刃付きタントーブレードのニムラバス・ナイフだけ。十人以上のテロリストらしき連中を相手にするのには、あまりに心許なかった。
事前に頭に叩き込んだビルの見取り図を、戒斗は再び脳裏に思い浮かべる――今ここのパーティ会場、つまり多目的ホールは二十階。この階段は上は最上階の二十五階や屋上、下は地下一階の駐車場と配管スペースにまで続いているはずだ。下は延々社員の事務室やら、会議室その他諸々があるが、別段今向かう必要はない。上には研究施設があるが、確か電子ロックやら色々あって関係者以外は入れないはずだ。と、なると――
「……とりあえず向かってみるとすっか」
決断した戒斗は、階段を駆け上り始めた。向かう先は二十五階。社長室などのある最上階。
「人質は中央に集めろ! チャンとジェイムスは他にビルの中に残ってる奴が居ないか探せ。ボブとニコライは俺に着いて来い! 他はここで待機。別途指示があるまで人質を見張ってろ!」
時期外れなトレンチコートを羽織った白人の男、ジョンソン・マードックは声を張り上げ部下に指示を下す。四十代になり、顔にも皺が目立ち始めて来たが、アタッチメントを多数取り付けられた突撃銃SCAR-Lを携える彼の姿に衰えは見当たらなかった。
「な、何なんだ貴様達は……!」
ニコライ、と呼ばれた三十代程のロシア人の持つAK-102突撃銃の銃口を背中に押し付けられた社長、光川は震えた声でジョンソンに言い放つ。
「『黒い鳥』って名前。聞いたことぐらいあるでしょうよ。社長さん」
恐怖に怯えきった光川の顔も見ずに、ジョンソンは淡々と告げる。
「『黒い鳥』……まさか、あのテログループの『黒い鳥』か!?」
光川に聞き覚えはあった。『黒い鳥』とは確か近頃国際社会を騒がせる、目的不明の多国籍テログループだったはずだ。しかし何故、そんな連中が自分の元に……心当たりはまるで無かった。そんな光川に、ジョンソンはSCARのハンドガードを左手片手で掴み保持し、右手でトレンチコートのポケットから消音器付きの自動拳銃、ルガーMk.Ⅲを抜く。その銃口を光川の顎に抑えつけつつ、顔を彼の耳元に近づけ――呟いた。「Noah's Ark」と。
「――!?」
二つの銃口を突き付けられた光川の顔がより一層強張る。
「全部知ってるんだぜ。アンタが”方舟”のクソッタレ共と結託してることも、一般には出してない戦闘用義肢のパーツや資金の供給を行い、自分はタンマリ儲けてることも。全部ね」
冷酷なまでの口調でジョンソンはもう一言呟き、顔を話してMk.Ⅲをポケットに戻す。SCARを両手に持ち直しつつ、部下のニコライに「社長室に連れていけ」と指示し、自分も合流したアフリカ系黒人の部下、ボブと共にエレベーターホールに向かう。
「ボブ、進捗はどうだ」
「依然順調です。工作班は既に作業を終え、こちらに向かっています。ユージの方でも監視カメラのダウンを確認できました。しかし……」
丸刈り頭に丸メガネを掛けた黒人の部下、ボブが口ごもる。ジョンソンが「どうした。言ってみろ」と告げると、言いづらそうな表情で言葉を返す。
「……ユージの情報にあった来客数と、今ホール中央に集めた数がどうしても一人だけ合わないんです」
「トイレにでも隠れているんじゃないのか」
「いえ。確認しましたが、どこにも」
「名簿の中に警察官だとか自衛隊・軍関係者、もしくは傭兵の類は居ないんだな?」
「はい。学者や政府のお偉方、学生ぐらいしか」
