やって来たアイツは危険なポリス・オフィサー
とある八月の昼下がり。嫌になるぐらい蒼く澄み渡った、入道雲の浮かぶ空と刺すような日差しの太陽を背に、戒斗は一人歩いていた。ブーツの踵がアスファルトで舗装された地面を
叩く度、コツ、コツと足音が響く。
「暑すぎんだよ畜生が……」
蒸されるような湿気と照り返しにうんざりしていた戒斗はひとりごちる。彼はついさっき小規模の依頼を終え、帰宅の途に就いていたところだった。依頼内容は、近所のコンビニに何故か真っ昼間からたむろしていた不良連中を追い払うこと。かなり微妙な仕事ではあるが、これもれっきとした傭兵の仕事。ここ数ヶ月ぐらいずっと派手なドンパチが続いていたので忘れがちだったが、傭兵は合法的な殺し屋、というよりむしろ体の良い便利屋の側面が強い。ここ最近が異常だっただけで、そう滅多に命のやり取りは発生しないのが普通だ。治安の比較的良い日本では特に、だ。
不良達は最初こそ威勢が良かったが、傭兵手帳と共に拳銃を突き立ててやったらすぐにビビッてどこかに逃げて行ってしまった。拍子抜けした戒斗はついでに昼食を買っていこうと店内に入ったのだが、これまた運悪く強盗真っ最中の現場に遭遇。うんざりしつつ強盗を制圧し、通報で駆け付けた警察につい数分前まで事情聴取を受けていたのだった。結局、混乱や事後処理で昼食は買えずじまい。
「っざけんなよホントによぉ」
ブツブツと文句を垂れながら、戒斗は自宅マンションに入る。階段を上るのも億劫だったのでエレベーターを使って、戒斗は自宅に戻った。
汗ばんだ手で開錠し、重苦しいドアを開けて帰宅。備え付けシースにナイフを仕込みっぱなしにしてあるブーツを乱雑に脱ぎ捨て、戒斗はリビングのドアを開けた。ドアの向こうから一気に押し寄せるエアコンの冷気は、ある意味で都会のオアシス。
「あ、戒斗おかえりー」
ソファに座って煎餅を齧ってテレビを見ていた琴音が帰宅した戒斗に気づく。
「はいはいただいま戻りましたよ……あー涼しい」
冷蔵庫を漁り、冷えたミネラルウォーターのペットボトルを煽る戒斗。
「で、どうだった?」
「どうだった、ってなぁ。酷いもんだったぜホント」
キャップを閉めたペットボトルを持って琴音の対面に座った戒斗は、先程の仕事の経緯をボヤく。
「あらあら……そりゃ災難だったわね」
聞いた琴音は、煎餅を齧って苦笑い。
「結局昼飯は買えずじまいだしよ。とんだ災難だぜホント。たまにはもうちょいマシな依頼来ねえもんか」
「あっ、依頼といえば戒斗」
ハッと何かに気づいた琴音が、煎餅を咥えたまま電話機の前まで小走りし、置いてあったメモ用紙一枚を持ってきた。
「なんだなんだ突然」
「えーとね……依頼よ。高岩さんって刑事。夕方にここ来るって」
窓から紅く染まった夕焼けが望める時刻。隣に琴音を座らせ、戒斗は対面に座る依頼人を苦い表情で見ていた。その壮年の依頼人の無精髭を生やした顔は見るからに不幸面。見ているこっちにまで不幸が伝染してきてしそうな程に、だ。身に纏うくたびれたスーツが更にその印象を強めている。彼の名は、高岩 慎太郎。数週間前にも仕事を持ってきた、刑事だ。
「――で、今回はどんな厄介事を持ってきたんだ。高岩さん?」
「厄介事、ね。確かにそうかもしれんな」
戒斗は半分冗談のつもりで言ったのだが、高岩の溜息交じりの反応から察するに結構アレな仕事らしい。
「三日後、L.A.P.D.――ロサンゼルス市警から、刑事が一人出向してくる。お前に依頼したいことは、その刑事のサポートと、監視」
「ロサンゼルス市警、だと?」
苦い表情のまま、戒斗は聞き返す。ロサンゼルスといえば、数か月前に戻ってくるまで戒斗が十年間を過ごしていた土地だ。そこの警察となれば、知り合いは結構な数が居る。良い意味でも、悪い意味でも、だ。
「ああ、ロサンゼルス市警だ。かなりデカいヤマを追って、日本に来るらしい」
「デカいヤマ、ね。それは別にどうでもいい。それよりも、だ。サポートは分かるが、監視ってなどういうことだ、高岩さん?」
「サポートはその刑事からの公式な依頼だ。監視は……俺が追加で、お前に頼みたいこと、かな」
高岩は言って、出された紅茶を啜る。
「怪しいのか、その刑事は」
「根拠はない。単なる、刑事の勘だ」
高岩の言葉に拍子抜けした戒斗は、思わず持っていたティーカップを取り落しそうになった。
