遙かなる天空を”吹き抜ける風”
「はぁ……」
深い溜息を吐きながら、覚束ない足取りで戒斗は自宅マンションの階段を登っていた。時刻は既に午前四時半。報酬やら事務的処理やらでかなり時間を食われてしまった。向こうを出る時は空はまだ暗く、月の光が眩しかったのだが、今階段から外を見ると、闇に満たされていた空は少しだけ明るさを取り戻してきている。薄明るいそこに月の姿は無かった。
自宅の扉の前までフラフラと近づいた戒斗は、欠伸をしながら部屋の鍵をポケットから取り出し、鍵穴に差し込んで開錠。軋む鉄製のドアを開けて、我が家の玄関へと足を踏み入れる。当たり前だが既に家中の電気は消されていた。ブーツを乱雑に脱ぎ捨て、薄暗い廊下を歩きリビングに通ずる扉を開ける。意外にも、リビングの電灯はまだ灯されていた。こちらに背を向け、ソファがあるにも関わらず床に座布団を敷いてテレビの前に座っているリサの姿が視界に映る。
「リサ、まだ起きてたのか」
戒斗は話しかけ、キッチンの冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出して喉に水を流し込む。ギンギンに冷やされた水の冷気が疲れ切った身体に染み渡って心地いい。
「お、帰ったのか戒斗」
リサが振り返り、労うように言う。その手に握られているのは黒い、ゲーム機のコントローラ。よく見ればテレビの画面に映し出されているのはいつもの民放の放送ではなく、ゲーム画面。確かこのソフト、数十年前に出て絶大な人気を博したRPGの現行機移植だったか。戒斗が日本に来てから真っ先に購入、学校と仕事の合間にちょっとずつプレイし、リサが来日するちょっと前にクリアしたばかりのモノだ。ちなみにRPGといってもソ連製ロケット・ランチャー、RPG-7の方ではなく、ロール・プレイング・ゲームの方である。当たり前の話ではあるが。
「ちょっと借りてるぞ」
リサの言葉に構わねえよ、と軽く返事して戒斗はリビングを後にする。汗まみれでべた付いた身体が気持ち悪くて寝れそうにない。シャワーでも浴びようと、戒斗は脱衣所に入る。外し忘れた装備類をとりあえず洗濯機の上に置いておき、汚れきった野戦服を脱ぎ捨て脱衣カゴに突っ込んで戒斗はさっさと浴室に足を踏み入れた。壁に着けられたユニットのノブを捻って、頭上のシャワーヘッドから冷水を全身に浴びる。冷たい水が顔から身体へと伝い、眠気を否応なく吹き飛ばしてしまう。徐々に温まっていく水を浴びる戒斗の身体は、華奢といえば華奢ではあるが、引き締まったその肉体には確実に筋肉が付いている。幾箇所に刻まれた傷跡が、彼の置かれた特異な環境と、辿ってきた壮絶な戦いの歴史を印象付けていた。ふと、戒斗は左肩の比較的新しい傷を右手で触ってみる。この傷は数か月前、あの”龍鳳”で忍者少女と出会った時、彼女の投げたクナイに負わされた傷跡。お互い敵同士だった彼女が、明日、いや日付の上では今日、戒斗に依頼を持ちかけようとしている。無論、罠である可能性も十分高いが――それでも、倉庫でUSBメモリを投げつけられた時の彼女の、悲しげな瞳を見てしまった戒斗は、どうしても完全に罠だと疑いきることは出来ないでいた。
シャワーから出て部屋着に着替えた戒斗は先程外した装備品片手にリビングへと戻る。まだ疲労感は残っているが、とりあえずは疲れと眠気が取れたので良しとしよう。
木製の薄い扉を開けると、先程は感じなかった冷気が部屋から廊下へと流れ込んできた。気を使ったのか、リサが冷房の温度を下げてくれていたようだ。当のリサ本人といえば、未だにRPGゲームに興じているが。よく見れば戒斗がシャワーを浴びる前に見た時と同じダンジョンで未だ躓いている。
「まだそこやってたのか」
装備品を自室に置き、キッチンで紅茶の準備をしながら戒斗は話しかけてみる。
「ん? ああ戻ってたのか……いやな、最深部までは到達できたんだが」
「到達できたが、何だ?」