ならば一人ぐらい泳がせておいたところで問題ないだろうと判断し、ジョンソンはそれ以上言及することなく光川を連れエレベータに乗り込む。向かう先は二十五階、社長室。
僅かな上昇感と共に昇るエレベータはすぐに到着した。エレベータを降り、木を基調とした気品のある作りの二十五階フロアを歩く三人と一人。応接間やその他諸々の部屋を横目に、真っ直ぐ歩いて辿り着いた社長室の木造両開きの扉を開け、足を踏み入れた。
社長室に入ってまず目に付くのは、正面一面に広がるガラス窓。その少し手前に社長の机と、高級そうな革張りの椅子。さらに手前には対面する二つのソファと、それを挟んだ低めの長方形のテーブルがあった。そのソファに一人、ドイツ系と思われる黒い癖毛の白人の先客が座っていた。
「よぉ、遅かったじゃねえかジョン」
猛禽類のように鋭い蒼き双眸を向ける、ジョンソンを親しげにジョン、と呼んだ男の格好は鉄火場に向かうとしか思えないような出で立ちだった。砂のようなカーキ色のカーゴパンツと、黒い薄手のTシャツの上に身に纏った仰々しい防弾プレートキャリア。カーゴパンツのベルトループに通したピストルベルトの右腰にはホルスターに突っ込まれたベレッタM92FS自動拳銃。左腰には重厚な、くの字に湾曲した刃を持つイタリア製の大型ナイフ、スペッグウォグ・ウォリアーが樹脂シースに突っ込まれていた。他にも右の太腿に樹脂シースごと巻き付けられているコールドスチールのナイフ、SRKのVG-1サンマイⅢ鋼モデルや、プレートキャリアの上から背中に背負った大型の山刀、左太腿の多目的ポーチのMOLLEシステムの隙間にはエマーソンのコンバット・カランビットが折り畳まれた状態で突っ込まれている。履いたコンバット・ブーツには刺突専用のプッシュダガーまで仕込まれていた――過剰なまでの量のナイフで武装した彼の姿は、恐ろしいを通り越して最早異質だった。
「首尾はどうだ、マイケル」
ソファに座る、マイケル・ロレンスという名の全身ナイフ男にジョンソンはまるで旧知の友のように話しかける。彼にはジョンソンが正面から入るのとほぼ同時に、二十一階より上の階層全ての制圧を命じていたのだ。それも、単独で。
「簡単すぎて面白くねえ。どいつもこいつも腑抜けばっかりだぜ。これならアフガンのクソッタレな砂漠に得物一本で放り込まれた方がまだ楽しみ甲斐があるってもんだ」
マイケルのつまらなさそうな表情とは対照的に、その顔と身に纏うプレートキャリアの一部には返り血と思われる紅い液体がこびりついていた。道理で二十五階に入った時から、微かに血の臭いが漂っていたわけだ――マイケルは特にナイフを用いての殺傷を得意とし、その時に指先から伝わる独特な感覚を最上の悦とする真正のサイコキラー。階下のパーティ会場に騒ぎを気付かせる前に制圧するとは。彼の腕は未だ錆びついていないようだ。その証拠に、ソファに立て掛けられたアタッチメントだらけの短銃身の突撃銃、M4 CQB-Rに使用感は全く無く、計画実行前に支給したままの新品同然であった。金の無駄だったかと一瞬後悔するが、備えあればなんとやら。仮にマイケルが使わなかったとしても他の奴に使わせればいいだけの話だ。
「そう言うな。これも思う存分暴れる為の下準備みたいなモノだ」
言いつつ、ジョンソンは革張りの椅子に光川を座らせると、自分はそのすぐ目の前、応接用と思われるソファにSCAR-Lを立て掛けて座った。光川の隣にはニコライが鋭い双眸と銃口を光らせ立っており、ボブはジョンソンの対面のソファに座って、ボストンバッグから取り出したノートパソコンを机の上に開く。
