アークの足音
「私が、戒斗にUSBメモリを渡し、貴方達をここに呼び寄せた張本人……幾度か貴方と、戒斗と刃を交えた、忍」
混乱する頭で戒斗は、遥がたった今放った言葉を必死に反芻する。
彼女が、自分や琴音の命を狙った忍者だと信じたくはない。しかし、壁に突き刺さったクナイと、何よりも遥の悲しげな双眸が、それが真実だと告げていた。
「――何故だ」
沈んだ表情のまま、戒斗は消え入りそうな程小さな声で呟く。
「何故、俺達に近づいた……!」
あの日々は、笑い声は、生温かったあの穏やかな時間は、そして――出会った日の屋上で、彼女が見せた笑顔が、全て偽りだったというのか?
戒斗は混濁する思考を押し退け、何かの間違いだと必死に思い込もうとする感情を握りつぶし、無意識に下げていたミネベア・シグを再び構える。減音器の取り付けられた銃口は、遥を捉えて離さない。
「お前も、琴音が狙いなのかッ!? 答えろッ!!」
遥があの忍者少女だというのなら、学園に転入し、自分達に近づいてきた理由も自ずと分かる。あの日々が全て虚構で塗り固められていた――それは、悲しい。胸が張り裂けそうなほどに。言葉にならない程悲しく、悔しい。しかし今戒斗には涙を流す暇も、慟哭の叫びを上げている時間も無い。自分自身の感情を押し殺してでも、今目の前に居る、琴音を狙う絶対的な脅威を排除しなければならない。それが”黒の執行者”という傭兵の持つ矜持であり、”戦部 戒斗”という一人の人間としての決意であった。――なんとしてでも、この場から琴音を逃がさなければ。
フェンスの上から飛び降り、コンクリートの床に降り立つ遥。自然と、ミネベア・シグを握る右手に力が入る。戒斗はゆっくりと撃鉄を起こす。
「ここに転入したのは、ただの偶然」
声色こそ変わらないが、いつもよりハッキリとした、明瞭な声で遥は口を開く。
「ただの偶然だと? 寝言は寝て言えッ。お前は俺達を狙って、浅倉の組織の命令でここに転入してきた、違うかッ!」
「違う。貴方が傭兵だと知ったのは、”龍鳳”が初めて」
遥の言葉に、何か引っかかりを感じる。そういえばあの時、戒斗がサングラスを外した途端に彼女は何故か驚いて隙を作っていた。逃げおおせる最高のチャンスだったので別段気に留めていなかったが……確かに、戦っている相手がクラスメイトだと知った時の反応としてはある種自然だ。もし彼女の言っていることが本当なら、辻褄が合う。
「だとして何故、俺を殺さない? チャンスは幾らでもあったろうに」
「……あの後、組織から何度も、貴方を始末するように言われていた。それをしなかったのは、戒斗に利用価値を見出したのと――私の、個人的な感情」
利用価値、ね。依頼がどうのとか言ってたし、多分そのことなんだろう。
「俺は傭兵だ。金さえ出してくれりゃ依頼は受ける。受けるが……仮にも一度は殺し合った奴が依頼人ってなら話は別だ。それ相応の、信用に足る対価を支払ってもらわないとな――例えば、お前さんの”組織”についての情報、とかな」
淡々と告げる戒斗。ここで上手い具合に情報を引き出せれば、浅倉の首根っこを捕まえる突破口になり得るかもしれない。
沈黙。誰も言葉は発さず、ピリッとした緊張感漂う空気のみが流れている。遥を捉えた銃口は、まだ離さない。
「……分かりました」
逡巡の末、遥は口を開く。
「組織について、私が知り得る限りのことを話す」
ハッキリと告げた遥は、表情こそ固かったが、その瞳は潤んでいた。彼女は悲痛な叫びを上げるように、ゆっくりと言葉を発する。
「――私の妹を、助けてほしい」
「それで? その娘の依頼、受けるのか?」
白いバンの運転席でハンドルを握るリサが、後部座席に座る戒斗に話しかける。ちなみにこのバンはいつも通りレンタカー。
「ああ、一応、な」
窓の開け放たれたドアに肘をかけ、車内に吹き込む風を顔に浴びながら戒斗は呟く。
「その、なんて娘だっけか。まあいいや。とにかくその娘を、信用したのか、お前は」
「……正直、まだ半信半疑ってとこだ」
