たった一人の戦い
ピンポーン、と、自宅のインターホンが鳴る音で、戒斗は目を覚ました。壁掛け時計を見ると、時刻は午前十一時半。半分眠った頭のまま身を起こし、リビングの壁にあるカメラ付きインターホンの前まで歩いて行く。
「……はい、戦部ですが」
受話器を取って、モニタに映し出された、カーキと緑の制服らしきモノを着た来客に応答する。
「ちわーす、宅配便です-。お届けものです」
来客の男は、半分顔見知りの宅配便配達員だった。持っているのは茶色の平べったい段ボール箱。
代金引換便でないことを一応確認してから、戒斗は玄関に向かってドアを開け、受け取り状にハンコを押した後、配達員と二、三言交わして段ボールを受け取る。
「ありがとうございましたー」
そう言って帰っていく配達員を背に、玄関のドアを閉めた戒斗は段ボールに張られた送り状を見る。依頼主は……”斎藤 薫”? 見覚えのない名前だ。小包爆弾かと一瞬疑ったが、よく考えてみれば爆弾を送り付けるような奴がわざわざ名前を書くようなヘマはしないだろう。それでも最低限警戒しつつ、戒斗は靴箱の上にた段ボール解体用として常備しておいた、米ガーバー社製折り畳みナイフを手に取る。一部滑り止めのラバーが張られたオレンジ色の樹脂製グリップからブレードを展開し、慣れた手つきでガムテープを裂き、段ボールを開いていく。中から出てきたのは、”お中元”と書かれた熨斗紙に包まれている水色の涼しげな化粧箱だった。熨斗紙を取り去った下には漢字でこう書かれていた……”素麺詰め合わせ”と。
「――ッざけんなァァァァァッ!!!」
見た瞬間、戒斗は手に持っていた段ボールの残骸を叫びながら思い切り床に叩きつけていた。
時刻は昼前。特にやることも無かった戒斗は自室で一人、自分の仕事道具でもある銃の整備をしていた。分解し、汚れを取って注油、再度組み立てる。単純な作業ではあるが、これが意外に時間のかかるもの。始めてからもうすぐ一時間が経とうとしているが、所持する銃全体の二割ほどしか整備は終わっていない。琴音とリサはどこかに出かけており、家に居るのは戒斗一人。PCに接続したスピーカーから、ご機嫌な七十年代ハードロックが響いている。ちなみに先程受け取った素麺は半ばヤケクソ気味にキッチンへと投げておいた。無論、今日の朝食も素麺。ノイローゼになりそうだ。真面目に。
ピンポーン、と、軽快な音を立ててインターホンが来客を知らせる。宅配便の兄ちゃんがまた素麺を持ってきたのでないことを祈りつつリビングに行ってモニタを見ると、映っていたのは四十代半ばほどの、くたびれたスーツを着た髭面の男だった。その顔つきは、なんとなく不幸というか、運のなさそうな印象を戒斗に与えてしまう。
「はい、戦部ですが」
とりあえず受話器を取って、モニタの向こうの男に応対する。
「ここは戦部傭兵事務所で間違いないんだな?」
受話器から聞こえてきたのは、年相応ともいえる枯れた声。酒と煙草で喉がイカれたのか、その声は少しハスキー気味だった。いかにも面倒くさいという表情で男は話す。
「ええ、そうですが……何か御用でも?」
「まあそうだな。俺はこういうもんだ」
男がカメラ越しに突き出してきたのは、二つ折りの手帳。傭兵手帳にも似たそれは、日本国の治安維持機関――警察に所属していることを示す、警察手帳。見た途端戒斗は、モニタ越しだというのにも関わらず反射的に、ジーンズ右ポケットの中にたまたま突っ込んでいたエマーソン社製カランビット・ナイフを取り出し、グリップから湾曲したブレードを展開。人差し指をグリップに穿たれたリングに通し逆手に構える。
カランビット・ナイフ――古くより東南アジアなどで使われている鎌状に湾曲した刃は、見る者全てに抱かせる暴力的な印象の通り、通常のナイフを凌駕する殺傷力を誇るナイフである。近接格闘に於いて捌きづらい湾曲した刃と、指通しのリングを駆使した瞬時のスタイル切り替えはかなりの脅威となりうる。が、あくまでも戦闘に特化したナイフであるので、生存を目的としたサバイバルに向かないのは欠点であるが。
