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黒の執行者-Black Executer-(旧版)  作者: 黒陽 光
第五章:過去からの刺客!? 凶悪逃亡犯の名は戦部 戒斗
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其の身は、汝と共にあり

「――精神安定剤?」

 玄関付近の廊下に置かれた固定電話の受話器を持つ戒斗は、怪訝な表情を浮かべていた。

「みたいじゃの。しかも結構強力な奴じゃ」

 電話の相手はレニアス。エミリアの部屋から拝借した錠剤を彼女に渡して数日。ようやく分かった薬の内容を報告する為、戒斗に電話を掛けてきていたのだった。

「ってことは、エミリアは精神疾患とかそういう類の可能性が高いと?」

「そうなるの」

 ふむ……と戒斗は手を顎に当てて思案する。

「ロスでアイツと組んでた頃は、別にそんな様子は無かったがな……まあいい。他に何か分かったことはあるか?」

「何もないぞ。義肢に関してはまだ調査中じゃ。もう暫し待て」

「あいよ。また何か分かったら連絡してくれ。それじゃあ」

 受話器を戻し、通話を切って戒斗はリビングへと戻る。襖を開くと、大分嗅ぎ慣れた畳特有の匂いが鼻腔を刺激する。敷いた座布団の上に座って湯呑みの緑茶を啜る遥から長机を挟んだ対面に戒斗も座布団を敷き、胡坐をかいて座る。

「遥、昼過ぎから行動開始だ。準備をしておいてくれ」

 戒斗の言葉にコクリ、と小さく頷き了承すると、遥が「……行き先は?」と問う。

「何、単なる情報収集さ。例のイカれた医者先生のトコに行くだけよ」

「イカれた……? ああ、この間戒斗に渡したメモリの資料にあった最上医師ですか」

「そそ」

 すると遥は数秒の間思案すると、言った。

「だとしたら、移動手段が要りますね」

 何故? と戒斗が問う。移動なら別に電車を利用すればいいだけの話だ。

「電車だと万が一にも監視カメラで監視されている可能性も否定できません。それに駅のような不特定多数の人間が入り混じった状況下だと、いつどこで追っ手の眼が光っているかわからない」

「かといって、どうするんだ? まさか徒歩で行くわけじゃあるめぇよな」

 戒斗の問いに、遥はポケットから取り出した鍵で答えてみせる。





 ガララッ、と微かに錆の混ざった音を立ててシャッターが開かれる。車が二台ぐらいは入れそうなぐらい広い、電気が灯されておらず薄暗くなっているガレージの奥に鎮座するモノを見てしまい、思わず戒斗は簡単の声を上げる。

「オイオイ、マジかよ」

 マジです。と答えて遥はガレージ内の電灯を灯す。頼りない数回の点滅を経て灯った白色蛍光灯に照らし出されたのは――クロームオレンジの輝くボディカラーが目を引く、小柄なスポーツカーだった。その名はロータス・エリーゼ。英国ロータス社の販売するオープンカータイプの小型・軽量スポーツカーだ。それまでのエリーゼの四ツ目と異なり、ウィンカー・ユニットが一体化した流れるような二ツ目ヘッドライトの形状から見るに、最新型のフェイズⅢと呼ばれるモデルであろう。

「凄え車調達してきたな、遥……」

 エリーゼの周囲をぐるぐると回り眺める戒斗は言う。

「これは調達したモノでなく、私の私物です」

 そう返答しつつ、運転席のドアを開ける遥。

「マジかよ……意外と趣味が合いそうだな。あ、悪りいエンジン見せてくれ」

「そういえば戒斗も何台か持ってたんでしたっけ。開けましたよ。どうぞ」

 そんなやり取りをしつつ、運転席にちょこんと座った遥の手によってロックの解除された後部ボンネットを戒斗は跳ね上げ、細長い金属棒のようなストッパーで上げたまま止める。ミッドシップと呼ばれる、座席後部、つまり車の中央付近にエンジンが配置された形式のエリーゼは一般車と違ってエンジンが前でなく後部にある。つまり、普通でいうならトランクがあるような場所を開けてエンジンが覗けるのだ。一応トランクになるスペースも、エンジンの手前に存在している。

