Tomorrow never Die, Mercenary.
午前十時過ぎ。朝と昼の境界線に近いこの時間、戒斗は珍しく外出もせず、キッチンの流し台に立っていた。その背後では琴音がソファに腰掛けて雑誌か何かを読んでいる。点けっぱなしのテレビからは数十年前の時代劇が流れ、今は故人となった名役者の在りし日の姿を映し出している。
窓の外に広がる外界は晴れ渡り、起きた時より少し高くなった太陽から嫌になるほどの光と熱が降り注いでいた。だが部屋の中は逆に、少し寒く感じるほどに涼しい。エアコンという人類の生み出した偉大な装置の恩恵だ。
そんな冷え切った部屋の中流し台に立つ戒斗の目の前には、結構な大きさの水砥石が置かれていた。そのすぐ横には幾多のナイフが並べられている。大きさも様々で、世間一般に十徳ナイフと呼ばれるような、刃渡り数cmと小さい多用途ツールナイフから、愛用の大型ナイフHIBBENⅢのような30cmを超える大型のモノまで、多種多様なナイフが揃えられていた。
蛇口から流れ落ちる水道水がステンレスの流し台を叩く音に混ざって、戒斗が砥石とナイフを擦らせて刃を研ぐ、鋭い金属の擦れる音が響く。この瞬間がある意味至福の時でもある。一応これら多種多様なナイフ達は仕事道具であるが、戒斗自身の趣味でもあった。今研いでいるHIBBENⅢはサバイバル・ナイフの中でも特に大ぶりなランボーナイフと呼ばれるモノで、実用性よりも映画のスクリーンにおける視覚効果を重視した造りになっている。だからこそ、大きく刀身が作られている。HIBBENⅢ自体は映画の中で出てきたカスタムナイフより二回りほど小さくなっているが、それでもかなり大きいことには変わりない。それでもなお好んで使うのは、彼自身の憧れ、というものがあるのだろう。実際殺傷力は高いので、戒斗の使い方なら問題は無いのだが。
「結構持ってるのねぇ」
雑誌を読んでいたはずの琴音がいつの間にかすぐ傍まで近寄って、並べられたナイフ達を眺めていた。
「まぁ仕事道具だしな。趣味もあるけど」
戒斗は研ぎ終わったHIBBENⅢに付着した水と砥糞を雑巾で拭い、専用の革製シースに収めながら言う。
「にしてもこの量……どう違うの?」
「そうだな。握り心地とか、用途とか色々違うところはあるが、一番違うのは鋼材……あ、刀身の原材料の鋼のことな」
言って戒斗は、次に研ぐ予定だった米国オンタリオ社製ファイティング・ナイフ、Mk.3 NAVYを手に取って琴音に見せてやる。
「へぇ。これは何?」
「コイツは元々アメリカ海軍に納入されてた奴だな。今は流石に違うだろうけど。まあとにかく特徴としては柔らかく、錆びにくい。だからSEALsなんかの海によく潜る奴に重宝されてる。純正の鞘がクソ以下だからわざわざカイデックス樹脂で自作させられるハメになっちまったが」
自嘲気味に笑い、戒斗は砥石へと視線を戻しMk.3を研ぎ始めた。琴音は興味津々といった感じで並べられたナイフ類を眺めては、手に取って見ている。
「そういやお前にはナイフ持たせてなかったな」
「そうねー。すっかり忘れてたけど。必要よね」
研ぎながらふと横目で見ると、琴音は米国ベンチメイド社製ファイティング・ナイフ、ニムラバスを先程からずっと手に取って放す様子がない。鋸のような波刃が刃の一部に施されたモデルで、確かロスに居た時買ったモノのはずだ。
「……気に入ったなら、ソイツやるよ」
「え? いいの貰っちゃって?」
驚いたようにこちらを見る琴音。
「気に入ってるみたいだしな。米軍正式採用のファイティング・ナイフだし品質は保証するぜ」
「なら、お言葉に甘えて貰っちゃうね」
「貸してみろ。折角だから研いでおいてやるよ」
戒斗は研ぎが終わったMk.3を自作のカイデックス樹脂製の鞘に戻して、背後のキッチンカウンターに置いてからニムラバスを受け取り、研ぎ始める。かなり久々に触った気がした。そういえば日本に来て棚にしまい込んでから一度も出していなかったな。とふと思う。