リサの問いかけに、戒斗は窓の外に顔を向けながら反応する。チラッと横目で隣に座る琴音を見てみたら、窓ガラスに頭を任せ寝息を立てていた。それもそうだ。時刻は既に午前零時を過ぎている。いつもなら彼女が寝床に向かう時間だった。
「ハァ……」
深く、溜息を吐いてしまう。彼女の――遥の話す内容のスケールは、あまりにも大きすぎた。
『――私の従っている組織の名は”方舟”。目的は私にも分かりませんが、かなり巨大な権力と莫大な資金を抱えていると思っていいです。戒斗の言う浅倉という人物について私は何も知りませんが……”方舟”は、機械化兵士を数多く所持している』
別れる前、遥が話した言葉を反芻する。都市伝説になるほど強大な力を持った機械化兵士を”多数”保有だと……? これが事実だとしたら、とんでもない連中を敵に回したんじゃないのか? 俺達は。
考えれば考えるほど頭が痛くなってくる。とてもじゃないが、一個人でどうにか出来る問題ではなかった。奴らが吉野からMIRVを購入したというのも、あながちウソではないのかも知れない。
いっそのこと、警察に届け出てみるか――そう思ってスマートフォンを取り出したところで、昨日の依頼を持ちかけてきた刑事、高岩の言葉が脳内でフラッシュバックする。
――警察内の動きは恐らく奴等に筒抜けだろう。
今まで得た情報を総合して考えてみれば、警察の中に”方舟”の内通者が紛れていても不思議ではない。下手に彼らのことを衆目に晒そうとすれば、逆に晒し首にされかねない。思い直し、戒斗はスマートフォンをポケットに戻す。
「結局、自分達で解決するしかないってか……」
溜息交じりに、憂鬱な表情で戒斗は窓の外へと言葉を吐き捨てる。昔は、巨大な悪の組織に立ち向かうハリウッド映画の筋肉モリモリマッチョマンな主人公に憧れたもんだが……いざ自分が似たような立場に立ってみれば、憂鬱でしかない。とっくに放り捨てたヒーロー願望が戻ってきてくれるわけもなく、ただただ憂鬱だった。
「あ? 何か言ったか戒斗」
運転席のリサが問いかけてきた。
「いや、なんでもねえ」
適当に言葉を返してから、戒斗は再度スマートフォンを取り出し、電話帳を呼び出す。そこには新たに一件、連絡先が追加されていた。連絡用に遥と交換しておいたのだ。
遥の連絡先をなんの気無しに眺めていた戒斗だったが、ふと、彼女の言葉を思い出す。
『妹の静を、”方舟”に攫われて人質にされている。だから私は、仕方なしに彼らに協力している。戒斗、覚えておいてほしい。私は決して、自ら望んで彼らに従っているわけではない、と』
そう語った遥の、悲哀と決意の入り乱れた表情を、涙で滲んだ眼を、どうしても戒斗は、疑いきれなかった。
「なぁ、カイト」
静寂の中、リサは唐突に話を切り出す。
「なんだ」
「私達傭兵は、国家に左右されない。誰に雇われようが、何処に味方しようが自由だ」
話すリサの横顔を見て、戒斗はその表情がいつになく険しく見えた。
「ああ、そうだな」
「だからこそ、だカイト。こんな仕事だからこそ、自分の意志に従うんだ。――己の直感を、信じてみな」
それが間違っていたところで、そんなのは後の祭りだから良いんじゃねえの? とリサは続けて言う。どうやら、心の中は全て見透かされていたようだ。敵わねえな。戒斗は口元を緩めて、心の内でリサの心遣いに感謝していた。ああそうだ。一度は信じてやろうと思ったこの直感、従ってみてやるか。
信号が赤に変わったのを見て、リサはバンのブレーキを踏む。使い古された、微妙に錆の走ったディスクブレーキが時折耳障りな摩擦音を上げて、車の運動エネルギーを殺していく。そうして停まった交差点は、赤信号だというのに車一台通り過ぎる気配がない。それもそうだった。既に日付も変わった時刻。車通りが少ないのも当たり前といえる。
『私と静は、古くは乱世の時代から歴史の裏で暗躍してきた忍者一族の末裔。と言っても、静が攫われて、私が”方舟”に協力しだした時点で破門されてるんですけど』