 そのエンジンルームに堂々と鎮座していたのは、1.8L、コンピュータ制御の可変バルブタイミング・リフト機構『DUAL VVT-i』を搭載したトヨタ製の直列四気筒DOHCダブル・オーバーヘッド・カムシャフトエンジン、2ZR-FEだった。しかも過給器であるスーパーチャージャーまで装備されているところを見ると、彼女のエリーゼはフェイズⅢの中でも最上位モデルであるエリーゼSなのだろう。

「それじゃあエンジン、掛けますよ」

 遥が運転席パネル脇のエンジンスタートボタンを押し込むと、彼女の操作と連動して車体後部の2ZR-FEエンジンは躍動を開始。四本のピストンが唸りを上げ、直列独特の吹け上がりのいい軽快なエグゾースト・ノートがマフラーを通り放たれる。大きなエンジンカバーで覆われたエンジンが少しずつ熱を帯び始めてきた。

「見れば見るほど欲しくなってきちまうなぁ」

 呟いて、戒斗はストッパーを下ろしボンネットを元に戻す。カチャン、と確実にロックが掛かったのを確認し、排気ガスの熱気が立ち込めてきた車の後ろから離れ、助手席側のドアを開けた。

 車内は狭く、全体的に無骨印象ながらも、所々は洒落たデザイン性を感じさせる。流石はイギリス発祥の車といったところだろうか。運転席で皮張りのセミバケットシートにちょこんと座る小柄な遥の姿はなんとも可愛らしいというか、この車内には不釣り合いに見えて、絶妙にマッチしていた。

「お邪魔しますよ……っと」

 またぐようにして脚を入れ、助手席に座る戒斗。成程、シートのホールド感も中々に良い。

「……興味があるなら戒斗、運転してみます?」

「いんや。嬉しい話だが他人ヒトの車に平気で乗る趣味はねえ。気持ちだけ貰っておくさ」

 遥の申し出を断り、戒斗はシートベルトを締め、上着の胸ポケットから取り出したレイバンのサングラスを掛けた。

「そうですか。ならエンジン暖気の時間があるので、暫しお待ちを」

「あいよ……ってか遥、脚届くのか?」

 戒斗の一言にむっ、と少しだけ膨れっ面になる遥。

「……失礼ですね。届きますよ、ちゃんと」

「ホントかぁ?」

 そう言って戒斗は運転席の方へと半身を乗り出し、顔を寄せた。遥の黒く短い髪と顔が触れそうな距離にまで近づく――ほんの少し新車特有の臭いが残った車内で、どことなく甘い、何とも筆舌に尽くし難い香りが鼻腔をくすぐる。

「マジで脚届いてんのか……悪かったな」

 彼女の言う通り、確かに脚はペダルに届いていた。戒斗は身体を助手席シートに戻し、改めて遥を見る。するとどことなく、彼女の表情が赤らんでいるように見えた。

「? どうした遥」

「……ッ、な、なんでもありません」

 早口で言うと遥はぷいっと顔を戒斗から背けてしまった。

「ん? 変な奴。まあいいや」

 これ以上追及しても可哀想になってくる気がして、戒斗はそれ以上の言及を止めた。

「……エンジンも十分暖気出来ましたし、そろそろ出しますよ」

 まだどこか顔に赤みの残った遥は告げると、サイドブレーキを降ろし、クラッチペダルを操作しつつシフトノブを一速に入れる。そしてゆっくりと後輪タイヤを駆動させ、太陽のようなクロームオレンジで塗装されたロータス・エリーゼはガレージを出る。





 病院、という空間は人間にとって決していいモノではない。特に築数十年の病院ともなればなおさらだ。若干黄ばんできた白い壁や、蛍光灯に照らされるリノリウムの床。医療器具や薬品の匂いに混じって鉄筋コンクリートの建物内に充満する、独特な空気感――それは得てして、訪れた人間の精神を摩耗させる。

 しかし、たった今戒斗と遥の二人が自動ドアを潜ったこの大学病院はそうではなかった。建屋自体が最近の建て替え工事で比較的新しく綺麗ということもあるのだろうが、病院独特の、死臭にも似たどんよりとした空気感がない。

 一応サングラスで極々最低限の変装をしているものの、いつ誰に気付かれるか気が気でない戒斗は極力人と顔を合わせないようにしつつ、受付カウンターの近くを素通りし早足で一階フロアの端へ、橋へと歩く。