「コイツなら万事問題ないだろうよ。サバイバル・ナイフの方は……また今度でいいや」
「え? それ一本で良いんじゃないの?」
琴音の疑問も最もだ。普通に考えれば刃物なぞ一本持ってれば事足りる。
「都市部で仕事してりゃサバイバル・ナイフなんかまず要らねえ。だがこの前の俺の仕事みたいに山の中行ったりだとか、数日間帰れる見込みがなさそうな時はサバイバルの方が役に立つ場合が多い。例えばこのニムラバスみたいなファイティングだと敵を始末するにはうってつけだが、薪割りだとかそういうサバイバル用途には向かない場合が多い。薄いからな。ニムラバスならある程度大丈夫だろうが、それでも分厚いサバイバル・ナイフの方が色々と便利に使える」
まあ、俺のランボーみてえなのは極端すぎるけどな。と続ける戒斗。
「ふーん。映画みたいなナイフも案外実用的なのね」
「まあ結構実用的な描写もあったりするけどな。八十年代のなんかだとヘリのコクピットからロケット・ランチャー撃つアホみたいなのもあるが。バックブラストで自分も焼け死ぬっつーの」
「あの時代の奴に関しては気にしちゃいけないと思うわよ……アクション映画なんてド派手で面白けりゃそれでいいのよ」
「ハッ、そりゃ言えてる」
こうして話している内に分かったが、どうやら琴音も戒斗と同様、結構な映画好きらしかった。互いの趣味が一致したのが幸いして、会話はどんどん弾む。もしかして銃を持たせても琴音が大して萎縮する様子なかったのってこれが原因なんじゃないか……? まあ、こちらとしてはその方が楽で助かるんだけども。
「そういや琴音、Px4の調子はどうだ?」
話が某州知事のB級アクション映画へと何故か逸れていった時、ふと思い出して戒斗は話を振ってみる。ここ最近レニアスの所へよく射撃練習に行っているみたいだったようだし、なんとなく消耗度が気になっていた。
「んー、まだ問題は無いと思うけど……」
「なら良いけど、何かおかしいと思ったらすぐに俺なりリサなりに見せた方がいいぞ。レニアスでも良いけど。アイツあれでも一応店長任される程には精通してるから」
性質上、銃というものは銃身などのパーツはいずれ摩耗してくる。あまりコンディションが悪いと弾詰まりが頻発するなど致命的な事態が起こりかねない。少しずつ知識を教えてはいるが、それでも周りの連中と比べたら琴音は素人もいいとこだ。だからこそ、一番身近な自分が気にかけてやらねばならないという思いが戒斗にはあったのだ。たった一度の弾詰まりが、死に直結することだってある。それを思って確実な回転式拳銃を父、鉄雄は好んで携行しているのだろうが……戒斗自身、どうも回転式拳銃を使う気には何故かなれない。鉄雄はそんな戒斗を見て「若いうちは仕方ない」と言っていたが、いつかは自分にも分かる日が来るのだろうか。
丁度ニムラバスを研ぎ終わり、雑巾で拭った後専用の樹脂製ハードシースに収めようとした時、インターホンがピンポーン、と軽快な呼び出し音を鳴らし来客を知らせた。
「来たか。俺が出る」
ホラ、と琴音に鞘に収めたニムラバスを手渡して、戒斗は玄関へと急ぎ足で歩いていく。
「はいはい今出ますよっと」
鍵を開け、重い玄関扉を開けた先に立っていたのは、小柄で華奢な黒髪ショートヘアの見慣れた少女、長月 遥だった。服装は神代学園の制服でもなければ忍者装束のような戦闘着でもなく私服。Tシャツの上に薄手で半袖の上着、履いているのはスカートなものの、見るからに動きやすそうではある。昨晩電話で彼女の依頼を受ける旨を伝えるとともに、具体的な作戦を練る為に戒斗は今日、一応事務所も兼ねている自宅に遥を呼んだのであった。
「……どうも」
「まあ上がれ上がれ」
遥を家の中へ招き入れる戒斗。彼女は促されるまま、行儀よく「お邪魔します」と一言呟いて軽くお辞儀をしてから玄関へと足を踏み入れる。脱いだスニーカーもきっちり揃えて並べていた。