「……何の、ご用件で?」
なんで構えちまったんだ。そう思いつつも、警戒を崩さない戒斗は冷静かつ殺気の籠った声色で受話器に向かって呟く。警察が捜査に来るようなことはしていないはずだ……多分。
「オイオイ、そう固くなんなって。今日は仕事の依頼で来たんだからよ。それとも何か? 警戒しなきゃいけないようなやましいことでもあんのか」
「仕事柄、ハメられることも無きにしも非ずなんでね。ところで、依頼だって?」
警察が、依頼だと? 格好から見て恐らくこの男は刑事か何かだろうが、法執行機関がたかが一介の傭兵に依頼というのも変な話だ。そもそも日本の場合、他国に比べて元々の治安が良いためか、海外でよく起こるドンパチなんかの凶悪犯罪の絶対量が少ない。その為、日本だと傭兵の数が少なかったりするのだが。
「ああそうだ。一応警察からの正式な依頼になるのか? まあどうでもいいが」
「そうか……立ち話もなんだろ。とりあえず上がってくれ」
戒斗は言って受話器を戻すと、カランビット・ナイフをポケットに戻してから玄関まで向かってドアを開け、男を迎え入れる。モニタ越しに抱いた印象の通り、明らかに不運な顔付きをしている。スーツのくたびれ具合から、彼がいかに苦労を重ねてきたかがよく分かった。上着の膨らみ具合などから見て、一応帯銃はしているのだろうが、彼がロス市警の警官のように銃を撃ちなれた人間にはとてもじゃないが見えない。どちらかといえば、張り込み捜査に慣れているような顔だ。電柱の陰でアンパンと牛乳をつまみながらやるアレにだ。
来客用のスリッパに履き替えさせ、いつも通りリビング兼応接間に通す。彼をソファに座らせて、適当に紅茶を出してやった。自分の分のティーカップをテーブルに置いた戒斗も、男と対面のソファに腰を落とす。
「改めて、俺はこういうもんだ」
再度、懐から取り出した警察手帳を展開して見せつける男。手帳には彼の顔写真と名前が書かれていた。”高岩 慎太郎”……恐らく彼の名前だろう。
「あー、高岩さん、でいいのかな? 傭兵風情になんのご用件で?」
事務的に、商社マンが商談を交わすかの如く営業口調で話しかける戒斗。
「まずは、コイツを見てくれ」
高岩が持ってきていた鞄の中から取り出したのは、紙をクリップで束ねた資料と、一枚の顔写真。写真に映っていたのは、五十代半ばほどの、スキンヘッドが特徴的な日本人男性。
「ソイツの名は吉野 拓三。現在指名手配中の、武器密輸組織幹部だ」
高岩の話によると、この吉野という男は国外逃亡を図っているらしく、それを未然に防いで欲しいとのことだった。
「事情は分かった。だが傭兵に依頼する理由がどこにある? 指名手配犯なんだから、オタクらで解決すればいい話だろ」
戒斗の言葉を聞いた高岩はハァ、と溜息を大きく吐いてから、口を開く。
「俺達だって出来ることならそうしてぇよ……んでも困ったことに、吉野の組織はかなり大きく、噂じゃ海外のマフィアとも深い関係があるって話だ。警察内の動きは恐らく奴等に筒抜けだろう。でなけりゃ、逮捕寸前で取り逃がすなんてヘマはしねぇよ」
「だからこそ、だ。お前に仕事を依頼するのは。警察組織外の人間、ましてやお前ほど名の立つ傭兵なら情報源は幾つもあるだろ」
頼む、この通りだ。と高岩は深く頭を下げる。
「一つ、確認させてくれ。標的の吉野とかいう奴、死体袋に包んで引き渡しても構わないか?」
高岩に一応確認を取る戒斗。もし戦闘となれば、吉野を生け捕りにするのは難しくなる。ならいっそ物言わぬ肉塊として引き渡した方がある種楽というものだ。
「いや殺されたら色々と後処理に困る。生きたまま、引き渡してくれ。部下達の生死は問わんがな」
「ふーん、で、その依頼受けたの?」
琴音が、食卓に料理の盛り付けられた皿を並べながら言う。ちなみにテーブルのど真ん中に置かれているのは氷水に漬けられた素麺。何日連続で出ているのか、数えるのはもうやめた。
