天下御免! 放たれた新たなる刺客
「あいよ。お待ちどうさん」
戒斗はキッチンから持ってきた朝食を二人分、適当に長机に置く。
「客人に手間を掛けさせてしまって。かたじけないです」
「いいってことよ。俺とて、一応匿って貰ってる身だしな」
遥と戒斗の二人は、朝食に手を付け始める。炊いた白米に卵焼き、鮭の切り身に味噌汁という、ごくありふれたメニューだ。昨日は色々とありすぎて、二人共食料調達に関しては完全に失念していたのだが、冷蔵庫の中に食材がある程度充実していたことは僥倖だった。
テレビの電源を点け、適当にチャンネルを変えていく。昨日に比べ、自分――戒斗に関する報道はある程度収まってきたが、それでも多い。
凶悪逃亡犯だし、ある程度は仕方ないか。戒斗は半ば諦め、割り切ることにした。
「今後のこと、どうしましょうか」
二人の間で特に会話も無く、テレビを見ながら黙々と朝食を口に運んでいた中、遥が唐突に話題を切り出す。
「そうだな……」
一度箸を置き、戒斗は思案する。身の潔白の証明、と言葉の上では簡単だが……実際、一度かけられた容疑を晴らすのはとんでもなく困難だ。ましてや、半ば現行犯――最も、仕組まれた冤罪ではあるが――に近い現状、その難易度は更に上昇する。必要だ。何か、濡れ衣を晴らせる程に強力な、確たる証拠が。
「ってなると、やっぱ一番可能性があるのはエミリアか」
「彼女の滞在場所に潜り込む、というのは如何でしょう。他に何かアテがある訳でもありませんし」
遥の提案に、戒斗は頷く。
「よし、決まりだな」
「一応、盗聴器も用意してあります。最も、そう簡単にボロを出してくれるとは限りませんが」
丁度その頃、戒斗のマンション――最も、肝心の家主は居ないが――で、琴音は一人、いつものソファに座って客人の相手をしていた。
「取り調べ、長く手間取らせて悪かったな」
無精髭を生やした不幸面の、くたびれたスーツを着た刑事、高岩 慎太郎が微妙に申し訳なさそうに言う。
「ホントですよ。私は何も知らないって言ってんのに何時間も拘束されて……」
脹れっ面を浮かべる琴音。
「色々、あるんだよ。こっちにもな」
「ま、過ぎたことですし。それより高岩……さんでしたっけ? 私に何か御用とか」
「ええ。単刀直入に言いますと……僕個人としては、あの傭兵小僧は濡れ衣、だと思っています」
驚いた。まさか警察内で戒斗の無実を信じる者が居たとは。
「その根拠は?」
「根拠、ですか……ハハッ、これは困った。ぶっちゃけ勘ですよ、勘。刑事のね」
「はあ……確か貴方は戒斗に、エミリアさんの監視も依頼してましたよね?」
「そうだ。それも根拠の一つといえば一つかな。奴は確実に、何かヤバいことに関わってる」
張りつめる空気。エミリアは確かに良い人だった。だったが、彼女が来て数日もしない内に、戒斗が無実の罪を着せられ追われている――エミリア自身の人柄を疑いたくはなかったが、良すぎるのだ。あまりにも、タイミングが。その点に関しては、琴音もずっと不審に感じていた。
「流石にエミリアさんを捕まえることは……出来るわけ、ないですよね」
琴音の問いかけに、高岩は溜息を吐いて言葉を返す。
「ああ、出来たらやってる。出来ないのは……」
「「証拠が無いから」」
高岩と琴音の言葉が重なった。張りつめた空気が一気に解け、二人は思わず笑い出してしまう。
「ハハッ、流石だな嬢ちゃん。あの傭兵小僧の助手やってるだけあるわ」
「そりゃどうも。で、今戒斗は?」
「さあな……逃げてくれて、俺としてはホッとしてるがな。奴ならきっとなんとかするさ」
その言葉に、琴音は安堵した。エミリアが敵か味方か。いや、もう誰が敵なのかも分からないこの状況の中――少なくともこの男、高岩は戒斗の味方たり得ると、琴音は感じていた。
「ええ。そりゃ勿論。戒斗ですもん」
「ああ、そうだな……話せてよかった。俺の方でも色々と調べてみる。また何かあったら真っ先に嬢ちゃんに連絡するぜ」
「頼みましたよ、おじさん」
「おじさん言うな……それじゃあな」
そして、高岩刑事は去っていった。
(昨日はちゃんと施錠されていた筈なのに、朝見たら壊されていた武器庫の扉。ごっそり無くなった戒斗の武器弾薬……何を始める気なの、戒斗)