リビングへと遥を通し、とりあえずソファに座らせる。砥石とまだ研いでいないナイフを一旦端の方へと追いやり、ティーバッグの紅茶を三人分用意し、ティーカップにポットからお湯を注いでいく。最初に注ぎ終わった奴を琴音に頼んで遥に運ばせ、残り二つを持ってテーブルに自分と、隣に座る琴音の分を置いてやった。
「さて、俺達はお前の依頼を受ける。そのことは伝えたな?」
「……はい。よろしくお願いします」
確認の意味も込めて言うと、遥は深々と頭を下げる。
「よし、なら具体的な作戦でも練ろうか……琴音、地図を」
「はいはい、これね」
琴音に手渡された、棒状に丸めたそこそこ大きな地図をテーブルに広げる。地図は国土地理院発行、縮尺二万五千分の一の正確な地形図。示されている場所は、黒部ダムがあることでも知られている飛騨山脈のとある山中。遥によれば、この場所に隠されている”方舟”の秘匿研究施設に妹、静が囚われているらしい。場所が分かっているなら何故単独で行かなかったか? それは戒斗自身疑問に思ってあの夜、屋上で彼女に訊いていた。返ってきた答えは至極単純だった。”機械化兵士が居るから、下手に手出しすれば返り討ちに逢う”。確かに、最先端技術の粋を集めた全身機械の兵士に単独で敵うはずもない。幾ら彼女が過酷な修業を積んだ忍者で、相当な手練れであるとしても、だ。かといって大量に人員を集めることも出来ない。仮に出来たとしても先に嗅ぎ付けられるか、上手くいったとしても所詮は数だけの烏合の衆。全滅させられるのは目に見えている。それは機械化兵士の資料を見た戒斗自身も分かっていた。
戒斗と遥、二人の意志は既に電話越しに決定されている。”少数精鋭で潜入、敵に気取られぬよう妹を救出する”。一応昴を説得し得た設計図を基にして、レニアスに対機械化兵士用の装置を造らせてはいるが、あくまでも最後の手段。勿論隙があれば後々の為に機械化兵士は潰しておきたいが、あくまでも主目的は妹の救出。出来るだけ戦闘は避ける方向だ。
「メンバーは俺に遥、琴音に……後もう一人、リサって奴が居るんだが……どこをほっつき歩いてるのか、今は不在だ。後方支援にはウチの新入社員、瑠梨を付ける。顔ぐらいは見たことあるだろ?」
戒斗の言葉に、ただ頷く遥。これは多分肯定、と受け取っていいのだろう。
「西園寺グループからヘリとパイロットを借り受けられたから、俺達四人はまずヘリで目的地から1.5km離れたあたりに降下。そこからは歩いて向かう」
「歩いてって、それ大丈夫なの!?」
戒斗の一言を聞いた琴音が驚きの声を上げてこちらを見る。そういえば作戦概要までは伝えていなかったな。
「歩くって言っても大した距離じゃねえし、地形図と衛星写真照らし合わせて出来る限り安全なルートを選ぶから心配いらんよ」
「な、ならいいんだけど」
怪訝そうに紅茶を啜る琴音を横目に、戒斗は話を続ける。
「話題を戻すぞ。歩いて辿り着いたら、俺と遥の二人はそのまま内部に潜入。琴音とリサの二人はいつものように監視と狙撃支援を頼む。狙撃に適した場所は既に選定済みだ」
戒斗は地図に赤いマーカーペンで数か所に打たれた丸印を指差す。
「装備は?」
琴音が至って真剣な表情で問いかける。
「それは今から説明するとこだ。遥はいつも通りの装備で構わない。琴音は悪いが俺が事前に用意しておいた奴を使ってくれ。ロシア製のVSSヴィントレス消音狙撃銃。射程は400mと短いが、狙撃ポイントから目的地までの距離は一番長いところでも300mだから問題ない。雪中用に塗装は既に施してあるし、弾はこちらから支給する」
「リサさんは?」
「俺からまた伝えとくが、調達出来たヴィントレスは一挺だけだ。リサには万が一に備えて自前の奴を携行して貰うが、予定通りに進めばアイツには観測手をやって貰う」