ジョンソンは落ち着いた様子で脚を組み、まるで商談でも始めるかのような穏やかな口調と表情で、椅子に座る光川に言い放つ。
「さて、社長さんよ。手短に言おう――”方舟”に関する全ての情報を寄越せ。提供資金から流したブツ、見返りに得た研究成果から何から何まで。全てだ」
「なっ、何を言っているんだね君は。大体”方舟”ってのは一体何なんだ? まさかこれから世界に大洪水でも起きるって言うんじゃないだろうな、馬鹿馬鹿しい」
少しの動揺を浮かべつつも、流石はここまでのし上がってきた大会社のトップは伊達ではない。逆に目の前のテロリスト達を挑発するように光川は言い返す。
「別に冗談を言っているつもりは毛頭ない。起こそうとしてるんだよ奴らは。大洪水をな――”方舟”のイカれたクソ野郎共は」
淡々と、しかし微かに殺気の籠った声で言うジョンソン。三井はたじろぎつつも、「事実無根だ。私はそんなよく分からない関わりは一切ない。さっさと人質を解放したまえ」と毅然とした口調で言い放つ。
「でもある程度の裏は取れてるんですよねぇ。オタクらが裏で軍事用のパワードスーツの開発を請け負ってるって噂も」
机の上の赤色のラップトップから目を放さずに、気の抜けた口調でボブは言う。続けて彼は「ちなみに、地下の隠し倉庫なら既に破る準備に取り掛かってますよ」と付け加えた。光川は言葉に詰まり、汗が頬を伝う。
「そういうことだ社長さんよ。確かアンタには息子が居たよなぁ? 十歳に届くか届かないかぐらいの、可愛い坊ちゃんが」
研ぎ澄まされた刃のように鋭いジョンソンの一言が、光川の膝を折った。彼は溜息と共に「……何が望みだ?」と苦虫を噛み潰したような表情で呟く。
「さっきも言った通り、”方舟”に関わる全て。それとアンタの隠し金と、隠してる軍事用パワードスーツの試作品を頂きたい。それと」
「それと?」
「――二十四階。研究室の最奥にあるアンタのバカみたいに頑丈な隠し金庫のパスワード」
「馬鹿なッ! アレを渡せるわけがないだろう!!」
怒声を発した光川が立ち上がろうとするのを、ニコライが銃口を用いての無言の威嚇で抑える。
「それならそれでいいさ。アンタの坊ちゃんが不慮の事故に逢わないよう祈ってるぜ」
詰めの一言。『黒い鳥』を創り上げる上で渡ってきた数々の修羅場が、ジョンソンに託した話術だった。光川は目を虚ろにしつつ「……大体、アレのパスワードは私とて半分しか知らないのだよ」と諦めたように呟く。
「何?」
想定外の事態にジョンソンは聞き返す。
「だから、アレは半分しか知らんのだよ――確かに私は”方舟”と繋がりがあるさ。それは認めよう。彼らのボスか幹部かは知らないが、それが来た時にだけ始めて開けられる。私だけではどうしようもない」
息子の命を選んだ光川は全てを諦めた口で、別に聞いてもいないことを洗いざらい話し始めた。彼以外の四人は黙ってそれに耳を傾ける。
「中には人が……いや、人ですら無いかもしれない。パワードスーツなんて生易しいもんじゃない。全身の殆どを機械で置き換えられた人間が、その中には居る。私自身、彼が動く姿を見たことは無いが――いや見たくもない」
「全身の殆どを機械で置き換えた……まさか」
何かに感づいたジョンソンの一言に、その場にいた『黒い鳥』の面々一同が頷く。ボブは恐る恐る口を開き「……”機械化兵士”でしょうね」と呟いた。