面倒なのでティーパックの紅茶を選び、二つのティーカップにポットからお湯を注ぐ。ダージリンの注がれたティーカップを両手に持ち、テーブルの上に片方は自分の目の前に、もう片方はリサの近くに置いて戒斗はソファへと深く腰掛けた。しんどい仕事の後に車の固いシートにずっと座っていたせいか、いつもよりソファが気持ちよく感じる。
「最深部のこの扉がどうやっても開かないんだよ……お、悪いな」
テーブルの上に置かれた紅茶を啜りながら、テレビに映し出されたゲーム画面を睨むリサ。
「ははーん、そういうことか」
戒斗は呟き、ニヤニヤしながらリサとゲーム画面を交互に見る。
「何か分かるのか?」
「ちょっとパーティのステータス見せてみろ」
言われたリサはメニュー画面を開き、自分の率いる四人のキャラクターのステータス表を画面に呼び出す。見ると主人公含め、全員大体レベル40ほど。
「リサ、なんでここ突破できないか教えてやろうか?」
戒斗の方に振り返るリサは無言だったが、期待の眼差しを向けている。余程難儀しているのだろう。
「この扉、主人公がレベル50で覚える魔法使わないと開かないぞ」
「……は?」
サラリと解答を言ってやると、リサの表情が石のように固まった。
「いやだから、主人公がレベル50で覚える『エンブレム・オブ・エンペラー』って魔法使わないとその扉開かないぞ」
もう一度、言い聞かせるように話すとリサは紅茶のティーカップを静かにテーブルに置いた後、コントローラが手から滑り落ち、ノックアウトされたボクサーのように大の字になって床に寝転んだ。
「なんだよ……なんだよそれ……私の苦労は一体……」
自分が攻略した時と全く同じ反応を示すもんだから、おかしくなって出そうになる笑いを戒斗は必死に堪えている。それもそうだ。自分がやってた時もどうしても突破できず、この答えを攻略サイトで知ったのだ。今でこそネットですぐに攻略法が出てくるからいいが、発売当時は皆どうやってこのゲームをクリアしたのか気になって仕方がない。
何とかこみ上げてくる笑いを抑え込んで紅茶を啜っていると、リサが起き上がる。少しだけコントローラを操作しゲームデータをセーブするとゲーム機の電源を落とし、テレビのリモコンでいつも通りの民放放送へとチャンネルを戻す。早朝独特の、淡々とした報道番組が流れるリビングで、二人は静かに紅茶を啜る。窓の外に広がる空は帰って来た時より明るくなって、太陽が昇りかけていることを示していた。鳥の声が窓越しに聞こえてくる。
「そういえば、琴音は?」
思い出したように話を切り出す戒斗。
「とっくの昔に寝てる」
「それなら良かった。今更なんだけどよリサ」
なんだ? と言葉を返すリサの表情は流石に眠そうだ。明け方までゲーム攻略は流石の彼女でも堪えたらしい。
「物凄く自然だからアレだったけどよ、いつの間にここに住むようになったんだお前は」
記憶が正しければ確か、リサはどこかのビジネスホテルに寝泊まりしている……はずだった。いつの間にか自然にこの家に住み着いてるけど。
「元々、仕事が終わったら速攻ロスに帰るつもりだったからな。ホテルの予約もそこまでの分しか取ってなかった。そしたらお前がまた妙な依頼持って来やがって。このまま帰ってお前ら死んだら目覚めが悪りいから私も付き合ってやろうってことなんだが……」
「ホテルは既に引き払った後だった、と?」
「そういうことだな。まあこの間お前らが寝込んでた時に一日だけ過ごしたら思いのほか住みやすかったからな。丁度いいし居座らせて貰ってるわけだ」
戒斗はその言葉を聞いて、深く深く溜息を吐く。なんてこった……
「ハァ……まあもう別にいいや。住む分にはもう構わねえが、寝床はどうしてるんだ寝床は」
「ん? どこかって、ここ」
「は?」
ちょっとリサの言っている意味が分からない。ここって、いやまあこの家だけども。俺が言ってることはそういうことじゃなくて――
「いやだから、ここ」
自らの座るソファを片手で指差しながら平然とリサは答える。ちょっと待て、それってつまりそういうことか?