旧ソ連で開発された消音狙撃銃、VSSヴィントレスは特殊部隊向けに造られたモノで、静粛性も高く、隠密性を重視するこの作戦にはうってつけの銃だ。だが銃、弾共に入手が難しいようで、レニアスでも稀にしか入荷出来なかった程だ。夏前にたまたま入荷した時に仕入れておいたモノが、ようやく役に立ったわけだ。
「俺と遥の二人は気取られぬように静とやらを救出、可能なら機械化兵士を破壊し、脱出する」
「……一つ、いいですか」
遥が軽く手を上げ、戒斗に問う。
「なんだ?」
「機械化兵士の破壊、と言いましたよね……何か、策でもあるんですか」
不安そうな表情の遥の言葉を聞いた戒斗は、ニヤリと不敵な笑みを浮かべて言う。
「ああ、その点なら問題ねえ。あの化け物を開発した張本人、最上医師から直接対抗策を貰ってある」
その言葉を聞いた遥は、目を見開かせて思わず両手で口元を覆ってしまった。何か驚嘆の言葉を呟いているみたいだが、残念ながら聞こえない。
「既にレニアスが制作を始めているから問題ない。完成は今日から六日後。作戦は七日後の夕方ぐらいに決行する」
「ねぇ戒斗? こういう時って、なんか洒落た作戦名でも付けるべきじゃない?」
ニヤニヤと笑みを浮かべながら話しかけてくる琴音。どうやら彼女も、まるで映画のようなこの状況を楽しんでいるようだった。……妙にノリノリだな。前はこんな奴だったっけ。まあいいや。
折角だから琴音の提案に乗って考えてみるが、中々上手いネーミングが思いつかない。映画のタイトルなんかもじった奴もしっくりこない。
と、悩んでいたら、ふとある名前が頭に思い浮かぶ。『Operation Desert Saber《砂漠の剣作戦》』。九十年代初頭の湾岸戦争にて多国籍軍が行った地上戦の作戦名だ。
「……これだ」
「何か思いついたの?」
「ああ、『Operation;Snow Blade《雪の剣作戦》』ってなぁどうだ」
「それ中々良いじゃない! 遥はどう思う?」
「……良いんじゃ、ないでしょうか」
どうやらお嬢様方のお気に召したようだ。戒斗はティーカップに残った紅茶を一気に喉に流し込み、一息ついて正面へと向き直る。
「それじゃあ今後、この作戦を『Operation;Snow Blade《雪の剣作戦》』と呼称する。作戦決行は七日後。それまでそれぞれ英気を養っておいてくれ」
時は流れ、遥が訪れてから六日後の夕暮れ時、戒斗はレニアスから装置が完成したとの連絡を受け、『ストラーフ・アーモリー』へと向かっていた。座り慣れた愛車の革製シートから伝わる振動が心地いい。エンジンも皆ご機嫌なようで、V型六気筒エンジンは順調に回転数を伸ばし、後輪を駆動させ、後部マフラーから排ガスと重厚なエグゾースト・ノートを奏でながらスポーツカーは疾走する。サンセットオレンジの車体カラーが夕焼けと妙にマッチして、いつもの数倍増しに美しく見える。やれ低燃費だハイブリッドだとエコロジー思考が声高に叫ばれている時代にこの車はミスマッチのように思えるが、どうにもこれは癖になって止められそうにない。お気に入りの七十年代ハードロックを流しながら、燃費度外視の高排気量エンジンを吹かし、空力性能を極限まで追求した流線型のボディで大気を切り裂き疾走する――個人的な意見だが、これを体験しないというのはあまりにも勿体ないことだと戒斗は常々思っていた。
家から車を走らせること十分弱。無駄に大きな店舗と妙に似合わない小ぢんまりとした駐車スペースにスポーツカーを停め、『ストラーフ・アーモリー』の店内へと入っていく戒斗。カウンターの向こうへと二、三度声を掛けたら、相変わらず小さな体躯のレニアスが長い長いツインテールを揺らして奥からいそいそと出てきた。手や顔が機械油で黒ずんでいるのが、遠目からでも良く分かった。
「おお、戒斗か。今最終調整中じゃから、十分ぐらい待っとれ。飾ってある奴は好きに取って見ていいからの」
「それじゃあ、お言葉に甘えて」