キィ、と錆びついたブレーキ音を立てて停まったタクシーから、ロクに整えられていないボサボサの黒髪で、レイバンのサングラスを着けた一人の男と、その小柄な身体のせいで小学生か中学生のように見える、Tシャツの上にデニム生地の上着を羽織り、スカートと黒い二―ソックスを履いた、黒く細長いバットケースを背中に背負う黒髪ショートカットの少女が降り立った。
二人はタクシーが走り去ったのを確認すると、手近な電柱の陰に隠れ、目の前にある白い十数階建ての高層マンションをじっと監視する。
十数分後、そのマンションの玄関から、一人の女が出てきた。黒いスーツを身に纏った、透き通るように青みがかったストレートヘアと、明らかに日本人ではない、欧米系と判断できる顔立ちが目立つ長身のターゲット――刑事、エミリア・マクガイヤー。
彼女はマンションから出ると、予め電話か何かで呼んでおいたタクシーに乗り込み、走り去っていく。
「行くぞ。部屋番は既に分かってる」
それを確認したサングラスの男――戒斗は告げると、高層マンションの玄関へと歩いていく。
「御意」
そう言って少女、遥は戒斗の背中を追随する。
幸いにも普通の、いや普通より少し高級ぐらいのマンションだったので、玄関フロアに高度な防犯システムは存在せず、セキュリティはガバガバだった。
難なくエレベーターに乗り込み、五階のボタンを押す。
扉が閉まり、少しの浮遊感。程なくして五階まで登ったエレベーターから、戒斗と遥の二人は降り立ち、目的の部屋――エミリアの滞在する506号室へと真っ直ぐ向かった。
「開錠する。このタイプなら大体五十秒だ。周辺警戒を」
遥に指示を告げ、戒斗はドアの鍵穴にピッキングを試みる。人気のない廊下に、カチャリカチャリと、鍵をこじ開ける音だけが響く。
きっかり四十五秒で、戒斗はドアの開錠に成功。慎重にドアを開け、二人はエミリアの部屋へと侵入する。
「お邪魔しまーす……なんて言ってる雰囲気じゃねえな」
軽口を叩きつつ、戒斗は律儀にブーツを脱いで室内に入った。
「ちゃっちゃと済ませようぜ。遥はリビングやらを。俺は各部屋を調べる」
二人は手早く、しかし痕跡を残さないように物色を始めた。リビングを遥に任せ、戒斗はエミリアが自室として使っているであろう部屋へと侵入する。
痕跡が残りやすいパソコンには敢えて触れず、物理的なモノのみを探る。手当たり次第に引き出しを開けるが……出てくるのは大したことのないモノばかり。
金庫も、引き出しに収められていた鍵で開錠して中を検めてみるが、中にあったのはよく分からない錠剤と、結構な額の札束だけ。
これで一通り、エミリアの自室を探り終わったが、証拠となりそうなモノは何一つ出てこない。用心深い女め。とひとりごち、戒斗はバレない程度に錠剤を拝借して、部屋を後にした。
「戒斗、これは」
リビングに戻った戒斗に遥が呼びかける。何かを見つけたようだった。
「それは……何かの資料か?」
「奥の方にしまわれていた辺り、暫く使わないモノなんでしょう」
「ふむふむ……”医療用新型義肢”? なんだこれ」
封筒に収められていた資料の中身は、医療目的で使われる義肢のパンフレットと詳細、見積書だった。斜め読みした限り、相当高額なモノのようだった。一般人には到底手が出ないような額の、だ。
「ちなみに、電話機の隙間にこんなメモも挟まっていました」
遥から手渡されたメモを手に取り、そこに書かれた文字に目を走らせる戒斗。英語の走り書きで判別が困難であったが、一か所だけなんとか読み取ることが出来た。
「えーとなになに。”仕事先 サトシ・アサクラ”……なんてこった、浅倉だと」
「核心、ですね」
「ああ。間違いなくエミリアは、”方舟”と関わってる」
資料とメモ書き。これだけでも十分成果だった。これ以上探る意味は無いと判断し、部屋のあちこちに盗聴器を仕掛けてからマンションを出る。勿論、痕跡は残さなかった。
ドアの鍵を閉め直し、来た時と同じエレベーターへ乗ろうと足を一歩踏み出す……が、そのエレベーターが上昇してきていることに気づいた。今現在のカゴの位置を表す表示が五階で止まり、その扉が開いた。