「なぁオイ社長さんよ。その金庫の中の人間は、未起動なんだな?」
立ち上がり、ジョンソンは問う。それに対し光川は虚ろな目のままで頷いた。
「ボブ、アレのプログラム、お前なら弄れるか?」
「確証はありませんが――賭けてみる価値はありますよ、ボス」
ボブが丸メガネをクイッと指で持ち上げ、不敵な笑みを浮かべる。
「よし社長。今すぐ教えろ、パスワードを」
「ああもう好きにしろ……息子さえ助けてくれるなら、パスワードでも何でも持っていけ……だが『黒い鳥』の諸君。一応警告しておくが、アレには関わらない方がいい……アレは異常だ。それに金庫は破れんよ。何せ物理ロック七層、電子ロック二層だからな」
ハハハ、と乾いた笑いを放ちながら、パスワードを走り書きしたメモ用紙をジョンソンに手渡すと光川が言った。
「ウチのボブを舐めてもらっちゃ困る。パスワードは半分もあれば十分だ」
そのメモ用紙を光川の手から引っ手繰り、ボブに手渡すとジョンソンは無線機を手に取る。
「親鳥より子供達へ。思わぬプレゼントだ。プランBに変更。繰り返す。プランBに変更だ」
「オイオイ……冗談キツイぜ」
彼らの会話を社長室の外、半分だけ開け放たれたドアの死角になる位置で膝立ちになり聞き耳を立てていた戒斗は、敵に聞こえないぐらいの声で呟いた。光川が”方舟”と結託しているまでは予測できていたが、軍事用パワードスーツの開発。その上機械化兵士まで隠しているとなれば――事態は益々悪化する一方だった。このままどちらか一方でも奴らテロリストの手に渡ってしまえば、戒斗の不利は絶対的なモノになる。
『黒い鳥』とかいうテログループの名には戒斗とて聞き覚えがあった。一年ぐらい前から国際社会を騒がせているテログループの一つだ。狙う場所は定番の銀行から大企業。果ては街外れの錆びれた小工場まで。襲撃場所に何一つ整合性が無い為組織の実態が掴めずいたが――まさか、”方舟”に関わっていたとは。それもどうやら、宗教上やら信条やらの理由で集まった連中ではないようだった。一応全員英語を話しているが、アメリカ西部訛りや正当なブリティッシュ英語、酷いロシア訛りまで様々。どうようにメンバーの人種は多種多様で、ここから覗き見る限りでもアメリカ人、ドイツ系、ロシア人、アフリカ系の黒人とバラバラ。ホール内にはアジア人の姿もあったように思える。
(さて……どうするか)
敵が動き出しそうである以上、ここに長居する理由は無い。目下の目的は三つ。一つは敵戦力の殲滅、及び人質の解放。もう一つは、光川が隠しているとされる軍事用パワードスーツの奪取あるいは破壊。最後は――二十四階金庫内の機械化兵士を破壊すること。しかし現状の武装だと敵の殲滅は厳しい。機械化兵士の隠されている金庫も、聞く限りでは奴ら『黒い鳥』に破らせた方が早そうだ。だとすれば、優先すべき目標は――
(パワードスーツの奪取か。確か地下一階のどこか……クソッ、ここからだと遠すぎる)
しかし、行く他ない。この場を離れようと立ち上がり――何かを思い切り、踵で踏んづけてしまった。カランカランと派手な音を立てて転がるソレは、いつの間にやらしゃがむ戒斗の足元に転がって来ていたらしいコーラの空き缶。
「誰だ!」
(しまった、気づかれたか!)
敵との距離は僅か数m。数は四人。丸腰同前の現状ではどう楽観的に見積もっても勝ち目は無い。どこか、どこかに逃走ルートはッ……!