「……まさか、そのソファじゃないよな」
「だからここだって言ってんだろ。このソファだよ」
ハァ、もういいやなんでも。戒斗はもう何も言わなかった。これ以上布団を増やすだけの余裕もないのでリサにはソファで寝てもらうことにしよう、うん。
そこからは、また会話は無かった。本日のニュースを眺めながら二人は黙って紅茶を啜る。
「――そういえば、仕事はどうだったんだ」
十分ぐらいたった頃だろうか。リサが唐突に話を切り出してきた。
「別に、滞りなく進んださ……まあ最後に、標的が口封じに殺されたのは心残りだがな」
狙撃され、戒斗の目の前で頭を吹っ飛ばす吉野の姿が脳裏にフラッシュバックする。正直、人の頭が吹っ飛ぶなんてのは既に見慣れた光景だ。だからショックを受けているということではない。ただ、完璧に依頼を果たせなかったことと、裏に潜む巨大な組織の全貌が暴けなかったことだけが、心残りだった。
「そうか。残念、だったな」
それだけ呟いて、リサはそれ以上追求することはしなかった。
「ああ、そういえば――」
「何だ?」
戒斗はあることを思い出し、唐突に立ち上がり、自室に入って現場から持ち帰ったボストンバッグから一束の書類を取り出してテーブルに置く。
「これは?」
「まあ待て……あったあった。ここを見てみろ」
書類の内容は、吉野の部屋から持ち帰ってきた取引記録。戒斗はペラペラと捲って目的の箇所を探し出し、そこを指で差し示しながらリサに見せてやる。
「――なぁカイト、これはジョークか何かか?」
青ざめた顔のリサが、震えた声で戒斗に話しかける。
「ジョークであって欲しいもんだな」
「ジョークだとしてもシャレになんねぇな……浅倉にMIRVを売りつけただと? ハリウッド映画の観すぎじゃねえのか」
リサは静かに呟く。確かに馬鹿げたジョークに見えるかもしれないな、と戒斗は心の内で共感する。
「あの時、浅倉は確かにあそこに居た。恐らく吉野を始末したのも奴だろうな……すぐに吉野の居たログハウスも、予め仕掛けられていた爆薬で木端微塵に吹き飛んだ。証拠隠滅を図ったのはまず間違いない。と、いうことは……そこに書かれていることは事実だ。その書類は、爆破された吉野の部屋から拝借してきたモノだからよ」
「警察には見せたのか?」
「いや、あえて存在を伏せておいた」
戒斗は言ってティーカップを持って立ち上がり、飲み干した紅茶のお代わりを注ごうとキッチンに足を向ける。リサが「私の分も頼む」と言うから彼女のティーカップも一緒に持ち、二つのティーカップにポットから熱湯を注いでソファへと戻る。お湯で満たされたティーカップをリサに手渡すと、彼女は一言礼を言ってティーカップに口を付ける。
「こういうのは警察に見せた方が良いんじゃないのか?」
彼女の主張も最もだ。こういう厄介なことは政府機関に丸投げしてしまった方が確かに楽で、安全だ。しかし戒斗には、それが出来なかった。彼の……今回の依頼人、高岩の言葉を思い出してしまうと、どうしても警察に届ける決断を踏み切れなかった。
――警察内の動きは恐らく奴等に筒抜けだろう。
脳内で高岩の言った言葉を反芻する。無意識に口から同じ言葉が出ていたようで、リサが「あー、そういうことか」と納得したように呟いている。
「まあそういうことだ。勝手な憶測だが、浅倉は俺が記録を持ち帰ったことに気づいていないと思う。もしかしたらコイツが、奴と、奴の後ろに居る組織へと手がかりになるかもしれん」
戒斗は、静かに呟く。そこから先、会話が続くことはなかった。ただひたすらに、紅茶を啜る音と、テレビから相変わらず流れる報道番組の音だけがリビングを支配している。
熱い紅茶をゆっくりと時間をかけ飲み干す。ティーカップが空になった頃に壁掛け時計を見ると、時刻は午前五時四十五分を過ぎていた。どうやら話し過ぎたらしい。外は既に明るく、太陽が昇っていた。