ふと、遥が最後に放った言葉を思い出す戒斗。外人にはやたら忍者が人気というが……と思ったところで、目の前で運転してる人間が正真正銘のアメリカ人……いや、ハーフだけども。とにかく外人が座っているのに気付いた。
「なぁリサ?」
信号が青色に切り替わったのを確認し、車を発進させたリサに戒斗はふと思い立って話しかけてみた。
「何か用か」
「お前確か、忍者好きだったよな」
「そりゃもう! ジャパニーズ・ニンジャは最高にクールじゃないか! 音も無く忍び寄り、疾風のように任務を達成し、痕跡一つ残さず影のように去る……私の憧れさ」
目を輝かせて上機嫌に語るリサ。別人かと思うぐらいの豹変……と思ったがそうでもなかった。いつもこんな感じだったわリサは。
「スリケン投げなんかもう毎日練習したりしてなぁ」
「で、だ。もしも、の話だぞ? もしも仮に、三百年前から続いて、今でも裏で暗躍してる一族に生まれ修業した忍者が居たとしたら……どうする?」
「決まってるだろう」
言いながら、振り返りそうになるリサをなんとか抑える戒斗。
「オイオイ前前前、前見ろって……で、どうするんだ?」
「サイン貰って、握手して貰う」
真顔でリサは言い放つ。外人にやたら忍者がウケるのは本当だったのか……いや、リサが極端なだけなのかもしれないけれども。
「なんだ!? まさかカイトお前、その忍者ってなぁまさか」
「あー分かった分かった! 教えてやるから! 教えてやるって! 頼むから前向いて運転してくれぇぇっ!!」
結局家に帰り着くまで、戒斗は蛇行するバンの中で質問責めを喰らうことになってしまった。
その翌日、戒斗はまたもや私鉄電車に揺られていた。過剰なまでに効いた冷房が心地いい。別段通勤ラッシュの時間帯というわけでも無かったが、車内は妙に混んでいた。ふと、今日が土曜日だということを思い出す。
座席に座って、何をするでもなく車内を眺めていると、ふと窓際に見知った人物が立っているのが見えた。あれは確か……ああそうだ、思い出した。数日前に助けた、あの土下座プロの学生だ。あの日は不良に絡まれた後何故か痴漢に遭うというなんとも不運な一日だったが、どうやら今日はそうでもないらしい。痴漢に襲われている様子もない。
一言声を掛けようと立ち上がったが、丁度降りる予定の駅に到着してしまった。予期せぬ停車の慣性力で身体が少し引っ張られるも、なんとかバランスを維持する。何とも心残りだが、ここで彼とはお別れといこう。一応名刺は渡してあるし、何かの縁があればまた会うことになるさ。
心の内で戒斗は、「出来るだけ土下座はするなよ」と、土下座プロに届かぬ言葉を投げて電車から降りた。
一歩ホームに降り立てば、そこは灼熱地獄だった。ただでさえ気温が高い上に、コンクリートの照り返しがキツイ。その上、地形的な関係でやたらと湿度が高いせいで馬鹿みたいに蒸し暑い。背後を過ぎ去っていく白銀の電車の冷房が既に恋しくなってきた。
戒斗はさっさと階段を降り、パスの中に入れた電子マネーのICカードを自動改札にかざして、支払いを済ませる。そのまま駅の外へと出て、すぐ近くに設置されていたエスカレーターを降りていく。ここからは涼しい涼しい地下鉄だ。エスカレーターを降りて、壁に穿たれたトンネルから駅構内に入ると、先程の電車内程ではないがそこそこ冷房が効いていた。太陽光が照らないというのもあるのだろうが、外界より格段に涼しい。これが都会のオアシスか……思わず戒斗は呟いてしまった。
先程と同じようにICカードを改札にかざし、潜り抜けた後、またもエスカレーターを降りる。下に降りていけば降りていくほど、電車独特の鉄と機械部品の臭いが濃くなってきた。地下鉄ホームという閉鎖的な環境だからか、一般的なホームよりも臭いが充満しているように思える。この臭い、嫌いではない。
エスカレーターを降りて、適当な位置で立って数分待っていると、すぐに電車は到着した。銀のボディーに青と白のラインが引かれた市営地下鉄の先頭車両に乗り込む戒斗。車内は意外にも人が多かった。どうやら座れる座席は無いようなので、運転席に一番近い、二人掛けの席の対面にある広いスペース――本来は車椅子用であるスペースの角にもたれかかる。二本の手すりが丁度いい具合に食い込んでストッパーとなり、両手が空いた状態でも慣性力に耐えることができた。