 目的の場所へはすぐに辿り着いた。一階フロアの端の端。人気の全くないそこには陽の光が殆ど届いておらず、その上蛍光灯すら灯されていないこの一角は相変わらずの不気味さを放っていた。その中でも再奥、電気の灯されていない空き部屋だらけの空間で唯一、扉の隙間から蛍光灯の灯りが漏れ出る部屋があった。戒斗は遥を連れ、その扉の前に立つ。

「邪魔するぜ」

 告げ、戒斗は迷うことなく横開きの重い鉄製扉をスライドさせ、部屋の中へと足を踏み入れた。

「――おや、誰かと思えば。現在絶賛指名手配中の凶悪逃亡犯くんじゃあないか。ええ?」

  パソコンや各種モニタ、実験に用いるであろう専用機械、何に使うか分からないようなモノで埋め尽くされたデスクの前に置かれた安っぽい事務イスに座る、よれよれの白衣を纏った黒縁眼鏡の女医――最上 昴は、逃亡犯である戒斗の突然の来訪に驚くことも、恐れ慄くこともせず、いつも通りの口調でそう言った。彼女のやせ細った身体はいつ見ても栄養失調患者のソレにしか見えない。腰まで伸びるウェーブ掛かった黒髪は相変わらず枝毛だらけだ。それに加え、黒縁眼鏡の奥の双眸は死んだ魚の眼のように生気がなく、まるで不健康という文字がそのまま具現化したような印象だった。

「……ふむ」

 その昴が、戒斗の方へと視線を向けたまま含みのある声を発する。

「なぁ戦部くん。君がどういう性的嗜好を持とうが私には関係ないことだが。流石に幼女はまずいぞ、幼女は。これ以上罪状を重ねるな」

「俺にそういう趣味は無ぇッ!」

 勢いで肩に担いだボストンバッグを床に叩きつけそうになる衝動を抑えつつ、間髪入れず戒斗は否定した。

「……大体なぁ、遥は同い年だ」

「ほう? すると彼女が噂の忍者ちゃんかな」

 昴の好奇心に溢れた視線を受ける遥は戒斗の前に一歩歩み出て、昴に名乗る。

「……”黒の執行者”、戦部 戒斗がしのび長月ながつき はるか

 小柄な遥の全身を舐め回すような視線で昴は見ると、何やら笑いを堪えているような、そうでないような微妙な表情で呟く。

「なぁ戦部くん。幾ら忍者ちゃんとはいえ幼女を手籠めにするのはやっぱりまずいんじゃないか」

「だから違げぇって言ってんだろうが!」

「……戒斗、『手籠めにした』というのは、ある意味間違いではないような気もしますが」

「お前まで何言ってんだ遥ァ!? 大体お前から言いだした話じゃねえかぁっ!!」

「ふむふむ。意外にも求愛は忍者ちゃんの方からだったか……意外と隅に置けないねぇ」

 もう反論する気力も無くなった戒斗は疲れたような溜息を吐き、ボストンバッグを床に降ろし、昴の対面に置かれていた患者用であろう丸イスにドカッと座る。

「忍者ちゃんはベッドにでも座ってて貰って構わんよ」

「御意」

 遥は昴に言われた通り、デスクと対面になる形で壁にピッタリ密着した診察用ベッドに腰掛けた。

「なんならこの後ごゆっくりお楽しみ頂いても、私としては一向に構わんがね」

「あのさぁ……もういい。ツッコむ気力もねえ」

 薄ら笑いを浮かべる昴に辟易しつつ、戒斗は床に置いたボストンバッグを手繰り寄せる。

「そうだ。可愛い忍者ちゃんには飴でもあげよう」

 言って昴はデスクの引き出しを開け、中から飴玉の袋を一つ取り出し遥に手渡す。賞味期限とか大丈夫なのか? と一瞬不安になる戒斗ではあったが、まあ流石に大丈夫だろう……うん。仮にも医者だし。仮にも。