戻っていくレニアスを尻目に、戒斗は改めて店内を見渡してみる。やはり凄い量だ。最新鋭の軽量なポリマー樹脂製の突撃銃から、骨董品としてかなり高値で売れそうな第二次世界大戦中の小銃まで様々。レニアス曰く「骨董品レベルの奴は日本だと全く売れない」らしいが。戒斗はふと目に留まったボルトアクション式小銃、モシン・ナガンを手に取って眺めてみる。
正式にはモシン・ナガンM1891/30という名のコイツは、百年以上前にロシア帝国によって造られた小銃で、どうやらコイツは革命後ソ連で近代化改修されたモデルのようだ。有名なところだと、伝説のフィンランド軍狙撃兵『白い死神』ことシモ・ヘイヘがコイツの改良型で尋常じゃない戦果を記録したとか。戦後、SVDドラグノフの登場によって生産が終了した後も狩猟やスポーツ射撃などで人気が高いという。まあ、それらの文化が、言ってしまえばマイノリティであるここ日本ではコレクターやマニア相手にしか売れないのであろうが。
戒斗はボルトハンドルを操作し、中を確認してみる。結構綺麗だ。状態もいい。ボルトを戻し、構えてみても銃身の曲がりなど違和感はない。軽く引き金を引き、空撃ち。こちらも正常に動作する。パッと見でも分かるほど、状態が良かった。恐らく他の骨董銃、例えば飾られている旧日本軍の三八式小銃なども同様に良好な状態なのだろう。ここまでのモノをどんなルートを使って入荷したのかは知らないが、改めてレニアスを見直した。正直抜けているところの方が多い彼女だが、今回の装置制作といい、希少武器の入手の腕といいその辺りのことに関しては誰よりも頼りになる。今度何か少々高めの奴でも買っていってやろうとふと思う戒斗であった。
「出来たぞー」
モシン・ナガンを元あった場所に戻し、暫くショーケース内の拳銃やらを眺めていたら奥からレニアスが手招きしてきた。戒斗がレジカウンターの前まで行ってやると、レニアスは奥から持ってきた、簡易注射器、オートインジェクターを二回りぐらい大きくしたような形のモノをカウンターに置く。ゴトリ、と、重厚な音が響いてきた。
「これが、完成品か?」
手に取って見てみると、通常のオートインジェクターなら注射針があるようなところに端子らしきものが装着されている。構造はオートインジェクターと同様、押し付けるまでカバーが外れない方式だ。反対側にはボールペンの頭のような大きいボタンが一つ、付けられている。
「にしても造ってて驚きの連続じゃったわ。その装置考えた……その、誰だったか名前忘れたが、ソイツの頭の構造どうなってるんじゃろなぁ」
戒斗はレニアスの呟きを聞き流しながら、先日昴から聞かされた機械化兵士の能力と弱点、その言葉を反芻する。
『――機械化兵士の表面装甲は7.62mm弾までの直撃なら耐える。奴らは私の開発した人工筋肉の恩恵で人の何倍もの運動能力を獲得している上に、人口眼球、脊椎に埋め込まれた演算ユニット、そして兵士自身の脳を用いたハイブリット演算システムを使って人間の何十倍という速度で思考を行ってくる。コイツには脳への負担の関係で時間制限があるが、君達のような少数を相手にするなら問題にならないだろう。下手をすれば、放った弾を高周波ブレードで叩き斬られるぞ』
『弱点は三つ。一つは演算システム全力稼働時に閃光音響手榴弾が直撃すれば機能がほぼ停止する。これに関してはよっぽどの不意打ちでもない限り無駄だから諦めた方が良い。次が重要だ。これは私が”ワザと”残しておいた欠陥なんだが……脊椎、丁度首の付け根辺りにある演算システムのメンテナンス端子から直接コードを送り込んで演算ユニットをオーバークロックさせれば数分で脳が焼き切れるようになっている。設計図はこのメモリの中に入れておく。制作できるアテはあるんだろう? 生憎私は工作が苦手でね』