目的の駅に着く十数分の間、やることも無いのでスマートフォンを眺めて暇を潰していると、ふととあるニュース記事が目に留まる。『豪華客船”龍鳳”、またもテロに遭遇』。数か月前の事件の後、西園寺グループの出資によって修復され現役復帰した龍鳳だったが、どうやらまたも船内でドンパチされたらしい。もう何か憑りついているレベルで運のない船だな、と戒斗は思わず苦笑いしてしまう。どうやら犯人グループはこの前のようなプロの連中ではなく、単なる素人連中だったらしい。すぐに警視庁特殊部隊SATにより鎮圧されたそうだ。
龍鳳の記事を読んでいると、運転士のアナウンスが聞こえてくる。どうやら次の駅が目的地のようだ。戒斗はスマートフォンをポケットに戻して、パスを取り出し扉の近くに立つ。数分もしない内に、目的の駅に到着した。扉が開くと同時に戒斗はホームに降り、行儀よく左右に分かれて降りる客を待っている次の乗客を尻目に、さっさとエスカレーターに向かい登っていく。登り切った先の改札に慣れた手つきでパスを通して改札を潜り、妙に長い階段を上って戒斗は駅の外へと出る。
階段の中腹辺りから漂っていた妙に蒸される熱気が、外界に出て太陽光を全身に浴びた途端一気に押し寄せてきた。ブワッと一気に全身の汗腺から汗が出てくる。戒斗は冬嫌いで、夏は強い方ではあるが……流石にこの馬鹿みたいな蒸し暑さには堪える。熱気を振り払うように、戒斗は速足で歩きだした。
十分程、夏の太陽に蒸し焼きにされつつ歩いて辿り着いた先は、大きな大学病院。やはり研究施設のような外観だ。やたら低空でヘリコプターが近づいてきているのを見ると、予想通り屋上にヘリポートでもあるのだろう。ドクターヘリ搬送、興味はあるが厄介にはなりたくないね。
二重の自動ドアを潜り、薬臭い院内に足を踏み入れる。今回は受付の世話にはならず、そのまま速足で病院の奥へ、奥へと歩いていく。時折すれ違う、パジャマ姿で点滴スタンドと一緒に歩いていた入院患者が異様なモノを見る目で戒斗を見てくる。それもそうだ。明らかに健常者な男が一人で、全く無縁そうな病院の奥へと歩いていくんだからおかしくもみえるだろう。
歩いていく内に段々と人気が無くなっていき、一番端まで来る頃には誰ともすれ違わなくなっていた。昼過ぎにも関わらず、陽の光が殆ど当たっていない廊下は、どこか不気味さすら覚えさせる。殆どの部屋が暗く、使われていない。その中でたった一部屋、一番端の部屋だけ、灯された電気の光が漏れ出ていた。戒斗は迷うことなくそこへと歩き、横開きの重い鉄製扉をスライドさせ、部屋の中へと戒斗は入っていった。
「……おやおや、誰かと思えば、いつぞやの傭兵くんか」
パソコンに各種モニタや専用機械、何に使うか分からないようなモノで埋め尽くされたデスクの前に置かれた安っぽい事務イスに座る、一人の女医が戒斗に話しかけてきた。相変わらず、その黒縁眼鏡の奥の瞳に生気は無く、ウェーブがかかった腰まで伸びる黒髪は枝毛にまみれていた。白衣を纏うその身体は栄養失調かと疑うほどやせ細っている。彼女の姿を見た人間の恐らく全員に”不健康”という印象を抱かせる外見の彼女こそ、義肢に欠かせない人工筋肉の開発者であり、サイバネティクス技術の飛躍的発展に貢献した第一人者とまで言われた名医と、肉体改造を施された、強力で、あまりに非人道的な人間兵器開発プロジェクト”機械化兵士計画”の開発に携わった中心人物という二つの顔を持つ医師、最上 昴その人だった。
「何の用だい? 生憎だが私では、君の力にはなれないと思うがね」
ニヒルな笑みを浮かべて話す昴。彼女の目の前のデスクに一本のUSBメモリを半ば叩きつけるようにして置き、戒斗は静かに口を開いた。
「――細かいことは抜きだ。教えてくれ、生身の人間が、機械化兵士を殺す方法を」