「あ……どうも。頂きます」

 戸惑いながらも、それを素直に受け取った遥。

「うーん。もうちょっと可愛らしく受け取るのもアリだと思うがね。忍者ちゃんは折角美人ちゃんなわけだし」

「と、言われても……」

 昴のよく分からない斜め上な要望に遥は困惑気味。

「そうだな。例えば無垢な感じで『わーい』だとかね」

「……? やってみれば宜しいので?」

 全力で縦に頷く昴。遥はそれを了承と受け取ると無表情のまま首を傾げて「……わーい」と。

「――ぐおっ」

 あまりに予想外な光景過ぎて思わず戒斗はむせてしまった。なんというかこう、無表情な分首を傾げてるのが筆舌に尽くし難く……

「おおお……可愛い、可愛いぞ忍者ちゃん! なんだ戦部くん。君も忍者ちゃんの可愛さに脳が沸騰したか?」

「してね……えとは言えねえが」

 駄目だこの医者。根本的に何かおかしい。

「ところで戦部くん。逃亡中の所わざわざご足労頂いたということは、それ相応の要件があってきたのだろう?」

 唐突に話を真面目な方向に戻す昴。彼女の切り替えの早さに辟易しつつも、戒斗はボストンバッグを開き、その中に収められていた金属の物体をデスクの上に置いた。

「ほう。これはこれは。また珍しいモノを持ってきたね君は」

 流石の昴もこれには目を奪われてしまうようだ――なにせ戒斗が持ってきたのは、この間の戦闘で麻生からもぎ取った義手そのものだったのだから。

「片腕は耐久テストでボロボロに粉砕しちまったがな。アンタならコイツを見せてみれば、何か分かるんじゃねえかと思うんだが」

昴は義手を手に取って「ふむ……」と思考を巡らせつつ検分していく。外観を大体見終わると、デスクの引き出しからドライバーセットを取り出して義手に取り付けられた装甲版を一枚ずつ剥がし始めた。一枚剥がすごとに、義手内部の配線や細かな部品、オイルの塗られた灰色の人工筋肉が露わになっていく。

「どうも既製品をそのまま改造したモノでは無いようだね。最初から戦闘時の激しい動作を想定して組み上げられているように思える」

 分解する手を止めることなく、昴は簡潔に言う。

「何故分かる?」

「単に流通している完成品に手を加えるだけなら、わざわざ外装を剥がさずともその上から装甲を張ればいい。パーツも生活義手と違って丈夫なモノが多いね。それに」

「それに?」

 戒斗が繰り返すと、昴は取り外した人工筋肉を鷲掴みにして戒斗の目の前へと差し出す。そして口元を少し歪め、言い放った。

「コイツは、私が考案・設計した戦闘用の人工筋肉そのままだからさ」

「そういやアンタはそっち方面の専門家だったな。あとそのヌルヌルな筋肉渡されても困るんだが」

 戒斗に突き返されたオイルまみれの人工筋肉を昴はデスクの上に放る。その後は暫く無言で分解を進めていたが、八割方解体を終えたところで「おっ」と半笑いで昴はひとりごちた。

「何かあったのか?」

 彼女の反応がなんとなく気になり、戒斗は軋む丸イスから立ち上がって昴の後ろに立つ。すると彼女は、「見たまえ」と言って太い金属の棒のようなパーツを差し出してきた。

「これは?」

 手に取り、それを眺めつつ戒斗は問う。

「メイン・フレーム、基本骨子……簡単に言ってしまえば、腕の骨かな。太くなっている方の先端を見てみたまえ」

 言われた通りに太い方――肘関節ユニットとの接合部であろう付近を見やる。程なくして戒斗は、そこに小さくだが『Mitsukawa Co.Ltd.』の刻印が打たれているのを見つけた。しかし、同時に刻印されている筈のシリアル番号や、生産ロットナンバーはどこにもない。

「どこの部品を見ても完璧に刻印が削り取られていたから困っていたが……どうやら基幹部品までは気が回らなかったようだね。間違いなくこの義手は、光川重機械工業の非正規製品をベースに組み上げられている」

 ニヒルな笑みを浮かべる昴はそう言うと、ネジ一本に至るまでバラバラに分解した義手のパーツ群を隅へと避けてキーボードを叩く。そして数秒もしない内に、デスクの上のPC用液晶ディスプレイに話の中に出てきた『光川重機械工業』のウェブサイトが表示された。