「悪りぃ、先に仮眠取るわ。朝飯になったら起こしてくれ」
戒斗は一言リサに告げて、ティーカップを流し台に置いて自室へと欠伸をしながら歩いていく。
「はいはい。今日の朝飯も素麺だぞ」
……背後から物凄く不吉な言葉が聞こえた気がしたが、きっと気のせいだ。そういうことにしておこう、うん。
自室のドアを閉め、相変わらず床に敷きっぱなしの布団に身体を埋めると、疲れ切っていた戒斗は数分もしない内に意識を眠りの世界へと堕としてしまった。
その日の夜、戒斗と琴音の二人は神代学園の校門前に立っていた。戒斗は薄手の緑色の半袖上着の下に黒いTシャツ、ジーンズという姿。勿論上着の下にはいつも通りミネベア・シグとオンタリオMk.3ファイティング・ナイフ、そして忍者少女――これから、神代学園の屋上で会う彼女から貰った機関拳銃、キャリコM950Aが装備されている。一方琴音はTシャツの上に薄手のベスト、そこそこ短めのスカートに膝まで届いた黒いニーソックスにブーツを履き、ショルダーホルスターからはベレッタPx4自動拳銃のみを吊り下げている。二人とも、軽装だった。
時刻は午後九時少し前。夏休みということもあってか、校門は閉められており、人気は全くない。二人は警備で巡回する用務員にのみ気を付けつつ、低い校門を飛び越えて敷地内に入る。
「やっぱりこれ罠じゃないの?」
横を歩く琴音が、小声で話しかけてくる。
「さあな……こればっかりは、俺にも分からん。一応万が一に備えて、外にリサが待機しているから心配は要らん」
まあその場合、この学校が弾痕だらけのズタボロになるのは確実だけどな。と戒斗は冗談交じりに呟く。
この神代学園には二つの校舎があり、渡り廊下で結ばれている。その二つの校舎の間の余った敷地には自転車駐輪スペースがあり、その先には広い昇降口がある。勿論駐輪場から直接行けるように出入り口は二つ、正面と駐輪場側の二つあった。戒斗は駐輪場を通り、表と比べて人気の少なく、目立ちにくいこちら側の昇降口扉へと近づいて、その目の前で立ち止まる。鉄枠にガラスの嵌められた扉だが、ガラス自体は鉄芯入りの防犯ガラスになっているため叩き割って強引に侵入、ということが出来ないようになっている。まあ仮に出来たとしても、目立ちすぎるのでそんなことをするつもりはないのだが。
一応扉を軽く引いてみるが、勿論施錠されており開きはしない。観念した戒斗は、鍵穴の前に跪き、針金を二本、鍵穴に通して何かを始めた。
「もしかして戒斗……ピッキング?」
後ろから琴音が訊いてくる。
「ご名答。古典的なピッキングだ」
戒斗は作業に神経を集中させながらも、問いに答えた。
「でも、そんな簡単に出来るの?」
「まあ元々、昇降口の鍵が古く簡単なピンシリンダーだってのは分かってたからな。これが馬鹿みたいに複雑なディンプルシリンダーだったら諦めて撃ってるさ」
仮に撃ったとしても、後々面倒なことになりそうだがな。と自嘲気味に戒斗は呟きながら、ピッキングに集中する。数分後、ガチャリという小さく小気味良い音と共に開錠された。成功だ。戒斗は針金をポケットに戻す。
「ここからは何があるかわからん。警戒していくぞ」
静かに告げると、琴音は無言のまま頷く。戒斗はホルスターからミネベア・シグ――隠密行動用に、バレルに減音器装着用のアタプターを着けたモノを引き抜き、腰に着けたポーチから細身の減音器を取り出して装着。スライドを前後させ、隠密用に調整した亜音速仕様の9mmルガー減装弾を薬室に送り込む。横目で見ると、琴音も同じように減音器が着けられたPx4を取り出していた。手の振りで合図し、二人は昇降口へと足を踏み入れる。
南側の本館の方へと歩き、土足のまま校舎に入る。フラッシュライトを使うことも考えていたが、月明かりが丁度よく差しているおかげである程度の視界は確保されている。音を立てないように、階段を登っていく二人。