十五秒もしない内に社長室のドアが内側から蹴り飛ばされ、四人のテロリスト達が血相を変えて飛び出してくる。
「どこだッ!」
SCAR-Lを手に、叫ぶジョンソン。その周囲を隙間なく警戒するボブとニコライの姿。後からゆっくりとした足取りで出てくるマイケル――左手で首根っこを掴んだ光川を引きずって。
「クソッタレ。今の聞かれたか!?」
「ええ。確実に聞かれたでしょうね――そして、今もどこかで聞き耳を立てている」
焦るジョンソンに、ロシア系の長身痩躯の白人、ニコライはロシア訛りの強い英語で冷静に状況を告げる。
「聞いてるってのかぁ? だったらよジョン。こうすりゃ簡単だろ」
悪魔のような笑みを浮かべ、マイケルは光川の身体を引き寄せ、その首を後ろから筋肉質な腕でホールドする。そして右太腿の樹脂シースから無駄のない動きで抜刀したSRKナイフの鏡のような刃を、ホールドした首筋に軽く押し当てる。光川は眼前に迫る死に「ヒッ」と声にならない悲鳴を上げた。
「よぉ、何処のドイツか知らねえがよぉ、早くそのツラ見せねえとこのクソッタレ社長が死んじまうぞぉ?」
少しだけ刃を引く。三重構造の鋼を研ぎ澄ました刃が光川の少し老いた薄皮を容易く斬り、そこから少量の血が滴る。「や、やめてくれ! お願いだ助けて! 殺さないでくれぇ!!」懇願する光川。
「後五秒だけ待ってやる! さっさと出てきなァ!!」
五、四、三……迫る死へのカウントダウン。
「あーあ。また始まったよマイケルの悪い癖。どうしますボス?」
呆れかえった表情のボブに、ジョンソンは「仕方ない。こうなった以上やらせる他無いだろう。情報も既に吐かせた後だし問題は無い」と同じく呆れかえった顔で言った。
「親鳥から子供達へ。鼠が一匹紛れ込んでいるようだ。チャンとジェイムスはホールから離れて、ソイツを探し出せ」
マイケルは無線機に向かって侵入者の捜索を指示し、他の二人同様返り血が掛からぬ位置で遠巻きにマイケルを眺める。
「二! 一! ……出てこねえな。出てこねえなら仕方ねえよなァ?」
カウントを終え、待ってましたと言わんばかりにマイケルは嗤い、光川の背中を蹴り飛ばす。壁に激突した光川は壁にもたれ掛かって尻餅をつき鼻から血を垂らしながら「やめろ! やめろ殺さないでくれ! 頼む! 金なら幾らでもやるから!!」と必死に命乞いの言葉を叫び散らかす。彼の恐怖に歪んだ顔を見たマイケルは――嗤っていた。これ以上ないほど嬉しそうに、恍惚そうに嗤っていた。
「ああ、テメェのその面たまんねぇぜ……もっと歌ってくれよ、楽しませてくれよ!」
狂気に満ちた顔でマイケルは、右手のSRKを逆手に持ち替えて光川の太腿へと叩き付けるように突き刺す。敢えて致死の動脈から少し外された場所を裂かれた痛みに、激痛という域を通り過ぎ、声すら上げられずに悶絶する光川。
「ハハハハ! たまんねぇ、たまんねぇよ!!」
高笑いを上げるマイケルは即座に両脚のコンバット・ブーツから二本のプッシュダガーを抜き、光川の履く高級そうな革靴に躊躇なく突き立てた。黒い本革を容易に貫き、貫徹に特化した小さな刃は足の甲、表皮に到達。肉を裂き、血管を断裂させ骨と骨の隙間を縫い、両足を貫いて靴底に突き刺さった。光川はもう声を発することすら出来ず、顔を涙と鼻水交じりの鼻血でぐちゃぐちゃに汚し苦悶の表情で悶え苦しむのみ。
「もっとだよ! もっと見せてくれよ!!」
プッシュダガーから手を放し、左腰のシースに刺さる、重く、ククリのように湾曲した刃のイタリア製大型ナイフ、スペックウォグ・ウォリアーをマイケルは右手で順手に引き抜き、開いた左手で光川の首根っこを死なない程度に掴んで力任せに引っ張り上げる。
「へへへ……まだくたばんじゃねぇぞ……そぉらよっ!!」
光川の涙で汚れきった瞳に、嗤うマイケルの顔はまさに死神か悪魔かに見えたであろう。いっそ殺してくれという懇願が顔中に浮かんでいるようにも見えた。しかしその表情も、マイケルにとっては何よりも得難い悦である。スペックウォグ・ウォリアーを左の肩甲骨に叩き付け粉砕骨折。ついでに左腕の健を手早く切断し、最後に頭突きを食らわして鼻骨をへし折った。掴んでいた首根っこを投げ飛ばし、背中から光川は床に叩きつけられた。