 光川重機械工業――その名には、戒斗とて聞き覚えがあった。ここ十数年で義肢関連事業で急成長を果たし、つい数年前には株式上場すら果たした、今最も波に乗っている企業の一つだ。光川の義肢製品は工芸品のように精巧な造りが特徴で、製品全てに施された緻密な防水シーリング処理のお陰でそこそこ丈夫なことから様々な用途で重宝されている。最近では義肢製品で培ったノウハウを用い、強化外骨格――所謂パワードスーツの開発にも着手し始めたことが話題になっていた。

「非正規、って言ったら……やっぱり横流し品か?」

 シンプルな黒いマウスを操作して光川のウェブサイトを閲覧している昴に、戒斗は問う。

「軽くて横流しだろうね」

 ディスプレイから目を放さずに、昴は端的に答える。

「軽くて?」

「考えてもみたまえ。ロットナンバーが打たれる前の製品を、課長部長やその辺りの下っ端程度が横流し出来ると思うかい? と、なると思い当たるのは……」

「光川重機械工業と”方舟”が、結託している……?」

 最悪の可能性を、戒斗は口にしていた。しかし奴ら”方舟”は、警察内部にまで手が回せる程の力を持った組織……光川のような、大企業の仲間入りを果たした新進気鋭の企業にパイプを持っていてもおかしくはない。いや、寧ろ横流し品と考えるよりもよっぽど現実的だ。それに思い返してみれば、”方舟”が飛騨山脈の山奥に隠していた研究施設。あんなモノを建造出来てしまう”方舟”が圧倒的な力を持っているのは至極同然のことだ。加えて、大規模な実験設備や、警備兵の携えていたスイス製のSG551突撃銃アサルト・ライフル、大量のピックアップ・トラックやその荷台に懸架されていたブローニングM2重機関銃などの高価な装備。逃げ込んだ洞窟の中にあった大量の使い捨てロケット・ランチャーM72とFIM-92スティンガー地対空ミサイル発射器のような、どんな手段を用いて入手したかも分からない強力な火器。極め付けが旧ソ連製のモノを南アフリカが改修した攻撃ヘリ、スーパーハインドだ。そんなモノを容易く大量に用意出来る組織が、光川重機械工業を手中に収めていても不思議ではないのではないか?

 敵に回した組織の強大さを改めて痛感し、眩暈にも似た感覚を覚えた戒斗は元の丸イスに力なく座った。昴はマウスから手を放し、椅子を回転させ彼へと正対すると、デスクに頬杖を突いて口を開く。

「そもそも戦部くん。君はまず、義肢の構造というモノを知っているかい?」

 その問いに、戒斗は「いいや」と首を横に振って答える。その反応を見て昴は少しだけ表情を崩すと「いいだろう。どのみち君がこれから相手にしていくモノだ。折角だから義肢の構造についてレクチャーしておいてあげようじゃないか」と言って、さらに言葉を続ける。

「――そもそも、コイツみたいな『生身のように自在に動かせる義肢』というのは、要はブレイン・マシン・インターフェース(B.M.I.)の一種だね。戦部くん。君は筋肉がどのように動いているのかは知っているかい?」

 戒斗は数秒の間思案し「……確か、脳からの電気的信号を神経経由で筋肉に送るんだっけか?」と答えた。

「ま、大体そんな感じだね。厳密に言えば色々あるけども、君じゃあ理解出来そうもないし面倒だから省くよ」

「妙に失礼な言い方だなオイ」

「だって、事実だろう?」

 半笑いを浮かべる昴の言葉を否定できずに、戒斗はただ「ぐぬぬ」と唸るしかなかった。

「まあいい。話を戻すよ――とにかくこの義肢ってのは、脳から送られた電気信号を利用しているんだ。神経に直接接続した電極やら色々でその信号を読み取り、マイクロコンピュータで処理。それを義肢の人工筋肉に伝達するってわけさ。ちなみに処理にかかるタイムラグは、生身の人間が筋肉を動かすのにかかるラグと大して違わないから問題は無い」

「つまり生身との接続部分が必要ってことだな」

 そういうことだよ。と昴は満足げに答えて、解説を続ける。

「肉体との接合部分は手術で取り付ける。ある程度パーツは規格化されてはいるけれど、サイズの関係や微調整やら色々あってオーダーメイドな部分が多い。義手なら腕の長さ、義足なら残った片脚と長さを大体合わせるとかね。そういうところは個人個人に合わせてオーダーメイドするしかない。だから意外と高いんだよ? こういう便利な義肢は」