……その、”演算ユニットをオーバークロックさせる装置”を今、戒斗は手にしている。昴の設計図によればコイツの名は『フルストットル・エクステンダー』。まあ、機械化兵士の真後ろに取り付くこと自体無茶ではあるのだが……少しでも、生き残れる可能性は増やしておきたい。
「それと、これじゃ」
もう一つ、こちらはスマートフォンのような見た目のPDF端末に特殊端子を組み込んだだけの簡易改造品。昴曰く『起動前、メンテナンス中の機械化兵士の縛りを解放する』装置らしい。何のことだかはよく分からないが、持っておいて損は無いだろう。使う機会が無いことを祈るばかりだが。
「なぁ戒斗」
レニアスが珍しく影の差した表情で話しかけてくる。
「なんだ?」
「……こんな途方もない組織と、本当に戦うのか?」
「ああ」
「復讐の為に?」
「そうだ。俺はその為だけに、この十年間生きてきた」
「それなら、浅倉だけを狙えばいいんじゃなかろうか?」
一応昔馴染みであるレニアスは、心配してくれているのだろう。戒斗のことを、彼女なりに。
戒斗は一度、深く深呼吸をする。肺に空気が充満する感覚。そして改めて、レニアスの顔を正面からしっかりと見据える。
「ああ、俺も一度はそう思った」
「なら、それで――」
「だが、それじゃあダメだ。俺が奴らを叩き潰さないと」
「何故じゃ!? そんなこと、警察や自衛隊に任せればよかろうて!」
カウンターに強く両手を叩き付け、レニアスは戒斗に叫ぶ。その両目には少しだが、涙が溜まっていた。その表情を、戒斗は胸に刻みつけるように視界から放そうとしない。
「そうも言ってられん。奴らは恐らくだが、政府内部にまで浸透してる。一個人である俺じゃないと逆に歯が立たない」
「ならッ! 他の傭兵に任せればッ!」
「――琴音が、狙われてるんだよ。あの”方舟”とかいうクソッタレ共に」
琴音は、狙われている。最近めっきり琴音を狙った襲撃がなかったから忘れがちではあるが、元々戒斗の自宅兼事務所に住まわせているのも、彼女に戦い方を教えたのも、全ては彼女を護る為。琴音は少なくとも、あの夜――戒斗が受けた、不審者パトロールで見回っている時に琴音が連れ去られる所を妨害したあの夜より前から、ひょっとすると戒斗が来日する前からその身を狙われている。浅倉との関連性などから考えても、十中八九、琴音を狙っているのは”方舟”の奴らと見て間違いない。奴らにどんな理由があろうとも、琴音を狙うのであれば、生かしておくわけにはいかない。例えそれが、得体の知れない巨大な組織であっても。
「……そこまで言うなら、誰にも止められんじゃろうな、戒斗は」
数十秒の沈黙を破り、レニアスは一人呟く。
「すまない。だが俺は、ここで立ち止まることも、逃げることも許されないし、俺自身が許さない」
「昔からそうじゃったな。十年前、初めて会った時から全然変わっておらん」
そう昔を懐かしんで呟くレニアスと出会ったのは、約十年前。渡米してきてすぐだった。父、鉄雄が戒斗を連れて訪れた銃砲店――『ストラーフ・アーモリー』のロサンゼルス本店で、まだ幼かった彼女と出会った。すぐに鉄雄が常連客になって店長でありレニアスの父、ジョージ・ストラーフと仲が良くなっていたからか、戒斗とレニアスの二人は結構な時間、共に過ごしていた。戒斗にとってはアメリカでの数少ない友達であり、妹のような存在。当時、その頭の良さから周囲に忌み嫌われていたレニアスにとっては初めて出来た友達であり、いつも護ってくれる兄のようでもあった。
「確か、クラスメイトに苛められてるのを知った戒斗が一人で突っ込んでいったことがあったのう」
「ああ、あったあった。懐かしいなぁ。もう十年も前か」
「あの時行くなって言っても戒斗は全く聞く耳持たずで、結局ボロボロになって帰ってきてたの」
「そうそう、最終的に友達になっちゃったんだけどな。アイツら名前なんだっけ……確かジョンとギルバート、後は……」
「ジョンにギルバート、ジェームズにフランクリンじゃの」