「……も、もう……殺……」
「あァン? 聞こえねえなァ!?」
光川がやっとの思いで発した懇願さえ、マイケルは意に介さない。次は何をしてやろうか――ほくそ笑んでいた時に後ろからジョンソンに肩を掴まれ「時間がない。その辺にしておけ」と言われてしまった。
「オイオイ冗談よしてくれよジョン。これからが楽しいところなのによォ」
「時間をかけ過ぎだマイケル。奴は恐らくもうここには居ないだろう――それに、やりすぎだ。幾ら久々だからってはしゃぎ過ぎたんじゃないのか、お前らしくも無い。もう瀕死だぞ」
ジョンソンに言われ、初めてマイケルは気が付いた――確かに光川は、もう既に息絶え絶え。後数分の命のような状態だった。
「あー、みてえだなクソッ。俺としたことがドジっちまったぜ」
興醒めだった。マイケルは飽きたようにスペックウォグ・ウォリアーを左腰のシースへと納め、刺したままのSRKナイフとプッシュダガーも回収する。そして最後に光川の首根っこを掴み、再び社長室へと引きずっていく――後ろには、床にこびり付いた、川のようにも見える夥しい量の赤黒い血の跡。
光川を再び革の椅子へと座らせ、マイケルは背中から、長い刀身の山刀を抜き放った。森の中で草木を薙ぎ払い道を切り開く為のソレは先が通常のナイフのように尖ってはおらず、寧ろ丸かった。プッシュダガーとは逆に、薙ぐことに特化した刃物と言えようか。
「アバよ社長。少しドジっちまったがまあ、楽しかったぜ」
まるで友に話しかけるような穏やかな口調で息絶え絶え、焦点の合っていない虚ろな目の光川に言った後、マイケルは山刀を振りかぶり――その首を、刎ね飛ばした。宙を舞い、そしてゴロンと重い音を立てて絨毯の床に落ちたのは、光川だった。首だけの。
胴体側の切断面、動脈及び静脈から勢いよく鮮血が噴水のように吹き出し、天井を、床を、壁を、ガラス窓を、そしてマイケル自身をも汚していく。降り注ぐ血のシャワーを浴びるマイケルは――やはり、嗤っていた。
テロリスト四人が立ち去っていくのを確認し、戒斗はゆっくりと扉を開け、外へと出た――掃除器具庫と思われる、ロッカーから。
「ここまで飛んできてるのかよ……」
返り血で一部が赤い斑点に塗り直されているロッカーの扉をゆっくりと締めつつ、戒斗は呟いた。そして警戒しつつ、社長室の中へと足を踏み入れる――漂うのは、吐き気がする程に濃い、むせ返るような死臭。
「おいおい……ここまでやるかよ。普通じゃねえ」
数多の死線を潜り抜けてきた戒斗でも、嫌悪感を抱く光景だった。まず部屋に入って真っ先に抱く視覚的印象は『血』。部屋中が血で染まっていたのだ。壁も、床も、天井も、高級そうな調度品も全て。窓ガラスに至っては半分以上が血で染まってよく見えない。
社長の亡骸らしきスーツを着た肉塊の鎮座する社長専用の椅子へと歩み寄り、そこにあった物質を目撃した戒斗は「クソッタレ……」と呟き、眉を狭めた。座らされていたのは確かに社長の、光川の骸だ。しかしあるべき首から上は存在せず、彼の人当たりの良さそうな上品な顔は――あった。亡骸の、両腕の中に。
「趣味の悪りいことだ……畜生」
しかし、今は死者を弔う時間も、遺された彼の遺族を想う暇も無い。戒斗は無言で血みどろの社長室から立ち去り、エレベーターホールの近くへ。地下一階と目的地の場所が場所なだけに、エレベータを使ってしまおうと一瞬考えた。だがそれではまずい。この状況下でエレベータを使う人間は、あの『黒い鳥』とかいうテロリスト達か戒斗ぐらい。と、いうことは……
「運が良くて居場所がバレる。悪けりゃ囲まれてあの世生きだろうな」
かなりの距離だが、素直に階段を使うことにした。慎重な足取りで、今度は逆に下へ下へと下っていく。二十五階と一階分降りるのは相当骨が折れるが、見つかって死ぬよりは幾分かマシだった。