「と、いうことは、接合部は脆いわけだな?」

 ニヤリ、と不敵な笑みを浮かべた戒斗は問う。

「基本的には、ね。君が追い払った奴がどうかは知らないけれど、この義手みたいに装甲が無いのなら弱点かな」

 彼女の言葉が事実なら、この間の戦いで接合部に傷を負わせた麻生は相当な深手なのだろう――思わず零れそうになる笑いを押し止め、戒斗は再び昴の解説に耳を傾ける。

「接合部から先は一体型だったり、取り外し可能なジョイント式だったり色々かな。全ての義手には漏れなく、毎日風呂に入っても電気系統がショートしない程度の生活防水と、軽くスポーツを嗜んでもヘタレない程度の人工筋肉が装備されている。中にはスポーツ特化の筋肉やら色々あるけれども、過剰なまでの負荷は想定していない。しかしだね――戦闘に義肢を用いるとなれば、話は別だ」

 言って昴は開いたもう片手で再び灰色の人工筋肉を掴む。

「戦闘状況下では極限に緊張した中で、全身の筋肉をフルに活用する必要がある。特に接近戦や、それこそ君が遭遇した奴のように銃弾を腕で防御するともなれば尚更だ。殺す目的で剣を振るう時の腕の筋肉に掛かる負荷は相当なモノだし、音速で飛来する銃弾を弾き飛ばすとなれば相当だ。生の筋肉なら新陳代謝で自己修復を行うからまだいいが――それが出来ない人工物ならどうなると思う?」

 問いかけに、「……耐え切れなくなって、いつかはプッツン切れるだろうな」と戒斗は答える。

「そういうことだね。コスト面重視の人工筋肉では、近い内に筋肉が切れてしまう。他のパーツだってそうだ。すぐに摩耗して、使い物にならなくなる。その為の丈夫な素材のパーツで、その為の、私が開発した特殊な戦闘用人工筋肉さ――最も、部外秘にしていた筈だがね」

 手の上で灰色をしたオイル濡れの人工筋肉を転がす昴。

「部外秘? ってことは……」

「ああ。当時の”機械化兵士計画マンマシン・ソルジャーズ・プロジェクト”開発チームや、その他私に深く関わった人間以外は存在すら知らないはずだがね……なのにこれを解体したら、懐かしいモノが出てきた。つまり敵には、私に関わった人間が居るってことだね」

「……どうやら、敵は俺が思ってた以上にデカくてヤバイ連中らしいな」

 溜息交じりに言葉を吐きだす戒斗。

「だから言っただろう。この件からは手を引くべきだ、って」

「逃亡犯にまでさせられてから、嫌ってほど実感したさ」

 戒斗の呟きを聞いていた昴は、ふと何かを思い出すと手の上で遊ばせていた人工筋肉をデスクの上に投げ、引き出しの中から封筒を一つ、取り出した。

「そういえば戦部くん。噂の光川重機械工業からパーティへの招待状が届いていたのを思い出したよ」

「何だって」

 驚き、昴へと身を乗り出す戒斗。

「場所は中心部近くの本社ビル20階。なんでも、創業十五周年と、医療用パワードスーツの試作第一号の実験成功を祝したパーティらしいよ。この間は面倒だからと断ったが――折角だ。付いて来るかい?」

 彼女の提案は、まさに渡りに船だった。敵と深く関わっている可能性が高い企業のパーティだ。もしかしたら何か手掛かりが掴めるかもしれない――戒斗は昴の提案を、二つ返事で快諾していた。

「良いだろう。パーティは四日後、金曜の夜だ。車はこっちで用意するからここまで来て欲しい」

「車? 別に現地集合でも構わないだろう」

「色々体裁ってもんがあるんだよ。一応、戦部くんと忍者ちゃんは私の弟子の学生と、その妹ってことにしておくよ。忍者ちゃんは問題ないが……戦部くんはせめてヅラ被るぐらいのことはして欲しい。一応顔の知れた指名手配犯だからさ」

「はいはい。分かったよ」

「ああそれと、当日はスーツで頼むよ。一応パーティだから正装でね」





 病院から出て、駐車場を歩く戒斗と遥の二人。時刻は既に、太陽が大分傾き、空が茜色に染まり始める頃だった。意外と長く話し込んでいたらしい。ちなみに戒斗の肩にボストンバッグは無い。義手ごと昴の元へと預けてきたのだった。