「ああそうそう! アイツら元気にしてるかなぁ。傭兵始めてからめっきり会う機会無くなったし」
ロス時代の思い出話に花を咲かせていると、唐突にポケットの中のスマートフォンが震え、着信音が鳴り響く。電話の相手は……琴音か。
「あ、ちょっと悪りい……ああ琴音か。わーってるわーってる。三十分もしねえ内に帰るぜ。晩飯? ああそうか、もうそんな時間か――ってオイ、また素麺かよォ!? 勘弁してくれよ、なぁ!」
レニアスに背を向け、琴音と騒がしく通話する戒斗の背中と、昔見た、幼少期の彼の背中がレニアスの目に重なって見えてくる。
(ああ、変わらないのう。戒斗は……)
「ったく、もう素麺は勘弁してくれよホント……ああ悪りい悪りい、話の腰折っちまったな」
溜息交じりの愚痴を零し、通話を終えた戒斗は改造PDFと『フルスロットル・エクステンダー』を持参した、衝撃緩和のスポンジ材が詰め込まれた拳銃用小型ガンケースに収め、レニアスに背を向け店を出ようとする。
「……行く、のか?」
「ああ、琴音を、護らなきゃならねえ」
「――ちょっと待っておれ!」
レニアスはふと思い立ち、店の奥から一つ、小さなジュラルミンケースを持ってきてカウンターの上にドスンと置く。
「これは?」
突如現れたジュラルミンケースを怪訝そうな表情で眺める戒斗。
「ほんの餞別じゃ。開けてみい」
促されるまま、ロックを解除して中身を拝見すると、くり抜かれたスポンジ材の間に収められていたのは中折れ式単発拳銃、トンプソン・コンテンダーと……この弾、あまりにも大きすぎる。
「なぁレニアス、この弾……」
「そうじゃ。.338ラプア・マグナム弾。相当昔に物好きな傭兵の為に特注した銃身なんじゃが……受け取る前に傭兵自体が死んでしもうての。以来倉庫で埃被ってた奴じゃ」
改めて弾を手に取って見てみる。普段よく使う5.56mm弾とは比べものにならないぐらいの存在感を放っている。
「その上火薬は強装、しかも徹甲弾仕様じゃ」
「……ああ、もしかしたらコイツなら、クソッタレ野郎の胸板を吹っ飛ばせるかもしれねえな」
.338ラプア・マグナムは通常でも7.62mmNATO弾の二倍以上の威力がある。その上貫徹に特化した徹甲弾、しかも火薬を限界まで詰め込んだ強装弾仕様なら、あるいは機械化兵士の装甲を吹っ飛ばせる可能性もある。
「つっても、反動受け止めきれる気がしねえがな」
自嘲気味に笑う戒斗の前に、レニアスは鉄パイプを組み合わせたような小さなモノを置いた。
「そう依頼主も思ったのじゃろうな。モーゼル・ピストルを参考にした後付け銃床も同時に制作依頼されたわ。ホレ、グリップの後ろに接続用の溝があるじゃろ?」
言われるがまま、戒斗は取り付けて構えてみる。
「ほう。軽くてアレだが、意外とガッシリしてて安心感があるな」
「じゃろう?」
戒斗はジュラルミンケースにコンテンダーを戻し、鉄パイプの銃床と同時にケースを持つ。
「ありがたく使わせてもらう。じゃあなレニアス。もし生きてたらまた来るさ」
そう言って戒斗は背を向け、今度こそ立ち去っていく。
「必ず、生きて帰ってくるんじゃぞ!」
遠ざかるその背中に向かってレニアスは叫ぶ。
「ハッ、お前はそれまでにその足りねえ身長を少しでも伸ばしておくんだな!」
ドアを開けながらそう言って振り向いた戒斗は、笑っていた。
「うっうるさい! 誰がチビじゃ誰が!!」
大声でよく分からない反論をしつつも、レニアスは笑っていた。大丈夫だ、きっとこの、クソみたいに性格の悪い男は必ず生きて帰ってくる。
後ろ手に手を振って、駐車場へと歩いていく戒斗。レニアスは店のカウンターから、戒斗の乗ったサンセットオレンジのスポーツカーが闇夜に消えていくまで、ずっと外を眺めていた。
「必ず生きて……また買いに来るんじゃぞ。”お得意様”」
見送ったレニアスは最後にそう呟いて、また店の奥へと消えていった。