二十四階付近は特に慎重に降り、二十階のパーティ会場を過ぎて十八階の入り口が見えた時、戒斗の耳は足音を捉えた。数は――二人、いや一人か? どちらにせよ、片方はあまりにも無警戒な素人丸出しの足音。戒斗は十八階へと飛び込んだ。内部は電気が灯されていない為暗く、社員が居ないのは一目瞭然だった。どうやらこの階層は、一般社員の仕事場らしい事務所だった。数にして百人前後だろうか? 対面合わせのデスクが横並びに十数個、四列に渡って並べられている。その前方、窓際付近には管理職用のデスクがそれら並べられた社員のデスクを眺めるように独立して幾つか置かれていた。コピー機やその他諸々もある、ただ広いだけの極々一般的な事務所だった。
「――は二十一階。お前は十八階を探せ」
クソッタレ。よりにもよってここに来やがるか。
戒斗は事務所の中を駆け抜け、とりあえず最奥の『課長』と書かれた札の置かれたデスクの裏へとしゃがみ隠れる。背中の革製ホルスターからM686を抜こうと手を伸ばす――が、戒斗は躊躇した。ここで銃声を鳴らしてしまえば、奴らに感づかれる。伸ばしかけた右手を引っ込め、代わりにズボンの左足首を捲り、その内側。足首に巻き付けるようにして隠されていた樹脂シースから一本の薄く小ぶりな米国製ファイティング・ナイフ、ニムラバスを左手で逆手にゆっくりと抜き、いつでも飛び出せるように構えた。隠し持つことを考え、薄く軽いニムラバスを戒斗はチョイスしたのだった。しかし、少し前に琴音に譲渡した波刃付き、滑らかな曲線を描く切っ先のドロップポイント・ブレードではない。波刃が付いているのは変わらないが、その切っ先は直線的で、鋭角になっていた。『タントーブレード』と呼ばれる形状で、日本の短刀が発想の元だという。ダガーのように貫徹力に優れ、なおかつ折れにくい形状だった。
デスクの陰から少しだけ顔を出し、様子を窺う。数十秒もしない内に、敵は十八階フロアに踏み入ってきた。相手は単独。アメリカ人と思われる白人で、背は180cmそこそこ。金髪は後ろだけ長めに伸ばしていた。意外にも若く、二十代前半ぐらいだろうか。装備は両手に警戒しながら構えた短機関銃、MP5A5。それと右腰のホルスターに差さっているのは……M1911系統の.45口径自動拳銃か。他には何が入っているのか不明な、黒いボストンバッグを斜め掛けに背負っている。立ち振る舞いや足運び、銃の構え方から見て、二人の内片割れ、それも素人の方だというのはすぐに分かった。幸運だった。これならナイフ一本での制圧も、戒斗なら容易い。何せ踏んできた場数が違う。
(MP5はボルト解放状態か……これならすぐに仕留められそうだな)
敵の彼が持つMP5のコッキング・ハンドルは引き切られ、上方の切り欠きに引っ掛け固定されていた。つまりボルトは開かれ、初弾は装填されていない。薬室閉鎖状態で射撃するクローズド・ボルト方式の構造を上手く利用した安全措置だが――それ故に、隙も多い。気付かれずにどこまで接近出来るかにもよるが、あまり遠すぎない限り、素人の彼が薬室を閉鎖、引き金を引くよりも早く、戒斗はその懐に飛び込んでMP5を無力化、その首を掻き斬るであろうことは誰の目から見ても一目瞭然だった。その上、電気と灯されていない、暗く視界の悪い状況が更に有利に働く。
「どこだ……出てこいよ。クソッ暗くて見えねえ」
居るか居ないかも分からない空間にわざわざ敵は呼びかけている。さっさと仕留めよう。戒斗が意を決し、身を低くしてデスクの陰から飛び出そうとするが――
「あ、電気点ければいいか」
気付いた彼はすぐに部屋に電気を灯した。素人故の着眼点か、それとも無意識か。どちらにせよ、戒斗の優位は一つ減った。飛び出しかけた身体を慌てて引っ込める戒斗。そしてその影が伸びているのに気付いた。デスクの陰から、外へと。
「ん? まさかそこに居るのか!?」
慌てて影を引っ込めるが、時既に遅し。気付かれてしまった。最大限警戒した敵はコッキング・ハンドルを左手で弾くようにして戻し、ボルト閉鎖。薬室に初弾を装填してしまった。これでまた、優位が一つ失われた。
(まずい……ビギナーズ・ラックにも程があるだろうッ!)