「まあな」
鎮座する素麺を見てげんなりしつつも、戒斗は箸を取りながら言葉を返す。
「瑠梨に調査頼んだら、意外とあっけなく隠れ家らしき場所を特定できたもんでな。飯食い終わって一息ついたらちゃっちゃと終わらせてくるわ」
言いながら、正直食い飽きた素麺をめんつゆに漬けて啜る戒斗。時刻は午後六時十五分。日没が近いようで、窓の外には茜色の夕焼け空が広がっている。
「終わらせてくるって……私今聞かされたのよ? 準備とか色々あるじゃないの」
「心配しなくても、今日は俺一人でやる」
丁度よくリサも居るし、たまには一人で仕事するのも悪くないしな。と続ける戒斗。
「大丈夫なの?」
それでも心配なようで、対面に座った琴音は戒斗を見て、小声で言う。
「問題ない。それに今回は潜入任務になる。単独の方がかえって気が楽でいい」
「なら、いいんだけど……気を付けてよね。戒斗が死んじゃったら、私……」
消え入りそうなほどの声で呟く琴音。
「なんだ? 俺がなんだって?」
「なんでもないっ」
……変な奴。気にしても埒が明かなさそうだったので、戒斗は黙々と素麺を啜ることにした。
日が暮れ、夜の闇に支配されたとある山。その麓を走る道路の路肩に、街灯の光を反射して美しく輝く、サンセットオレンジのスポーツカーが停まっていた。運転席のドアを開け、整備の行き届いていないガタガタの路面へと降りたった男の名は、戦部 戒斗。人気のない道路を歩く戒斗が身に纏っているのは、いつもの洒落た私服ではなく、オリーブドラブ色の野戦服だった。ある程度着崩してはいるものの、運悪く通行人が通りかかれば不審者だと通報されてもおかしくはない。しかし装備自体は、肩から斜め掛けに下げた長いポーチと右太腿の樹脂製レッグ・ホルスターに吊るしたミネベア・シグ、後ろ腰の特注シースに突っ込んだオンタリオMk.3 NAVYファイティング・ナイフに加え左腰に吊るした巨大なサバイバル・ナイフHIBBENⅢと、野戦服の物々しい雰囲気に似合わないほど軽装であった。
アスファルトの路面に接触するジャングルブーツのゴム底が、虫の鳴き声しかしない山道に足音を響かせている。戒斗の向かう目的地は、車を停めた場所から250m程先にある別荘地への入り口。瑠梨からの報告によれば、その奥に広がる広大な敷地のどこかに今回の標的である男、吉野 拓三が潜んでいるとのことだった。その別荘地には最近、堅気の人間に見えないような荒っぽい風貌の男達が多くなり、一般人が寄り付かなくなったという。きっと護衛を配置しているのだろうが、その行動は逆に危ない組織の幹部が潜んでいると叫んでいるようなものだ。吉野という奴は間抜けな男なのだろう、と戒斗は星空を見上げながらふと思う。
入り口ゲートが見えてきた。巨大なアーチが掛かった入り口道路の傍に、人らしきモノが立っているのが見える。戒斗はガードレールを飛び越えて茂みへと入り、野戦服ズボンのフラップ付きポケットから小型の双眼鏡を取り出して、注意深く入り口の周りを観察する。
立っていたのは、案の定歩哨だった。通常の警備員が居ないところを見ると、どういう手段を使ったか知らないが、別荘地自体を支配下に置いているようだった。歩哨はパッと見こそ、ただスーツを着ているだけの丸腰に見えるが、よく見れば上着が不自然に膨らんでいるのが見える。彼らの役割から予想して、持っているのは多分スコーピオンのような小型の短機関銃。詰め所の壁にAK系統の突撃銃が立てかけてあるのも確認できた。
状況を把握した戒斗は双眼鏡を元のポケットに戻し、茂みから出て、道路を渡って反対側の茂みへと静かに潜る。ゆっくりと、出来るだけ音を立てないように、中腰姿勢で入り口ゲートへと向かっていく戒斗。
数分で辿り着き、丁度ゲートの裏側の茂みに戒斗は身を潜める。目立たない色の野戦服に加え、月明かりの少ない闇夜が彼に味方し、戒斗の姿は注意深く見ない限り分からないほど自然に溶け込んでいた。
「ったくよぉ、兄貴もさっさと高跳びすりゃいいのにな」