「――やはり、ここに居ましたか。”黒の執行者”」
そのエレベーターに乗っていた男は開口一番、そう告げた。夏場に似つかわしくないロングコートを羽織った、気持ちの悪い笑みを浮かべるこの少年の姿は、戒斗にとって忘れたくても忘れられないモノだった。なにせつい昨日、彼――サイバネティクス兵士、麻生 隆二に命を狙われたのだから。
「またテメェかッ……!」
戒斗は条件反射的に背中のSOBホルスターからキャリコM950A機関拳銃を抜き、片手でその銃口を向ける。
「二対一だッ! 大人しく尻尾撒いて失せやがれッ」
「残念でしたねぇ。二対二です。さあ、やってしまいなさい」
自信満々の表情を浮かべる麻生の背後から、190cm近い長身の男が姿を現す。青みがかった長髪を後ろで結んでいるその顔は若々しく、凛々しい。どこか気品すら漂わせるその顔つきに対し、その腰に吊った得物はあまりにも不釣り合いだった。
「刀、か……?」
戒斗の正面に立つ男の得物は、日本刀。その長さは二尺――60cmを超えている、太刀に分類されるモノだった。しかし、マンションの廊下という狭い空間において、その長い刀身は圧倒的に不利。その上、直線的な弾道の銃と、曲線を描く刀とでは現状、相性は最悪だ。
「なんのつもりかは知らねぇが――殺られる前に、殺るのみッ!」
戒斗は言って、キャリコのボルトハンドルを引き、初弾装填。引き金に指を掛けた。にも関わらず、約5mの距離に立つ男は、瞼を閉じたまま。
「――参る」
一言、男はそう呟き、右手を太刀の柄に掛けた。
男が目を見開く。と同時に、足を一歩、力強く踏みしめ――
「速……ッ!?」
気付けば、戒斗のすぐ近くに、男は居た。彼は柄に掛けた右手を握り締め、その煌めく刃を鞘から抜刀する。
(駄目だ……避け切れないッ……!)
「戒斗ッ!!」
避け切れない。そう判断した瞬間、脇を縫って一つの影が戒斗の前に躍り出て――男の放った、抜きざまの居合斬りを、受け流した。
「ッ――!」
「……ほう」
受け流したのは、遥だった。彼女はその手に持った短刀で、研ぎ澄まされた一閃を流したのだった。その意外な光景に、男は感嘆の声を漏らす。
双方とも、後ろに下がり距離を取る。
「……我が一閃を躱すとは」
今まで殆ど無言だった男が、唐突に口を開く。
「戒斗、奴は私にお任せを……来い。決着を着けよう」
遥は一言だけそう告げて、すぐ横の階段を駆け上っていく。男もそれに呼応するように、彼の側にあったもう一つの階段を駆け上った。
「おやおや。彼が自ら一騎打ちを選ぶとは……珍しい」
残された麻生は、他人事のように面白がっている。
「そういうこった。男とデートする趣味はねえが――地獄行きのデートコース、付き合ってもらうぞクソ野郎」
不敵な笑みを浮かべた戒斗は、麻生へと合わせ直したキャリコの引き金を、引き絞る。
強風の吹き付ける、十数階建て高層マンションの屋上。普段は人気のないこの場所に、今は二人の影があった。かたや190cmにも届きそうな長身で、その体格に見合った太刀を腰に携えた男。かたや、短刀を逆手に構えた小柄な少女――”黒の執行者”に仕えし忍、長月 遥。
「ここなら邪魔は入らない――貴方とて、あのような狭い場所で飛び道具を相手にする趣味は無いはず」
短刀を構えたまま、眼前に立つ男に遥は告げる。
「心遣い、かたじけない……さあ、存分に死合おうぞ」
男は鞘に納めた太刀をゆっくりと抜き放ち、上段に構える。彼の意志を理解するのには、その動作だけで十分だった。遥は頷き、妹の遺品である短刀――『十二式超振動刀・甲”不知火”』を背中の鞘に納め、背負ったバットケースを降ろし、一振りの日本刀、『一二式超振動刀”陽炎”』を取り出す。彼に倣うかのように、その鞘を左腰のベルトに突っ込み、抜き放った。下段に構えたその刀身が、太陽光を反射し煌めく。
「……サイバネティクス兵士が実験個体、第十二号。山田 勲」
「――長月 遥」
二人は、互いの名を名乗る。吹いていた風は突如止み、やかましく鳴いていた蝉の声も遠くなった気がした。正に、嵐の前の静けさ。
「「――参るッ!!」」
再び吹いた風が合図となり、歴史に名を残さぬ剣士の戦いの火蓋が、切って落とされた。