予想外の事態の連続に、流石の戒斗も焦りを隠すことが出来ない。
「オイ! 大人しく出てこい! 今ならお前の命を保証してやる! だから大人しく、人質に戻れ!!」
(……ん?)
どうやら敵は、戒斗を普通の一般人だと勘違いしているようだ。そういえばここへ入る時も”傭兵”戦部 戒斗ではなく”医学生”の有澤 達也として入ったのだった――その名簿を見たのだろうか。敵は戒斗を傭兵とは認識していないらしい。
「――あ、ああはい。すみません。急なことだったもので怖くなって。咄嗟に逃げてしまって……」
敢えて大人しく立ち上がり、如何にも怯えきった学生ですよという雰囲気と口調で喋る戒斗。邪魔だからといってウィッグと伊達眼鏡を外さなかったことは幸運だった。
「待て、待て動くな。両手を挙げて。よーし大人しくしてろ」
一応銃口を向けたまま、白人の彼はホッとしたように穏やかな口調で歩み寄ってくる。一応指示通りに両手は上げておく。
「大丈夫だって安心しろよ。一般人を撃ち殺すような趣味はねえから」
彼も西海岸の出身だろうか? 聞きなれた訛りの英語だった。
戒斗のすぐ傍まで近寄り、彼はMP5の安全装置を掛けた。まだだ。まだタイミングじゃあない……
「武器とか持ってないよな」
「まさか。一介の大学生がそんなもの持ち歩けるわけないじゃないですか。恐ろしい」
「だよなぁ。悪いなこんなことに巻き込んじまって。用が済んだらすぐに解放するみたいだから安心しろよ」
こういうのをなんちゃら効果と言うのだったか。逆だが、テロリストの彼は安心しきったように気さくな口調で話しかけてくる――その油断が、命取りだ。
戒斗は唐突に振り向き、体重を乗せた渾身の右ストレートを敵の顔面へと叩き込む。歯が何本か折れて口から零れ、180cmの大柄な身体は吹っ飛びデスクへと叩き付けられた。彼は何が起こったのか分からないといった表情だった。
「おっお前、騙したな!」
ハッと気付き、MP5を構え、迫り来る戒斗に銃口を向け引き金を引く――が、9mmルガー弾は発射されない。
「なっなんで!?」
「――セフティが掛かったままだぞ、ド素人が!」
戸惑う彼の胸を思い切り蹴り飛ばす戒斗。手応えからして、結構な量の肋骨が粉砕されただろう。だが構ってやるものか。戒斗は間髪入れずに襟を掴み、床に引きずり倒し馬乗りになる。左手で襟を持ったまま、右手で二、三発連続で顔面を殴打。ボコボコに歪んだ敵の頭を掴み、一度手近なデスクの角へと叩き付けた。一部が血に染まる鉄製のデスク。トドメと言わんばかりに戒斗は白人の彼の首を羽交い絞めにし、全体重をかけて締め落とす――ポキン、と確実に大切な何かがへし折れた感触がした。確実に彼は、息絶えていた。
「はぁ……はぁ……地獄でゆっくりバカンスでも楽しみな」
上がる息を整え、戒斗は乗ったままの死体から離れ、物色を始めた。結果は大量。MP5A5短機関銃と弾倉四つに、SW1911自動拳銃と弾倉三つ。敵の無線機に、何故かボストンバッグの中にはC4爆薬までが三セット、ご丁寧に信管キット付きで入っていた。戒斗はSW1911をジャケットの空いている右ポケットに突っ込み、MP5は手に、各予備弾倉はC4と共に、斜め掛けに背負ったボストンバッグの中に突っ込んでおいた。そして戒斗は、立ち上がる。