歩哨の一人が、もう一人に向かって話しかける声が聞こえてきた。戒斗はその会話に耳を凝らす。
「うるせえ。兄貴の悪口は控えろ」
「でもよぉ、サツの動きが筒抜けなら簡単に高跳び出来るんじゃねぇの」
疑念は、確信に変わった。標的は、この別荘地に居る。警察の行動が筒抜けとこの歩哨は言った。あの高岩とかいう刑事、俺を雇って正解だったな。と戒斗は思う。
「それによ、サツの動きが分かってるならわざわざ俺達が徹夜で門番なんてしなくていいだろ」
「そうとも言ってられないみたいだぜ。サツが腕利きの傭兵を雇ったって情報だ」
流石に、警察が戒斗を雇ったという情報自体の流出は防げていなかったようだ。まあ仕方ないといえば仕方ないが。
「マジかよ……どんな奴なんだ?」
「確か”黒の執行者”とかいったか。かなり良い腕らしいぞ。もしかしたらもう、すぐ近くで俺達の話を聞いてるかもな」
「なぁオイ、そういうのは冗談になってねえからやめてくれよ」
「ハハッ、悪りぃ悪りぃ」
残念だったな。それは冗談でも何でもなく、事実だ。
残しておいても後々面倒だ。そう判断した戒斗は意を決し、左手でそっと、音を立てないように後ろ腰のシースからMk.3ファイティング・ナイフを引き抜く。それを上手く回転させて刃の方を摘まみ、奥の、戒斗から見て遠い方の歩哨へと思いっきり投げ飛ばす。空を切って飛翔するナイフは、運よく男の背中に突き刺さった。突然の衝撃に、声にならない悲鳴を上げてその場へ崩れ落ちる男。
「なっ、何だ!?」
もう一人が狼狽えながら立てかけてあった突撃銃――中国製AK-47コピー、56式自動歩槍を手に取っている。戒斗は静かに、もう一本の巨大なサバイバル・ナイフ、HIBBENⅢを左腰の鞘から静かに抜いて逆手に構える。銀色に磨き上げられた長大なブレードが僅かな月明かりと街灯の光を反射し、森の中で妖しく輝く。
戒斗は気配を極限まで殺し、音ひとつ立てずに男の背中へとにじり寄る。間合いに入ったと判断した戒斗は一気に男へと飛びかかり、空いた右手で56式を弾き飛ばし武装解除して拘束し、左手に持った巨大なナイフの刃を歩哨の首へピタリと付ける。
「ヒィッ」
音もなく現れた戒斗に恐れを抱いた男は、心の底からの恐怖の声を上げる。
「吉野について知っていることを全て話せ……言えば解放してやる」
静かに、しかし殺気を纏った声で言い放つ戒斗。
「わ、分かった。分かった。全て話す。兄貴は、吉野の兄貴はこの奥に居る」
怯えながら、男は震えた声で呟く。
「それで? 奴の脱出経路は」
「あ、明日の晩にここからヘリで飛び立って、どこかの船の上まで行くらしい」
「ヘリだと?」
「ああそうだ。急ごしらえだけど、空き地にヘリポートを作ってある。そこにもう駐機してあるんだ。これ以上は知らない! 助けてくれ!」
「そうか」
もう聞き出せる情報は無いと判断したのか、戒斗は男をあっけなく開放する。
「もうお前に用はない」
「そ、それじゃあ、俺は無事に――」
自分の命が助かったことに、喜ぶのも束の間。男は戒斗に蹴り飛ばされて倒れ、軽く後頭部を地面にぶつけてしまう。
「なっ、何をする気だ!? 約束が違――」
そこで、男の言葉は途切れた。首元からは、銀色に光る巨大なブレードが生えている。
「別に、約束は破っちゃいねえよ」
戒斗は男からサバイバル・ナイフを引き抜き、死体の衣服で刀身に付着した血と油を拭って鞘に戻す。
「解放してやっただろ? ――この世からな」
未だ息絶えてなかったもう一人の歩哨の背からMK.3ファイティング・ナイフを引き抜き、そのまま首を掻き斬って絶命させた後、戒斗は同じように刀身を拭ってからシースに戻す。血を垂れ流して地に伏せる二体の死体を背に、戒斗は山の奥へと歩んでいく。ただ無心で、己の仕事を完遂するために。