 遥は駐車場に停まる幾多の車の中から自分のロータス・エリーゼを見つけ、近づいてドアロックを解除。運転席のドアを開き、シートに滑り込み、クラッチペダルを踏みながらエンジンスタートボタンを押して、エリーゼの心臓に火を灯した。抜けのいいエグゾースト・ノートが後部マフラーから抜けていく。暖気を待つ間、エリーゼの鼻先に遥は腰掛ける。茜色の夕陽に照らされる私服姿の遥と、太陽と見紛う様な美しいクロームオレンジのロータス・エリーゼの組み合わせを眺めていた戒斗に、まるで映画のワンシーンを見ているような錯覚を覚えさせた。

「……あ、戒斗」

 唐突に、遥は言う。戒斗は彼女に「なんだ?」と言葉を返す。

「夕方で、折角晴れてますし帰りは屋根外して走ってみませんか?」

 屋根を外して、というのはつまりオープンカーにするということだろう。ロータス・エリーゼの本質はオープンカーだ。興味もあったことで、戒斗はすんなり遥の提案を了承した。その反応を見て、遥は嬉しそうな表情を浮かべると、両ドアのパワーウィンドウを全て下げ、慣れた手つきで幌のような布製の屋根を外していく。僅か数分で屋根は骨組みと黒い布に解体された。それを後部のトランクへと突っ込んだ。そういえば行きはトランクにボストンバッグがあったのだった。だから屋根を外すに外せなかったのだろうか?

「もうそろそろ暖気も終わる頃です。行きましょうか、戒斗」

「おう」

 戒斗は少し下にズレたレイバンのサングラスを指一本でクイッと上げ、遥に手招きされるまま助手席のシートに身を埋める。シートベルトを装着し、左肘をドアに掛けて頬杖をする。その間に遥はカーステレオを操作し、音楽を流し始めた。邦楽だが、九十年代後半ぐらいにに少しだけ流行ったモノだ。歌唱力の高さもさることながら、高音域の強いハスキーな歌声も中々に癖になる。思わず露出度の高めな衣装を身に纏い、台風のように強い向かい風の中で歌いたくなるような曲調だ。夕暮れ時の街を屋根のないロータス・エリーゼで走るのには、結構似合うのではないだろうか。

「それじゃあ、帰りましょうか」

「あいよ」

 戒斗が相槌を打つと同時に遥はサイドブレーキを下げ、クラッチを切りつつシフトノブを一速にシフト。アクセルペダルを少しずつ踏み込み、エリーゼを発進させる。踏めば踏むほどエンジン回転数を示すタコメーターは上がり、スーパーチャージャー付きの直列四気筒2ZR-FEエンジンが激しく躍動する。

 駐車場を出て、片側一車線の公道へ。ハンドルを切って車線に出ると、遥はアクセルを踏み込みある程度加速させた。クロームオレンジのロータス・エリーゼが風を切る。解放された車内に流動する向かい風が心地いい。背後で唸るエンジンの奏でるサウンドや、マフラーから排ガスと共に放出されるエグゾースト・ノートもたまらなく良い。

「……戒斗」

 右手にハンドル、左手はシフトノブに添えっぱなしの、所謂”ワンハンド・ステア”スタイルの遥が前方を見据えたまま、戒斗に話しかける。

「ん?」

「私の想像よりも更に、”方舟”は強大だったようです。ですが……ですが戒斗なら、きっと打ち倒せます」

 その間にも、エリーゼは曲がり、片側三車線の広い国道へと出る。

「嬉しいこと言ってくれるね……根拠はあるのか?」

 戒斗が遥へと視線を向けると、流れる茜色に染まった風景の中、彼女の横顔は少しだけ、笑っていた。

「忍者の勘と、私自身の希望的観測ですよ」

「成程。なら正解だな」

 そして、遥の駆るロータス・エリーゼは沈みゆく太陽を背にして疾走する。彼らの辿り着く結末は、未だ分からず。しかし、この身が朽ちるまで、あるじに付き従おう――エリーゼを駆る遥は一度横目で助手席の戒斗の姿を見ると、心の内でそっと、今一度の決意と覚悟を決めていた。

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