「勘、勘ね……」
「受けてくれるな、傭兵」
「ハァ……警察から直接の依頼とあっちゃあ、断れねえよ。特に、ロス市警の人間ともなりゃあな」
「そう言ってくれると助かるよ」
肩の力が抜けた、と言わんばかりの表情の高岩。彼も色々と大変なのだろう。
「で、その刑事ってのは?」
ああ、コイツだ――高岩は言って、懐から取り出した一枚の写真を戒斗の前に滑らせた。
「戒斗、本当にここで合ってるの?」
「多分、合ってるはずだ。多分な」
三日後。お盆ということもあり、帰省客や旅行者でごった返す空港のターミナルに、戒斗と琴音の二人は居た。目の前にあるのは入国ゲート。高岩の言っていたことが間違いでなければ、ここから現れるはずだ。ロサンゼルスから来たという、刑事が。
「ていうかさ、暑くないの? 上着なんか着て」
「仕方ねえだろ色々大っぴらに見せられんモノ持ち歩いてんだから。というかお前も着てんじゃねえか上着よ」
「へへへっ、私は薄手の半袖だからいいもーんだ」
「俺も薄めだッ」
そんな他愛のない話をする戒斗の羽織る上着の下、ショルダーホルスターにはいつも通りミネベア・シグ。背中のSOBホルスターにはキャリコM950A機関拳銃が。琴音のショルダーホルスターにはベレッタPx4自動拳銃が収められていた。確かに、大手を振って見せて歩けるモノではない。特にキャリコは。
入国ゲート付近が突然、少しだけ騒めいた。まさか、と思ってそっちを見ると、案の定人だかりが出来ており、その視線はたった今ゲートから出てきた一人の女に集中していた。
「ねぇ戒斗、あれって」
「ああそうだ。どうやらご到着のようだな」
男女問わず注目の的になっている女の髪は長いストレートヘアで、透き通るような青みがかった色をしていた。その顔立ちは端正で整っているが、日本人とは根本から異なったその美貌は一瞬で欧米系と判断できる。戒斗と殆ど変らない高身長と、スラっとした体格。彼女を一言で表す適切な言葉は『美女』であろう。黒いフォーマル系のスーツをラフに着崩した彼女は、戒斗の姿を見つけるなり、スーツズボンに通した長い脚を急がせ、真っ直ぐ歩み寄ってきた。
「待たせたわね、戒斗」
「大体一年とちょっと振り、だったか?」
「さあね。忘れちゃったわ。前よりも男前になったじゃない」
「そりゃどうも」
旧知の仲のように話す二人の姿を見て、困惑する琴音。
「ところで、そこの可愛らしいお嬢さんは? もしかして戒斗の彼女さんだったりするのかしら」
「なわけ。コイツは琴音。俺の昔の幼馴染にして、今の護衛対象兼仕事仲間だ」
「ど、どうも。初めまして」
困惑した表情のまま、初対面の彼女に向かって琴音は挨拶を交わす。
「あらあら。私はエミリア・マクガイヤー。ロサンゼルス市警から出向してきた刑事で、今回の依頼人よ。戒斗がロスに居た時には、何度か協力して貰って、一緒に難事件を解決してたわ。よろしくね? 琴音ちゃん」
愛想のいい表情で、エミリアと名乗った刑事は握手を求める。琴音がそれに応じると、ふふっ、と小さく笑ってみせた。
「なぁところでエミリア。お前が追って来た事件って何なんだ。サポートをこなす以上、知っておく必要はある」
戒斗の一言に、エミリアは一変して神妙な表情になる。
「そうね……場所を変えましょう。ここじゃあ目立ちすぎるわ」
場所は変わって、広大な屋外駐車場に停められた真紅のスポーツセダンの車内。エンジン暖気真っ最中のその車の運転席には戒斗。その隣、助手席には琴音が座り、そこそこ広い後部座席の助手席側にはエミリアが座っていた。
「私が追っているのは、簡単に言ってしまえば麻薬よ」
エミリアが口を開く。
「麻薬?」
「ええ。かなり大がかりな、それこそ世界的な流通があることと、それに日本のヤクザ・シンジケートが関わっていることが分かったの」
「で、それをお前は追ってここまで来た、と」
「そういうことよ」
「よくあるパターンだな」
言って戒斗は、エンジン温度計を確認。暖気は十分だった。
「で、なんで俺にサポートなんて持ちかけた?」
「単純に、見知らぬ土地でのガイド役と、イザという時のボディガードが欲しかったの」
「へぇ。ボディーガードねぇ。お前に一番似合わない付き人だな」
冗談半分のつもりだった戒斗のこめかみに、何か冷たくてすごく硬いモノが押し付けられた。