二十分程歩き、戒斗はやっと別荘地へと辿り着いた。道中何度か敵と接触したものの、先程と同じようにナイフのみで仕留めた。なので敵は未だに戒斗の存在に気づいておらず、広大な敷地内は穏やかな喧騒に包まれていた。ふと腕時計を見ると、時刻は午後十時を回ろうとしている。彼らは先程夕食を終えたようで、残り香が戒斗の潜む森の中にまで漂ってくる。これが、彼らにとっての最後の晩餐なのだろうと、戒斗は無意識に呟いていた。
別荘地の敷地内は巨大な照明で照らされ、その上外周全てを大きな有刺鉄線がグルリと囲んでおり、どちらかといえば軍の野営地に近い状況になっていた。恐らくは彼らが吉野を匿い、護る為にここを改造したのであろう。奥の方には、どこから調達したのか知れない、軍用モデルのUH-1汎用ヘリコプターが駐機されている。
どこに吉野が居るのか、詳細な位置は分からない。とりあえずは立ち並ぶログハウスを一軒ずつ調べていくしかなさそうだ。警戒しながら外周沿いにログハウス群の方へと近寄る戒斗。先程から見ている限り、護衛の数は40人近い。それ程重要なポジションだったのだろう。吉野という男は。
ふと、何かに気づいた戒斗は立ち止まり、森の中に潜んだまま双眼鏡を取り出し、ログハウス群の中でも一際大きい、二階建ての家のベランダを注視する。そこには、標的である吉野と、もう一人、見覚えのある男が立っていた。二人はワイングラスを持ち、談笑をしながら注がれた赤ワインを煽っている。
「あの野郎ッ……!!」
思わず口から声が出てしまう。双眼鏡を割って壊してしまいそうなほど、手に力が入る。立っていたもう一人の男には見覚えがあった。いや、忘れることなどできない。殺すべき相手、復讐すべき男の顔など。
そう、吉野と談笑を交わしていたのは、他でもない。戒斗の因縁の相手、浅倉 悟史だったのだ。
今すぐ奴を始末してやろうかと思うが、戒斗はなんとか押し留まる。恐らく奴は、浅倉は戒斗が来ることを知っている。だからこそ、今こうして呑気に酒なぞ飲み交わしているのだろう。それに、今ここで奴を仕留めてしまえば、肝心の吉野を取り逃してしまう。吉野に関しては生け捕りにしなければならない。だからこそ、奴に最接近するまで気取られるわけにはいかない。
復讐心を必死に理性で押し留めながら二人を監視すること二十数分、唐突に浅倉は家を出て、停めてあった車に乗って何処かへと行ってしまった。戒斗は復讐の最大の好機を逃してしまったことに内心後悔しつつも、手を出す前に浅倉が去ってくれたことに安堵していた。
双眼鏡をポケットに戻し、戒斗は敷地へと近寄る。極力人気のなさそうな、影になっている場所へと匍匐でゆっくり近寄り、HIBBENⅢサバイバル・ナイフのワイヤーカッターで有刺鉄線を切除、音を立てないよう慎重に、敷地内へと潜入する。
有刺鉄線を潜り、立ち上がる戒斗。その近くに近寄る足音が一つ。パトロールか何かだろう。咄嗟に積み上げられた丸太の陰へと身を潜める。
「ふ~んふふ~っと……」
鼻歌を歌いながら近寄ってくる一人の男。その姿は入り口に立っていたようなスーツ姿ではなく、露骨な戦闘服姿。しかしどこかで訓練を受けたようには到底見えず、とりあえず装備だけ着てみた、といったような感じだった。
男は先程戒斗が切った有刺鉄線の前で立ち止まると、しゃがみこんで怪訝そうにそれを見つめている。まずい。今バレてしまうのはかなりよろしくない。
「これ、絶対切れてるよな……? もしかして吉野さんが言ってた傭兵がもう、入ってきてるのか……?」
戒斗は意を決し、男に飛びかかる。
「うわ――!?」
叫び声を上げそうになっていた男の口を無理矢理塞ぎ、サバイバル・ナイフの切っ先を男の首へと向け、勢いよく叩き付ける。そこそこの切れ味に加え、巨大な質量を以て叩きつけられた鋭利な鉄塊はいともたやすく男の肉を裂き、生命維持に必要な器官を叩き潰す。数分と立たない内に、男は絶命した。戒斗はナイフを抜き、男の戦闘服で血を拭って鞘に納め、急いでその場を後にする。急がねばならない。敷地内で殺した以上、いつかは発覚する。戒斗は静かに、しかし素早く、照明の光の届かない影の向こうへと消えていった。