「……待て」
三階まで登り切ったところで、遠くからゆっくりと足音が聞こえてくる。戒斗は琴音を一度制止し、三階の廊下に通ずる壁に張り付いて少し顔を出し、様子を窺う。懐中電灯を片手に持った、五十代の用務員がこちらに向かって歩いてきていた。距離は20mちょっと。
「大丈夫そう?」
琴音もすぐ後ろに張り付き、心配そうに耳打ちしてくる。問題ない、と一言告げて、戒斗は琴音を促し再度階段を登る。
四階のさらに上に、屋上への入り口はある。転入当日、琴音に教えられて以来ずっと戒斗達が使っている入り口だ。積み上げられた机には相変わらず埃が溜まっている。近くに用務員が居ないことを確認した戒斗は、何故かドアノブを回しドアを開けようとする。施錠されていると考えるのが普通だが、習慣というか、手癖で自然と手をかけてしまっていた。しまった、と戒斗は小さく舌打ちするが、何故か鍵は閉まっていなかった。いつも通り軋んだ音を立てて開く、立てつけの悪いヒンジ部が錆びついたドアに拍子抜けしつつも、戒斗と琴音の二人は減音器で延長されたミネベア・シグとPx4の銃口をドアの向こうへと向け、警戒しながら屋上へと足を踏み入れた。
一歩足を踏み入れた途端、風が吹き抜け、戒斗のボサボサの髪を揺らす。いつも通りの、心地のいい風だった。月が照らすその屋上に、影が一つある。その影の根元の方を見ると、フェンスの上に一人、小柄な少女が満月を背にして立っていた。忍者少女と思い戒斗は銃口を向けるが、その服装は忍者装束のような恰好ではなく、二人のよく見慣れた、私立神代学園の夏服である白いセーラー服だった。その顔に、戒斗は見覚えがある。何故、彼女が、ここに居るのか。思考が追い付かない。
「――なぁ、遥? なんでたってお前が、こんなところに居るんだよ?」
立っていた少女は、140cm強の小さな身体。身長が足りなくて、当てられる度に黒板の上の方へ苦労して文字を書いている光景が目に焼き付いている。その可愛らしい顔つきと、風に吹かれて揺れるショートヘアの黒髪を、忘れることなど、出来ない。――長月 遥の姿を、見間違えることなど。
「なんで居るかはどうでもいいけどよ、そんなとこに立ってると危ねえぞ?」
戒斗は無意識のうちに銃を降ろし、いつも通りの口調で遥に話しかけてしまう。きっとたまたまだ。そうに違いない。半分麻痺した思考でそう結論付ける。横に立つ琴音も、きょとんとして遥の姿を眺めていた。
しかし遥は無言のまま、そこから離れようとしない。しかし彼女の瞳は、いつもと違いどこか悲哀を内に秘めているように感じられる。
「な、なぁ遥? 今から少し危なくなるからよ、悪いけど屋上から離れて――」
戒斗の震えた声を遮り、顔のすぐ横の空気を何かが切り裂いた。背後で響く、鋭い金属の衝突音。恐る恐る振り向くと、出入り口ドアのすぐ横の壁に、数度見た鋭い鉄製のナニかが刺さっていた。それは、数か月前、戒斗の左肩を抉った投擲武器――クナイ。
「嘘、だよな? なぁ、遥……?」
うわ言のように戒斗は言う。信じられない、いや、信じたくない。きっとこれは悪い夢だ。遥が、あの忍者だなんて、そんなことあるはずない。遥は、おとなしくて、口数も少ないけど、人一倍優しくてッ……!
「……驚きました、よね」
戒斗の思考を遮るように、遥は小声で呟く。いつもより強めの声だが、それでもどこか、悲しそうな声だった。
「なぁ、まさかお前が――」
「そうです。私が、戒斗にUSBメモリを渡し、貴方達をここに呼び寄せた張本人……幾度か貴方と、戒斗と刃を交えた、忍」
いつもの屋上に集った、いつもの三人。彼らの間を吹き抜ける強い風が、三人が今まで通りの関係で居られないことを、暗示していた。