「え? ごめんなさい良く聞こえなかったわ」
「お前なら素手で熊だろうが絞め殺せ――」
「えー? 何か言ったー?」
さらに強く押し付けられる。
「あーすまんすまん悪かった許せッ! だからその物騒なハンド・キャノンをしまってくれッ」
降参し、やっと押し付けられた硬いモノが離された戒斗が振り向くと、そこにはにこやかに微笑みながら、ドデカい自動拳銃――スプリングフィールドM1911をベースにした、カスタム・ガバメント――を握り締めたエミリアが後部座席に座っていた。金属光沢を放つ、前部セレーションの追加されたステンレスの強化スライドが、牙を剥き出しにした獣を前にしたような錯覚を押し付けてくる。
「相変わらずの.45口径か」
「ええ。だって強いでしょ?」
「俺は嫌いだね――ちょっと貸してくれ。久々に見たい」
エミリアからカスタム・ガバメントを借り、戒斗はそれを拝見する。ステンレスの強化スライドには視認性の良いノバック・サイトが埋め込まれている。グリップはメインスプリング・ハウジングを始め、必要箇所すべてに十字の滑り止めチェッカリングが施されたカスタム・フレームだ。バックマイヤー社製の黒いラバー・グリップパネルが良く手に吸い付く。エミリアの手に合わせて延長されたであろうサム・セイフティとスライドストップも操作しやすくていい。他にも、弾倉交換を確実にする小型マグウェルや、延長されたトリガー、鋭いレスポンスの軽量リングハンマー等々。入念に吟味され、カスタムされた拳銃だ。
「相変わらずすげえカスタムだなホント。幾ら注ぎ込んだんだよ」
エミリアにカスタム・ガバメントを返却し、戒斗は言う。
「ん? 聞きたい?」
「いややっぱやめとく。恐ろしい額だろ絶対」
戒斗は向き直り、アクセルを踏んで二、三度エンジンを空吹かし。タコメーターが踊るように上がり、ブースト計が高まる。閉め切った窓越しにも、二気筒ボクサーエンジンのエグゾースト・ノートが待機を震わせているのが分かる。
「で、エミリア。どこに行く予定だ?」
「フライトで疲れちゃったしねぇ。今日は大人しくしておくわ。手配してあるマンションがあるから、そこに向かって?」
「ん、ああ。確か高岩のおっさんが資料渡してたな……琴音、ダッシュボードの中に貰ったファイル突っ込んであるから取ってくれ」
「ん? 分かったわ……ああ、これね」
ダッシュボードを開け、中から出てきたそこそこ分厚いファイルを琴音は戒斗に手渡す。
「助かる。住所は……っと。ここか。このマンションなら大体場所分かるぜ」
「じゃあ、お願いね」
「あいよ」
サイドブレーキを解除し、シフトレバーをDに入れ、戒斗は真紅の車体を発進させた。
「それじゃあ戒斗に琴音ちゃん、明日からよろしくねー」
既に夕陽が差し込む時間、とある白い十数階建ての高層マンションの玄関前で、エミリアが手を振っていた。琴音は車内から振り返し、戒斗も軽く会釈してやった。それを見て満足したのか、エミリアはマンションに入っていった。
「さて、俺達も帰るか」
「そうね」
戒斗は再度、真紅のスポーツセダンを走らせる。
「エミリアさん、良い人そうでよかったわ」
隣に座る琴音は上機嫌そうだ。
「そうか」
「戒斗はさ、なんかエミリアさんと話しづらそうにしてるけど……何かあったの?」
核心を突かれた戒斗はギクリ、と動揺する。
「まあ、色々と、な……」
「へぇ。まあ深くは聞かないわ。聞いても意味ないもの。ね?」
それ以降、戒斗は黙り込んでしまう。
――ほんの一時期だけ、恋人の関係だったとは言えなかった。ほんの少しの間だけだったが、彼女と、エミリアと戒斗は交際していたのだ。つまりは、色々といい感じによろしくやっていたわけだ。すぐに別れたが。だからこそ、会話の節々に話しづらさというか、そんなのが出ていたのだろう。
「な、なぁ琴音。いつものスーパーの横通るけど、ついでに夕飯の食材、買ってくか?」
半分無理矢理話題を変える戒斗。いやまあ、食材が必要なことは事実であるが。
「そうね。帰っても冷蔵庫スッカラカンでしょうし。良いわ。行きましょう?」
「了解いたしましたっと」
紅い夕陽を反射する、これまた紅いボディカラーのスポーツセダンは、テールランプの光で尾を引かせ、夕暮れ時の街を疾走していった。




